*エリザベス・クレア・プロフェット著 下野博訳
イエスの失われた十七年 立風書房 1998年6月15日発行
必ずしも最初から最後まで面白かったわけではないが、この本のまとめにあたる1章は興味を持って読めた。福音書で見る限り、イエス・キリストは12才から29・30才くらいまでの消息が全然分からない。私たちが知っているイエスの知識は生誕から幼年期の少しとあと12才くらいの説明が少し、それから30才くらいからの3・4年の活動期だけなのである。この書はその失われた空白の間、イエスがインド及び現在のチベットを訪れたというものである。ここでイッサという名前で知られるイエスは仏教の奥義をマスターしてブッダとなった後、再びパレスチナに戻ったとこの書は主張する。ブッダはもちろん悟りをひらいたものへの尊称である。最初から常識とは違う結論を与えられ、それを順々に解明していくという手法を取っている。
一般的にはイエスは父ヨゼフの大工の職をついで、青少年期から不況を開始する30才くらいまでパレスチナないしエジプトあたりにいたのだろうというのが通説だろう。ただそれを裏付けるものは何も無いが、漠然とそう想像されているようである。それに真っ向から対立するものだから、奇想天外のように聞こえるが、必ずしもそうではない。本書にも出てくるルナンがイエス伝を書く19世紀まで、厳密な意味でのイエス伝は書かれなかったのではないのか。さすがにイエスが日本の戸来村で死んだという民間伝承は、大分疑わしいが、イギリスに行ったとか、あるいはコーランではイエスは十字架の上では死んではいないと書かれていることなど私も以前に聞いていることは多い。
それに福音書を初めとする新約聖書と言われるものが、果たして本当に原始キリスト教ないしキリストの教えを正しく反映しているものなのかどうか。もともとキリスト教はアジアに発生し、その後景教やユダヤ教の一派としてアジアの各地でも広がりを見せていた。それが西の方に向かったキリスト教がローマ帝国の国教になり、そしてなりよりヨーロッパが世界史の中で果たした影響もあって、私たちはその解釈を通してのイエス像に親しいんでいる。だからイエス像が見えにくくなっているのも確かだろう。ローマカトリックないしはそれに反抗する形で発生したプロテスタントの教えより、ビザンチン帝国内で信じられた正教の方がより原始キリスト教の影響を残しているというのは、今でもかなりのかなりの人が信じている。
さらに一般的に12使徒のうち、トマス、パルトロマイ、マッテアの3人はチベット・インド・中国で福音を説いたらしい。現在残されている手書きの福音書は、もっとも早くても4世紀にまでしか遡らない。キリスト教成立よりその時までに、グノーシス派を始めとするさまざまな教えが異端とされ消えて行った。数多くの文書が失われ、そしてその中には現在の福音書と微妙に異なる教えの重要文書があったかもしれない。現代になって、新約として編纂される以前のそうした原始文書のいくつかが発見された。そしてアジアに向かったキリスト教もなんらかの文書をしたと考えても別に不思議ではない。
もちろんこうした議論が現代においてはたして意味を持つものなのかどうか、少し疑問の点もある。しかし少なくとも真のイエス像がはたして新訳聖書に書かれたとおりだったのかどうかについては多くの謎があることは確かなのだ。それに私には仏陀とイエスの教えの間には、そんなに相違は無いようにも思える。
1894年、ロシアのジャーナリスト、二コラス・ノートヴィッチが「知られざるイエス・キリスト伝」をかいた。彼は1887年ラダーク(小チベット)を旅行中、古代仏典の中にキリストがインド及びチベットにきて、修行してブッダ・イッサとなったという言い伝え、及びそれを記録している「聖イッサ伝」の写しを手に入れたとされる。この本は成功を収めるのだが、当然一部学者たちからの批判反撃も激しかった。この過程でミュラーやルナンも登場するのだが、一応ノートヴィッチの業績というか、その本の内容は正統の学会からは無視されたままになるらしい。しかしそのあと、かなり信頼すべき人物たちがその真実性を認める。本書は第1章でそうした流れを概観し、2章以下ではノートヴィッチ(2章)、スワーミー・アベーダナンダ(3章)、二コラス・レーリッヒ(4章)、エリザベス・カスパリ(5章)など、そうした写本が存在すること、及びアジアの人々の間にイッサの伝説が広く伝わっていることを聞いた人々の証言から成り立っている。
ラダークは中国、インド、パキスタンの国境が接しているところで、私が持っている平凡社の地図でも国境線は確定していないし、1996年版のTIMEのWORLD Atlasを見ても、やはりあいまいでわからない。あまり詳細な地図を持たないから、仕方が無いのだが。
イエスは聖書に書かれていない17年間どこにいたのかという問題は、歴史的な大問題だけになかなかスリリングである。チベットの寺院には古代の文書が数万巻もあるとか、その中にイエス関係のものも多く含まれているとか、またバチカンの地下室にも古代のイエスにかんする文書は残っているとか、いろいろ書かれているが、そうした意味では一種の謎解きを含んでおり、ミステリーを読んでいるような趣もある。実際作者は、1章はそうした視点から書いている。何故チベットなのかという気はするが、この地は古代の教えを多く伝えているのだろうか。私には河口慧海の名前が思い浮かぶくらいだが、そういえばヒットラーの晩年には何人かのラマ僧が共にいたとか言う話も聞いたような気もする。神秘主義者にはチベットは魅力的な土地らしい。
ただ面白かったのは、聖書の中でも私などが読んでも少し不思議に思う点をうまく説明していることである。例えば、福音書の記述とは違って、イエスの処刑を決めたのはユダヤ人祭司長や長老ではなく、ピラトであったこと、そしておそらくローマ帝国内でキリスト教を普及するためには、ピラトとユダヤ人僧侶たちの実際の果たした役割を交替して記述せざるを得なかっただろうという説明はなかなか説得力がある。イエスが磔にされる瞬間叫んだ言葉、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」の謎もそうであったが、私もこのへんは少しおかしいと思っていたから、なかなか面白かった。
さらにイッサことイエスはインドでもバラモンやクシャトリアから迫害されていたバイシャやシュードラの味方であったことなども書かれている。ここでの革命家イエスの描写は、新約で描かれたように既成の権威を恐れず民衆の立場にたって行動したイエスを髣髴とさせるものがある。
ただここに書かれたことが事実なのかどうかは、まだはっきりしない。説得力あるものが必ずしも真実ではないから。ここで著者名とタイトルを英語で書くと、'The Lost Years of Jesus' by Elizabeth Clare Prophet である。しばらく読んで、そして作者の英語表記の名前を見たときに少し疑念を持った。Prophet(預言者)という姓がそんなにあるとは思えなかったからだ。
作者の名前が示すように、彼女はいわゆるNew Ageといわれる動きに属する宗教組織のリーダーである。Church Universal Triumphantという組織の指導者でもある。インターネットで調べると、一部批判者もいるらしい。創設者でもあり、彼女の夫でもあった故マーク・L・プロフェットとともに多くの類書を書いていることも分かった。だからこの本は彼らの教団に取っては、いわばバイブル的な存在なのかもしれない。こうしたことを考えると、この本の内容の信憑性も少し薄れるのだが、それでも私にとってはなかなか面白かった。
彼女は去年アルツハイマーのような症状が出て、リーダーの地位を辞したらしい。誰がguardianの地位を継ぐかということで、子どもたちの間に半年くらいの裁判もあったらしい。このへんの事情はInternetで少しだけ調べただけだが、案外本書以上に面白いかもしれない。channelerと称される人物もアメリカには多い。アメリカではNew Ageの運動は結構盛んなようだから、1度じっくりと調べたいとも思っている。日本でもこのごろ想像を絶するような宗教組織が横行しているから、その理解に少しは役立つかもしれない.
しかしこの訳書には不満がある。作者の略歴は書いてあるのだが、解説等にもこの書物に対してはあたかも一般の学者が書いた客観的なものと思われるような書き方をしている。作者の宗教的背景だけは少し説明していた方が親切かもしれない。それと注は巻末にあるのだが、索引などはなく不十分である。さらに人物名の英語名表記は最低書いてもらいたい。私はNicholas RoerichはYahoo!で検索にかけることが出来たが、この書物で一番の重要人物にニコラス・ノートヴィッチの英語の綴りが分からないから、当初調べることが出来なかった。原著を紹介しているHPなどをあちこち見て行く中でようやく見つけることが出来た。原著にある多くの写真や資料を省略しているのは良いとしても、こうしたことも少しは注意を払ってもらいたい。
この書の原書や関連図書をアマゾンで検索すると数多く出てくる。はたしてこの書物は読むに値するのか否か、途中まで読んだところで、少し悩んだ。まあ新興宗教の単なるバイブルであるのなら、読破するのは時間の無駄ではないかとも思ったのだが、読み終わった今となっては、結構満足している。並のSF作品よりはるかに面白い。モルモン教の経典もその昔少しだけ読んだことがあって、かなりの奇想天外な物語に驚いたことがある。やはり宗教家には、小説家以上の想像力を要求されると、つくづく感心している。
2000-2-2