幻想図書館


昔雑誌か何かで幻想図書館というものを見たことがある。たしかデルボーなどの
非日常的な絵画を掲示していて、ファンタジー好みの私にはなかなか楽しかった
記憶がある。今の私もこの幻想図書館に興味がある。

もっとも中身はまるで違う。私がここで云う図書館はネット上の図書館である。
物理的な存在ではないから、見かけは確かに幻想なのだが、だからといって実体
が無いわけではない。図書館の働きとしては、ほとんど現実の図書館と同じ機能
を持っているはずである。

ネットをしている人なら誰でも、お気に入りとかブックマークはこまめに整理し
ていなければすぐにいっぱいになる、という経験はしているはずである。もう一
度来ようと思っていったんはチェックするのだが、実際には再度訪れるサイトが
そんなに多くないにもかかわらずである。私の場合も毎日チェックするサイトは
多分十あればたりる。それに何かを探そうと思えば、検索機能を使えばいいわけ
だし、あえていろんなサイトを個人で整理する必要は無いのかもしれない。ただ
しあえて何かを調べるということでなくて、確か前に何か興味あるサイトがあっ
たはずだということを思いついても、それが何であったかを思い出すことが案外
難しいことがある。だから個人的にお気に入りに入れているだけでなく、それら
をリンク集として整理しておけば便利である。

私は比較的早い段階から自分のHPでリンク集を充実させてきたが、インターネッ
トの普及はますます世界のHPを充実させてきているわけだから、しばらくいろい
ろなサイトに行ってなくて、検索で調べるとその充実ぶりに驚くことも多い。私
は田舎に住んでいるが、図書館に通うのは必要な情報を求めるためよりも、気晴
らしの本を探しに行くとか、知らない若手作家の名前を知るために行くというこ
とが多い。調べ物だけなら、今ではネットで調べたほうがはるかに便利である。

実際百科事典も大型の国語辞典も、網今ではほとんど利用しない。というか、そ
うしたものに載っていないような方言とか、動物・植物・魚なども含めてあらゆ
る事物が方言での名称まで含めてネットでは分かる。だから実際はまだ紙の辞書
などをひく癖から完全には抜け出れていないのだが、調べた後にネットで調べれ
ばよかったと思うことがますます多くなっている。まだ意識が、現実のネットの
進展についていっていないのだろう。ネットの利用では縁遠いとか思われるよう
な古典の文献などでは、最初から田舎では手に入らないと思っているから、ネッ
トで調べることが多いけど、大体満足すべき結果を得ている。

田舎のことであるから図書館にはそうたくさんの本があるわけではない。私の個
人蔵書の方が充実している場合も結構ある。それにスペースの都合なのか、毎年
5月ごろ地元の図書館は蔵書を整理して無料で市民に提供している。その中には私
が個人的に購入しても良いと思うような本も多い。つまり必ずしも処分するのが
いいとは思われないのが結構あるのだ。これはこれでありがたいのだが、しかし
果たしてそれでいいのかどうかとも思ってしまう。収録蔵書数がいくらなのかは
知らないけれど、有名作家などの本でも処分してしまっていて、ないものが結構
ある。最近では星新一の本を探したが、1冊も見当たらなかった。これでは基本的
に図書館としての役割を果たせるかどうか。

まあそれでも図書館への不満がそれほど無いのは、個人的には先ほど述べたネッ
ト図書館の充実ぶりも影響がある。私は最近短歌に凝っているのだが、ネットで
は膨大な歌が読める。ネットで読む現代短歌は玉石混交なのだが、それでも初心
者にはありがたい。個人歌集などはもちろん本で読むのが便利だけど、特定の短
歌結社に入っていないようなものにとっては、ある歌集が読めないからといって
も、特に困るわけではない。古典の個人歌集に関してはもうかなり大きな図書館
でもネットにはかなわないほどになっている。まあこの辺は私自身の修行が進む
につれて多分変わってくるかもしれないけど、調べ物を含めてネットでリンク集
を作っておけばかなりのことが出来る。

だから今はネットを利用できれば、ある特定の限られた分野の情報ということに
関してならいろいろと制限があるかもしれないが、一般的には個人で図書館を持
っているような状況になっているわけだ。実際英語の文学作品に限れば、一万点
を優に超える古典が無料で個人の手に入る。もちろん問題も多い。情報がいくら
でも入ると言うことは、それぞれの情報の真贋を見分ける能力がいっそう要求さ
れるからだ。さらに知らなくても良い情報にやたらと詳しくなると言うような弊
害も起るだろうし、個人間のコミュニケーションがどうなるのかの問題もある。

韓国ではヌード写真の掲載された週刊誌は発行できないとか聞いた。それでいて
韓国のアダルトサイト接続率は、一人あたりでは日本の数倍でありアジアで一番
であるとか言うから、実質的にはそうした政府の規制も有名無実化しているわけ
だ。中国ではプロバイダー段階で海外サイトへの接続を制限しているとも聞いた
ことがあるが、ハッカーなどの例をとっても急速なネット時代への突入は避けら
れそうも無い。そうしたことも含めて、やはりネットの情報がこれからも社会に
影響を与える割合は大きくなっていくと思う。

かつて図書館こそが情報の中心であり、情報・技術伝達のすべてであったような
時代があった。古代のエジプトのアレクサンドリアで文明の最後の花を開かせた
ときも図書館は重要な役目を果たしていた。現代はそうした図書館の機能のかな
りの部分を、ネットが果たしていくようなきがする。個人が各自大きな図書館を
持っている時代になったわけだ。

こうしたことの全てがそのままいいとはもちろんいえないし、弊害も多くある。
それでもやはり時代の流れは止めることが出来ないと思う。本に囲まれた書斎な
ど無くても、山奥や孤島の小さなあばら家でもネットに接続した一台のPCさえ
あれば、人類が生み出してきた知恵を楽しむことが出来ると言うのは、いろんな
意見があるにせよ、私には望ましい気がする。まあ時々全ての情報を捨てて、何
も無いシンプルライフをしたいとも思うのだが、それはここでは余り関係が無い。

こうして私のリンクも好奇心が湧き出るままに大きくなっていく。リンクつくり
に明け暮れて、それで満足している自分を感じないでもないが、それでも時には
そのリンクの中でどっぷりと浸って時を楽しんでいることもあるから、まったく
無駄と言うわけでもない。今後もPC内にひっそりと鎮座する幻想図書館は、私
だけの特別図書館としてますます充実していくだろう。




2004.2.27



エッセイのページに戻る 

ホームページに戻る