死ぬ権利(97-6-21)


05228/05228 YHJ00031 YUKI RE:The Economist 6/21 その2 死ぬ権利 ( 2) 97/06/27 10:53 05182へのコメント

みなさん、こんにちは。

Economistの記事も大体は読んだのですが、特集記事の感想を書いておきま す。

2. Last rights
6. The right to choose to die

事実を述べた記事と比べて、こうした記事は難しいです。何回も読まなくては 論旨さえもはっきりしません。私も読んでいるうちに何が何やら分からなくな ってきました。記事に対する感想にもなりませんし、記事の内容と離れている ところもあると思いますが、とりとめもなく書きます。あまり楽しい話題でも ないですし、私自身がこの記事を読んだことに対する確認の意味で書いていま すので、どうかお許しを。

「死ぬ権利」はどこまで許されるのか。各国・各州の行政・立法ともに迷って いる。オーストラリア政府はかつて施行されていた世界で最初の死ぬ権利に関 する法案を廃案にした。アメリカでも医者の自殺幇助に関しては、政府予算を 禁ずることが禁じられたし、コロンビアは安楽死を認めているアメリカ大陸の 唯一の国だが、大勢の前には孤立している。近いうちにこの件に関するアメリ カ最高裁の判断が示される。この最高裁の判断は6でも触れられています。

歴史上は認められてもいる死ぬ権利だが、問題は3つある。
1. 人間にはいつどうやって死ぬべきかを自分で決める権利があるのか。
2. もしその権利があるとして、それをなすために他人の協力を求める権利は あるのか。
3. さらにそれが許されるとしても、年をとり病気で回復の見込みはないが死 にたくはない人々の保護はどうするのか。

死ね権利があるかに関してはいろいろな立場がある。
a・・・ほとんどの宗教 は反対している。自然死を迎えるまで人間は生きる義務があるし、自分の死を 決めることは出来ない。

b・・・大多数の意見は、自殺を合理的とは思っていない。自殺を強制的に終 了させることは、多くの国で認められている。NY州では、餓死を行うと宣言す れば、無理にでも食べ物を摂取させられるし、カリフォルニアでは自殺未遂者 は精神病院へ3日間収容される。

しかしほとんどのアメリカ人にとって長期の苦痛緩和剤は投与されていない し、3分の1は(抑えることが出来るのにされない)苦痛の中で死んでいく。

c・・・(はっきりとは区分けできないのですが)自分から死を望んだり、死を 助けることが必ずしも不合理だとは言えない場合がある。4分の3のアメリカ人 が病院か老人ホームで死に、しかも多くの場合多くのtubeをつけられたまま、 それを自力で取り外すことの出来ないまま、無意識状態でに死んでいく。苦痛 のない多くの人々でさえ、家庭で密かに、静かに尊厳を持って死んで生きたい と思っているのだが。

2番目の医者の介入について。死ぬに当たって医者の助けを借りる権利がある かどうかに関して、考えなければ行けないこと。医者の自殺幇助と安楽死の違 い。

自殺幇助・・・医者が自殺の知識と手段(薬等)などを与えるが、自殺するかど うかの最終決定権は患者にある。

安楽死・・・安楽死には2種類がある。
自発的安楽死(voluntary euthanasia)・・・死ぬことを望んだ感じに対して医 師が行う。
非自発的安楽死(involuntary euthanasia)・・・患者が死を求めていないとき に、行われる安楽死。多くの場合殺人である。

現在は自殺幇助は死が近づいているが、まだ生命維持装置をつけていない人に のみ適用される。これは安楽死に関するもう1つの区分け、すなわち積極的安 楽死と消極的安楽死の違いとも関係がある。

消極的安楽死(passive euthanasia)・・・人口呼吸装置などの生命維持装置を はずすこと。これは病院で現に行われているし、多くの宗教関係者もその死を 自然死とみなす。自殺幇助ではない。このへんは自殺幇助と安楽死の概念が不 明確になるところでしょう。

積極的安楽死(active euthanasia)・・・生命維持装置をつけていないものに 対して行う、薬の処方箋とか投与。多くの場合、医者が患者の希望に応じてす る場合が多いが、ほとんどの国では犯罪行為とみなされる。

この2つの間には明確な区別が引きにくい場合が多い。もし医者が多量の鎮痛 剤を与えて、その結果死をもたらす可能性があるとしても痛みを和らげること が主目的ならば、法律上は許される。しかし「死ぬためには50錠飲むこと」と いう処方箋を出せば、ふつうは罰せられる。医者の自由裁量によるところが大 きい。

自殺幇助が許されるとしても、問題はいくつかある。
a. 許される境界線がはっきりしない。
b. 死が近い、ということの定義が不明確。
c. terminally illとchronically illの区別はつくか。特に後者の場合、患者 が死を望んでいて、しかしこれからも長く生きれる可能性がある場合には。 d. どこに死の境界線を引くべきか。特に肉体的には健康だが、精神的に障害 がある人の場合は。

最後の問題は、第3の問題にもかかってくる。

法的に自殺幇助が承認された場合、弱者や障害者にとって危険な前触れとなら ないか。国家が認め、医者が執行官となる危険性は常に含んでいる。そのとき 死は苦痛からの解放ではなく、「処置」になるのではないのか。実際死が治療 よりも、安くつくから、保険会社はそちらの方を望むかもしれない。なにより もこうした医者による自殺幇助の反対論で強いのが、悪用されることの恐れで ある。

後半ではオランダの例が紹介されています。これは前にTIMEでも紹介されてい たと思います。オランダだけが、こうした経験を持っている唯一の国だけに、 かなり詳しく紹介されています。細かい数字は省きますが、オランダの調査で わかったこと。

1. 人が死を求めるに当たって、苦痛の占める割合は比較的少ない。(わずか5 %とありますが、他の主要因はよく分かりません)
2. 老人や虚弱者が死を求めるというのは間違い。80代の人々の間では安楽死 は少なく、55〜75才のガン患者の場合が多い。

しかし一番問題なのは、すべての死亡の約0.8%〜0.7%が、患者の不同意のまま もたらされた死(はっきりとは書いていませんがもちろん安楽死でしょう)だと いうこと。それは患者が植物人間の状態(?permanently comatose)か、急変し その意思を確認できない場合とされている。

しかしオランダの現実に対して行き過ぎ、slipperry slopeにはまりこんだと の意見もある。エピソード風に説明すれば、「彼女はあと1週間は生きること が出来ていただろう・・・ただ空きベッドが必要だったから。」という発言。 あるいは年老いた夫に自殺と私設療養所とnursing homeの二者択一を迫り、夫 が自殺を選び、医者が殺した例。患者には選択権は無くなってきているのでは ないのか。

ただこうした話はオランダだけのことではない。死、のあるところ常につきま とう問題でもある。オランダでは慎重に行われているらしいが、やはり問題点 はある。待機期間、第三者の意見、精神科医の判断、患者の積極的な意思、そ れを表明した書類などは必要ではないのか。自殺幇助の方が患者に時間と場所 の選択権を与え、しかもその決定を取り消すことが出来るからいいかもしれな い。

こうした問題は過去にはそれぞれの場所で密かに行われてきた。しかし将来は そうではなくなる。かつてのように死は単純なものではなくなっている。医学 の進歩とともに、一時停止した心臓が動き出すこともあり得るし、生命維持装 置によって人工的に死を延長できるようにもなってきている。金をかければ命 を長らえさせることもできる。

アメリカにおいては20%弱の人しか自宅で死を迎えることは出来ない。オラン ダでは40%以上である。オランダでは死が近づいたと思ったら、わずかの延命 効果しかない苦痛に満ちた治療を拒む人が多い。アメリカではわずか数週間死 を長引かせるために、不必要な惨めな治療を受けることが多い。死は普通は医 学的敗北だろうが、それはすべての人がさけられないものである。

6の記事も大体似たような内容です。ただ今アメリカの最高裁で、患者が医者 に自殺幇助を求める権利があるかどうかの裁判が行われているようです。この 判決が出たとき、TIME/NEWSWEEKも記事になるでしょう。それと人間の自由の 中で一番極端なのが、自分の命を自ら縮める権利でしょうが、The Economist の立場は自らをthe classical liberalと表明しています。どうやら容認する 立場のようです。

もちろん条件をつけています。
1. 人間は社会的存在だから、すべての人の死は必ず自分の身内のものなどに 影響を与える。これは無視できない。

2. どうした条件のもとで認められるのかがまだ不明確だ。特に医者・看護婦 などの医療に携わるものにとっては、このへんの合意が出来ていない限り、か なり不安でしょう。

この種の議論はこれからも多くなるでしょうね。疲れてきましたので、ここま でにしときます。The Economistのカバーは長くて、読み通すのに疲れます。 今回は比較的短めだと思いますが、内容が内容だけにやはり苦労しました。

YUKI



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