短歌を詠む



短歌を作り始めて1ヶ月と少しになる。10月中旬ころまでは、私が短歌を詠むとは思いもしなかった。以下では、短歌の代わりに私が普通使っている歌という言葉を、特別な場合を除いて使うことにする。私の場合には、短歌=歌だから似たようなものである。

散文的人間と評したこともあるくらいだから、もともとあまり詩歌には縁がない。そんな私が何故突然に歌に興味を持ったのか。振り返ってみても、自分でも良くわからないところもある。ただいつのまにか自然にそうなっていたというしかない。

きっかけらしいものは、もちろんある。知人とネットでさまざまな本を読み始めた。私たちはネットリーディングとか文読みとか称しているが、これが楽しい。最近では著作権が切れた50年以上前の本に限って言えば、かなりのものがネットで読める。小説などはさすがにきついから、お互いが興味を持っている本とか、昔読んだ本などを紹介するという形で何冊かみてみた。啄木とか、みすず、野口雨情などは憶えている。流し読みという感じで主に戦前の本を読んでいて、この辺はどちらかというと少し時代離れしている感じである。詩歌の本を数冊読んで、案外面白くて今度は二人とも少しは知っている百人一首を詳しく読もうということになった。

おそらくこれがすべての始まりだったのだろう。1回に2時間くらいとして、半月かけてゆっくりと百人一首を読んだ。テキストはネットのあるサイトを使った。それと2人が持っている手元の本としては、安東次男「百人一首」(新潮文庫)、江戸時代の尾崎雅嘉の百人一首夕話の上下(岩波文庫)、それに高校国語の資料用である国語便覧、これだけである。ただ1日に数首ずつ読んでいく、このゆっくりとした時間の流れがよかったのかもしれない。時間が1時間くらいしかないときは、1首か2首だけしか読めないときもあったが、別に何首読まなくてはいけないという義務は無いから、百人一首の世界を堪能できたのかもしれない。

高校時代に古文で少しは学んでいたはずだし、その後も文庫本などを買ったところを見ると、少しは興味があったのかもしれない。しかし読んでみてわかったが、知らない歌というか、覚えていない歌がいかに多かったか。まずは現代語訳をみないで、いろいろと解説しあう。ここが一番楽しかったかもしれない。あとで現代語訳を見て、掛詞に気がつかずに思いがけずに珍解釈をしていたり、それでもやはりこの訳はおかしいとか、安東説は通説とかなり違っていて面白くて、私たちも自分たちの説なるものを作り上げたり、忌憚なく話し合うのは楽しかった。この過程で思い出した知識もあれば、まったく知らない知識もあるが、二人ともそれまで歌を作ったことも無かったことで、どちらかが優位に立つとか、教えるとか言うのではなく、勝手に思いついた感想を話し合ったのがよかったのかもしれない。奇想天外な解釈ならいくらでも飛び出した。落語の崇徳院とか業平のちはやぶるの歌の解説のようなものである。

ゆったりした時間が流れていくのは新鮮な感覚だった。ネットの世界でここまで悠長な世界を楽しめたのも意外だった。最後に近くなると、終わるのがもったいなく感じられた。そういう経験をしたから自分でも作りたくなったのかもしれない。まだ百人一首を読み始めて間もないころに、ごく自然な感じでいくつかの歌ができた。10月19日のことだった。しかし数首できたくらいで、更に詠んでいけるかどうかはさすがに自信がもてなかった。

それでさしあたり、ネット関係の話題を中心に100首ほど作ってみようと決意した。ネット関連は今でも私の主な関心の対象であるし、個人的な心情を歌うのと違って、いろんなしがらみがないし比較的楽に出来そうな感じがした。100首という設定は、これを越せないようなら、まあ長続きはしないだろうという予感があったからである。一時の気晴らしとして、すぐに冷めてしまうだろうと言う危惧は最初からあった。だから100首詠めないようなら、無駄な時間を費やすことになるかもしれないとは、かなり後まで思っていた。今年の末ころまでに100首出来るようなら、かすかな望みが出てきて、もしかしたら新しい世界が開けるかもしれないということに、少しだけ望みをかけた。

しかし歌は案外簡単に出来た。100首を読み上げたのは、11月4日。半月くらいで達成した。それから後は、もう数などは気にしなくなった。出来るままに任せるというか、もちろん意識的に作ってはいるのだが、余裕の時間があり題材さえあれば、出来るときにはいくらでも湧いてくるという感じである。多い日には30首くらい出来る日もある。現段階で約300首。そのうち自然・風景を詠んだもののみをHPに載せることにした。意外だったことには心情的な歌が多くを占めるようになったということだ。純粋な意味でのネット関連の歌は今ではほとんど無い。詠みはじめなければ分からないことはいくつもあったが、これは嬉しい誤算だった。

私の歌は、技巧的なことは余り用いない。ただ瞬時にして消えいく自己の心情,日常の出来事を歌うことが多い。古歌を文読みで読むときは掛詞の謎解きを楽しんだが、さすがにそうした修飾的な歌が詠めるはずはない。ただ歌でなくては記録できなかった、歌に詠んだがゆえに当時の感覚が鮮明に思い出されるということは確かにある。日記でならだらだらとした記述になることも、歌にしてみるということを通してとなんとなく一種の昇華作用が働くのかもしれない。ちょっとした出来事が文字になる、という喜びもある。

技巧的なこと、と上には書いた。もちろん現代短歌で枕詞とか、序詞・掛詞・題詠などにこだわる人はほとんどいないはずだ。そうした意味で今も読んでいる古今集が参考になるかどうかは分からない。しかし古典としては子規に弾劾されたこの歌集はネットで読むには案外正しい選択だったと思っているけれど、いつ読み終わるのかは分からない。古今を読み終わるころには、無用の知識は増えていて、それが詠む歌に余裕を持たせてくれるかもしれない。

現在歌を詠むのに当たって一番痛感していることは、語彙の不足である。300首も作ると、自分の持つ基本語彙力の限界も分かってくる。同じ表現を続けて使うと、それしか考えられない表現であっても、つい飽きるというか、避けたくなる。そんなときに自分が持っている語彙を総動員してくるわけだが、もちろんなかなか難しい。自然を歌うとき、ただ単に花とか鳥とかするよりも具体的な名前のほうがいいのは分かりきったことである。自然豊かな島に暮らしていても、そうしたことに無知な自分に気がつくことが多い。万葉に出てくる草花辞典が歌人の必携本だと聞いて頷いたりもした。今まで見過ごしていた周辺のことに注意が向いてくるというのも、そうした意味では収穫だった。こうしたことには古今集というか古典は役立つだろうという期待を持っているのだが、はたしてどうなるか。

いくら技巧を用いない私の歌でも、5・7・5・7・7という定型にはめ込むことが時として難しいことがある。字数は時々無視するし、参考程度としてはいるけど、やはり気になる。詩的人間が用いるであろう、省略とか、いろんな余韻の持たせ方も余りうまくは出来ない。しかし逆な意味で悩んだこともある。自分のいいたいことが多すぎて歌に読み込めないのだ。こんな場合は普通何首かに分けて全体で一連とするやり方を私もとっている。だから一首だけで独立しているのでなくてあくまでも流れの中で意味を持ってくる歌があることも事実だ。

しかしそれでもじれったさを感じるということが今まで二回ほどであった。それでふと思いついたのが、万葉の歌人たちが詠んだ長歌。5・7を繰り返し、最後に7文字を付け加えるという形式ならば、いくらでも長く出来るのではないかというわけだ。これも自然なままに作ってみた。5・7を1行として、50行くらいのを二日連続で作った。無理に5・7にはめ込んでリズム感がよくない気もするし、私は長歌エッセイと称しているが、一度出来上がればそれを訂正するエネルギーはなかなか出てこない。それに一度出来た歌というのは、音読が慣れてくるのか、案外訂正しにくい。結局そのままにしているが、なかなか面白い経験ではあった。

長歌を作ったとき、間違いも犯している。普通は5・7の繰り返しのあとには、7文字だけを付け加えるらしい。つまり最後は5・7・7となる。短歌の原型だからその辺は似ていたわけだ。しかし私は勘違いしていて7・7を最後の行とした。これもまあ短歌と似ているし、調べもせずにそう思いこんでいた。2つ目の長歌では7・7を2回繰り返すということもした。まあ意識的にしたことではあるし、自由長歌でいいかとも思っていたが、結果的には形式的には誤っているというわけだ。私が作った最初の長歌だし、それはそれで記念になると思ってそのままにしておくつもりだ。

11.15の長崎新聞に載っている藤原隆一郎「ネットに花開く短歌」という記事によれば、今ネット短歌が盛んだという。これは偶然のこととはいえ面白かった。百人一首・貞心尼の蓮の露・古今和歌集などの歌集をネットで読むためにいろいろと調べて、HPには古典に関する限りではかなり充実したリンクも貼っているし、ついでに参考のために現代俳句も少しはリンクしていた。しかし今のところはほかの現代短歌を読むほどの暇がなくて余り見ていなかったけど、そういうことらしい。私はネットで短歌のページに出会って触発されたとかいう知識がなくて、自然と歌に興味を持つようになったが、似たような人が多くいたということだろう。

えてみれば今の私にはネット短歌が盛んであるということはよく理解できる。歌を返しあうという意味でもネットほど便利なものはない。メールとかチャットはもちろん、携帯の一行メールでも十分に楽しめる。題詠も行われているらしい。古今集で読んでいると、その余りの非現実性ぶりに辟易したこともあるけど、これまた盛ネット向きかもしれない。100首題詠が、かつては短歌結社の修練の場だったというような知識ははじめて知ったが、たしかにネットならいろんな仲間がいて、今歌を詠み始めたばかりの人にも楽しいかもしれない。

私はネット投稿短歌とか、ネット題詠とかには余り興味がない。結社とか、***調とか、そうしたものとも無縁である。まだその段階まで達してないということもあるし、もともと自分のために詠み始めたからこのままそれを続けたいということもある。技巧的にとか芸術的にとか向上するというようなこともまるで考えていない。ただ、歌がなければおそらく残滓さえも残らないであろう自分の思いを歌うのみ。制約は文字数に少しはあるにせよ、まあそれくらいは無いも同然だから自由に歌える。人に見せるものでもないから、自分では色々と考えるが出来上がればあまり歌の良し悪しを気にやむ必要も無い。

しばらくは自由な境地が楽しめるかもしれない。作る数に関しては、もう全然気にならなくなった。どうやら1000首までは詠めそうだ。それくらいになると、転機が訪れるような予感もあるが、はたしてどうなるか。やはり作り続けることで、歌への姿勢は変わる気がする。昔の歌人の場合も、若者のもつ一途さは、年を経るとともに変わっていったようだ。歌の中身よりも、それをどのような方法で歌うかという技巧的形式に関心が高まるというように。現代短歌ではそうしたものは少なくなっていると思うが、量より質へ、という変換はやはりいずれ来るのかもしれない。

今はただ歌うことに喜びを感じているし、素直に自分の情感を文字にしている。ある日突然歌うことをやめる日が来るとしたら、どんな感じがするだろうか? こんなことを考えるくらいだから、歌い始めの時の感覚とは確かに違ってきている。



2003-11-25



 
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