中澤まゆみ ユリ


*中澤まゆみ ユリ 日系二世ハーレムに生きる 文藝春秋 1998年10月30日

副題で大体の内容は分かるが、英語の副題もついていて、The Life and Times of Yuri Kochiyamaである。奴隷制が人々に与えた傷跡を論じているペーパーバックを読んでいる途中でたまたま読んだのだが、あまりにも面白くて一気に読んでしまった。

ノンフィクションなのだが、作者は最初から最後まで、コウチヤマ・ユリが自らその人生を語るという形をとっている。だから読み始めたときは、作者とユリがどういう関係なのかといったようなつまらないことが、気になったりした。

しかし、読み終えてこうした波瀾万丈の人生もあるのだと、つくづく感心した。そのエネルギーあふれる行動にはただ脱帽するばかりである。ユリは1921年ロサンゼルス近郊のサン・ペドロ生まれ、強制収容所の経験を経て、1961年からハーレムに住んでいる。ハーレムを自分の故郷とし、マルコムXなどとの交友を通じて成長していくユリの姿がたくましく描かれる。私のハーレム観をも覆すような、彼女の草の根の人権運動の生き方は、人間への信頼が根底にあるのだろう。

すべての宗教と政治の基本は、Love, Give,Sharingという人を愛し、愛を与え、人々と分かち合うことだとユリは考える。だからこそ多くの主義・宗教の違いを越えて、彼女の生き方に賛同してきたものが出てきたのだろう。ユリにとっては宗教や主義の違いは、そうした優しさがあれば、そんなに問題ではないのである。

少女時代に他の日系人とは違って、ひどい人種差別を経験しなかったことも彼女の人生観に生き方を与えているのかもしれない。しかし強制収容所の時もそうだが、どんなに辛くとも、その中で積極的にボランティア精神を発揮し、自分の人生を切り開いていくということはそう簡単ではない。正直なところ、私はこうした生き方は1日も出来ないかもしれないと思った。毎日多くの公民権運動家や、反体制派が自宅に出入りし、泊まり込んでいるような生活。毎日見知らぬ人と友達になっていき、彼らのために出来ることをするようなそのエネルギー。そこにはときどきは裏切られながらも、すべての時間を他人の幸福のために捧げて悔いない人がいる。

マルコムXのイメージも少し変わった。カリスマ的指導者で有ることは知っていたが、この本で彼が見せた一面は優しかった。暗殺の2日後にはキング牧師との会見も予定されていたらしいが、この2人の偉大な指導者が生きていれば、案外お互いに共鳴したかもしれない。私はキング牧師の方が、先に暗殺されたと思っていたのだが、これは多分マルコムXの名前を知ったのが、後だったからだと思う。

一部の人からは過激だと見られるかもしれない彼女の思想・行動だが、読んでいてほとんど違和感は感じなかった。アメリカ社会の不平等さも痛感したが、同時にその長所も描かれている。例えばほとんどのアメリカ人が真珠湾攻撃後日系人に対して敵対的行動をとった時でも、かなりのアメリカ人が支援をさしのべたというようなエピソードも数多く紹介されている。こうしたことをみると、自立的精神を持っているアメリカ人がやはりうらやましい。もちろんそれには多くの日系人が持っていた勤勉さと忍耐心、柔軟な心も影響していたのだろうが、それにしても和の精神を強調する日本人には、こうしたたくましさと人生への楽観主義とがかけているのかもしれない。異質なものを認め、それを受け入れる。しかし自分たちの独自性と主張は失わない。そうしたことは、今後ますます重要なものになると思う。この本を読んでアメリカの人種問題はやはり多くの難題を抱えているとは思うが、それでも多種多様な価値観が共存する社会はというものは、そんなに簡単には崩壊しないだろう。

ユリはどうやら、かなり有名人であるらしい。私は全然聞いたことはなかった。表紙の写真は30年来の友人、吉田ルイ子が1969年に撮ったもの。私は彼女の作品は何冊か読んでいるが、ユリの名前は覚えていなかった。

何よりも人間への信頼を信じさせてくれる本だと思う。

2000-2-18



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