萩原 遼 北朝鮮に消えた友と私の物語


 

*萩原 遼 北朝鮮に消えた友と私の物語 文藝春秋 1998年11月30日発行

元「赤旗」のピョンヤン特派員が書いた本。後半の時代状況を、分析した部分はあまり面白くないが、前半の部分はとにかく面白かった。作者の波瀾万丈とも思える前半生も面白かったし、済州島で1948年4月3日に発生した革命の騒乱の中を生き延びた金竜南の話しも面白い。知識としては少しは知っているが、ここまで激しい革命運動が、私の島から遠くないところで発生していたとは知らなかった。

題名は作者の高校時代の親友が北朝鮮に帰国してから行方不明になったことをあらわしている。そして作者は自分の言動がもしかしたら親友の死をもたらしたかもしれないというおそれを長年持ちつづけている。北朝鮮という異常な国家の現実を知らなかったばかりに、もしかしたら親友の生命さえ奪ったかもしれないという想いが、この本を書かせたようだ。

萩原遼という名前がペンネームであることは、本文を読めば分かるが、作者の経歴にはいくつか興味深い事実がある。金芝河の処女詩集「黄土」を渋谷仙太郎という名前で訳した事、大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の少女時代の写真を撮っていた人物だということはなかなか面白い。

しかし何よりも意外だったのは、作者の考え方というか感じ方というか、ほとんど私と変わらないと言うことだ。著者はある部署への移動命令をきっかけに、「赤旗」を退職するのだが、このへんのいきさつもかつての共産党と比べたら、スマートなように見える。この本の中でも、著者は共産党の指導部や路線についても極めて率直な意見を述べている。そしておそらくは現在でも、別に共産党の組織から離れたわけではないらしい。この本は形式的には三部作の最後となるのだろうが、最初の作品は始めは共産党系の大月書店から出ている。だから昔のように志賀義雄除名騒ぎなどは、今の共産党には縁遠いのかもしれない。この辺は今でも創価学会が、その新聞紙上でかつての宗派の指導者やら、顧問弁護士、公明党委員長などを悪魔であるかのように口汚くののしっているのと比べると、対照的だ。

しかし作者の親友を始めとして、北朝鮮に帰国した人々の運命はやはり悲しい。この祖国帰国運動がどうして行われたのかということに関連して、北朝鮮側には最初から戦後の経済復興のために労働力不足が補う目的があったというのは意外であった。日本側には、日本に不満を持つ北朝鮮系の人々をやっかい払いしたいという一面もあったということは聞いていたが、確かに説得力はある。しかし北朝鮮の実情を正確に知っていた総連指導者に騙された形で帰国した人々の運命はあまりにも悲しい。理想に燃えて祖国への愛を美しい詩に詠んだ少女を始め、政治の冷酷さに翻弄された人々の運命はあまりにも悲惨である。

この本には随所に美しい詩が引用されている。もともとがペンネームを奥の細道の旅に芭蕉に随行した曾良の俳句からとった作者だけに、詩には造詣が深いらしい。文学作品などもいろいろ触れられているし、私より一世代上の世代とはいえ、その雰囲気は私も共有するものが多かったことも、私を夢中になって読ませた原因かもしれない。

後半部分は作者の経験ではなく、第二次大戦直後の朝鮮の政治経済を分析したものである。この部分は引用部分が多くなり、文体なども変わる。果たしてこれが、結果的に良かったかどうか。確かに当時の時代背景を説明しようとする作者の意図はわかるのだが、私の場合一気に読み進んできたものが、突然ここでじゃまされたような感じも受けた。多分評価が分かれるところだと思う。

しかしこの本、とにかく予想を超えて面白かった。

2000-1-20



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