小塩節 東ヨーロッパは今!


*小塩節 東ヨーロッパは今! 講談社 1993年9月1日発行

ベルリンの壁が崩壊した後の旧東欧諸国についてのレポートである。作者が1992年東欧各国に行った訪問・講演旅行と91年の旧東ドイツへの文化ミッションの際の印象をまとめたものである。作者の名前は有名だったし、私もドイツ語か何かの本でお世話になったことがあるはずなのだが、それがNHKの講座だったのか、聖書関係の本だったのかは、よく思い出せない。ただ名前は以前からよく知っていたから、学界から外交官に転じたというニュースは、私も覚えている。1985年から88年までケルン日本文化会館館長を勤めているが、現在ではまた大学で教えているようだ。

ただ今となっては古い本であるから、ここで書かれていることの、かなりの部分が時代遅れなっていると思う。現在の世界の動きはものすごいし、作者がこの本を書いたときはバブルがはじきかけていたとはいえ、まだ強い日本経済の印象はここに出てくる諸国の人々に強かったようである。旅行記ではあるし軽く読み流した本であるから、いくつかの印象に残ったところだけを簡単に書いておこう。

全体的には作者の専門とでも言うべき、東ドイツについての報告が中心をなすと思うが、私はブルガリアとポーランドの記事が面白かった。ブルガリアはそれまで私があまり読んだことの無い国であったからかもしれない。

ブルガリアの学生たちが自分たちをヨーロッパ人でもなく、アジア人でもなく、「ビザンチンの文化を現代に担う者」だとか、「アジアとヨーロッパの橋渡しをするもの」考えているところが面白かった。この国はトラキア文明から5000年の歴史を誇るらしい。これには少し驚いた。この地域を見るときは、私たちの偏見がいろいろとじゃまになっているのかもしれない。こうした強固な民族意識なくしては、すさまじい民族の盛衰があったバルカン半島では生き残れなかったのかもしれない。

面白かったのは、習慣として肯定の場合に首を横に振り、否定の場合に縦に振るということ。インドの一部ではそうだと聞いたことがあるが、ここでも国境を隔てただけで、そうなるらしい。言葉が同じスラブ系で似ていても、動作が全く反対の意味をあらわすというのは、博識な筆者にも意外だったらしい。

ポーランドの情報は今までも少しは読んだことがった。今井一のレポートはその昔興味深く読んだが、この本でもヤルゼルスキーが出てきている。一時は悪役視されていた彼も、ワルシャワ条約機構軍、なかんずく東ドイツ軍の侵入から救ったということで英雄視されているとか。この人物はかなり複雑な人物のようで、しかし愛国者で清廉潔癖で敬虔なカトリック教徒であることだけは間違いない。数年前新聞で彼のインタビュー記事を読んだことがあるが、歴史は彼に対しては生存中に正しい評価をしてくれたと思う。この人物は私にとっても現代ポーランドでは一番気になる人である。

ただ信じられないような出来事もある。第二次大戦後ポーランド内で1000年も住んでいたドイツ人数百万が12時間以内に強制的に追い出されたと書いてある。これは多分そうした通告が出された後12時間以内というのだろうから、考えて見れば、文字通り何もかも奪われたと言うことだ。1000年間もドイツ人の共同体がポーランド領内に独立したまま存在していたと言うのも私の想像を絶するが、戦後ドイツ系住民は各国で悲惨な目にあったらしい。旧東欧内では比較的民族問題には寛容と思っていたポーランドにしてもそうだから、最近の旧ユーゴ内の虐殺がチェコや他の国で行われたらしい。もちろんナチスの犯罪的行為があったとはいえ、ここまで民族問題が強烈だとは感じなかった。バルト諸国がドイツ騎士団が建国した国だとは知っていたが、ここまでも人種の融合が難しいとは思わなかった。

ただ貧しいながらも一生懸命学ぶ学生たちの姿は感動的である。最近は事情は大分変わっているとは思うが、日本語の教材も無く真冬に暖房の入っていないマイナス10度くらいの教室で学ぶ学生たち。作者が訪れたときは、2週間電気がなくて、外の雪明りを頼りに勉強しているとい記述もある。まあこれはたまたまのこととはいえ、日本では信じられないだろう。

コピー機も無くカーボン謄写の教材しか使えない。そうした中で何故日本語を勉強するのかと聞かれて、「外国語は。異質な文化を知るための鍵です」と答える美人学生。作者もこの答えを聞いて思わず涙が出そうになったとか。ポーランド人のたくましさと言うか、けなげさというか、この国の持つ気性の激しさの裏の一面を知った。

ドイツ語は、この地方では大きな力を持っているらしい。時としては英語以上であるようだ。使いたくは無いけど分かる、という世界。ただ歴史的背景もあって愛されていないドイツ、という印象も受ける。ドイツ人の几帳面さがあちこちで語られている。何事もいい加減にしてはおかない性質は、長短どちらにもなりうる。ナチスにしてもあるいは秘密警察シュタージの犯した犯罪の追跡にしても、手加減と言うことを知らないようだ。このへんが、過去の記憶とあいまって、やはり周囲の世界に潜在的脅威を及ぼすのだろうか?ソ連軍ではなく東ドイツ軍が来るということをなによりも恐れたというポーランド国民の感覚は私たちには分かりにくいけれど、そういえばこの国の人々は何度か自分たちの国を失ったことがあるのだった。

旧ユーゴとアルバニアは訪れていないから、旧東欧諸国のうち6カ国を訪れているのだが、この地域の人種的・宗教的・文化的・言語的・歴史的な多様性に驚く。面積は日本の数倍かと思うが、人口は1億4000万人だから、日本とそう変わらない。それを考えると日本はやはり大きいと思うべきなのか、あるいは極めて特種例だと考えるべきなのか。一気に読めた本ではあるが、時々そうしたことも考えた。

2000-2-9



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