E-mailの世界へようこそ。


最近は英語の雑誌や新聞を読まないで、英文メールを出すことに夢中になって いる。Niftyに入ったときも、Internetに入ったときも、私が最初に興味を持 ったのはメール交換だった。しかしどちらの場合も、私の場合あまり縁がなか ったのか、すぐに飽きてしまったというか、会議室で発言し始めたり、 Homepageを作ったりということで関心がなくなってしまった。最初のうちは emailを出したりもらったりするのは面白いのだが、だんだん慣れてくるにつ れてお互い書くことがなくなるというか、共通の話題がなくなってくる。新鮮 味も薄れて来て、私の場合e-mailはパソコン通信、インターネットの入門編と いう役割を演じると、あとは本来の主役に役を譲るというか、脇役に退いてし まう。最近は決まった人としかメールのやりとりはしない。ときどきHPや mailzineへの感想も頂くが、それでもe-mailを交換することに夢中になるとい うことはなくなっていた。

それがふとしたきっかけだったのだが、つい2週間ほど前にYahoo!だったか で、e-mailの検索をして、その充実ぶりには驚いた。まぐまぐさんのmailzine の中でも、文通相手を求めるものは人気が高いし、需要が大きいのは知ってい た。私の例からもそれは分かる。人との出会いを求める気持ちは誰でも持って いるだろうし、これは当然外国でも同じはずだ。しかし去年3月私がInternet を始めた頃は、あまり便利な紹介サイトはなかったように思う。少なくとも私 は見つけることが出来なかったし、そのうちInternetの方も、HPの更新やらで 結構忙しかったりしたから、検索することも忘れていたようだ。それが今回は 幸運だったのか、e-mail palを求める人のHPは、世界で急速に増えているよう だ。

私もためしに何通か書いて出してみた。半分冗談混じりで。ところが思いがけ ない反応が返ってきた。私はHPなどにときどき海外からの問い合わせがある し、英文の手紙には少しは慣れていたが、世界の人相手だし、果たして返事を もらえるのかどうか半信半疑だった。ところが、返事がすぐに届いた。私の経 験ではむしろ外国相手の方が反応が良いようにも思えるのだが、これは過去の 記憶がすっかりなくなっているから、本当かどうかは分からない。

とにかくそれからというもの、私は数え切れないほどの英文メールを書いた。 もちろん最初の1・2通は、儀礼的なものも多いから、それらはほとんど同じも のを出すことになるし、お互い余り関心がなければ、この段階あたりでメール の交換はなくなる。私の場合は日本語でそうだったように、まず長続きしない 人との間のメール交換は、このへんで自然消滅する。そして以前の経験ではほ とんどがここで終わり、あと少数の人とのメール交換がもう少し続くというこ とになる。

私にとっての英文e-mailの将来は、まだ今の所分からない。ただ日本語メール と違って、そしてあれからInternetがものすごく進歩したことを考え合わせる と、自分と趣味や共通の話題を持っている人を見つける可能性は今の方がはる かに大きい。当時も面白かったから、かなりのメールを送ったかなとも思うの だが、反応が違っている感じだ。まず日本語と違って思いがけない反応が次か ら次に返ってくるという意外性がある。それに英語を書くのが、こんなに楽し いというか、今まで経験したことのない世界が急に広がってきた。私として は、パソコンの通信生活では、会議室で初めて発言したとき、Homepageを開い たとき以来、経験したことのないような興奮の高まりを覚えている。世界は狭 くなり、人々の交流もかなり頻繁になっているのだが、私の生活ではそうした ことは余り実感していなかった。それが急にe-mailという手段を通じて、私に も実感されてきたということだろうか。私自身にとってはこれは疑いもなく、 遅ればせながらの意識革命なのだ。

もちろん英文で書くことの限界みたいなものはある。日本語と違って微妙なニ ュアンスを伝えることは出来ないし、じれったさを感じることもある。ただの 好奇心でどこまで長続きするかも不明だが、とにかく今は夢中になっている。 Internet接続時間のほとんどが、メールの返事を書くことに過ごされている。 返事を書いていると、別のメールが入ってくるというスリリングなこともあ る。さらにoff lineでも、e-mailを書くようになっている。分量が増えるにつ れて、どのようにメールを整理するのか、あるいは相手の人数・メールの分 量・書く内容などが試行錯誤で分かりかけてきた。当然新聞・雑誌を読む時間 はほとんどなくなっている。

繰り返しになるかもしれないが英文メールを片っ端から書いて気づいたこと。

まず第1に爽快さである。現在までに南アメリカを除いた他の大陸全部からe- mailをもらった。私は日頃まず英文を書かない。英語の手紙を書いたこともあ まり多くないし、英文日記をある一定期間書いたこともない。英作文の教科書 のようなものを活用したこともない。10年か20年くらい前に、英語で物語らし きものを書いたことはあるが、あの時は単なる自己満足で終わった。とにかく 英文を書くということは、私の生活の中であまり存在価値がなかった。当然英 語を書けるという自信もなかった。ただ国連英検や実用英検を受けてwriting の問題が出てきても、その対策をしたことはほとんどなかったが、余り悩むこ とはなかったし、結果的には高い評点を獲得しているようだったから、英語を 書けないというあきらめもなかった。要するに自分の実力がさっぱり分からな い状態だったのである。

だから自己流の英語を書き続けると言うこと、しかもそれに対して海外からす ぐに返事が届くと云うことには何ともいえない快感を感じた。1時間で返事が 来たことがあったが、このときも吃驚した。それに考え方が日本人と違うか ら、英語を書いていると自分の考え方までも、若くなったように感じることが ある。この快感は当分手放したくない。

もう1つは外国人の考え方を具体的にイメージできるのではないかという期待 が、emailを書き続けることにはある。TIMEや新聞などのジャーナリズムが伝 えてくるニュースは客観的でそれはそれでいいのだが、私は人々の生の感情が 知りたいという気持ちが常にあった。愛や憎しみや偏見や希望、などなどの抽 象化・一般化されない前のどろどろとした感情である。私には人間の考えるこ とは、どこの国でも余り変わらないという信念みたいなものはあるから、一般 論としては分かる。だから英文雑誌でいろいろなNewsを読んでいても、そこに 書かれている内容を自分とはまったく無縁なものと思ったことは、ほとんどな い。それはそれでいいのだが、日本人の場合と違って、外国人の個々人の具体 的な思いを一般的・抽象化されたものだけで理解した気分になることには、常 にある種のジレンマがあった。ただ体験をすればいいと言うものではない、と は分かっていても、やはり今一つ曖昧さは残る。この解決には現実に多くの知 人を世界中に持つことが一番いいのだろうが、私はそんな恵まれた環境にはい ない。もちろん人々が政治や宗教・差別のことを、あからさまに語るとは思え ないが、時には個人の思いこみや率直な偏見で初めて見えることもあるのでは ないか。それが私にとっての真実とは云わない。しかし私は抽象化された真実 をあまり信じない人間だ。真理は1つというような空虚な言葉よりも、雑多な 混乱の中から導き出される普遍的なものが欲しい。

e-mailを書くことで、自信というか、物事を過大評価も過小評価もしないで客 観的に見るようになるかもしれないと云う期待もある。これはNiftyの会議室 に参加し始めたときもそうだった。いろいろ会議室を覗いてみて、そこで発言 されていることに一種の威圧感を覚えた。外から見ていると、自分にはとても 出来ないな、という感じがしたのである。実際に参加してみれば、そんなこと はない。当事者になって初めて見えてくるものもあるということだ。現在のe- mailを書き続けると云うことでも、会議室でレスをつける感覚で、英語が間違 っていようと、スペルや表現がおかしかろうととにかく書きまくっている。も ちろん模範英文の書き方、といったものは参考にしたこともなければ、読んだ こともない。それに対する相手の反応を見ていれば、だいたいのことは分か る。それに日本語でも、しょっちゅう書き間違いを経験している私のことだか ら、この点でもあまり気にならない。どうやら私のつたない英文が通じるらし いということ、しかも自分の気持ちを伝えるのにそんなに苦労はしないし、あ まり誤解されることもないようだということが分かってきたのも大いなる収穫 である。

限りないe-mailを書いたあとで、例えば1人でも2人でも来年の今頃までもe- mail交換が出来る人が見つかれば、幸せだというのが、率直な感想である。今 の所はまだ良く分からない。そのうちどうした人を選んだらいいのかも、自然 に分かってくるだろう。とにかく今はすべてが試行錯誤、といったところ。返 事をもらったメールには全部確実に返事を出す。しかも自分が知らないことで も、聞かれたり面白そうだったら、必ずそのことに触れる。これは当たり前の ことだが、いろんなことも改めて確認した。私は当然日本語で考えているか ら、まず云いたいことを日本語で考えて、それを強引に英語に直すこともあ る。当然形式的な表現になっているし、まず普通の手紙調の英語にはなってい ないと思う。これは現代日本人が、江戸時代の言葉で書かれた手紙をもらった ような感覚を相手に与えているかもしれない。実際あなたの英語はすばらしい が、slangなどを余り知らないようですね、と云うような指摘も受けた。これ は皮肉だったのかもしれない。(smile)

e-mailの相手とのつきあいは、まだ表面的だし、書かれてくる英文は俗語を除 けば易しいから、果たして英語の実力UPになるかどうかは分からない。ただ英 語の勉強のために、私はe-mailの交換を思い立ったわけでもない。英文メール を書き続けるということは、結局は自己を表現するという旅でもあるようだ。 これには英語という言葉が私の場合特に役に立っている。日本語では表しにく いものを、英語でなら言える。英語は平等な人の間の言語だと言うことを、し みじみと実感している。

既に短期間であるにも関わらず、結構驚いた経験もしている。しかしこんな楽 しみがあるとは思わなかった。ここ当分は、少なくとも8月一杯は、数百通の e-mailを書いて、思いついたことすべてを英語で表現してみようと思う。秋に なって、冷たい風が吹き始める頃まで、私の熱気は続いているだろうか。それ とも読書の秋は、私にもまたふさわしい場所を提供してくれるのだろうか。

1998-8-6



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