「英語を読む」 No.36


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「英語を読む」  No.36  1998-7-2日 発行     

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みなさん、こんにちは。 「英語を読む」No.36をお届けします。

今回は感想が4本と少な目になりました。これは長文の記事や、難しい記事が 多かったからです。

特にTIMEのESSAYは、いつもそんなに完璧に読みこなしているという自信はあ りませんから、ああでもない、こうでもないと頭をひねることになります。思 いがけない勘違いをしていることも、多々あるだろうと思います。しかし思い 違いや解釈ミスを心配していたら、感想は書けませんから、一応私が読んでい く過程で感じたことをそのまま書き綴っています。果たして本当に作者の真意 を読みとっているのか、皮肉っぽい文章が多いESSAYのことですから、見事作 者の術中にはまっているのかもしれません。

こうした文章の感想は、私の場合詳しく書くか、全然書かないかのどちらかで す。普通の記事と比べて情報量が多いわけではない。その文章をどれだけ楽し めるかが勝負だと思います。いつの日か悪戦苦闘することなしに読めるように なり、途中でにやりとして、そのあとすっかり忘れてしまう。それが私の理想 です。まあその日はまだ大分遠いような気がしますし、永遠にこないかもしれ ません。

多分感想を3本しか乗せなかったということは、私のmailzineの場合無かった と思います。4本は、もしかしたらあったかもしれません。個人的にはもっと 多い方がいいと思っていますが、当然ながら本数が少ない方が発行のペースは 速いようです。

1998-7-2

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目次
1. Pieces Of Advice For Japan (NYT) by T. Muramatsu
2. Sunday Times 98-6-28
(1) スターリンに人生を奪われた人々
(2) カーターの発見、世紀の発見へ
3. 中間管理職入門 (TIME 1998-7-6, ESSAY)

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1. Pieces Of Advice For Japan (NYT) by T. Muramatsu

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*Pieces Of Advice For Japan (New York Times 6/28/98)

 「80年代の日本はアメリカにいろいろ助言をしてくれた.財政赤字の解消, クレジットカード漬けの消費パターンからの脱却,自動車産業のスリム化,銃 規制の強化,識字率の向上,労働者の企業に対する帰属意識の向上など.」

 

 かつて「もはや米国に学ぶものはない」とまで言うほど自信にあふれていた 日本が,いまや泥沼状態.お返しに,今こそアメリカが手を差し伸べようでは ないか,という9つの提言です.そのいくつかを紹介します.

1.ヤンキースのフランチャイズを大阪にする
「日本経済の不振の原因は,日本球界の現状をみれば明らかだ.それは競争が 管理されていることにある.日本の企業社会には球界のような外人枠規定こそ ないが,実際には同じような状況だ.その意味で,日本経済の一つの中心であ る大阪にヤンキースが本拠地を構えることには大きな意味がある.世界のトッ プレベルにあるヤンキースの選手がホームランを連発し,日本球界に真の競争 が始まる.追いついていけないチームはマイナーリーグに転落せざるを得な い.これが資本主義の原理だ.」

と,思わぬ切り口から大上段に構えたかと思うと,次は国際化です.

2.ニューヨークのタクシードライバーを連れてくる
「日米関係に欠けているのは相互理解だ.長い間政府・議会関係者がお互いに 訪問を繰り返しても,この点はまったく改善していない.日本が国際化したと いっても実態はあくまで単一民族国家だ.かといって移民による国際化には抵 抗がある.国際化のために日本人が外国に出る必要はない.アメリカ人タクシ ーが町中を走りまわれば,日本人はいやでも異文化と接触することになる.酔 って夜中に銀座から横浜に帰るサラリーマンが,最小限の日本語しか話せない タクシーの運転手に道を教えるのだ.しかしそれが日本人の国際化の早道なの だ.」

 ショック療法ですね.

3.ビル・ゲイツを大学講師に招く
 「80年代の日本企業は,アメリカの大学への寄付を通じて先進技術の発展に 寄与したが,一方で自国の大学への援助には終始冷淡だ.日本の大学は,むし ろシリコンバレーに援助を求めた方がいい.たとえばビル・ゲイツを講師に招 くのだ.そのかわり大学は,優秀な学生の優先採用権を米国企業に与えるとい うのはどうだろう.」

 これは短いけれど見事です.停滞する日本の大学の現状と,労働者の質の低 下がますます問題になりつつあるアメリカの問題を見事についています.

4.クレジットカードはいかが?
 「アメリカの家庭にはクレジットカード会社のDMがしきりに送られ,頼み もしないのに『カード利用枠を用意しました』などと言ってくる.捨ててしま うくらいなら,日本で使ってもらえないだろうか.日本の問題は貸し渋りだ. 80年代から90年代初頭までの銀行の寛容な姿勢は遠い昔.巨額の不良債権を抱 え,資金はどこからも出てこない.政府は先週,銀行問題解決の決意を表明し たが,あてにはならない.日本には貸し手が必要だ.カード会社のジャンクメ ールが役立つなら,いつでもどうぞ.」

 日本の金融機関に対する外国の貸し渋りがいわゆるジャパン・プレミアムに 反映されているわけですが,その相手は銀行だけで,企業や個人には貸します よ,ということでもないでしょうね.確かに銀行間の取引と比べればリスクの 絶対額は知れていますから,要するにそのくらいのリスクは銀行ならば取って 国内でお金を貸せ,という邦銀批判でしょう.

5.電子マネー(?)活用法
 「消費の冷え込みも深刻だ.もはや銀行が信用できない国民は,タンス預金 に走る.何か買おうと思っても,政府が高齢化社会を喧伝するので,やはり貯 蓄してしまう.しかし日本には『たまごっち』の技術がある.これを生かさな い手はない.『たまごっち』のチップを1万円札に埋め込む.この1万円札が使 われないまま1日経つと,粉々になって使えなくなってしまう.しかし使った 時は――パソコンを買ってもいい,カラオケ代でもいい――満足そうにさえず るのだ.」

 だんだん調子に乗ってきましたね.このあとも話は続き,最後にヤリ玉にあ がるのはやはり大蔵省です.

6.次のゴジラ映画は『ゴジラ対大蔵省』
 「1954年の初登場以来,ゴジラ映画はその時々の日本にとっての脅威を反映 してきた.最初は太平洋でのアメリカの核実験に対する抗議だった.60年代に キングコングと死闘をくりひろげたゴジラの姿は,米ソ冷戦の狭間にいた日本 そのものだ.そして今,アメリカ人の手になる最新作ではタイムズスクエアを 踏みつぶしている.しかし日本人は,現在の本当の脅威が日本の中にあり,特 に大蔵省がその元凶なのだということを知っている.大蔵省は昨年,その強力 な官僚制度の力で消費税を引き上げたが,これが現在の不況の引き金となった として非難されている.同省高官が監督下の銀行の接待漬けにあっていたこと も現在の日本の窮状の一因であるし,破綻銀行の処理や金融市場の規制緩和を 遅らせたのも大蔵省に他ならない.大蔵省解体を求める声はこれまで何度も上 がって来た.しかしこの日本最強の官僚組織と闘うのは並みの力では不可能 だ.ゴジラのパワーを今こそ難攻不落の大蔵省に向けるのだ.経済再生のため の痛みを伴う政策に官僚を踏み切らせることができるかどうか,ゴジラに一度 やらせてみたい.」

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2. Sunday Times 98-6-28
(1) スターリンに人生を奪われた人々
(2) カーターの発見、世紀の発見へ

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(1) スターリンに人生を奪われた人々

*Stalin's forgotten prisoners by Mark Franchetti Vorkuta

スターリン時代に収容所送りになった人々が、今でも極寒の地でふるさとを夢 見ながら暮らしているということです。といっても、刑期はとっくに終えてい るのだが、ふるさとに帰れないわけです。ロシアは言論・経済の自由は保証さ れるようになったのでしょうが、実質的に移住・居住の自由が制限されている のですね。

この種の記事はソ連崩壊後、あまりTIMEやNewsweekには載らないような気がし ます。中国関係だったら載るが、民主国家になったロシアの、特に過去に体制 から虐げられた一部の人たちの声はなかなか読めない。Sunday Timesはこうし た記事をよく載せます。

今気づきましたが結構長い記事です。ただ読んでいるときにはあまり長さを感 じさせませんでした。それぞれの人生を具体的に書いており、あまり一般的・ 抽象的なことを書いていないからでしょうか。

スターリン独裁のもと、反共産主義活動の罪で10年間の収容所送りになった Pavel Negretovは、その苦しい囚人生活の間、自由になる日を夢見て過ごし た。10年の刑期を終わっても自分はまだ若い。故郷のモスクワに帰って、この 恐ろしい収容所生活を忘れて新しくやり直すのだ。

しかし彼の夢は実現しなかった。刑期が延ばされたからではない。モスクワに 帰ることが出来なかったからである。

このへんは日本にいるとなかなか理解できないところもあるのですが、まずは 彼が10年を過ごした極北の地Vorkutaの描写から。ここは北極圏にある町で、 あちこちの記述から総合すると、ツンドラにおおわれ、10カ月は冬で、零下40 度になることも普通のようです。何週間も続けて完全に真っ暗な日が続く。地 図で調べると、北緯68度近くです。かつて人は住んでいなかった。それがこの 凍土の下で石炭が発見されることで一変した。

ソルジェニツィンが「収容所列島」で描いた収容所はいずれもVorkutaのよう なところにあった。1934年から1954年にかけてVorkutaの80の炭坑に約200万人 が送られた。軽犯罪者、政治犯、その他のいろいろな名目のもとに送り込まれ た人たち。おそらくソ連政府がもっとも欲したものは囚人という名の奴隷だっ たのでしょう。最初に割り当てがあって、その人数あわせのためなら誰でもよ かったのだと思います。モスクワから100マイル北の無人の地に最初に収容所 が作られたのが1931年。家畜用の列車で送り込まれた彼らは、次にはしけに移 され、最後の50マイルは歩いていった。6カ月もかけてその場所にたどり着い たとき、数千人は犠牲になっていた。多分他の収容所建設も同じような状況だ ったはずです。

そして収容所が完成しても、過酷な奴隷労働が待っていた。囚人たちは寒さの あまり、2人1組で抱き合って寝た。1人のジャケットをマットレスにして、も う1人のジャケットを毛布代わりにした。長靴は盗まれる恐れがあるから枕に した。ズボンは足の部分が凍傷にならないように、ずりおろしたまま寝た。食 事も医薬品も、暖をとるものも不足していたでしょうから、読んでいるだけ で、よくぞ生き延びたという感じがします。

だからNegretovや生き延びた他の囚人たちにとって、Vorkutaの地は一刻も離 れたい場所のはずです。政治犯の多くも今なお故郷に帰る順番を待っている。 他の収容所でも事情は同じ。それが出来ない。どうしてか。ロシアでは propiska、居住許可証がなければふるさとには戻れない。そしてpropiskaを得 るためには、戻りたい都市にflat[アパート]を持っていなければならない。し かし元囚人たちは、収容所送りになった段階でアパートの権利を没収されてい る。もちろん裕福であれば、個人的にアパートを買う方法も現代のロシアには ある。しかし彼らの多くは貧乏だ。そうした許可証がないまま移動すれば、法 的労働権もないし、健康保険を含めた諸給付を受ける資格がない。

Negretovは1946年にウクライナで反共産主義グループに協力した疑いで逮捕さ れてから52年間、モスクワに帰るという夢を果たせずVorkutaの町で過ごして きた。囚人でなくなってからの彼の仕事は書いていませんが、多分同じ炭坑の 仕事だったのでしょう。その間囚人たちは毎日飢えと寒さで死んでいった。処 刑されたものもいれば、炭坑の事故で死んだものもいる。Vorkutaは現在18万 人の大きな都市です。墓地が7つあるようですが、墓標に名前はなく数字が書 かれているだけ。いわば全体が骨の上に建設された町というわけです。

ソ連が崩壊し、エリツィンのロシアになっても事情は変わらない。こうした犠 牲者の資料を集めていたのが、あのサハロフ博士。現在妻のナターリアが Memorialの運動を引き継いでいますが、こうした収容所の犠牲者たちを移住さ せる運動も進めているようです。ところが運良く移住できても彼らに選択権は なく、水道や暖房の無い地に移住させられ、失望してVorkutaの町に戻ってく る人もいる。

普通のロシア市民はこうしたもと囚人には冷淡なようです。1953年、スターリ ンの死で、数百万の囚人が釈放されたとき、ほとんどの家族がKGBを恐れて引 き取らなかった。記事で紹介されている元囚人に女性のLyubov Kalashnikova がいます。彼女には当時モスクワに兄(弟)が1人、姉(妹)が1人いた。釈放の時 彼らとは10年間会っていなかったが、誰も彼女を迎え入れようとはしなかっ た。この人は勇敢なソ連兵士だったようですが、ドイツ兵の待ち伏せにあった とき、生き残ったことで反逆罪に問われた。自害しないで捕虜になったかもし れない危険を犯したという理由のようです。

自由の身になって、それから15年間は、毎年1回46時間も汽車に乗ってモスクワ に行き、居住許可証を申請したが無駄だった。現在78才のKalashnikovaは、ほ とんど歩くこともできず、障害を持つ娘とVorkutaの小さなアパートに住んで いる。そんな彼女にエリツィンは毎年第2次世界大戦の終結記念日には、退役 軍人たちの功績をたたえるメッセージを送ってくる。

そんな彼女の言葉。「私はVorkutaが嫌い。ここは死の町よ。私は私の人生 も、運命も、幸せも、ここにすべて埋めてしまった。ふるさとのモスクワに帰 って死ぬことだけが私の夢だった。ここで私の人生がただ過ぎ去り、抹殺さ れ、跡形もなく消えていくことは、本当に苦しかった。ロシアは私たちのこと をすっかり忘れてしまった。」

こうしたVorkutaの町にも新しい世代は育っていると思うのですが、ほとんど の人生を無駄だったと考える人たちが、今なお多くいるようです。

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(2) カーターの発見、世紀の発見へ

*British team find Carter's lost ancient Egyptian city
 by Rajeev Syal

 

タイトルは、少し変ですが、昔ハワード・カーターが大きな遺跡が眠ると 信じながら、発掘作業をあきらめた場所から大きな都市遺跡が見つかったとい う記事です。カーターは、その後ツタンカーメン王の墓を発掘するのですが、 今回のイギリス考古学者のチームの発見はそれ以来の偉業だとSunday Timesは 称えています。

この都市はTell el-Balamunと言って、ナイルデルタの中央部にある。ここは 85年前カーターが遺跡があると地図に書いてあった地点で、正しくその場所か ら都市遺跡が現れたと言うわけです。わずか6インチの沈泥siltの下から、大 英博物館のエジプト学者たちが2000前の巨大寺院を発掘した。その規模はテー ベやメンフィスの寺院に匹敵するほど大きいもののようです。

さらに関連施設からは2800年前の遺跡が見つかり、ミイラの僧侶やIkenと呼ば れた高官たちが見つかった。金・銀・トルコ石などの貴金属も見つかっている から、盗掘はなかったのでしょう。

これはエジプトのデルタ地帯から見つかった数少ない遺跡の1つになるわけで すが、これで北部デルタ地帯がいままで予想されていたよりも豊かで権力があ ることが分かった。いままでは南部の王家の谷付近に上流階級が住んで おり、この地域はdisparate rural communitiesと考えられていたようです。

1913年カーターがここに都市があると考えたのが正しかったことを証明するた めに、イギリスチームは7年の発掘作業と分析を続けてきた。その成果が今週 末に発表される。カーターは湿地の中に、3分の2平方マイルに土地と石が盛り 上がっているのを見て、興味を持った。ためしに数インチ掘したら、南エジプ トの寺院と欲にている建物の壁がでてきた。しかしその時の彼は湿地帯で発掘 作業を続ける資金も装備も持っていなかったから、発掘作業を中止しなくては いけなかった。数年後、カーターは違う場所で世紀の発見と言われるツタンカ ーメンの墓を発見します。

カーターはこの発掘できなかった場所の地図と学術的論文を残すわけですが、 この都市遺跡に懐疑的な人も多かった。今回Dr. Jeffrey Spencerを町とする チームが発見した寺院の外壁は広さ(?thick)20ヤード、長さ500ヤードある。 入り口は75ヤードあり、内部に30ヤードの高さの3つの寺院がある。建造され た時代はツタンカーメン王の治世450年後。主寺院はアメン神に捧げられ、他 の2つにはPsamtik(650BC)とNectanebo王(370BC)の刻印がある。この都市の様 子もいろいろ分かってきたようです。その中では建物の土台のすみに、貴金属 を収めている場所があること、身分も高く豊かなものは甲虫石の装飾品を旨に 抱いて埋葬されたらしいことなどが、私には面白かった。

何故他の考古学者がこの場所を発掘しなかったかといえば、この地帯がエジプ トでも湿気が高い地方の1つであるからのようです。しかし今回の発掘は、ス ペンサーによれば、今までの古代エジプト学が、発掘品が出るたびに新たに書 きかえられるほどの重要性を持っていたようです。

ピラミッドやスフィンクスも最近はいろいろな説が出てきていますが、何時に なったら完全に謎は解明されるのでしょうか。

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3. 中間管理職入門 (TIME 1998-7-6, ESSAY)

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TIME 7/6 のUS版のESSAYです。

*Middle Management 101
On becoming a manager in middle age
By MICHAEL KINSLEY

101は確か大分前、Niftyの会議室で教えていただいたと思います。うろ覚え では、小学の最初のクラスのようなことだったと思います。ABCとか入門という 意味ですね。作者はどうやら作家かフリーランサーのような職業に長く就いて いたらしい。その彼が突然ソフトウェアーの大会社の中間管理職の地位につい た。会社の名前は、直接は書いていません。しかしシアトルの郊外にあるとい うこと、Janet Renoのフアンクラブが解散されたとありますから、読む人には すぐに分かります。 (^^;

中年にして大会社の中間管理職になるというのはどういうことなのか、その 感想というわけです。この会社は他の会社とは違うということを標榜してい る。確か私は大学のキャンパスのような雰囲気だとTVか何かで見たことがあり ます。しかし作者はあまりここの会長のいうことを信じないのか、そんなに他の 大会社と変わらないと書いています。ただ違うらしいのはAre there bare feet in the cafeteria at Procter & Gamble? 私には裸足で会社のカフェテ リアを歩き回っても、大したことじゃないよ、というふうに読めましたが、も ちろんこれは私の読み過ぎでしょう。どうもこの会社の記事を読むときは私に は偏見がついて回る。  (^^; この会社Think Differentを掲げるAppleでは ありません。

しかしアメリカでは最近は経営論が盛んなようです。managerialpornography と書いています。感じとしては分かったような分からないような。adulatory profiles of the big-shot CEOというのは、影響力の大きい人物の機嫌を損ね るのは、自分の首を絞めることになるというわけで、パソコン雑誌などの業界 にも当てはまることかもしれない。とにかく成功した経営者になること、中堅 管理職ならさらにそれより上の管理職になること、これは誰しも心の中では願 っていることですから、成功したCEOについての本や、そういった人が書いた 本がよく売れるのも分かります。

しかし作者によればそうしたものはあまり役にたたない。陳腐なことと同じよ うなことばかりを書いている。いわく、従業員を機械ではなく人として扱え。 いわくコスト削減が利益を生み出す。さらに自己矛盾した記述があたかも禅問 答のように載っている。かんしゃくをおこしてはいけないが、怒ることをおそ れてはいけない。もしもある人の書いたものには矛盾がなかったとしても、 CEOどうしの話はお互いに矛盾する。

あるCEOは自分が成功したのは、異常なほど細かいことにこだわったからだと 言う。別のCEOは大きな目標を持ってそれに向かって前進したからだと言って いる。この場合当然細部よりも、長期的視野が必要になる。さらにworkaholic であることを自慢するCEOがあるかと思えば、measured paceを守り、仕事以外 の多くの時間を長期的な展望を考えることに使うCEOもいる。趣味として分厚 い歴史の本を読むのも経営者の役にたつと言う人もいれば、仕事以外には関 心が無く、家でも仕事の書類を広げているだけというのを成功の秘訣にあげる 人もいる。要するに経営者が100人いれば、100通りの経営論があると言うわけ で、絶対的なものはない、ということを作者は言いたいのでしょうか。

経営者であることの緊張は、特に中年になって初めて中間管理職になったよ うな作者のようなものにとっては、常に他の人のことを考えていなければいけ ないということにある。別に他の人を好意的に見るというのではなく、他人の 目を常に意識して、いつもgood moodな状態を保っていなくてはならないとい うわけです。少なくともそのように振る舞わなければならない。喜怒哀楽をも ろに出してはいけない。上役にも部下にも、自分が管理職にふさわしいことを 常に印象づけなければならない。だから作者によればBeing a middle manageris performance art.だそうです。しかもこの演技には管理職であるか らには、終わりがない。

この辺が作者がこの仕事に就く前の仕事とは違うようです。作家の仕事は本 質的に孤独な作業だし、ジャーナリストがときどき消化不良になったり、人間 嫌いになってもなんら不思議はない。フリーランサーは考え込んだり(brood y)、ひげをそらなくてもよいが、作者のつとめる会社では創造性を重視される プログラマーにbroodinessが認められるくらいです。とにかく管理者は元気で (chipper) なくてはいけない。

管理職は、ワシントンにいるTVの解説者とも違う。彼らは華やかな高給取り で、魅力があって、スタッフからちやほやされているし、子どものように甘や かされているが、なんら実権を持っているわけではない。裏でこつこつがんば って番組を制作しているプロデューサーのほうが管理職と似ているということ でしょう。だからタレントにとっては励みになるような訓練も中間管理職の参 考にはならない。

中間管理職は、ワシントンの専門家がTVで言っていることを見て、昔ながら の 実利主義者philistineのように考える。彼らに何が分かるのだ。従業員の 賃金をどうやって払うかも知らないくせに。彼らは意見を言うだけでなんら生 産的なことをしていないではないか。責任も持てないようなことについて、不 毛な議論をしているだけではないか。

作者が責任者となった部局はまだ利益を出していないようです。しかし少な くとも努力はしている。いまはワシントンの専門家よりも非生産的かもしれな いが、しかしこの小さな王国で生み出すことがやがては何か大きなことにつな がるのだ。作者が経営術をマスターしたときこそ、おそらくそうしたことがよ り多く起こるのだ。この作者の結論は私には非常にけなげに見えますし、そん な風に信じて頑張っている人も多いだろうと思います。

それにしてもESSAYの結論としては少し物足りないような気もしてきまし た。私も生き方としてはこうした人にはなかなか好感がもてますが、あまりに も当然すぎる結論を出されると・・・どうやらJobsの信奉者ならば、こうした 結論は言わないかな、という偏見とESSAYにはこんなことは書かないはずだと いう思いこみがじゃまをしているのかもしれません。

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