ローマ教皇とカストロ


みなさん、こんにちは。

Newsweek Dec.2p.33の記事です。TITLEはA Sunny Day in Romeです。ローマの 晴れ渡った日、ですか。教皇John Paul IIとカストロ首相の心境を表している のでしょうか。副題は「両者を知るものにとっては、教皇と首相はお互いに魅 せられていたようにみえた」。

John Paul2世が18年前に教皇になってから、Fidel Castroは彼に魅せられてき た。同じように、教皇にとってもキューバの革命家は、控えめながら遠くから ますますその好奇心をそそってきた。反共産主義者の教皇と共産主義者の指導 者が先週火曜日に会見したとき、それは単なる外交的理由でではなく、より深 い個人的な理由で、2人にとって前もって定まっていたのだ。

1959年1月のキューバ革命以来、私はカストロと知り合いだが、敬慕とは言え ないにせよ、彼があのローマの日に教皇に対して示した敬意はかつて見たこと がない。テレビで、彼が口ごもりながら教皇への挨拶を言ったとき、私はカス トロが人生で始めて、謙虚でやさしい気持ちになったという感じを受けた。

私は1993年以来教皇と知り合いになるという恩恵に浴している。先週私は教皇 がカストロを出迎え、手を添えて35分間の会見をするために書斎に導いたとき の父親らしい温かさに感動した。教皇は1978年以来数千人の有名人を、教皇 庁(Apostolic Palace?)に迎えたが、これは非常に特別なことだった。カスト ロは、彼には珍しく、それを「奇跡」と言った。

何故この2人の間には神秘とも見える絆があるのだろうか。第一に、そしてこ れが主要な理由だが、2人とも自分が社会正義と考えるものに、心から献身し てきた。共産主義者の独裁者とカトリックの司祭はあらゆる時に自己の信念を 繰り返し説いてきた。先週のローマでの世界食料会議の、それぞれの演説の中 で、2人とも結果的には豊かな先進諸国が発展途上国を飢えさせていると批判 した。1987年の本で、カストロは教皇が土地を持たない農民に土地をあたえる ことを支持してくれたことに感謝している。そしてローマの演説で、カストロ は教皇を全地球上の女性、中南米のインディアン、恵まれないものを保護して きたと言って褒めた。

一方教皇はカストロが長年にわたってしつこく送ってきた演説の少なくともい くつかには目を通している。それとは別に、彼はカストロに関する問い合わせ も行ってきた。例えば1994年2月の私的な昼食会で、教皇はカストロについて の鋭い質問を私にした。2人とも自分が魅せられる人物のことに関しては、直 感が鋭い。だから傍目には驚くべきことだった2人の握手も、カストロからの キューバ招待を初めて受け入れたのも、実現したのだ。

2人とも勇敢な革新者であると同時に、実際のリスクを背負うし、非常な確信 家であるし、権威主義者でもある。だから両者はお互いのことがよく理解でき るのだと、私は思う。両者とも知力と歴史の知識を駆使し、そして小国の、時 として支配された国の出身だ。マルクスレーニン主義の時代が終わり、未来を 見据えるときだと言う点でも2人の認識は一致している。教皇の言葉を借りれ ば、「野蛮な抑えの効かない資本主義」が、人類にとって危険だという認識も 同じだ。イエズス会の教育を受け、依然としてマルクス主義者の革命家が教皇 を最大限に褒め称えたとしてもそんなに不思議なことではない。

教皇のねらい(agenda)は、はっきりしている。彼は少なくとも5年前、キュー バが暴力的に流血の事態で共産主義から権力移行することを回避しようと動き 始めた。1992年末から、教皇の秘密特使がカストロと会っている。カストロは 政治的救済と生涯の支配の平和的終焉を教皇の中にゆだねようと決めたのだろ う。(解釈に少し問題点あり)

だから彼は教皇に強い親近感を覚えているのであり、信頼しているのだ。カス トロの友達が私に語ってくれたところでは、彼はバチカンでの会見及び1997年 に予定されている教皇のキューバ訪問によって、自分の政権が合法的なもので あること、今後東欧と同じくキューバでも政権の平和的移行が保証されると考 えている。疑い深いカストロのことだから、教皇以外の誰にもそうした約束は しなかったろう。2人とも歴史はその時その場所に応じた人を生み出すと考え ている。

そう言った状況を考えるならば、教皇が求めているようなキューバのカトリッ ク教会を寛大に扱うことは、結果的に教皇と教会が彼の同盟となることを考え れば、大したことではない。全島で放映された教皇の首相抱擁によって、国内 の反対は弱くなるだろう。これこそ教皇がカストロに要求していたものであ り、カストロはそれを受け入れたのだ。しかし書斎で2人だけで会見した時、2 人の間に個人的に惹かれあうものがなかったら、すべては失敗に終わっていた だろう。

会見の内容は分からない。しかし別れ際の2人の笑顔から見て、楽しいものだ ったと想像できる。通説と違って、2人とも聞き上手である。人の話を聞くと き、カストロはあごひげをなでる。教皇はこぶしを口にもっていく。両者とも 好きな人を楽にさせるこつを知っているから、非常に親密な会見だったことだ ろう。教皇はスペイン語が流暢である。戦争中の若い頃、クラコウで、偉大な 神秘主義者John of the Crossを原文で読むために、スペイン語をものにし た。

76才のJohn Paulにとって、キューバ問題の解決が最後の仕事であり、彼もそ のことは気づいている。10月に手術を受けたことで、彼は70才のカストロを出 来る限り早く受け入れたのだろう。カストロも時間が切迫していることを感じ ていると思う。この2人の不動の運命論者にとって、教皇庁の晴れやかな火曜 日は、神の顕現(epiphany)の時だったろう。

作者Tad Szulcはカストロと教皇の伝記の作者。

YUKI



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