霍見芳浩 ジャパンズ・ルネッサンス


*霍見芳浩 ジャパンズ・ルネッサンス 日本病克服 講談社 2000年2月2日発行

現代日本への警告の書である。現在日本は政・官・業・やくざ癒着の情実・談合型資本主義であり、官僚主導の民主主義ならぬ官主主義である、日本の司法は腐敗しており、法痴国(誤植ではない)日本は司法・立法・行政の民主化を早急に成し遂げないと、このまま沈没してしまうぞ、というような恐ろしいことを全ページにわたって書いている。(^^) 最初はおおげさかなとも思ったが、読んで行けばなるほどと思うことが多かった。

この前読んだ副島隆彦の本はは、現在の日本がハーバード閥に支配されているが、その実態はいえない、などと思わせぶりなことを書いていた。作者は経歴から見る限り、そのハーバード閥の一人なのかもしれない。自由市場の強さ・健全性を信じることでは、両者とも同じだと思うのだが、力点が違うのだと思う。それはグローバルという言葉に対する価値観の違いからも分かる。筆者は当然、21世紀の日本が世界のなかで進むべき進路を国際的視野から見ているわけだ。

作者が日本で評価している評論家として飯田経夫と佐高信の両氏をあげていたのは少し意外だったが。佐高信の辛口の評論は、鎌田慧と並んで今でもよく読んでいる。飯田経夫はこの頃、私が経済関係の本をあまり読まないこともあって読んでいないが、その昔は大いに感心して読んでいた。彼等の思想的立場は微妙に違うと思うから、これは少し意外だった。

今の日本の現状がどこかおかしく、時代の閉塞感はかなり強いことは多くの人が感じているかもしれない。日本の最近の政策はことごとく批判されている。日本の国債発行高が600兆円であり、日本のGDPの130%位ということ1つ取っても、この国は今かなり危機的な状況にあるはずなのに、どうも政府の繰り出す政策は田舎に住む私にとってもどこかおかしい。まあ、ばら撒き財政の恩恵を一見受けているのが、田舎なのだろうが、それにしてもやはりおかしいと感じることが結構ある。

地域振興券や多額の公的資金導入、介護保険制度を巡るどたばたなどなど素人目にも政治への不信感の材料はいくらでもある。海外での日本の評判はがたおちで、いまやG7でも最低の経済状況と見なされているとか。国のランク付けでは、先進国中最下位に近く、もうすぐでブラジル並みとか。いろいろ書かれている事実がもしほんとうだとするとかなり危機的状況か?ロシア社会のマフィア支配と実態は殆ど変わらないと言われると、いくら何でもとは思うけど、文字だけの海外情報で知っているだけだから、案外そうかもしれないとも思う。最近の警察やその他の腐敗状況を見ると、現在の日本の無責任天国ぶりは私たち日本人には、かえってその実像がはっきりと解らないのかもしれない。

これからのインターネットの時代にあっては、特に消費財分野にあってはNo.1しか生き残ることは出来ない。今までの地域性重視や経済理論が通用しなくなるのだ。だからアメリカではe-commerceの世界で生き残ることを目的に、多くの新会社が現在の赤字を無視してでも、NO.1をめざして、売り上げのなかの信じられないほどの割合をPR活動に投じているのだ。このへんは、前に読んだ「EC」でも感じたことだったが、それはすさまじいものがあるようだ。おそらくは勝負はこの瞬間に決しつつあるし、遅くともあと2・3年間しか残されていないのではないか。日本の場合もSONYはPlay Station 2は3月4日から、インターネットを通じてでも売り出される。そしてインターネットを通じて買う方が少し安いらしい。SONYはメーカーであるが、おそらくこうしたことのもつ衝撃はもうすぐ明らかになるだろう。日本のインターネット環境がアメリカはおろか台湾・韓国・シンガポール・マレーシアにも遅れを取っているというのは、あちこちから聞こえてくる。

まとめとか提言はさておいて、エピソードをすこしばかり紹介すると・・・

去年7月ヒューレット・パッカードは、新社長に他社の副社長で44才の女性、カリー・フィオリナを選んだ。これはアメリカ社会をも少しは驚かしたが、一般的に好感を持って迎えられているようである。日本ではとうてい考えられない人事であるが、どうやら欧米の常識ではそのようになってきているようだ。もちろん彼女はHPの創業者などの一族出身と言うことではなく、その経営手腕だけで撰ばれたのである。こうした人事が良いのかどうかは別として、そうした思い切ったことを日本の会社が打てるかどうか。私たちの世代は、リストラの嵐に遭っているようだが、しかしかつては世界でほめそやされた日本式経営がいまやジョークの対象でしかないと言う現実。制度疲労は既に極限まで来ていると思うのだが、外圧によらずに日本はこうしたことの改革が出来るのだろうか。

感動する話しもいくらか紹介されている。ある講演でソニーの故盛田昭夫のエピソードが紹介されている。初めてニューヨークのメイシーズにクリスマス用にトランジスターのポケットラジオを売り込みに行ったときのこと。相手は、ソニーが無名だったこともあって、ブランドには75年の歴史あるメイシーズ・ブランドとして売り出すことを要求されたときの答えである。「ソニー・ブランドでなければ売らない。今日がソニーの歴史の第一日だ」。

さらには、コダックとの競争で富士フィルムが示した容易周到な戦略を賞賛している。しかし富士フィルムは数少ない例外のようで、大部分はセクハラ事件で訴えられた三菱自動車や去年10月末東芝が一部の弁護士グループの要求に屈する形で、約2100億円の集団訴訟の示談に応じたことなどを批判している。ほとんどの大企業には世界企業に脱皮するために必要な政経不可分の戦争戦略が分かるものがいないというのだ。これから生き残るために必要な国際化、スピード、適応力のいずれをとっても今のままでは、日本企業は生き残れないだろうと言う。

作者の提言する改革がはたして実行できるのか、またそれが個人的には良いものであるかどうか、かなり疑問がある。しかし今の日本がこのまま進むと、急速に住み難い社会になるだろうという予感も確かにある。現状維持は多分出来ない。没落か、回生か?新しい社会を産み出す苦しみの中からは、かなり多くの犠牲が出てくる。だから誰一人敢えて猫に鈴をつけようとはしないのだ。しかし残された時間はあまり多くないかもしれない。

こうした警告の書を読むと、私もつい国家を論じてみたくなるようだ。このごろ政治には関心の疎い私には似合わないことだが、それでもこの本を読みながら、少しはこの国の行く末を考えて見た。

2000-3-1



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