今井美佐子 めだかの唄


*今井美佐子 めだかの唄 筑摩書房 1981年1月15日発行

今井美沙子は私の住む島、福江島が生んだ作家である。壷井栄とは違って、五島の思い出を中心に描いている。だから小説家というよりは、ノンフィクション作家と言ったほうがいいかもしれない。

その処女作とも言うべき「めだかの列島」が出たのは1977年だからもう20年以上前になる。私もすぐに買って読んだ思い出がある。その後何冊かの本を読んだことがあると思うのだが、この前図書館に行って見たら、彼女の作品がかなり揃っていた。さすがに地元では人気があるのか、良く読まれたあとがある。私の知らない作品が多かった。そういえば私は彼女の作品を始め、最近は地元関連の本もあまり読んでいなかったことに気がついた。昔はそうした本が出版されれば、すぐにでも読みたくなったものだが、犀星がうたったように「故郷は遠くにありて思うもの」というのが正解なのかもしれない。案外地元の事には無関心であったりする。

私にとっては久しぶりの彼女の作品である。この「めだかの歌」は「めだかの列島」前後に各雑誌や新聞に発表したエッセイ集である。だから今から20年以上前の文章が中心だし、内容的には重複するものもかなり多い。図書館で見た中から、あまり深くは考えずに選んだのだが、本当は未読作品の中でまとまった文章の作品をまず読んだ方が良かったかもしれない。

一読して、私にとってはやはり彼女の子供時代のことを書いた文章が面白かった。まあ同じ時代に同じ場所を共有したということは、それだけでも楽しいのは当たり前だ。しかし気づいたことがある。というのは私は彼女より少し若いのだが、同じ福江島で過ごした子供時代でも大分違うようなのだ。これには大きな事情が2つあるようだ。

私は、父の仕事の都合で福江市に移ったのが中学2年の途中からであった。その年に福江は史上最大ともいうべき大火災に見舞われる。夜中に港近くの倉庫より出火した火事は、死亡者こそ出さなかったけど、福江市の中心街をほぼ焼け野原と化してしまう。その火は100km離れた長崎からもはっきりと見え、西の夜空を赤くしたという。あとで兄が持ってきた新聞を見たが、東京の全国紙はいずれも一面トップ記事の扱いであった。私は当時福江の中でも街の中心部からかなり離れたところに住んでいたから、あまり福江の町の中心部については知らなかった。大火後の福江はそれ以前の福江の中心部とは様相を一変する。作者が書くいているのはほとんどがこの大火前の福江の街である。私は1年後福江を離れるが、あの当時帰省する度に福江の町はいつも変わりつつあったことを思い出す。

もう1つは彼女がカトリックということが大きな原因だろう。私は彼女の言うところの外教者であるが、中学卒業まで島内を転々としたが、小学校まではまずカトリックの子供が1人もいないところで育った。だから中学になって少しは思い当たるのだが、作者のような子供たちが同級生にいたということをあまり意識したこともなかった。もちろんカトリックである作者のように宗教やローマや世界を意識したことはほとんどない。私は私でまた五島というものを、違った角度から見ていたのだ。いろいろ考えたことは有ったが、宗教を通して見たという経験はほとんどない。ただ高校の時に創価学会を信じる生徒と論争したことはあるが、それとて教義上のことではなく、多分宗教の自由をめぐってのことではなかったかと思う。ただ作者が述べているような人間関係が、カトリック信仰に由来するのか否かは別にして、作者のように濃厚な中で育ったことは確かにうらやましい。

だから今井美沙子の作品で始めて知る昔の福江の町のことは結構多い。新栄町が福江市の中心であったのも、昔のことだ。私は家船に住む水上生活者のことはあちこちで読んだことがあるけど、五島にもいたことを聞いたのはかなり大きくなってからで、直接は知らない。さらに町の中心部の近くに砂浜があって、ミナが取れたというのも、あまり記憶にない。どうもこれは戸楽とか六方の事ではなく、福江川が現在のように整備される以前のことで、多分海と交わる場所があったのだろう。本に書かれていることを具体的な事実と結びつけて考えることの出来るのも、地元に住むものの特権かもしれない。

共感したのは新築の家の棟上の時に餅をまく五島の習慣が懐かしいというところ。確かにこうしたことはよく分かる。オンノメの風習は全国各地にあるらしいが、「いもはまんだかな」とか、「お大師さん」とか、そうした想い出を持つ人は多分故郷を離れていてもなつかしがるに違いない。

面白かったのは、彼女が現在の五島の現状を批判しているところ。五島が観光地化し、観光客相手の店が繁盛し、訛りのない女店員が「揺れるまなざし」で応対するのが気に入らないらしい。私も観光を盛んにすることが良いとは必ずしも思わない人間であるが、そうした思いは島を離れた人ほど強いのかもしれない。彼らのほとんどにとって、島はなつかしい思いでのままであってもらいたいらしい。

「常世の島のヤソパッチ」とダイする文章は1979年に書かれているから、彼女が島を離れて14年くらいの時のものだと思う。それから20年間の島の変遷を、彼女はどう見るのだろうか?「今や、五島には透徹した青空は、ない」と彼女は言い切るが、それは何も五島だけの特殊事情ではない。島というハンディキャップは今もあるし、過去の「日本の西の果ての小さな凸凹の島」に住んだ底辺の人々の力強さと優しさと、そして同時にずるさと弱さと、そうしたものは現代でもあまり変わらないと私などは思う。時代が良い方向に変化していっているとは必ずしも思わないけれども、島に住むものの可能性は大きくなったとも思っている。

留吉老人の話や、2000年前後に終末が来ることを五島のカトリックの人はみな信じているという話も面白かった。しかし私のようにあまり宗教的な人間でないものには、人間はそんなに複雑ではないと思うものの、やはり作者のような信念は持てそうにない。この意味において、島を捨てたカトリックの人々の苦悩は分からないが、カトリックの人も含めた中で、作者の方が特殊なのではないかと思ったりする。しかしとにかくこうした不信心者が多い世の中にあって、作者のような生き方を知ると、一種の清涼感を感じる。

昔の故郷の情景をこうした作品を通して楽しめることは、やはり幸せなことだ。暇があれば、他の作品も読んでみようと思っている。

2000-1-30



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