約半年後。


DTIのHPを更新したのは何時のことだったろう。もう大分前のことになる。TIME/Newsweekの英語雑誌の感想を書くことに興味が無くなり、e-mailの世界にのめり込んでからでも半年は経つ。

この間、私のパソコン生活に変化がなかったわけではない。ハード的には、ほとんど変化はなかったが、ソフト的にはかなりの変化があったといえる。

去年の10月10日、私のMACが突然クラッシュした。この時にかなりのファイルを失った。NiftyとDTIのHPの再現ファイルも失われた。LinkclubのHPの再現したファイルは残っていたし、私のHPの内容は、当時ほとんどが重複していたから、少し古かったけれどbackup分のと合わせれば、多分すぐにでも以前と同じようなものが作成できていたはずだ。しかし当時の私には、HPのファイルを作りなおそうという熱意はほとんど無かった。相変わらず私のe-mailへの執着が続いていたからである。私のPC生活のほとんどの時間をe-mailに過ごすという生活はほとんど変わっていなかったし、HPを再構築する時間もほとんど無かった。

ここ半年で私の英語への接し方がほとんど一変してしまった。英語の雑誌や新聞から遠ざかり、ほとんどの自由な時間をe-mailに過ごすという生活になってしまっている。以前はほとんどがReading主体だったのが、今ではwriting onlyという有り様である。一体これはどうしたことか。私の理想としては、読む・聞く・書くのバランスを取りたいのだが、多分そんなにうまくは行かない。(しかしそろそろ「話す」も必要になってきている) それに私自身が大して後悔していないのである。むしろ今の方が楽しいかもしれない。

e-palとは、big newsのことを話しているわけではない。クリントンも、イラクも、北朝鮮もあるいはコソボも私の頭からは、ほぼ消えてしまっている。ほとんどが個人的な心情や生活のやりとりだけである。ときどきTIMEなども読まなくては、と思うのだが、それでもe-mailを止めることは出来ない。予定では、半年も経てばお互いに書くことが無くなって、自然消滅するものと思っていた。前にも書いたが、最初にNiftyに入ったときや、Internetに入ったときに知り合ったわずかばかりの日本人e-palとの関係は、そうして終わった。現在日本人で定期的にメール交換している人は、私には一人しかいない。もっとも、ときどきは旧友からのメッセージが入ってくるようになったし、ここ1・2年で少しは変わってくるだろう。しかし現実世界で知り合ったのではない人とのメール交換はどういうわけかあまり長続きしなかった。

だから、当然のこととして、海外のe-palとの関係も、最初は熱中してもすぐに飽きてくるだろう、そしてそのまま少しばかりの思い出を残すだけだろう、そう思っていた。第一私にとっても英語で書くことがそんなに多くあるとは思えなかった。だから将来的には出来たら数少ないe-palと週に1・2回のやりとりを続けることが出来れば上々だし、readingとwritingの調和ある生活が戻ってくるはずだった。しかしそうはならなかった。これは大きな誤算だった。

不思議なことに、かなりの数のe-palとのe-mail交換がまだ続いている。昔ほどの熱情はない。しかしそれでも今でもほぼ毎日メールの交換を続ける人が何人かいる。私は昨年の10月か11月以来、新しいe-palを求めたことはない。それでも去年7月の終わりか8月の初め頃、私が最初に英文e-mailを出したとき以来の何人かを含めて、かなりの数のe-palとのe-mail交換が続いている。これはただ運が良かったということではないようだ。私のつたない英語が、かえって本音を書くことになったからかもしれない。

それぞれのe-palには、多くのものを教わった。もちろんここで詳細を書くことは出来ないが、少なくとも私にとって、アメリカ人やらオランダ人やら、スウェーデン人などなどのある人々が、生身のある人間として、現在は浮かんでくる。毎日長いメールを書く相手とは、家族や周囲のものにも話さないようなことも話している。家族全員と知り合ったe-palもいる。離婚してe-mailと電話でしか知らないe-palとの結婚を夢見て、カナダからイギリスに渡ろうとする人もいる。軍にいる息子のアルコール中毒問題で悩む人もいる。1人は実際に離婚し、1人はもうすぐ離婚するはずだし、さらに婚約解消の話も聞いた。そうした悩み事を聞くことも多いが、しかし多分これは日本でも同じはずだ。月並みだが、悩みのない人生など無いのだから・・・もちろん実際の話題は楽しいことの方がはるかに多い。

e-mailの世界は不思議な空間である。e-mailだけのつきあいというのは、なにか想像力をかき立ててくれる。知人とのe-mailとは、おそらく違ってくるはずだ。直接良く知っている人とのメールも面白いと思うが、私の場合e-mailを日常的に利用している知人はまだ少ない。英文e-mailは、ほとんどが直接的には、知らない人たちとのやりとりだ。だからより空想力が増すのかもしれない。最初の頃のような幻想ではないが、そうかといって必ずしも虚像ではないかもしれないところに、なかなかの面白さがある。お互いに知り合うにつれて、やはり実像の比重が重みを帯びている。顔も知っているし、声も知っている。何を考えているか、毎日の生活内容は、より具体性を帯びてくる。そうなるとやはり虚像は次第にぼけてくる。しかしだからといってe-mailを交換することの楽しさまでもが、減少するわけではない。

私はまだe-mailの魔法のクモの糸から抜け出せないでいる。しかしe-mailの成果は、今いろんな面で形を成そうとしている。私のこれからの生き方も、また変わるかもしれない。

1999-2-16




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