悪夢と許しと(Economist 11/1)


久しぶりにEconomistの記事の、感想です。

*Of memory and forgiveness

アパルトヘイトによる白人支配を終わらせた南アフリカ。彼らは、過去をどの ように克服し、将来といかに向き合おうとしているのか。これはそのレポート です。Economistの記事ですから、長い。かなり短くして、私の感想を中心に 書きましたが、それでも結構長くなりました。

エピソードがいくつか紹介されていますが、まずはJeffery Benzienの場合を 例にとります。彼は警察官として、今でも勤務していますが、白人政権下、 wet bagと呼ばれる拷問方法を考案した。被疑者をうつ伏せにして、手錠を後 ろ手にかけ、Benzien(取調官)がその背中にすわり、被疑者の顔に濡れた布の 袋をかぶせ、それを首の回りでねじるというもの。被疑者は窒息してくる。体 の動きが緩やかになったところで、つまり死の直前で外し、こうして被疑者を 尋問し続けるという残酷な方法です。

そうして彼から拷問された一人が、Tony Yengeni。今や彼らの立場は、完全に 逆転してしまった。Yengeniは、ANCの国会議員。Benzienは、かつて拷問した 相手に対して、sirと呼びかける。

その彼らが向き合っているのが、南アフリカ独自の「真実と和解の委員会」 the Truth and Reconciliation Commission。これは、かつての政治犯に対し て特赦を与えるためにもうけられた。2年前の12月に、設立されたのですが、 この大胆な制度のおかげで、今アパルトヘイトのもとでの、白人政権が犯した 犯罪が明らかになりつつある。

南アフリカほどの、すさまじい人種隔離政策をとり続けた政権が崩壊したあ と、大規模な流血が起こらなかったのは、奇跡としかいいようがない。ANCが 政権を握ったあと、大量の白人の国外脱出も起こらなかった。彼らは、過去の 傷をどのようにしていやそうとしているのか。ナチスからチリのピノチェトに いたる過去の独裁政権を調べた結果、マンデラたちは過去を無視するのではな く、向き合わなければならないと判断したようです。圧制の犠牲者やその遺族 は、嘘と欺瞞に耐えた痛みを癒されなければならぬ。加害者は、自分の犯した 罪と向き合わなければならぬ。犯罪を見て見ぬふりをしていた大衆は、沈黙し ていた責任を負わねばならぬ。そうでなければ、将来再び同じことを繰り返 す。これがマンデラ政権の共通の認識だったようです。

もちろん、加害者に対して、復讐の心を持って、罰するというのが、普通に考 えられることでしょう。正義心も満たされる。だが、彼らは過去を忘れること も、正義を振りかざすこともしなかった。彼らは第三の道を選び、そのための 委員会を設立した。そして委員会の目的は、虚偽でねじ曲げられた過去から真 実を探すこと、犠牲者の苦しみに報いること、そしてもっとも議論があったの は、当然でしょうが、加害者を許すこと、この3点だった。たしかに南アフリ カのように、過酷な歴史が続いたあと、政権が交代してこんな宥和策を取った 例は私はほとんど知らない。

もちろんamnesty特赦は、誰にでも与えられるわけではない。政治犯で、自分 が知っている事実をすべて明らかにすること、申し出る期限は、9月までとす る。この9月というのは、記事にはいつの、と言うことが書いていないのです が、多分今年なのでしょう。文脈からは委員会が設立された年ということにな るのですが、これでは1994年12月ですから、おかしい。とにかく無条件で特赦 が受けられるわけではない。申告をしなかったり、自己の他の罪を隠して、新 たな犯罪容疑がでてくれば、適用は受けない。なかなかうまく考えました。  (^^;

真実とは何か、と言うことも異論が普通なら議論になるでしょう。こうした政 治犯というか、イデオロギーがからむ場合は、同じ事実でも解釈は違ってく る。はたして、虐殺事件の最後の責任者にたどり着けるのか、普通は確信犯が 多いから、なかなか難しい。しかし事実は徐々に明らかになってきている。最 高の指導者層は、こうした特赦申請をしていないが、中堅どころというか、直 接の実行部隊が、告白し始めた。

こうした過程で、1977年に殺されたBlack Consciousness Movementのリーダ ー、Steve Bikoの虐殺事件の真相も浮かび上がってきた。国際的に反響をよん だこの事件は、多くの人々から、その疑惑が投げかけられていたが、あくまで も公式発表は事故死ということだった。しかし20年たって、殺人に直接携わっ た秘密警察の5人の警官が、事件内容を告白した。事件の内容が、公式に確認 された。(もっとも5人は殺すつもりはなかったという主張のようです)

さらに1982年に起きたSiphiwon MtimkhuluとTopsy Madakaという2人の学生リ ーダーの死が明らかになった。これはほとんどてがかりがなかったのが、この 制度で彼らを虐殺した2人の軍人が告白して分かった。彼らの1人は1990年の段 階でも、犯行を否認していたようですから、やはりこの制度によってはじめて 真相は明らかになった。こうした例は多分もっとあるのだと思います。

もちろん委員会は、人数も少ないし、特に秘密機関の一部は、まだ手つかずの ところもあるようで、証拠書類で処分されたものも多い。警察よりも、軍関係 者が非協力的で、特に政治家の非協力は甚だしい。概して前指導層の申告は少 ないようです。秘密が大きければ大きいほど、隠したくなるのは、当然でしょ うが。政治家関係7041人の内、ANC関係者は、副大統領のThabo Mbekiも含めて 数十人、しかしインカサ自由党関係者はいないようです。前政権党の国民党の 閣僚経験者はわずか2人。前大統領クラークは自己の犯罪を否認。

それにしても来年4月をめどに、委員会の調査は続いているようですが、これ は膨大な仕事量になるようです。はたして現場の警察官の犯行が、誰から指令 されたのか、どこまでさかのぼることが出来るのか。政治家達は、言葉のすり 替えで、切り抜けようとしています。例えば、「抹殺せよeliminate」とか「 社会から排除せよremove from society」という命令は、「殺せ」と言う命令 ではなかったし、現場の警察官がそのように解釈したとするならば不幸なこと だ、と言い訳しているものもいます。

真実と和解の委員会がめざす第2のの大きな目標は、先に3番目としてあげた加 害者を許すということです。それによって人種間の争いを無くし、政治的安定 を築く。これはかなり思い切った選択だと思いますが、マンデラは敢えてその 道を選んだ。白人を追い出すのではなく、彼らと共存する道を。平和の代償 が、特赦であり、特赦の代償は、謝罪ではなく真実の究明だというわけです。 誰も謝罪を要求されない。拷問を実行したものは、自由に歩き回り、被害者は 彼らを許すことを期待されている。

もちろん遺族の中には、こうした反対のものも多い。それが普通の人間の感情 だと思います。しかし概して犠牲者達は、復讐せず、かつての殺人者達は死の 恐怖なしに普段の生活を続けている。政権交代時に、黒人達は白人のプールや 別荘を占拠しなかったし、政府も白人の土地を没収したり、重税を課したり、 企業の国有化という手段を取らなかった。

これは現在の南アの状況と一見矛盾する。南アの犯罪率は世界でももっとも高 いところの1つです。殺人発生率はアメリカの7倍。そして各種の犯罪防止のた めには、厳しい政策を採っている。

こうした中での、委員会の活動です。アフリカの土壌を考えれば、信じられな いことが起きた。マンデラの力が大きいが、委員会も一役買っている。彼ら は、遵法と人権尊重の精神的風土を確立しようとしているわけですね。これは 一時的なものということで国民も納得しているのでしょうか。過去を忘れた り、あるいは中途半端な融和策を採らなかったことで、かえって将来の政治家 にとっては厳しい基準が示された。

委員会は最初からすべての真実が明らかになるとは思っていない。しかし少な くとも、過去の真実のいくつかは見えた。そしてそうした調査の過程で、国民 の過去認識もはっきりした。白人の大多数も、はっきりと沈黙していたことの 意味を悟った。国民党は彼らの支持を受けていたのだから。黒人と白人の理解 は、こうした経験を通してかなり進んだと言うことのようです。まだ道は遠 い。しかし2つの人種の平行的な世界が交錯し始めた。

wet bagを考案した警察官、Benzienは、かつての被疑者Yengeniにこう言っ た。「私は祖先が住み続けた南アフリカと、家族と私自身のために戦い続けな ければならないと信じた。今考えると、間違っていたことが分かるし、心から 謝罪する。そして新しい政権が生まれた今日、自分が依然として南アフリカに 住んでいることに驚いているし、そのことがうれしい。私は今でも、わが国を 誇りに思っている」

これはよい意味でなかなか信じられない世界です。こうしたことが起こるのな らば、我々の未来も明るいかもしれない。まだ南アフリカの実験が成功すると いう確信は、私にはもてませんが、少なくともここには希望があります。



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