宮崎学 血族


*宮崎学 血族 アジア・マフィアの義と絆 幻冬舎 1999年7月10日発行

グリコ・森永事件で「キツネ目の男」として疑われた著者の作品である。タイトルが面白そうだったので、それに惹かれて読んでみた。作者の名前は最近まで全然知らなかった。かなり変わった経歴の持ち主である。

作者は基本的にこの作品を歴史的事実に立脚して書いたという。一部のフィクション的要素はあるが、この作品はノンフィクションということなのだろうか。ここで出てくる人物は著名な人物を除いてほとんど知らなかったので、なんとも言えないのだが、最初に掲げられている登場人物関係図を見る限り、ついこれはフィクションではないと思いこんでも不思議では無いだろう。

私がほとんど知らない世界だった。中国の客家(ハッカ)、洪門(ホンメン)、幇(パン)などのなじみのない結社みたいなものがごろごろ出てくる。客家とは主に広東・江西・福建省に住む漢族の一種らしいが、その起源は3世紀末異民族支配を嫌って、南方に移住したものらしい。その団結は今でも強く、正統漢民族としての民族意識も強烈である。知識階級に多く、華僑の中に占める割合も高い。幇は相互互助組織のようなもので、同族・同姓・同郷・同業ごとにいろいろとギルド的結社があるらしい。洪門は17・8世紀の反清復明を目標とする政治組織を起源とする南部の秘密結社である。紅幇、三合会、三河会、哥老会、あるいは天地会などいろいろ名前の組織があるが、この本を読む限り彼ら全体の連帯もあるようだ。英語では、「三」の字を重視するところから、triadと訳されている。リーダーズ・プラスに依れば、「麻薬取引などを行う秘密結社」とある。こうした華僑・華人のネットワークのつながりの上に物語りは展開する。

さらに東南アジア各国の政治情勢を縦軸に、横軸にはモイ族、シャン族、カレン族、カチンぞくなどの少数民族や前記の中国人ネットワークが絡んで、複雑な人間関係を形作っている。各国における諸民族の関係なども、私にとってはほとんど知らないことだった。舞台は主として東南アジアだが、時には日本から中国北部までも含む。時代は戦前から現代までの壮大なドラマである。フィクションなのか、実話なのか、読み終わるまではっきりしなかったのだが、この本の多くの説明を読んで、フィル所的要素を含むとはいえ東南アジアの政治・経済・社会を知る上で、大いに参考になる。

謝俊耀は黄金の三角地帯で、モイ族を中心とした準独立国家とも云うべき共同体を作り上げて、中国本土への侵攻をうかがっている。彼は中国に共産党政権が樹立されたのに伴い、南方の山岳地帯に逃げ込んだ国民党の幹部ということになっている。但し彼の考えも時代の経過と共に、徐々に変質し、やがては麻薬、通貨偽造、密輸などで金を稼ぎながら、時を待っているというわけだ。こうした舞台が、現実にいるらしい。ある意味で彼らの目的は潰え、その理想は形骸化しているわけだが、あくまで志としては少数部族の連合体によるアジア連邦建設のために「俺だけの戦いを」挑んでいると云うわけだ。このへん、主義はどうあれロマンチストの心をくすぐるものが有る。いわば、ヨーロッパの合理主義に対抗するアジアの土に根ざした諸勢力の結集を目的とするということで、このへんが作者の思想にも合致するのだろうか。

謝俊耀は、タイの客家の家に生まれ、6才でシンガポールのイギリス式寄宿学校へ留学する。放火事件をおこした彼の将来を考えた両親のはからいであった。14才では軍官学校に入学。41年に16才で同学校を主席で卒業とある。普通の場合よりも2才若いのも、彼の天才ぶりを示しているというわけだ。だから太平洋戦争が勃発したとき、彼は16才で自分の部下を指揮する。しかし初戦の敗退後イギリス軍に見切りをつけ、部下とともにゲリラ戦を展開。戦略家として優れた腕前を発揮するというのだが、これが実話なら確かにすごい経歴である。ただやはりどうしても信じることは出来ない。謝俊耀ともう1人の主人公とも云うべき日本人の東郷慶児はフィクションであろうと思う。こうしたインパクトの強い人物がこの世にいるとは思えないから。まるで劇画か冒険小説を読んでいる感じのようだった。

実話とフィクションが奇妙に入り交じっていて、その不思議な世界を味わえる面白い作品である。特に客家の連帯というのが出てくるのだが、これがすさまじいらしい。時には主義思想を越えて、お互いを助け合うというのだが、周恩来、葉剣英などもそうだとか。洪門や、幇のことも、現在の日本では考えられないだけに、その印象は強烈だ。中国マフィアの実態は難民密航などで、昔時々は聞いたことがあり、その時組織の名前も聞いていたが、ここに出てきた名前だったか、今は思い出せない。

読了後、自身のこうした方面へのあまりの知識不足を反省して、ウェッブ上で少し検索してみた。謝俊耀は、この本の日経の書評と、作者宮崎学のHPで検索できた。しかし彼と個人的に親しいとされる人々は、作者が接触したことになっているジャーナリスト村上幻を含めて検出されなかった。もしかしたらモデルはいるのかもしれないが、やはり2人のヒーローは作者の創作と見て間違いなさそうである。ただ作者のフアンのなかには、宮崎学の電脳突破党と称するHPでこの本の感想として、謝俊耀と東郷慶児を現存していると信じて感想を書いている人もいた。これは作者にとっては何よりのほめ言葉かもしれない。

確かに、どこまでが事実なのか、どこからフィクションなのかは、読み進む内にそのスケールの大きさに惑わされて、分からなくなってくる。シャン族の麻薬王クンサーはどうやら実在の人物らしい。実在の人物は、基本的に背景説明として描かれているから、大体は分かるのだが、やはりはっきりと断言は出来ない。こうした存在感の有る小説を久しぶりに読んだ。

作者が、今では有名人というか、熱狂的な信者を持っているらしいことは、HPを覗くまで知らなかった。どうも「キツネ目の男」ということを逆手にとって、いろいろと活動の幅を広げているようなのだ。目下通信傍受法に強く反対しているらしく、前に述べたように電脳政党も作っている。病気だと聞いていた栗本慎一郎も党員だとか。なかなか活気有るウェブページだ。

インターネットの世界は知らない内に、あちこちで多くの活動が生まれている。ボーダーレスになって行く世界で、自己の独自性を守ろうとする動きもますます強まっていくようだ。私にとって、サイバー空間は既にフィクションではないが、しかしまだ時には幻想の世界のような感じがする。サイバー空間と現実空間が、ある日突然交錯するとき、現実に残されるものは何だろうか?

2000-2-23



感想はこちらに・・・・・・ohto@pluto.dti.ne.jp


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