W.H.ハドソン 夢を追う子


W.H.ハドソン 西田実訳 夢を追う子 福音館書店

福音館古典童話シリーズの第6巻である。巻末を見てみると全25巻のうち ほとんどは私の知っている作品か読んだことがある作品である。数冊の本は知らなかった。いっしょに借りてきたJ.ヴェルヌの「二年間の休暇」もそうだと思って楽しみにしていたら、これは「十五少年漂流記」だとすぐに分かった。

ハドソンは私にとっては思い出深い作家である。しかもただ1冊、「緑の館」の作者として。これは私が中学1年か2年のころ当時旺文社から発行されていた「中学時代」という雑誌の付録で読んで以来、ずっと記憶に残っている作品だから。他にもいくつかの作品が名作シリーズとして、毎月ついていたはずなのだが、それらについては全然覚えていない。

後年岩波文庫でこの作品が復刊されたときもすぐに買い求めた。しかし完訳である岩波文庫よりも雑誌の付録で、しかも書きなおしか抄訳だったであろう雑誌の付録で読んだときのほうがはるかに強烈な印象を残している。まあ中学生にとってはそちらの方が読みやすかったということもあると思う。ちなみに中学時代に読んだ外国文学では偕成社の子供向けシリーズの「嵐が丘」をよく覚えている。もちろんこれも原作の翻訳ではなかったろうと思う。

解説にもあるオードリー・ヘップバーンの映画を見たのは、ずっと後である。衛星放送で見たから、10年くらい前だと思う。彼女は美しくリマのイメージにはぴったしだと思うけど、読書で描くイメージのほうがやはり強烈なような気がした。もっともこれは読んだ時期がおおいに関係しているのだと思う。

それとハドソンの「はるかな国、遠いむかし」も気になっていた作品であった。私はこれを学生時代に読んだ記憶は無いが、しかし成人してから、断片的に英文を読むことが何回かあって、気になっていた作品だった。ハドソンの作品は一時ペンギンなどで探したけど、手に入らなかった。だから大分有名な作者であるにも関わらず、彼は私にとってはいわば幻の作家であった。そうしたことがこの作品を手に取らせたのかもしれない。

この作品自体は今の私には、そんなに面白かったとは思えない。少年マーチンの自然放浪の物語である。マーチンは7才くらいだろうか。イギリスから南米に移り住んだ両親のもとに生まれたマーチンにとって、近くには家は一軒も無いから、もちろん同世代の子供どころか、ほとんど他の人との付き合いは無い。しかしかれはそれを別に寂しいこととも思わず、自然を相手にいろんなことを学びながら育って行く。そして7才くらいの時、川面に発生する蜃気楼を追い求めて、いろんな経験をする物語なのだ。最後には海までたどり着くが、彼は最後まで両親のもとに戻るわけではない。いわばこれは自然児マーチンの放浪の始まりなのだ。平原、森、山、海。そしてそこで出会う多くの動物たち。人間も少しは登場するが多くは山の精やさまざまな動物・植物たちである。それらが擬人化されてマーチンに語りかける。

一気に読みはしたが、多分同じような物語ならば、私はもう読まないだろう。しかしとにかくハドソンの作品を読んだということで今は満足しておこう。そのうちGutenbergかAmazonで彼の作品を検索してみよう。夢は夢のままにしておいたほうが良いとも思うのだが……

1999-12-22



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