A FlLYING TRIP THROUGH NORWAY by J. ROSS BROWNE (C.Nakagawa)


A FlLYING TRIP THROUGH NORWAY

A CALIFORNIAN ON VISIT IN THE SUMMER OF 1861

AS ORIGINALLY PUBLISHED IN 1863 IN HAPPER'S NEW MONTHLY MAGAZINE

BY J. ROSS BROWNE

この本は今年2001年6月に北欧を旅行した時ノルウェーのホテルで50クローネ(750円位)で買った63ページの本です。140年も前にノルウェーを旅行したアメリカ人が書いた旅行記というところに大変興味をもちました。2000年5月に内容を変えずに再出版されたものです。1861年の夏オスロから北部のトロンドハイムフィヨルドまでの旅の間に目にした景色、出会った人々などについて、冷静に観察しながらも心から旅を楽しみながら書いています。作者自身による26枚の挿絵がとても趣があって楽しいです。

デンマークのコペンハーゲンから夜遅く出航した汽船に乗ってクリスチャニア(現在のオスロ)へ向かったが客室は船酔いの人で混雑していたので甲板に出てみるが霧が濃くて何も見えなかった。昼頃ようやく霧が晴れてオスロフィヨルドの岬が見えた。海は穏やかで8月の光が渦巻く雨雲を通して降り注いでいた。左右に広がる美しい峡谷、輝く豊かな緑におおわれた岬、苔むした岩、入り江に停泊する小型の帆船や漁船、点在する漁師の家々、遠くには雪でおおわれた山の頂、突然そそり立つ崖などの景色はめまいがするほどの魅力に満ちていた。やがて夕日が落ちると静寂が全てを包み夢のような色彩の美しさに当惑した。

クリスチャニアは古い教会の建物、お城、丘の上の宮殿、波止場の船、スロープに作られた庭、博物館などがある古風で趣のある町である。人口4万人の静かで少し沈滞気味なこの町はサンフランシスコとは正反対のように思える。オスロからはミョウサ湖畔にあるエイズボルまで唯一の鉄道で行くことになったが、せりだした崖からの落石で時々止まらなければならなかった。汽車の揺れはひどく脊髄が外れるかと思うほどだった。製材所がたくさんあるエイズボルからは小さな汽船でミョウサ湖を渡りリレハンメルまで行く。人口1200人から1500人の美しい小さなこの町は農業と漁業と材木伐採業を営み裕福に見えた。ノルウェーの宿屋は簡素で安く従業員の対応もよく心地よかった。言葉は通じなかったが少しづつコミュニケ-ションがとれるようになった。

クリスチャニアとトロンドハイムには公道が通っていたが公の交通機関はありようもなく、旅人は自分で調達しなければならなかった。

郵便のための二輪馬車借りて、山羊より少し大きいくらいのポニーに引かせ道案内のために子供を雇い、宿場ごとに交代する方法でどうにか旅を続けることが出来た。収穫で忙しい農場や製材所を通り過ぎると、木々を通して夏の光が輝き、耳には激しい滝の野生に満ちた音楽が、肺には新鮮な山の空気が入り込み活気付けてくれる。馬車が止まるたびに親切で素朴で人情に厚い人々に出会った。道案内の仕事をする少年達は祖父から譲られたボロの服を着て赤いナイトキャップをかぶりほとんど裸足で顔はそばかすだらけで日に焼けていた。いろいろな子供達に会ったがみんな陽気で馬車の後ろの小さな板のところに座り歌ったり口笛を吹いたりして旅を楽しく活気あるものにしてくれた。賃金を受け取る時はいつも帽子を取り素朴でぎこちないほどの丁寧な態度で受け取り、旅の無事を願ったくれた。いろいろな国を旅行したがこんなにたくさんの少年と握手したことはなかった。

ある宿場で交代の少年がいないので訝っていると、道案内をしてくれることになったのは17歳くらいのほほの赤い、透き通るような輝く青い目をした少女だった。なんと飾り気のない美しさ、なんという美しい声、なんという勇敢さ、軽快さ、すっかりこの少女に魅了されてしまった。急な崖にさしかかったときは木のニンフのように馬車から飛び降りてノルウェーの歌を歌いながらはだしで丘を駆け上がった。頂上からの下りは、口笛を吹きポニーに鞭を当てるように私に言ってポニーをけしかけて、ほとんど周りの景色が目に入らないほどの恐ろしい速さでかけ降りた。馬車が縦揺れしたと思うと岩にぶつかり車輪のひとつが大きな割れ目の縁を回転しながら、もうひとつは空中でバランスを保っていた。少女は喜びの発作状態にあった。馬車が道から落ちなかったのは奇跡だった。平地に降りると少女は馬車の後ろに乗り私の肩にもたれかかり体を揺らして笑いかけていた。この少女に恋をしてしまった私は片言のノルウェー語で聞いてみると、恋人がいて6ヶ月で結婚すると言う。

内陸を旅している間たくさんの誠実な農民達に出会った。彼らはこの国の気候が最も温暖で、岩だらけの土地は最も肥沃で、政府は最高で、自分達は地球上で最も自由で恵まれていると考えていた。農家の屋根が草葺で麦や雑草や花が生えていたのには驚いた。厳しい冬に熱が逃げないためらしい。グズブダーレンの村を通ったときは木を切ったり、材木を運んだり、荷車を引いたり、ボートをこいで魚を捕ったり、その他男の人がするような重労働をするたくさんの女性達を見て驚いた。

ドブエフィェレットの付近は荒涼としていて農耕はほとんど行われていない。独特の服装をした憂鬱そうな数人の羊飼いに会った。ヒジェルキンに近づいた時ライフルやピストルで武装した数人のイギリス人が狩猟に出かけるところに出くわした。

ソクネスという村は眠ったように静かで馬車が調達できなかったので目的地のトロンドハイムまでナップザックを背負って徒歩で行くことにした。元気に何も考えず口笛を吹きながら、輝く太陽が丘や谷に降り注ぐ、新鮮で爽快な空気の中トロンドハイムを目指して(表紙の絵のように)歩いていった。



感想はこちらに・・・・・・ohto@pluto.dti.ne.jp


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