リトル・トリー


*フォレスト・カーター リトル・トリー 講談社ワールドブックス  1995.11.7
*THE EDUCATION OF LITTLE TREE by Forrest Carter

この本、最初のころは読みにくかった。題材はそんなに難しくない。英語も難しいとは思えない。出版社の判断では、中学英語の範囲内で読めるレベル1の英語で書かれているとか。それなのに、どうも集中できなかった。ここで使われている英語も、ところどころブロークンだが、「フォレスト・ガンプ」ほどではない。ただあまり見なれない単語を、重要単語としてしょっちゅう使っている。結局何故最初のころ読書の前半を波に乗れなかったのかは、あまりよくわからない。

しかし本の半ばころから、一気に面白くなった。チェロキーインディアンの血をひく少年が、相次いで父母をなくして、山で暮らす祖父母と一緒に生活しながら、人生と自然について、いろいろと学んで行く物語である。最後の部分で一気に時間は進むとはいえ、大部分の話は6・7才くらいまでの話だろう。

密造酒、というかウィスキー作りを主な仕事としているらしい祖父は、いわゆる白人の権力者たちには、刑務所に入ったこともある犯罪人としてしかうつらないらしいが、その家族や仲間からみれば、昔からの人間の智慧を受け継ぐ信頼できる人物である。人が作る実定法と、自然法の違い。国家とそれを必要としない民衆の違い。白人とインディアンの違い。山の人々と平地の人の違い。宗教を含めた人工的組織への不信。キリスト教の偽善。いろんなことが言われるだろうけど、ここに書かれいるエピソードの数々だけでも、面白い。

時は大恐慌前後のアメリカだが、インディアンを含めてアメリカの底辺層の悩みは伝わってくる。同時に祖父母のpoliticianに対する恐れと不信感も。多分ここでいうpoliticianは、政治家も含めての役人全体を指しているものらしい。

無理やりに祖父母から引き離されて孤児院に追いやられたリトル・トリーの境遇を読むと、近代が失ってきたものがわかる。まあそこまで大げさではなくとも、これはあらゆる人間組織が持つ負の部分だし、多分取り除くことは難しいのだろう。杓子定規に法律を適用しようとすることに疑いを持たない。元来法律と言うものは、一般的には恣意性を許さないものだから、自由人にとってはわずらわしいだけかもしれないが、現代人にとっては法律の保護の下でしか生活できまい。

彼らにとって、オクラホマこそがThe Nationであった。それには前にもこ のMLでも触れたThe Trail of Tearsの悲しい歴史がある。しかしこの事件の記述をあちこちで読むと、チェロキーはこの数千人の死者を出した悲劇の旅を、傍目には惨めに見えようとも誇り高く行ったようだ。歴史上ではこうした民族の集団移動は数多く行われたのだろうが、この旅もモーゼのエジプト脱出、毛沢東の長征にも匹敵するかもしれない。

幼い子供が主人公のこの物語、あまりいろいろと面倒な感想は言わない方が良いのだが、前半部分をよく分からないまま読了した私の良いわけみたいなものかもしれない。いつかもう1度楽しく読み返したいと思っている。

祖父母をはじめ、多くの友達の犬や、親しい人物を失って、リトル・トリーは最後には、独りぼっちになる。ただ彼が受け継いだ智慧は、例え幼くとも彼がこれからの人生を力強く行きぬくだろうことを暗示している。それにしても、祖父母の死をはじめ、多くの死がなんと荘厳なことか。出来れば私もそんな死を迎えたいが、それは現代では無理と言うものだろう。

この作者や本の背景にもいろいろな事情があるのだが、ここではそれは省 略。

邦訳「リトル・トリー」は「めるくまーる」から出ているようです。

2000-9-29



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