2003年を歌で詠む


2003年が終わって、2004年になった。私にとって2003年についての今の気持ちを率直に言うならば、過ぎ去ってほっとしているということになろうか。

私の昨年前半はかなりきつい日々の連続だった。7月くらいまでの個人的な辛さはあまり語りたくないことだが、今はどうにか和らいでいる。10月になって歌を詠む様になったことも大いに原因があると思う。まあ少し落ち着いたから、歌を詠む心境にもなったともいえるが、とにかく9月後半くらいからの3ヶ月あまり、気分的にはかなり楽になった。2003年の思い出ということではなく、詠んだ歌を通して、どんなことがあったのかの一部だけを触れてみよう。本来このエッセイは、2003年末に書き始めたのだが、つい時間がとれず今日まで延びてしまった。今完成できないと、このまま忘れられてしまう可能性もあるから、なるべくなら簡単にでも仕上げたい。

当然時期的には私が歌を詠み始めた10月後半以降になる。もしももっと前に歌詠みを始めていたのなら、啄木のような歌になっていたかもしれないが、幸いそうはならずにすんだ。今のところ、個人的な歌も含めて、あまり悲観的なことは詠んでいない。時期的にはちょうど私のエネルギーが充ちるのと重なったからだろう。

歌を詠み始めたのは10月19日からである。以来2003年末段階でで600首くらいの歌を詠んでいる。この数自体は、当初考えていた数字からは予想も出来ないほど多い。最初私は100首の歌を詠むことが目標だったから。しかし歌を詠むことは難しいだろうと予期していた当初の思惑とは別に、案外手軽に歌は出来たし、それは今でも変わらない。私でも歌を詠めるという意外性、そして歌心がなかなか枯れないということはなかなか嬉しいことではある。自分の歌が、歌といえるかどうかの判断も私にはよくわからないが、私自身にとって十分役目を果たしているから、それだけで十分である。

私は今まで詠った歌を時期毎にまとめて、個人的に3冊の歌集を編んでいる。もちろん個人の気晴らしの域を出ないものだから、人に見せるためのものではない。3冊ともネットで検索してもまず使われていないようなネーミングのタイトルと、序と跋を付け加えて一応様にはなっているし、自己満足以外の何物でもないのだが、結構気に入っている。やはり歌を詠み続けるための刺激としてはこうしたものもあっても良いと考えている。

今これらの歌集を仮に第一歌集、第二歌集、第三歌集と呼んでおく。第一歌集が、10月19日から11月4日までの100首、第二歌集が11月4日から11月29日までの234首、第三歌集が11月30日から12月31日までの271首、合計605首を集めている。上にも書いたようにさしあたり100首を作ることを至上命令としていたことだし、仮に出来るとしても100首を作るのには2003年いっぱいかかるだろうと思っていたから、よくぞここまで作りえたと思っている。

もちろん第一歌集が一番嬉しかった。100首詠み終えたときの感激に匹敵するものはもう味わえないだろう。これからさしあたりの目標は千首であるが、もういまではあまり数にこだわらなくなっている。だからそれはさしあたりはそこまではいけるだろうという感じの目標でしかない。1000首を超えたとき、少し変化が起りそうな気もするが、それは100首を詠んだ時の感激とは比べられないだろう。

100首を詠み終えたときの昂揚感は第一歌集で書いた跋にもよく表れている。

百首を詠み終わりて、感慨深きものあり。
何故に歌を詠みはじめしか、定かには覚えねども、いつしかわが胸の中におのずから浮かび出でたり。
それよりのはつか足らずの日々はいまだかつて経験したることなき夢幻のごとく過ぎたり。
強く心に定めしは、百首の歌を歌うことあたわずんば、吾に歌心なきゆえに、
そのごとき妄想は捨て去りて、散文的人間の世界をまっとうせんと。
言霊がわが奥深く隠れおりやいなやをば、我知らざればなり。
年を経て、いまそを見つけたるは、ひとつの驚きなれど、
そはただにたまたまに出会いしひとのおかげなりしか。
知らず、かくなる出会いと世界がうつし世にあることを。
また知らず、仮想空間にかつて夢見し世界を造りうることを。
わが歌初めの一の巻として、「*******」と名づけしゆえんなり。
2003.11.4

こうした文章とか、11.19と11.20に書いた二つの長歌のようなものは、その時の持つ勢いでしかかけないものかもしれない。後で振り返って、自分が書いた文章ではないような気がするときが、時々あるが、これもそうかもしれない。

HPに載せている歌は11.15からのしかないし、それも全部ではない。現在の私は歌は記録歌として考えている面が強いから、日記代わりにしているところもある。1首の歌を作るのには、結構時間がかかることも多いから、後で振り返っても、短いけれどもそのときの心情を思い出すには便利なことが多い。

2003年の思い出として、歌の一部を読み直しながら振り返ってみる。

詠み始めた10.19には次の歌を詠んでいる。当時チャットで百人一首などをネットを通して読んでいた人がいたから、そのことを歌った。

歌心いつしか忘れし年月のおもいがけなくよみがえりたるかな (10.19)
ともに読む文の面白さ読むことを覚えし子らの心のごとく (10.19)
オンライン姿はみえねどイメージは影を結びて君の声を聞く (10.19)

唐突にできたこれらの歌がすべての始まりだった。今ではもうはっきりしないのだが、これらが出来てからもう少し歌を詠んでみようかと思って、目標として100首詠むこと、内容はインターネット関係を中心にすること、と考えたような気がする。だから当然歌を詠んでいくという自信のようなものは全然無かった。

10.20はネット関係ということで、いずれも違った相手のことを歌っている。

オンラインともに文読み時がたつ浮世のことを思わざるかな (10.20)

チャットを通しての読書会というのは案外面白い。これはお互いの好みが一致し気心が知れた人同士なら、なおのことである。ただ小説とか普通の文章はどうだろうか?詩とか和歌・短歌・俳句などの歌に関して、という限定が今はつく。

なつかしき今は昔のメル友と幾千通のメールをかわしき (10.20)

かつては頻繁にメールをやり取りしていた人ともいつしか疎遠になってしまうことが多い。私の場合も海外のメル友を含めて、1000通単位でのメールを交わした人何人かとそういう経験がある。この歌は特定の人を読んだものではないが、当然詠んだ時は数人の顔は思い浮かべていた。

ホームページ更新せざる日々長しいつしか吾のエネルギーみつる (10.20)

HPは1年くらい更新しないままの状態が続いていた。ネット活動全体に意欲をなくしていたからだが、チャットとかネットリーディングを通して、ようやく少しずつエネルギーがたまってきたということか。まあ時期的にもそろそろ、そんな時期だったということだろう。

マイクより聞こゆる声は今日もまた日々の暮らしの息吹をつたゆ (10.20)

ボイスチャットは身近な人を含めて時々しかしないが、それを詠んだもの。

みすず読む秋の夜長の短さよいつしかともに時を覚えず(10.21)

このころは夜には文読みでみすずを時々読んでいたのだった。素朴な歌の中に隠された思いがけない発見。独りでは分からないようなことを分からされたときのちょっとした快感。歌に隠された暗号。まあ既に並行して百人一首を読み進んでいる時期だから、掛詞などには敏感になっていたはずだが、私にはなかなかそうしたことが今でも難しい。

その昔歌に命をかけし人言の葉の霊彼に宿るや (10.24)

百人一首にも出てくる壬生忠見のことを詠んだもの。百人一首を読む過程は、百の人生を垣間見ることでもあった。なかなか興味深い人生が、1000年も前にあったということを、改めて確認した。

うつせみと同じ嵐の吹き荒れる仮想の世界人は変わらず (10.24)

ネットの世界も現実の世界そのままにいろんなことが起きている。特定のことを詠んだのではないが、これもいくつかの出来事は浮んでくる。

とつ国の暮らしを伝ゆメールにてわが幻想はうちくだかるる (10.24)

一時期海外のメル友とのメールに夢中になった時期があった。毎日かなりの時間をかけて、かなりのメールを書いた日々。結局実感したのは、そんなに違いはないという余りにも単純な事実であった。

メル友のいつしか遠し秋の月すぐにも切れる細き糸かな (10.24)

これは2003年にも経験した。今までに無かった理解に苦しむ空しさとあきらめるだけが残るものもあった。

ともに読む平安の日のももの和歌なぞを解きたる心地ににたる(10.28)

百人一首の掛詞や長たらしい序詞には悩まされた。現代語訳を参考にしても、解釈が分かれていたり、合点が行かないこともあった。そうしたことや歌の背後の意味などを含めて、1首の歌を色々と推理する楽しさがあった。

仕事場で古歌に親しむ朝の刻昔のわれは歌心なし (11.2)

歌に興味が無かった昔を懐かしんでいる。案外年をとっても、歌心は湧くものらしい。思いがけない発見であった。

11月3日に百人一首を読み終えた。半月間ほぼ毎日読んでいたから、ゆっくりした読書であった。最初はこれも最後まで読めるかどうか自信が無かった。最後まで行くことは行くだろうが、途中から読み流す程度になるかもしれないという危惧は持っていた。しかし案外楽しい文読みになった。11.3に詠んだ歌にはそれがよく現れている。

君と読むいにしえの恋悲しきも恨めしきも語る楽しさ (11.3)
あといくつ確認しつつ遅らせるわれら過ごせし濃密なとき (11.3)
恋を詠み四季をあわれむももの歌恋を語らで終わりし最後  (11.3)
ひと日にてひいふうみいと愛でるごと味わいきたり百の生き様  (11.3)
たまたまに船出したりし文読みの二十日(はつか)たらずで喜びとなる  (11.3)
百首をいつぞ終えるとあやしめど君の言葉も弾みけるなり (11.3)
読み終わり峠を超ゆる遠けれどさらに険しき古今に挑まん (11.3)

歌は大きな出来事があっても、何首も読めるとは限らない。ただし湧き出るときは自然と湧き出てくる。これらの歌は、多分余り時間をかけずにできたはずである。

そして翌日、私の詠む歌も100首になった。

記念日の二日続きてわが編みしITの歌百を刻めり (11.4)

おなじ11.4には次の歌も詠んでいる。

題詠の仮想の世界巧みさの時に勝りて幻影と化す (11.4)

昔の歌は、味わうには楽しいところもあるが、やはりそのままでは使えない。悩まされたのが、この題詠というしろものであった。かつては歌人結社の修練の場であり、今ではネットでも参加者が行われているらしい題詠だが、今の私にはまだそうしたことが関心がない。しかし多くの歌を詠んでいって、そして飽きるときがくればそうした遊びの世界もいいかもしれない。

謎解きの面白ければ時忘れ恋の歌とは思わざりける (11.4)

一見恋の歌と思われるものがまったくちがうものであり、恋の歌と見えるものが、政治的決意の現われであったりまったく違うものであることも多い。そうした意外性のある古歌を読んだときは、つい思い違いの余りうれしく感じる。してやられたという感じであろうか。

11.14にはウォーキングの歌を14首載せている。HPの歌は、この日から始まっていて、ウォーキング関連の歌はほとんど載せている。ウォーキングの歌はそのあともかなり詠んだが、私の場合気に入っている同じコースを歩くことが多いから、いつも歌を読めるとは限らない。自然とかそうしたことを詠んだ歌は、このエッセイでは省略しておく。

図書館にみすず戻しまた借りるすべての詩をばネットで読みたし (11.16)

金子みすずの全集3冊を図書館から借りていったん返却したあと、又借りてきたことを歌ったもの。文読みでは歌を引用する関係上、ネットで読めることがありがたい。かつては読めたネットのあるページのみすずの歌が現在は削除されている。みすずの場合、著作権の問題がまだはっきりとしない。普通の意味でなら切れているのだが、再発見の時期からということになれば、そうはならないから。ただし、私たちが読む時に使った別のサイトでもまだ結構読める。古典の歌に関して云えば、もう紙のほんが必要で無いほどに充実している。それ以上かもしれない。注釈本を1冊ずつ揃えて、何番の歌、といえばいいわけだから、ネットリーディングでも別に支障は無い。

11月中旬から下旬にはウォーキング関連の歌が多い。100首くらいにはなっているかもしれない。少し感想を書きたいのもあるが、大体HPにも載せているから、止めておく。しかしこの期間、1日に30首くらい詠んだ日が複数日ある。私の場合、日記代わりの記録歌だから、内容さえ正確であれば余りいろいろと考えたり推敲などもしないところがあるからだが、こう多いともう少し吟味したほうがいいかもしれない。それに、たしかもっと出来そうだったのだが、さすがにこれ以上作ると・・・と、控えめにしたことも覚えている。もちろんなかなか出来ない日もある。歌を詠むためには、時間的精神的に余裕があることが条件かもしれない。

私に遅れて歌を詠み始めた人が、100首を詠み終えたときに祝った歌。

君もまた峠を超えぬ難かしと思いし関所するりと抜ける (11.26)

11月29日に私の第二歌集ができた。一緒に詠んでいる人の分も含めれば、4冊分が出来たことになる。

文蔵に新たな歌集加わりぬ我らが宝よつになりける (11.29)

12.2に詠んだ2首は親戚の葬儀に参列したときのもの。実際はこれは前日12.1の光景なのだが、その日遅く詠んだか翌日詠んだのだろう。

小嵐に幟(のぼり)傾きつ葬列は山裾にある墓地へと向かう (12.2)
読経音風に消さるる地蔵堂昔ながらの野辺送りかな (12.2)

小嵐という言葉が気に入っている。たぶん他にも使われていると思うが、歌を詠んでいると私でも言葉には敏感になってくる。それに言葉を作る楽しさもある。他人が読んでも分からない暗号のような歌もある。歌というものが他の人にとってはどんな意味を持つか分からないが、今の私にとってはまだ個人的な心情を詠むことが中心になっている。将来は詠む対象は広がるかもしれないが、今はそれで満足している。

飛行機もフェリーも来ぬ日はネットありてさして困らぬ今時なりし (11.19)

島の生活には、特にネットがもたらした影響は大きい。昔は新聞を読まない日は退屈な気がしたけど、今はほとんど感じない。情報ということで、ネットが与えた影響は大きい。

12.24の歌は少し分かりにくい。作るときもそうだったが、どうしても31文字に収まりきれないときもある。それと字余りとか字足らずに結構苦しむことも。

次々としたきことなど起こり来て楽しきことを見捨ててありし (12.24)

非常に抽象的だが、アイデアだけは次々と湧いてきて、前にやりかけのことがそのままになっている状態。 まあいつまでも放置、というわけでもないからそのうちにまた戻るだろう。

歳末にサイレン響き大型の車斜めに道をさえぎる

これは大型トレーラーが交通事故を起こした場面に遭遇したときの状況だが、これだけでは何がなにやら分からない。やはり詞書きは必要なのかもしれない。私の場合は、例外はあるが、ほとんど書いていない。

餅つきの時が来るたび駈けずりて最後にせんと今年も言えり (12.25)

これもはっきりしない。まあ餅つき自体が、だんだんと廃れて来ているだろうが、私の家ではいつもごたごたがあって、これは前日の光景。もう今年限りにしよう、と毎年繰り返していっているのだが、つい母に押し切られる。

太古丸乗船客は少なくて島の正月まだ渡海せず (12.25)

福岡から福江まで夜のあいだに運航するフェリーの様子を詠んだものだが、この段階ではまだ帰省客が帰るにはさすがに早すぎたようだ。、

正月を前に不漁続きおり五キロのアカバナ貰いきたれり (12.30)

アカバナは魚だが、これも分かりにくいかも。いわゆる出世魚で、小さいときはネリといっている。カンパチともいうが、アカバナという言葉を他の地域で使っているかどうかはわからない。ネットで検索したら、大分地方では言うらしいことは分かったが、まったく同じものかどうかははっきりしない。全国的には、まずかなり魚に詳しい人でもなじみが無い言葉だろう。

2003年を振り返って、苦しかった日々を詠んだ歌を2首。そういえばウォーキングの歌でも似たようなことをどこかで歌った。しかしその時は過去と違って平穏な心境でウォーキングをしているというようなことを詠ったと思う。

悩みおり生き延びしとぞ思ひける時もありしが遥かに覚ゆ (12.31)

やるせなき思いのもとは我なりて明と暗とは紙一重なり (12.31)

他にも2003年は色々とあって、前半はつらい年だったが、最後のほうで歌に救われた。おそらく、将来思い出すときは、2003年は懐かしさとともに楽しかったほうの出来事を第一に思い出すような気がする。

この日新たに3冊の歌集が加わって合計7冊になったのだが、当日その完成を祝う歌を私は詠んでいない。ただ、数日前に触れている歌がある。。

三冊の歌集の形整ひて二日の時を待ちておるのみ (12.29)

一応この段階では、序とか跋、それにタイトルはほぼ出来上がっていた。あとは2日分の歌を付け加えるだけだった。どうしても2003年の日付にしたいというこだわりが、例え人の目には触れない歌集であっても、私の中にあった。

そして2003年最後の歌。

デイトレにストレスたまり歌詠みに慰め見つけ今年は過ぎ行く (12.31)

他にも大きな出来事はいくつかあったが、代表的なもの2つを詠み込んだ。ここにあげた歌が、もちろんすべてではない。敢えてあげなかったものの中に、本当はもっとも重要なものがあるのだが、それらはHPに載せるのになじまない。ネット関係でもあまり思い出したくないこと、不可思議なこともあったが、それも省略。私は歌は日記代わりだといったけど、自分の心情を赤裸々に語った日記や歌を公開する気持ちはあまりもちあわせていない。おそらくこれからも無いだろうと思う。この辺ももしかしたら他の人とは違うのかもしれない。

歌をいつまで詠めるのか自分でも自信はない。私をよく知る人は、もうそろそろ飽きるころだと思っているかもしれない。そうかもしれない。前にも1000首を詠み終えたころに、もしかしたら転換が訪れるのが無いのではないかと書いたけど、それが突然歌詠みを止めることであるかもしれない。しかしとにかく600首の歌を詠んだという事実は残る。今の私にはそれだけでも、十分な思い出である。

歌詠みは難しそうに見える。おまけに私には他の人の歌の良し悪しは、よく分からない。好きな歌とか感動する歌はもちろんある。当然ながら自分が詠んだ歌、自分が詠まれた歌、これらには愛着を持っている。毎日その日に詠んだ歌を他の人と鑑賞・批評しているが、それも楽しい。そうした刺激があれば、まだ当分歌詠みの楽しみはなくならない感じはしている。それに一度詠み始めて、これだけ詠んだからには、しばらく止めることがあっても、また復活するのではなかろうか。まだ完全に習慣になったとまではいえないけど、それに近づいている気がする。

私をよく知る人が、少し皮肉っぽく半年後が楽しみと書いてきたが、実は私もどうなっているか少し楽しみにしている。出来れば、その人の期待を裏切りたいのだが・・・どうなるだろうか?



2004.1.3 11:45



 
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