ミス・アップルバウムにベゴニアの花を(by P. Zindel)


*A Begonia For Miss Applebaum by P. Zindel (Bantam) P. Zindelの作品の5冊目です。後半は一気に読んだが、時間的には読み終わる まで、1週間近くかかっているから、前半の内容で面白かった部分を忘れかけ ているかもしれない。メモとかはとっていませんが、今回は読んでいて面白か った文章などはマジック・ペンで線を引いたりしながら読んだから、それを見 ながら例によって思い付くままに書いていきます。

まず最初の前書きというか、主人公たちが前書きという形で、挨拶をしている 部分で、この本がAPPLE IIEで書かれているというのが懐かしかった。当時私 もパソコン(そういえばマイコンという言葉はいつか死語になってしまった)に 興味を持ち始めたところだったから、この機種のことは聞いている。しかし当 時APPLEは高かったし、知り合いにこの機種だったと思うが、中古で30万以上 出して買った人がいた。これはFDが使えたと思うのだが、当時アメリカでもパ ソコンの普及率は低かったのか、主人公たちもまだ個人のパソコンは持ってい ない。学校の図書館のAPPLEでこの作品を書いている。この作品は初版は1989 年と、私が読んだZindelの作品の中では比較的最近のものに属しています。

今回の主人公は、HenryとZeldaというAndrew Jackson Highの15才くらいの少 年少女。彼等と恩師Miss Applebaumの友情と別れを描いています。Zindelの作 品で奇妙なのは、若者同志の触れあいというか、友情、葛藤、恋愛がほとんど ないことです。ヤングアダルト向けの作品としては、かなり珍しい設定のよう な気もするのですが、こうした作品が若い人に人気があるのでしょうか。

今回の作品も、Henryが奇数章、Zeldaが偶数章を受け持つという形で進みま す。もっとも後半にZeldaがショックのあまり書けなくなり、Henryが続けて書 くので、入れ替わることになりますが。

Zindelの作品には珍しくHenryもZeldaも家庭的には恵まれている。Henryの場 合、父が数学者、母が精神分析医で自宅開業している。両親とも忙しくて彼の 世話が出来ないから、小さい頃からいろんなことを習わされている。父親のこ とは、Cockaloony Bird、母親のことをFreudian Octopusとよんでときどきは その行動を冷淡に書いていますが、これは少年特有のテレもあるようで両親に 愛情を持っているのは間違いない Zeldaも周囲が裕福なマンハッタンに住んで いるから、周囲と比べたら経済的には恵まれているとはいえないが、両親とも 専門職に就いていますし、家庭内での愛情は満たされている。2人とも家庭や 学校で不満があるわけではない。

それに幼なじみ。だから学校や家庭のことも少しは書かれていますが、この作 品はほとんどが彼等2人と死の病に犯されたMiss Applebaum、この3人の残され た日々の思い出と悲しい別れを描いている。その他には数名の医師や看護婦、 Miss Applebaumの姪のBerniceなどが出てきますが、若者は2人の主人公だけ。 多分同級生を含め、他に名前のある少年少女は書かれていなかったと思いま す。

まず最初に主人公の2人がわくわくして新学年を迎えるところから始まる。ま たMiss Applebaumと楽しい日々を過ごせるから。彼等は前学年にはThe SchockerことMiss Applebaumといろいろすばらしいことをした。この理科教師 はあらゆる分野に博識で、好奇心旺盛。道路でひかれた猫の死体を理科の授業 に持ってきていろいろと生徒説明したりするようなちょっと変わり者の先生。 62才になる独身の女性教師。教科書など無くても、毎回の授業を楽しくてしか も深い思考力・知識がつくようにさせてくれる先生。心優しく、毎日Central PatkのHomelessの人々の中のある地区の人に食事などを配達している人。

主人公たちはこのMiss Applebaumと3人だけで、放課後にいろいろな活動をし ていたらしい。部活のようなものでしょう。しかし他の生徒はそのすばらしさ はあまり理解できなかったのかもしれない。3人だけというのは、ストーリー の都合上切り捨てたのかもしれない。ちなみに作者のP.Zindelも作家になる前 に、10年くらい高校の科学教師だったようです。Miss Applebaumのような人 は、Zindelの理想教師なのかもしれません。

とにかく、新学年が始まってHenryとZeldaが見つけたのは、Miss Applebaumが 学校を退職したということ。彼等は失望してしまう。新しい科学の先生にはあ まり興味がないようですから、彼等は科学そのものではなく、Miss Applebaum と一緒にいろんな実験や活動やおしゃべりをしたことそのものが楽しかったら しい。

もう2度とMiss Applebaumに会えないということに我慢できない彼等は、感謝 の意味も込めて彼女を訪ねる。最初見たときにその変わりように驚いた彼等で すが、Miss Applebaumの歓待を受けて楽しく過ごす。しかしそのとき通いの医 者が来る。別室で医師がMiss Applebaumの体内から注射器みたいなもので、液 体を吸い取っている。彼等は、Zeldaの母親やBerniceなどから、どうやらMiss Applebaumが不治のガンにかかっていることを知る。しかも本人はどうも余命 数カ月という運命を知らないらしい。姪のBerniceは、その事実を隠して、叔母 の死後彼女の財産を1人じめする気でいるらしい。

Miss Applebaumの残された日が少ないこと、彼女にその事実を知らせるべきで はないのか、彼女にはその権利があるのでないのか。このへんは一種ミステリ ーのような感じでだんだんと明らかになっていきます。通いの医者は専門医で ないから、十分な治療を受けていない、もしかしたら回復の希望があるかもし れないと考えたZeldaたちは、自分たちだけで近くの病院、といっても彼等が 住んでいるのはNYのマンハッタン、Miss Applebaumの住まいはCentral Parkの すぐそばというわけですから、世界的にガン治療ではもっとも進んでいる言わ れる病院に入院させる。

3人で博物館に行ったとき、彼等2人はMiss Applebaumに真実を告げるべきだと 考えて、いつ話すべきかと悩みながら博物館内をあちこち歩いていく。ちょう どそのときイギリス(大英博物館)からロゼッタストーンが借り出されていた。 その石の前で話をえん曲に切り出す2人。しかしMiss Applebaumは既に真相を 知っていた。3人は長い間、ただ黙って手を握ってロゼッタストーンの前に座 っていた。

この作品の魅力はストーリーの展開そのものよりも、Muss Applebaumの部屋の 様子や、彼女の話、そして例えばロゼッタストーンがただ3人のためだけに存 在するかのような閑静な博物館の部屋、こうしたことにあるようです。彼の作 品は翻訳はされていないと思うのですが、話の展開もさることながら、こうし た細かいところはあまり受けないかもしれませんね。

Miss Applebaumが自分の運命を知っていたこと、姪のBerniceも叔母を愛して いること、そして通いの医師が決して無能ではなかったこと、一見意地悪に見 える看護婦が、実は不治の病に犯された患者に必要な者は、生きるという闘争 力だという配慮から、傍目には意地悪な言動をしていること、2人はさまざま な真実を知っていきますが、既にMiss Applebaumの死期は近づいている。病院 側の反対を振り切って、しかもタクシーを使わないで、HenryとZeldaはMiss Applebaumを押し車に乗せてセントラルパークを横切って彼女の自宅に連れ帰 る。

そこですべてに勇敢に立ち向かっていたMiss Appleが「こわい」ともらす言葉 に驚く2人。若い2人もそれまでにも死についていろいろ考えていたという意味 でもこの本は珍しいのですが、やはり彼等には死を具体的に考えることは難し いのかもしれない。しかしそれでも最後まで、Applebaumのユーモア精神は衰 えない。Berniceに残す言葉も、死後のことをよろしく、というようなもので はなく、「私は完全に回復したから世界旅行に出かけて、ベネズエラあたりに 住むかもしれない」という手紙。

病院から自宅に帰った日、HenryとZeldaだけに看取られて、Miss Applebaumは 死んだ。最後の願いは、自分が愛したCentral Parkのベンチの下に永遠に眠る こと。2人は夜中、人目を避けてその願いをかなえる。

まあ最後の1・2章の話の展開は、現実離れしていますし、あと両親に知られな いでMiss Applebaumの代わりにZeldaたちがHomelessの人々の面倒を見たり、 学校生活をどうやって切り抜けたのか、いろいろ細かい所では展開に無理もあ りますが、これは一切無視します。(笑)

タイトルのベゴニアの花は、2人がMiss Applebaumの家を訪ねていったとき、 持っていった花。彼女の自宅では、10個くらいのベゴニアが水車のような台に 載せられて回転していたように、彼女が愛した花。そしていつの日か、2人が Miss Applebaumが埋まっている彼女の愛したベンチの上に捧げようとした花。

この作品でも、P.Zindeeeeeeelの言いたいことは、自分の人生は誰の者でもな い、しっかり生きよ、ということなのでしょう。最初から最後までMiss Applebaumの死が強い影で覆っていますから。

結局、感想を書きながら、最初に書いたのと違ってこの本をぱらぱらめくるこ とはほとんどありませんでした。こうしたことを書こうかなとあらかじめ考え ていたものとは大分違った内容になりましたが、これでよしとしておきます。 本を見ないで感想を書くと、あまり難しいことを書かなくなります。

P.Zindelの本はあと未読が2冊。これをさらに読みすすめるか、それともIssac Asimovに進むか。しかし全く別な本になるかもしれません。

1998-5-22



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