ICQの世界へ


ようやくICQでchatを楽しむことが出来た。

ICQの存在はかなり早くから知っていた。実際今までに2回くらいaccountを取得したこともある。しかし私はこの世界に入り込むことなく、今日までやってきた。

今まで私のMacではspeedが遅いのか、本当に接続できたかどうか不明のまま反応がなく、そのまま放ったらかしにしていた。この間かなりのe-palからICQでchatをしようという誘いを受けたが、私はただ口を濁すだけだった。

しかし新しいWindows machineにも、Homepage関係を除けば、慣れてきたし、そろそろもう1度ICQに挑戦してみようと考えた。多分ICQのソフトは、雑誌の付録のCDから既にHD内にInstallしているはずだった。ところが、これはICQを日本語で使えるようにするソフトだった。過去のバックナンバーを探しても、どこにもICQそのもののソフトが見あたらない。日本語のICQサイトでいろいろ解説を読んでいる内に、大分時間もたったから、普通ならここでまた順延となるのだがこの日(29日)は違った。

ICQに行って、Windows用のソフトをdownloadする場所がいくつかあったが、どれかいいのか分からないので適当なところでまずはdownloadした。その後、日本語化しようとしたが、versionが違うと言うことで出来なかった。当分は英語版のまま使うことにする。accountを2つもらうなどの手違いはあったが(これも実際は不明)、今回は案外簡単に接続できた。

これが7月29日の早朝のことだった。それから、紆余曲折を経ながら、何回かchatを楽しんだ。ここ3日間毎朝の1・2時間をchatで楽しんでいるのだが、最初の時はどうやっていいか分からなかった。誰とchatをするのかも分からない。ただたまたまe-palからのmailが届いたということで、何回かメールのやり取りをした。しかしこれはメールが届いたということでやりとりをしただけであり、普通のメールがICQを経由しただけであり、まだ要領が良く分からず、これだけならばあまり面白味はないと思った。私もこうしたchatもどきならば、過去にe-mailとの間で何回か経験している。同時に2人、あるいは同一人物と複数のメールを次から次にやりとりをする事で、ちょうどchatをしている感じを持った。typingする指を休める暇もなく、なかなか面白かったことを覚えている。

ただ、これだと現在e-pal毎にフォルダーに保存しているメールの記録が残らないから私には普通のe-mailが良いように思った。長いメールのやり取りが、私には適している。記録は実際は残っているのだが、この時はまだ気づかなかった。

30日にrandam searchというのをやって、そこで出会った何人かとchatしてみた。レバノンに住むフランス人などと話したのだが、メールを書いているときのクリックの音がなかなか心地よかった。これで一応chat相手を探すときのやり方などを覚えた。しかし面白いという印象はもったものの、chat相手がいずれも見知らぬ人ばかりだったから、私にはe-mailの方が良いかもしれないと考えた。私が今日(31日)の途中まで楽しんだのは、こうしたメールのやり取りだった。これはAOLとMicrosoftの間で話題になっている、instant messageに近いものなのだろうか。しかしメールのやり取りをしながらICQよりもinstant messageの方が、まだ良さそうなきがすると感じていた。将来のメールのやり取りはこれが主流になっていくのだろう。

mailerを起動するたびに、ICQをどうするのか聞いてくるので少し嫌になっていた。もしかしたらこのままだとICQを外してしまったかもしれない。しかし今朝エジプトのアメリカンスクールに通う少女と、メキシコの化学技師と同時進行的にメールのやり取りをしていた時、いきなり画面が変わった。誰からかメッセージが送られきている。しかも今までのメール形式のものではなく、こちらがmessageを書き終わると瞬時にそれが相手に伝わる。何が何やら分からず支離滅裂のmessageを送ってから、相手は今までメールのやりとりをしていたメキシコ人だと気がついた。

彼は勤務時間内にcafeから、Inteerentに接続していたらしい。彼もchatは数カ月前に始めたばかりで、メールのやり取りではなく、こうした本物のchatが出来ることに2・3日前に知ったのだと言う。しかも彼は私が探した相手ではなく、私のweb上のbeachの写真が気に入ってメールをくれたのだった。彼がたまたまICQのアカウントを持っていたのも、運が良かった。

彼からどうやったらこうしたchatが出来るかを聞き出した。彼は勤務中だったし、大分時間が過ぎていたので次を約束した。今度はオーストラリアの教師といろいろ話していたらGutenbergの話になって、どこかを押した途端画面が消えた。多分私はこの時「WORD」に「波乗り」にIEにOutlookに、あるいはNetscapeも起動させていた。私のweb pageのLink PageからGutenbergのURLを教えようとしていろいろしたのが駄目だったらしい。

一瞬後画面は戻ったが、どこか反応がおかしかった。案の上、終了しようとするとき「このソフトが反応しません」のmessageが出た。どのsoftが反応しなくなったかは最後まで分からなかった。多分IEかICQのどちらかだろう。

再起動しても今まで話していた人のデータは失われ元に戻らなかったものの、どのようにしてchatが楽しめるかだけは、良く分かった。dataの保存の仕方はまだ良く分からない。今日最初に起動するときは昨日までのDataを一部失ってしまったものと思っていたが、これはどうもそうでないらしい。今日の失われたと思ったDATAも、もしかしたらどこかに保存されているかもしれない。

私が初めてchatしたフランス人や今朝のメキシコ人ともまたの機会を約束した。どうなるかは分からないが多分e-mailのアドレスを交換したし、かなり盛り上がっていたから、明日にでも話せるかもしれない。あとの人とも約束したが、こちらは分からない。ただ私はフランス人もメキシコ人も相手が男性という以外、2人とも名前を知らない。これも不思議なことだ。

e-palの何人かにICQのアカウントを取得したことと、どうやらchatが出来る環境になったということを知らせた。何人かのe-palも登録した。それに対し1人のe-palはYahoo!のサイトがvoice mailを送れるからいいと書いてきた。もう1人によればExciteの方が、ゆっくり少人数で話できるから良いそうだ。彼女によると、ICQはいつも込み合っているとのこと。どうも話が合わないのだが、多分彼女は多数が参加するchat roomのことを指しているのに対し、私が楽しんだのはどうやら個人同士のchatではないかという気がしている。はっきりしないのだが、どうもそんな気がする。そのうち分かるだろう。Latin Forumでいつもchatを楽しんでいるという人もいるし、各人が好みのchat siteを持っているということだ。

私は大勢が参加するchat roomは、多分楽しめない。今日経験した場所はなかなか気に入ったから、当分はICQだけで楽しんで、慣れたら他のところにも行ってみようかと考えている。私の今年の目標の1つはinternet telephoneだが、それに向かってまずは第1のstepを踏み出したに過ぎないと考えている。

ICQというか、chatに関しては、これからも何回か書くことがあると思う。どうもこの夏はこれに熱中しそうな予感がしているのだ。それに今日書いたことはかなりの勘違いを含んでいるのではないかと思う。しかし、とにかく遅ればせながらchatなるものを初めて経験したわけであるし、その記念として案外面白そうだと言うことだけを今日は書いておく。

1999-7-31



感想はこちらに・・・ohto@pluto.dti.ne.jp


ホームページに戻る 

PC Diaryのホームページに戻る