ハーパー・リー アラバマ物語


*ハーパー・リー著 菊池重三郎訳 アラバマ物語 暮しに手帖社 平成5年6月第三十一刷

原作は40年前に出版された有名な本である。原題のTo Kill A Mockingbirdは私も名前だけは知っていたし、映画化されたアラバマ物語も見ていたのだが、この本を読むまでは両者が同じものとは知らなかった。どうも私はTo Kill A Mockingbirdから、リンチで殺した黒人を木に吊していたような内容の作品かと勘違いしていたようだ。

この本には日本語の解説も初版の記述も書いていないから、日本語訳の出版がいつなのか良く分からない。原作は1960年発売、61年のピュリッツァ賞を受賞して、95週に渡って連続ベストセラーを続けたという事だけは、表紙の見返しに書いている。多分その直後に出版されたのだと思うが、それにしては売れ行きが少ないような気もする。

私がこの本を図書館で手に取ったのは、アラバマという名前に心引かれたからだ。アラバマには私のe-palが住んでいる。e-mailに夢中になってから、私にとってはアメリカと言えば、New YorkやWashington, D.C.ではなく、アラバマであり、インディアナであり、あるいはオクラホマなどである。このへんは少し意識の変化があったかもしれない。

e-palからはさまざまなことを教わっている。インディアナには定期的にメールを交換する人が2人、時々やり取りするひとが人が1人いる。おかげでインディアナは同じ州でも北部と東部でかなり人間の気質や気候がかなり違うらしいことも教えてもらった。アラバマは最初から現在まで続いているのは一人しかいないが、この人からいろんな事を教えてもらった。アラバマについてはそれまで何にも知らなかったが、ヘレン・ケラーが生まれた州であるとか、Mobileの近くには南北戦争の遺跡が多いとかいろいろなことを知った。

e-palが住んでいるところは、この本にもよく出てくるMobileの近くで、そことフロリダの Pensacolaとの中間ぐらいに住んでいる。文字どおりこの物語の舞台であるから、そのおかげでよりよくこの本の雰囲気が理解できるような気がする。いちばん驚いたのは、今でもかなり保守的な所らしいということである。私のe-palが住んでいるところは、石油成金のおかげなのか、アメリカでもかなり裕福な小さな町だとか言っていたが、その町は3つの実力者の一族が取り仕切っているのだとか。この3つの一族は小学校に対しても寄付を良くするから、かなり威張っているらしい。小学校のレベル差が同じ地域でも地区によってかなりの差があるらしい。親の経済力で学校の予算が決まるアメリカならではのことだが、普通のサラリーマンにとっては、よそ者をなかなか受け入れないこの地域はなかなか馴染めないところらしい。金がすべてと言うような風潮はここではなおさらその傾向が強いのだとか。

そういえばこの本にも何々家のものは云々という表現がよく出てくる。Anneシリーズを書いたモンゴメリーの作品でも舞台はカナダのPrince Edward島だったが、よくそんな表現が出ていた。読んでいて滑稽に感じるほどだったが、日本の田舎とあまり変わらないということなのだろうか。

作者は1926年生まれという事である。まだ生存しているはずである。というのは作者の故郷には作者の記念館が有って、そこでは去年までこのTo Kill a Mockingbirdの作者署名本を売っていたらしい。私のe-palが去年そこを訪れて注文したところが、2週間くらいたってから、署名入り本が送られてきたと言って、非常に喜んでいた。ところが作者の健康的理由で、1999年11月くらいでそれも終わりになったらしい。ちなみに作者ハーパー・リーの故郷の町はもう1人有名な作家を産み出しているらしい。「冷血」の作者Kapoteだったと思うが、このへんは思い違いかもしれない。

多分この本の物語は1935年当時なのだと思う。本文中に1回だけ、そうした表現が有った。King牧師の公民権運動が始まったのも、アラバマのMontgomeryにおいてであった。しかしそのためには、まだ20年の時を待たなくてはいけない。黒人に対する差別は当たり前の露骨な差別が当たり前だった時代の物語である。他のあらゆる事には理性的判断をする人たちが、こと黒人問題に関しては、どこかで狂ってしまう。この本は1960年発行で有るから、公民権の運動の高まりの後に書かれていると思うが、しかしやはりいつの時代にもたとえ南部であっても、アティスカのような人はいたのに違いない。映画でグレゴリーペックが演じたこの人物は、彼にぴったしのはまり役であったが、アメリカの良識を代表するような人物である。

物語そのものは良く知られた話だと思うが、母亡き後の父子3人の愛情、子供たちの成長を縦軸に、人種差別や人種差別を始め周囲のさまざまな人間模様を横軸に描いている。生まれたときから字を読めたという早熟な少女スカウトが、作者の自画像なのかどうかは分からないが、時代的・年代的には重なるようだ。アティスカに対して、「お父さん」ではなく、名前で呼びかけるジェムとスカウトの兄妹は、保守的な土地柄でなくとも、当時の時代背景を考えれば、かなり風変わりだとは思うが、読み慣れると別に不思議には感じない。

しかしこのアティスカという弁護士の印象は強烈だ。自分のことは何一つ自慢しないしここで大きな問題になる事件に関しても自分から進んで引き受けたわけではない。いわば裁判官の任命によってやむなく引き受けるのだが、引き受けた以上たとえそのことによって、世間の反感や場合によっては自分の生命を始め多くのことを失う可能性があるとしても、それに全力を尽くそうとする。

事件の真相は誰の目にも明らかであるのに、陪審員は反対の結果を出すのも驚きだが、アティスカにとってはそれは予想していたことであった。それでも別に怒るでもなく、次の可能性にかける。町の人も彼が黒人のトム・ロビンソンを弁護することでいろいろと中傷しても、、彼が州の議員に再選されることになんら異議を唱えない。子供であるスカウトの視点からこの物語は書かれているのだが、それだけに矛盾に満ちた大人たちの行動が浮彫にされる。

原題のmockinbirdは罪もないものの象徴としてあげられている。他の鳥の鳴き声をまねて人間を楽しませるだけで、他の鳥のように人間には何ら害を与えないと言うことも含めてである。私にはこれ自体が差別用語のような気もするのだが、多分それは思い過ごしなのだろう。

ずっと昔録画した映画のアラバマ物語はまだどこかに持っているはずである。近い内にまた見てみたくなった。

2000-1-25



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