メールエッセイ・4 20世紀の終わりに・・・


gavonさん、20世紀も残り数時間になった。流れてゆくのはいつもと同じ時間であるわけだが,やはり人為的なものであっても、なかなか出会うことは無い機会だから,gavonさんのエッセイを読んだのを機会に考えてみた。

実は少し前に,「日本で20世紀最後の夕日を鑑賞」するという催しから帰ってきたところだ。これは五島では有名な大瀬崎灯台を見下ろす高台から、東シナ海に沈む夕日を見ながら来るべき世紀に思いをはせようという催しだった。gavonさんには意外かもしれないが,私は海に沈む夕日というものを見た記憶がほとんど無い。これは案外この島に住む多くの人に共通の体験かもしれないよ。

福江島は山が多くて、かなり大きな島であることがその理由だ。夕日は海に沈むものではなく、山に沈んでいくというのが、この島の人たちの大多数の一般的な感覚だと思うよ。もちろん、島の西端の海辺に住む人々には,水平線の向こうに沈む太陽というイメージは,あたりまえだらうが、それを実感できる人は,人口的に島の1割にしか満たないと思うよ。

今日は五島地方は、波浪注意報が出ていて,寒風吹きすさぶ中で約300人くらいの人々が参加していた。ここまでは私の自宅からは車で1時間の距離になるから、3時半ころに家を出た。私たちが着いたとき,展望台の周りでは、すでにかなりの人々が集まっていた。ここは風景もすばらしいから,カメラを持ってきていた人も多かった。私も到着後しばらくの間に、水平線から少し上のところで、雲にでたり入ったりする太陽の写真を何枚か撮った。しかしそのうち雲の中に入った太陽は日没予定時の5時25分を過ぎても、ついに姿を現さなかった。まだ明るかったけど,結局太陽はすでに沈み終わっていたらしい。少しがっかりし万歳三唱のあと、あとは皆,家路に着くばかりだった。万歳三唱というところが面白かったかな。

結局早すぎる無料の年越しそばを食べて,NO.154の夕日鑑賞証明書をもらっただけだった。ああそれとその証明書である絵葉書をgavonさんにも送っておいたからね。寒さの中で、立ったまま書いた金釘流の絵葉書だ。本当は特別サービスのワカメで作った地ビールを飲みたかったが,私は車を運転しなくてはいけなかったから,そうもいかなかった。そういうわけで残念ながら生涯の思い出に残る夕日を堪能することはできなかったが,それでも20世紀を送る儀式としては、私なりによかったと思うよ。

gavonさんが、いろんな人との縁を書いているね。gavonさんはきっとそうした人間関係を大事にする人だと思う。あまりそうしたことにこだわってこなかった私からすれば,やはりこの辺はgavonさんのすばらしさだと思うよ。

しかし面白かったのは,峠を越えて嫁をもらうつもりは無いというくだりだった。 思わず地図で狩勝峠を確認したほどだ。さすが北海道,スケールが違うと思ったね。

この島にもいろんな地区の人を評することばがある。gavonさんが感動した新田次郎の作品「珊瑚」は、富江町が舞台だったね。この町の人のことを揶揄的に表現するものとして,福江では「あばら骨が1本足りない」とか言う表現をすることがある。多分これは富江藩が何事かにつけて、福江に対抗意識をもっていたからだと思う。江戸時代に本家・分家に分かれて以来、そうした一種の負けん気意識が、富江の人にあるようだ。しかし先ほどの表現は、富江の人自身が使うことも多いから,多分これはからかいの言葉であっても、差別じゃないと思う。富江から嫁をもらうな、とかいう表現など聞いたことも無いからね。

そうだ,、縁についての話だった。たしかに不思議な縁は、複雑に絡みあっていろんなところで思わぬつながりをしているように思うよ。さらにこうした縁も,時代とともに次第に変わるものだと思う。

昔なら,縁といえば,血縁・地縁、あるいは学校とか職場関係のものがほとんどだったのじゃないかな。今ではこれはかなり変わってきているのじゃないかと思う。私とgavonさんの縁は,まさに20世紀が終わるこの時代でしか生まれなかったものだよね。私が管理人を勤めるMLにgavonさんが,たまたま興味を持って参加した。出会いからして,昔では考えられなかったことし、メールによってこうしたエッセイを書いて刺激しあうということも、もちろん不可能だった。

ただこうした出会いが,特に若者を中心に急速に広がっているのも事実だよ。知り合うきっかけは何であれ,そこから生身の関係も接触するだろう。それを現実的でないと言っても,始まらない。すでにそうした出会いが有ることを知ったものにとって,もう昔流の制限された出会いだけに戻ることは不可能よ。それにこれが若者だけの特権でないこともまた明らかだ。今は特殊であっても,やがて全世代の人にとって一般的なものになるだろうね。好奇心が有りさえすればね。

考えてみれば,20世紀という時代のすごさは,この時代とともに生きてきた私たちにはまだよく分かっていないのかもしれないね。人類絶滅の危険さを持つ核兵器の完成,生命そのものの秘密を解明しかねないバイオ技術,国境を超えてコミュニケーションを可能にしたIT技術。おそらくは21世紀に花開くであろう技術がほとんどうぶ声をあげたのではないかな。

そうした時代にたまたま生を受けた私たちの縁も、やはり昔流の解釈ではだめだろう。しかし物質的なテレポートの技術がまだ存在しない以上,私達が日本の北と南に住んでいるという制約は依然として残るわけだ。このへんは私などなかなかうまく節理が働いていると思うのだが,こうした常識もいつかは崩れると思うよ。私達がその時代を見れるかどうかはたしかに疑問じゃあるけど。

しかし私もgavonさんとは、どこかで縁があったのだと思うよ。

大きな時代の流れとは別に,個人個人は各自の制約の中で生きていくしかない。そんな中で感想をいうならば、私にとっては20世紀が終わろうとしている、というよりもようやく2000年という1年が終わろうとしている、という感じが強いかな。オンライントレードをはじめた今年は,個人投資家が大きな流れに翻弄された1年でもあったわけだが、私はどうやら生き延びて,これからの礎を築けたかなと思っている。今の私の感慨では,こちらのほうが大きな比重を占めているようだ。しかしまあ大きな時代の流れも、時々は考えてみるよ。

とにかくあと3時間ほどで21世紀が始まる。本来日本人のものではなかったこの呼び名も、やはり時間とともに人々の気持ちにいい影響を与えるのではないかと思って、来年に期待しているところだよ。世紀末の暗い響きとは無縁の、新世紀という開放感が時代の閉塞感を破ってくれないかなと,ひそかに期待しているわけだ。 gavonさん、大晦日のせわしない時間に、とりとめも無いおしゃべりをしすぎたようだ。

21世紀の抱負などは、また別の機械にするからね。

来年もよろしくお願いします。

*2000-12-31 20:50



感想はこちらに・・・ohto@pluto.dti.ne.jp


ホームページに戻る 

ESSAYSのページに戻る