チャットの魔力


長い盆休みもようやく終わって、私の日常生活もまた以前の平穏だが、少し退屈な生活に戻ろうとしている。今年の夏は、私の周囲では拡散型というか、盆あけに里帰りしたものもいたから、先週末まで何かとあわただしく、結局休みの間に計画していたことの大部分は実現できなかった。まあ考えればこれも毎年のことだし、そんなに焦るほどのことでもない。

ただ、ここ数年、私の夏は不思議と新しいことへの転機になっている。

3年前の7月、Niftyに入って、パソコン通信なるものを始めた。
2年前の8月10日、初めてのHPを作った。
去年の7月末頃、e-mailに喜びを見いだした。
今年の夏は、もうすぐで1カ月になろうかというchatを始めた。

私は元来夏は苦手なたちだから、あまり大したことはしないと思っていたのだが、PCというか、通信に関する限りかなり大きな転機をこの時期にしているようである。

さてチャットのことだが、これにもようやく慣れてきた。相変わらずICQが中心だが、TalkCityとExciteでも少しはやってみた。しかし、例外はあるかもしれないが、ICQが一番使い心地がよいから、私の場合チャットといえばICQと言うことになるだろう。ちなみに略語好きの日本人のことだから、仲間内ではただのQと言っているようだ。

ICQでは1週間前から、日本語でのchatというか、日本語でのメールのやりとりを楽しんでいる。もともとICQでは、そのままの形では日本語でのchatは出来ないのである。chatもどきといおうか、メールが到着したことを知らせてくれるから、それを利用すればchatみたいなことが出来る。まあ日本語の場合は普通はこれをICQでのチャットと言うのだろう。

これは複数の人と同時進行的にメールのやりとりが出来るという利点があるから、これはこれで楽しい。チャットの相手に聞いたら、こうしたことは多くの人がやっているようで、3人くらいと同時にチャットもどきを楽しんでいる人は結構多い。一番多い人では過去に5人という人がいた。これはタイピングの問題もあるから、一概に言えないが相手は反応の遅さに少しいらいらするかもしれない。私はタイピングは自我流だが、タイピングで別に困ったことは無い。チャットをやって初めて、まあ普通の速さで打てるというか、日本語でも英語でもあまり遅れをとったことは無いから、それなりの速さでタイピングできているのだということを確認した。チャットの場合、普通のe-mailより疲れが軽く感じるのだが、これは気のせいだろうか。

ICQの日本語化ソフトは手に入るが、私の使っているのは99aというversionなので、日本語化されてないようだ。面倒くさいから98aをそのまま使っている。他のversionで日本語化されたものは、画面を日本語表示させるものらしいのだが、日本語でチャットが出来るようになるのかどうかは分からない。多分無理だと思う。私の場合、99aのままでは1人の相手と試した限りではアルファベットは表示されるが、日本語は出てこなかった。

ただ「くまチャット」というソフトがある。これをICQに組み込むことで、日本語でもチャットが出来るようになる。両方がこのソフトを使用することが条件になるわけだが、私の場合このソフトを持っていることを確認しているのは、今のところこの存在を教えてくれた人が1人しかいない。しかもその人は私と1回チャットした後、南米のボリビアに旅立った。9月の最初には帰ってくるということだが、だから本格的な日本語でのチャットはまだこれからというところか。しかし、本格的でなくてもICQを通してのチャットもどきでも十分楽しめるし、以下書くことは日本語の場合、すべてこのチャットもどきのことである。

最初はあまり相手がいなかったから、ランダムモードで相手を捜して楽しんでいた。しかし最近はe-palの中にも、新しくアカウントを取ったり、元々持っていたのをこちらが知らなかったりしてする人が何人かいて、よく知っている人とのチャットも多くなった。それにICQ関連サイトでリストなどを見て、気に入った人にはこちらからコンタクトを取るから、登録している人数だけはかなり多くなっている。登録だけの人も多いが、何回か話したことのある人も着実に増えてきている。多分これからは知り合いとのチャットが中心になるのだろうと思う。

しかしチャットでは困ったこともある。チャットはまあ一度に一人とするのが原則だから、当たり前の話だが同時に複数と話すのは難しい。私も日本語の場合、同時進行的に3人くらいの人と会話することが多い。これだと、待つ時間がほとんど無くて、いつも誰かにメールをかいている状態になる。英語でチャットの時はさすがにその暇は無い。お互いが次から次にメッセージを書くことが多いから。しかもどちらも一長一短あるのだが、本格的なチャットをしているときには、親しいチャットがオンラインの状態になっても、場合によっては声をかけるチャンスが無かったりする。これが時には誤解を生むことがある。一度などは怒られた。これは昼間にe-mailをUPしたら、たまたまその時その人がいて、私に声をかけたのに、私が無視して去ってしまったというわけである。私はチャットはテレホーダイの時間帯しかしないから、昼間はメールのチェックをするだけである。だから多分こうした状態はいくらでも起こりうる。テレホーダイの時間内ならば、一応private modeというのを使う手はあるのだが、日本語の場合あまり効き目がないようだ。

チャットで最大の問題点は楽しすぎることかもしれない。前に「インターネット中毒」という本を読んだことがある。その時は、私もかなり余裕を持って読んだのだが、チャットを始めてから、なるほどと思い始めている。とにかく夢中になりすぎて、あっという間に時間が過ぎていく。私は通信の生活に入って新しいものを経験する度に、夢中になってきたのだが、多分チャットが麻薬的魔力が一番強い。アメリカでチャットでインターネット中毒になる人が多いのも無理は無いと思うようになった。オランダのe-palはAOLで同様な経験をしたので、思い切ってチャットから手をひいたと言っていた。私もその気持ちがよく分かる。この頃はinternet中毒を風刺する漫画をやりとりして楽しんでいるが、これは笑い事ではなくなるかもしれない。

日本ではまだ家庭にインターネットが普及していないというか、入っていても料金面の問題もあって、internet利用者の中でチャットの占める割合はまだそんなに多くないだろうと思う。特に女性と男性の利用者を比べたら、圧倒的に男性が多い。女性の場合、ICQ userのサイトに登録すると驚くほど多くの登録申し込みを受けると言う。しかしアメリカは違うのではないかと思っている。女性でもe-palの広告を出しても、反応はわずか数件、場合によってはゼロということも珍しくないらしいと聞いた。チャットでもこうした状況があるかもしれない。現実にアメリカ人の場合、チャット相手は驚くほど少ない。ほとんど全世帯にInternetが普及すれば、これが当たり前のことだろうと思う。

多分数年で日本もそうなるのかもしれない。女性の方がまだまだ暇な時間は多いし、書くことが好きだろう。それに家庭で楽しめるとなると、チャット人口はやがて日本でも飛躍的に増大し、女性のチャット愛好者の割合が大きくなっていくと思う。そしてその長所とともに、いろんな社会問題も引き起こすかもしれない。

必ずしもチャットだけではないのだが、最近私の2人のe-palが、外国のe-palとの実際の恋愛関係に入って、結婚の破綻を引き起こしている。1人は過去形、他の1人は未来形の違いがあるのだが。カナダ人とアメリカ人の女性で、相手はいずれもイギリス人。カナダ人の場合、夫を捨てて4月に渡英したのだが、結果はあまり幸福でなく、近くかなり劇的な終末を迎えると思う。アメリカ人は夫に知られないように、カムフラージュしてこの10月にイギリスに渡るようだ。これも多分何らかの荒波を引き起こすだろうが、もちろん他人にはどうすることもできない。彼女の周囲には、現実にe-mailやchatが原因でで離婚、結婚という例は珍しくないそうだ。具体的にそうした経験を持つ人と話すことが、そんなに珍しくない時代にやがてはなるだろう。

考えてみればこれも至極当然かもしれない。最新の技術は常にそうした人々の欲望を満たすことによって、普及度が高まっていく。ビデオにしても、携帯電話にしてもそうだった。PCの場合、PC通信、web, e-mailそしてチャットとあらゆる分野がそれを実証している。私も本や新聞では読んでいたし、かなり広がっているだろうとは思っていたのだが、まさかこんなにも早く当事者から話が聞けるとは思わなかった。

将来のvoice mailやinterenet telephoneはいざ知らず、e-mailやchatにも、そうした魔力が潜んでいる。文章はもともとそうしたものを内在させていると私は思う。不思議なもので、文章は時として、その人の心の奥を正直に反映する。他人にも自分にも認めない真実も、文章でならば表現できるということもありうる。しかも相手が目の前にいないから、想像力を働かせて相手のイメージを膨らませる。多分多くの場合は、かなり美化された形で。それに書くということで現実では話さないようなことも、つい率直に表現したりする。条件としては、かなり整っている。

だからもし現実に不満でもあれば、その代償は直ちに空想へと走るだろう。e-mailやchatに関心無い人はこうしたことが、よく分かっていないのかもしれない。だからこそ、相手からのメールが無いといらいらしている人を不思議に思ったりする。しかしe-palは架空の存在でもなければ、思っているほど簡単にそのつきあいを止めることが出来る存在でもない。毎日e-mailを交換している相手とならば、もしかしたら家族にも話したこともないような自分の秘密までも話しているかもしれない。日記や普通のメールがそうであるように、個性のない文字にしか過ぎないようなe-mailでも、人はいわば自己を見つめることが出来るのだ。さらにそれを即座に他人と共有できる。

まあ、私ももちろんこんなことは普通は考えない。私がe-mailを書き続けるのは、現実には会えなかったかもしれないような人との会話が楽しいから。そしてe-mailよりは少しあわただしいchatの場合にも、そのことはよく当てはまる。むしろ意外性という意味では、こちらの方が驚きは大きかった。

e-mailやchatは紛れもなく現実の反映であるし、しかもまず現実では接触出来ないような人と話が出来るという意味で、人を興奮させる。日本語でチャットを始めようとして、最初に戸惑ったことは、チャットの相手に私と同じ世代がほとんどいないということだった。日本ではチャットは圧倒的に若者の、しかも男性中心のようだ。海外でも大体の傾向は同じだが、まだ年齢層が高い人も多い。だから海外での方が共通の話題を持つ人を容易に見つけることが出来る。

とにかく若い人が多いので、私も10代の少年少女達と大分話した。このごろランダムモードで相手から話しかけられて、いろいろなことをしゃべったあと、年齢を聞くと大体は若いので驚ろいた。e-palは最初にこちらから選ぶことが出来るし、こんなことはあまりなかった。いわば異次元の世界に飛び込んだみたいだが、まあ話は結構弾むし、相手も私を同じ仲間と思っているのかもしれない。年齢を聞かれれば正直に答えるし、相手は驚くが、それでもまあ会話は元通り続いていく。まだあまり日本の10代とチャットをしたことがないので、何とも言えないが日本の若者とは少し違うのかもしれない。

さらに思いがけないようなすばらしい人と話すこともできる。私のような小さな世界に住む者にとって、まずこれが一番の新鮮な驚きである。自分が歩みたかったような人生を歩んでいる人に出会うこともあるし、とにかく考えられないような積極的な人生を歩んでいる人によく出会う。だから、世界は広い。日本の小さな島の片隅に住む者にとって、それは大きな刺激を与えてくれる。私自身も自分の人生を生きるにあたって、参考になることが多い。

チャットの功罪がこんがらがってしまったが、これは表裏一体だから仕方がない。しかし最後にチャットには最大の問題があるということを書いておく。前にも書いたがチャットをしていると時間があっというまに過ぎ去るということだ。他のことをする時間が無くなってしまう。日本語でも英語でもチャットしていて、楽しいことは楽しいのだが、ふと我に返って、これでいいのかと思わず自問することがある。これまでは英語力の向上という言い訳をしていた。しかし、日本語のチャットに夢中になってこれが無くなったとき、どこかでチャットに歯止めをかけなければ、私もまた本当のチャット中毒になってしまうかもしれない。実際2・3のチャット仲間とはお互いにチャット中毒だと冗談を言い合っている。今はまだ冗談ですんでいるし、テレホーダイという制約も残っている。しかしこれが無くなったら、どうなるのだろう。そして多分私のことはさておき、将来は多くのチャット中毒者が現れてくるだろう。

面白いチャット相手にもいろいろ出会ったが、さすがに具体的なことは書けない。

1999-8-24



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