Paponの新たな犯罪(10-12)


みなさん、こんにちは。

The Sunday Timesの記事の感想を続けます。

*Papon 'ordered secret Paris massacre of 1961'

Vichy政権下のフランスで、ナチスに協力して1500人ののユダヤ人を収容所に 送り、死亡させたPapon。健康上の理由により、保釈が認められたようです が、彼にまた新しい疑惑が持ち上がってきた。

今度は1960年代、彼が警察長官だったころにアルジェリア人を大量に殺害した 疑いです。いままで数々の証言がありながら、日の目を見なかった戦後フラン スの恥部がようやく明らかになろうとしている。

しかし前に読んだ記事で知っていたつもりですが、このPaponは偉かったので すね。戦後追放というような処分は会わなくて、順調に官僚機構の出世階段を 上り詰め、警察長官にまでなった。その彼が40年から50年前の行為で今裁かれ ている。

1961年のアルジェリア独立運動の最中、パリには多くのアルジェリア人がい た。11人の警官殺害を機に、当時警察長官だったPaponはパリに戒厳令を布 告。彼に反対するアルジェリア国民解放戦線(FLN)は、4万人にものぼるアルジ ェリア人を首都に終結し、抗議運動を展開することにする。10月17日、警官隊 とFLNは衝突。警察発表では、3人が死亡。

この衝突で当時から多くの死者が出たことはいわば公然の秘密。しかし今日ま で大きな政治問題になることもなく来た。まずこれが信じられない。噂は常に あったようですがどういうわけか、国民全体の関心を引きつけなかった。

死者の数は、警察関係者の話でも200人以上。おそらくは300人に近い。仲間を 殺されたことに対する復讐心が、大量殺人に結びついたのか。この数字はデモ 参加者、第三者、警察関係者からも支持されている。衝突の現場で、警察が暴 力をふるったことはまあ分かりますが、信じられないのは警察本部の中庭で50 人が殺されたこと。これは多分無抵抗の逮捕者に対してなされたこと。あまり の残虐ぶりに、多数の警察官がショックを受けたようですし、上官に抗議した ものもいる。これには当時の長官だったPaponの支持があった。破壊活動をせ ん滅しなければならないし、そうした行動をしても処罰はしないということを 警察内部で約束していたのですね。

だからPaponはそうした事態を招いたことに対し、直接的個人的責任がある。 サルトルもこうした事態をpogromと表現したようです。しかしフランス政府は こうした発言を封じてきたようですし、あまり責任追及も盛り上がらなかっ た。「こうした事件が、ナチスの野蛮さに苦しんだはずのフランスのような国 で起こること、これは国の恥だ」と、当時のデモに参加したアルジェリア人は 述べています。

この大量殺人が、何故起きたかには、Paponの関与は別としていろいろあるよ うです。フランス政府とアルジェリア人の独立派の、話し合いを決裂させ、ア ルジェリアを植民地のままにしておきたいものたちが仕組んだという意見もあ ります。

政権についた社会党内部からも、Jospinに対して真相究明の声が上がっていま す。Paponだけの責任というわけにはいかないでしょうから。歴史家に国の秘 密文書を公開せよというわけですが、はたしてどうなるのか。87才のPaponが この裁判終結まで生きている可能性は少ないかもしれません。そうだとすると 彼もまた真実を自分の胸にしまって死んでいくのでしょうか。この点はアメリ カの情報公開制度の方がすっきりしています。

学生時代「パリは燃えているか」という映画の大きな看板を見たことがありま す。気になったけれど、結局見ませんでした。アルジェリア独立を描いた映画 のはずですから、この事件を描いているのかもしれません。サルトルも少しは 読んだけれど、ここで書かれている事実はほとんど知りませんでした。

YUKI



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