パウロ・コエーリョ 山川こう也・亜希子訳 第五の山 角川書店
これは聖書文学の1冊といえるのだろうか。紀元前870年の初めのユダヤ・フェニキアを舞台に預言者とならされたエリアの若き日を描く。といっても聖書にもエリヤの記述は列王記上の第17章から19章にわずかに出てくるだけである。それを作者が豊かな想像力で膨らましたわけであるが、私には当時の時代背景の方が面白かった。
時は古い文明が滅びゆかんとする変革期であった。ヒエログラフに替わって、ビブロス文字が発明されたばかりだった。これは指導者たる祭司階級の権威、ひいては伝統社会そのものを覆す可能性を秘めていた。さらに粘土版から、動物の皮を経て、ようやくパピルスが記録の媒体として利用され始めた時期である。
神のお告げを聞いたエリヤが神の命令に悩み反抗しながら成長するところが面白い。人はただたんに過去のしきたりの延長の上に生きるのみならば、それは死んでいるも同じ。たとえ神の声を聞けるエリアであってもそれは変わらない。自分の運命は神ではなく自分で決定しなければならない。
200年の平和と繁栄を謳歌していたアクバルの町はアッシリアの侵入によって、一夜にして廃墟と化した。その中でエリアは神が授けた運命に抵抗する。というよりも自分の運命を切り開くものこそが、神を知りまた神が祝福するものであることを、彼はさまざまな不幸を通じて知ったということなのだろうか。
おそらくエリヤの物語も、聖書で書かれている以外にもいろんな形で伝わっているのには違いない。それでもここに書かれている物語のほとんどは作者のフィクションだろう。
訳者は以前読んだ「聖なる預言」シリーズの訳者でもある山川夫妻である。Spiritual bookの翻訳に情熱を傾けているらしい。
1999-12-20