メールエッセイ2 五島のこと


2000-12-25 晴れ、風強し

gavonさん、クリスマスはいかがでしたか。

そちらの方はホワイトクリスマスが当たり前なのですね。もちろん、こちらでは今の時期雪のかけらも見えません。ただ今日は風がとても強い。昼のニュースでは、秒速23メートルを超えていたし、ジェットフォイルも欠航しました。冬の海が荒れるのは、今に限ったことでもないが、やはり交通の便が便利となった今でもそれは変わらない。

もちろん本土との交通手段としてはジェット機もあるし、ジェットフォイルもある。しかしこれらは天候に弱いし、貨物を含めた大型輸送手段という点ではやはり今でもフェリーが中心だと思う。なかなか欠航はしないのだが、これからの冬の季節とか、台風シーズンには2日か3日連続して欠航することがまれにある。そんなときはスーパーから品物が少なくなり、新聞や郵便も届かなくなる。ただこうしたことを、私個人はあまり不便に感じなくなった。確かに物理的に少しは不便になるということはあるのだが、今は新聞は来なくても世界とはインターネットやテレビでつながっている時代だから。こうした点では確かに技術の進歩は、田舎に住むものにより多くの恩恵を与えたと思うよ。

私が小さかったとき、大人達はどんなことを感じながら生活をしていたのか?これはもちろん分からないし、島全体がより自給自足的な経済だっただろうから、そんなに不便ではなかったのかもしれない。私にとって,離島の不便さを痛感したのは、高校に入学して島を離れたときが最初だったと思う。特に悪天候の中、時々経験した船酔いでしっかり覚えている。

私が船酔いする体質なのかどうかはっきりしないけど、今は少しくらい海が荒れても,横になっていればまずかからない。しかし昔は何回かひどい船酔いをしたことがある。五島航路の船の場合、長崎から福江まで要する時間が3時間半から4時間くらいと時間が長いから、客室では寝ている人が多い。まあ私も横になっていれば、船酔いの経験は少なかったのだろうが,帰省時は夏休みとか正月とか、特に帰省する人が多いわけだから、船室に入りきれないことも多かった。入れたとしても横になるスペースは無い。そんなとき、デッキとか廊下にいるわけだが、海が大荒れの時、波は時には2階デッキはおろか、船室までも入ってきたことがあった。生きた心地がしなかったことも何回かあった。当時の定期船は、いずれも500トンに満たなかったから、船が揺れるときの落差もひどかった。直立状態ではまず歩けないからね。

私が五島に帰ってから、そうした混雑した状態の中で船に乗るという機会は極端に減ってしまった。しかし今でも正月などには臨時便が出るし,改札のときに番号札をもらうなど、港とかあるいは船内の光景は、多分北海道の内陸部に住むgavonさんには、想像できにくいかもしれない。

gavonさんの雪の描写を読んで、北海道は今でも冬になると雪との戦いだなということを実感します。私にはほとんど雪の思い出はないからな。柳田国男が書いた「雪国の春」というようなタイトルの本があった。江戸時代の鈴木牧之の「北越雪譜」というのも、岩波文庫で読んだことがある。しかし雪国の生活経験がない私にとって、雪国の厳しさは学生時代に山形蔵王に行ったスキー場の光景から想像するしかない。TVで札幌の雪祭りを見ても、あるいはひどい吹雪の光景を見ても、あまり縁のない北国の生活でしかなかった。今、gavonさんから冬の北海道の話を聞いて、やはり冬の北海道は南国の私には想像できないくらい厳しいなと思うことがある。北海道といえば、広い大地と異国的な牧場風景のイメージしか浮かばなかった私が、今では少しは北海道の雪を身近に感じれるような気がするのも、gavonさんのメールのおかげだな。

ついでだから、私にも少しだけある雪の思い出をここで語ってみよう。私が中学生の時、こちらでは珍しい大雪が降ったことがあった。多分10cmか20cmくらいの雪が積もったように思う。2・3日残る雪というものは、こちらでは珍しいけど、そのときの雪の深さだけは、良く覚えている。大きな雪車を作ったことも、その時に今はなき兄が眼鏡をなくしたことも今となってはなつかしい思い出だ。

あともう一つ、これは小学生の低学年のころ、当時私の家の風呂は家の中にではなく、それと独立して家とくっつくようにして外にあったのだが、そのときの話だ。風呂に入りながら外に積もった雪を少しあいた隙間から手で掴んで、暖かい風呂の中に入れては喜んでいたことがある。他愛もない思い出だが、やはり雪の思い出は私には無理みたいだな。

五島は回りを海で囲まれているし、対馬海流も流れているから、冬でも比較的暖かい。逆に夏は35度以上の気温になることは少ない。そうした意味では極めて暮らしやすいのだが、五島の自然と気候について話すとするなら、やはり台風のの話がgavonさんには興味深いかもしれないね。台風銀座といわれる沖縄ほど頻繁に来るわけではないが、地震がないこの島の唯一の自然災害とも言えるものが、台風だからね。ただ台風の恐ろしさについて、私にはgavonさんみたいな生き生きとした豊かな文章が書けそうもない。このへんは私の文才が足りないところだから勘弁してね。

gavonさん、北海道には台風はないんだよね。もしかしたら1度くらいは襲来したのではないかとも思うけど、やはり緯度の関係上北海道に到達する前に、台風はほぼ全部が勢力を失って、温帯性か熱帯性の低気圧になってしまうだろうから、多分沖合いをかすめたことはあっても、内陸部に住むgavonさんには全く縁のないものなのだろう。

台風の思いではいくつかある。五島は日本の西端に属しているから、東シナ海を進む台風は本土には影響を与えないから、あまり大きなニュースになることは無いこともある。しかしこれが実は五島にとって一番最悪のケースであることも多い。台風は元々進路の東側に位置する地域の方が被害が大きくなる傾向があるから。

小学生のころ襲った台風12号の被害は大きかった。街のなかをいろいろ歩き回っては、倒れた木、飛び散った瓦、いろんなものが散乱した道路などを見たな。ただこのときの被害がどれくらいだったか、死者がいたのかどうかも,私は知らない。子供だったし,特にそうしたことを聞いたとも思えない。今でも人々の記憶に残っているくらいだから,かなりの被害が出ていたとは思うのだが,毎年くる台風のことだし,忘れ去られるのも早いのは確かだな。

私にとって一番大きい台風は10年くらい前のやはり台風12号だったかな。この前後の数年間は、ほぼ毎年1つは大きな台風が襲ったし少し第何号だったかは混乱している面もけど、これは特に大きかった。屋根の瓦が、渦巻き状に舞い上がるのも始めてみた。多くの家で落ちてくる瓦などでサッシの窓が破れ、屋根がとばされ、壁が無くなった。福江では全家屋の何分の一かが被害を受けたということで,特別災害罹災地区の認定を受けた。公式記録では秒速63m位だったが、非公式にはほぼ70m位を記録していたらしい。

台風が過ぎ去ったあとは、周りのほぼ全部の家が何らかの被害を受けていた。私の家も屋根の瓦を吹き飛ばされ,壁板が何処かに飛んでしまった。冷蔵庫が飛んだとか,船が思いがけない場所で発見されたという話を聞いたのもこのときだった。復旧作業もかなりかかったはずだ。大工・左官業等の人手は急に足りなくなったから,1週間か2週間は多くの人が仕事を休んでその後片付けをしなくてはいけなかった。建築関係の店からは屋根にかぶせる青色のビニールシートが不足してしまった。

ただこの台風もカリブ海で発生するハリケーンの規模にはかなわないらしい。アメリカ近海に発生するハリケーンの巨大さは目を見はるものがあるからね。ここ数年、五島近海に大きな台風は来てないが、台風襲来時期とか大きさや、気圧Hpの数値などが今までとは違ってきているのが、少し心配だ。。地球温暖化とか、異常気象というのはもうこの頃では常識みたいなものだけど、とんでもなく猛威を振るう台風が襲うのではないかと危惧している。どこか今までの季節の移り変わりが壊れかけているのではないかと思うときがある。ここ数年,不気味なほど台風被害がないからね。

gavonさんとメールの形でお互いにエッセイみたいなものを書くというこの試みを始めるに当たって、いろんなことを考えてみた。日本の北と南に離ればなれに住んでいるものが、たまたまサイバー空間で知り合い、そして共通の話題について話し合えるということ。インターネットという新技術はこうした試みをできることを可能にしたわけだ。

20世紀が生んだ新技術で画期的なものはなにか、というような特集記事をある雑誌で見かけたことがある。インターネットを含むIT革命の評価に関しては分かれていたが、私はやはりこれは画期的なことだと思う。1989年のベルリン革命に始まる東欧革命はテレビの影響が大きいということがいわれた。テレビは、言葉だけではごまかすことのできない現実を権力者へ思い知らせた。

しかしインターネットの双行性及び各個人が情報発信となったことの持つ意義はまだ完全に明らかになっていない。一般の予想に反して、インターネットは集団の細分化を促すという考え方もある。どうした社会が未来に待ち受けているかはわからない。ますます人間たちは,家に閉じこもって他人に無関心になるのかもしれない。しかしこうしてお互いに遠く離れて住むもの同士が、直接対話できるという利点の大きさは、やはり実感するよね。

これから断続的に、そして気ままに、お互いの考えに触発されながら、メールの形でエッセイを書いていくということになります。なかなか面白い試みと思っています。従来のレス形式のメールや、自分だけの感想を述べるエッセイのどちらとも少し違うやりかたで、今までと新しいことを経験するのではないかと、私は期待しています。もしかしたら、他の人も興味を持って、参加したくなる人が出てくるかもしれない。それはそれで面白いと思うよ。

将来、こうしたことを始めるような人もたくさん出るかもしれない。すでにそうした例もどこかのホームページなどであるのかもしれない。あまり見たことは無いけど,これだけの情報が乱れ飛ぶサイバー空間だから,きっといろんな実験があちこちで行われていると思うよ。ともかく私はgavonさんと、私がメールエッセイと名づけたとものを、書いていけることを楽しみにしています。あまり気張らず、断続的に、自由に自分の考えを書き残していく。これはいわば、相手から触発された形で、本来のエッセイを書くようなものだから、色々な可能性を秘めてもいるよね。

どんな形で進行するのか、全く予断は許さないけど、このごろこうした文章を書くことが少なかった私にはちょうどいい機会だ。

本当に2000年も残りわずかになってきた。お互い新たな気持ちで21世紀を迎えたいね。

風邪などひかないように、毎日の雪はね、頑張ってね。

YUKI



感想はこちらに・・・・・・ohto@pluto.dti.ne.jp


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