職業に適さず('57)


*Profession (1957)

Asimovはこの作品について何も触れていないが、私は結構面白く、普通のペーパーバックなら60ページはあると思われるこの作品を一気に読んでしまった。

時は紀元後6500年前後である。正確には主人公のGeorge Platenが6492年生まれで、物語の中心は彼が18才からまだ20才にならないときだから、6510年前後ということになろうか。当然この時代、人類は数千の惑星に進出している。

地球に住む人にとっては、September for Reading Day; November for Education Day; May for Olympicsという童謡があるように、この3つの行事が重要な役割を果たしている。

人は8才になると、Reading Dayを受けなければならない。これはどうやらすべての子どもが、読解力を獲得する日らしい。身体的・精神的検査も行われるのだが、検査の最後に、ヘルメットをかぶる。それが終わると人は文字を読めるようになる。

この時代どのような職業も登録というか、公認制の下にあった。例えば、Geogeの父親PeterはRegistered Pipe Fitter。母親のAmyはRegistered Home Technician。労働者になるためにはRegistered Laborerでなければならないし、あらゆる職業がRegisteredされている。Registered Manure Spreaderなどというものまである。そうして個人の特性を見極めて、その知識を授けられる日がEducation Dayだった。この日人々はTAPEを通してそれぞれの職業の専門知識を授けられることになる。

Georgeは何よりもRegistered Computer Programmerになりたかった。この資格さえ手に入れたら、どのようなGrade Aの世界にでもいける。地球に住む人々にとってOutworldへの脱出は夢だった。そこでなら地上で考えられない富も築くことが出来る。ただし誰もに自由に行けるチャンスがあるわけではない。そのためにオリンピックが開かれていた。これは各職業の技能競争のようです。ここで優秀な成績を収めれば、Outworldからスカウトされる。Computer Programmerになりさえすれば、それはさらに容易になる。

Georgeと対照的に、Stubby Trevelyanという同い年の少年の生き方が描かれます。Trevelyanは、Registered Metallurgist冶金学者の父親がいる。彼は自信を持ってその道を歩もうとしている。しかしGeorgeにはそうした父親はなく、社会的には低層に属するのでしょうか。自尊心が強く、知性も高い彼だが、果たしてエリート中のエリートたるRegistered Computer Programmerになれるのか。この時代職業の選択の自由はほとんどないし、Education Dayでその人の運命は決まる。

運命の日、しかしGeorgeはうねぼれから自分がRegistered Programmers向けの本を読んでいたことを検査官に話す。この時代、Reading DayとEducation Dayの間の10年間は、どんなに過ごすのかは余り書かれていません。丈夫な体を持ち、一般的な知識を収得するために学校らしきものはあるのだと思います。このように管理下された社会で、10年間が無駄に過ごされるはずはないことですから。しかし職業に必要な知識は、教育テープをINPUTされることで一瞬に獲得できる。もちろん職業上の技能は知識だけではないし、そうした経験を競うのがオリンピックのようです。しかしだからといって、自分がなりたい職業の知識を前もって知ろうとする少年は珍しいらしい。それはGeorgeの言葉を聞いた検査官の反応にも出ています。Your brain pattern is fixed at birth. 事故や損傷で、悪い方に変わることはあるかもしれない。But it certainly can't be affected by your thinking special thoughts.

各自のすべての遺伝子情報までもが、完全に把握され、多分それまでの18年間のすべての人間の情報が保存・分析されている社会のようです。しかし結局彼はRegistered Programmerにはなれなかった。それどころかthe Motor Mechanicsにもthe Construction Engineerにもthe Agronomicsにもその他ありとあらゆる職業になれないと宣言された。Registered Laborerにさえもなれない。Georgeは世の中にいかなる種類の知識も埋め込むことに適しない人間がいることを知らされる。そうした人物が世界各地で発見され、彼らは世界の自由収容所みたいなところで、テープでではなくマニュアル式で、つまり20世紀の我々が本や人を通じて知識を獲得していくような方法で自分に適した職業を見つけなければならない。

普通の人ならEducation Dayにテープを通じて一瞬に専門知識を得ることが出来るのに、それを拒絶されたGeorge。彼は生涯を、特定の職業に就くことなく、必要な知識を本を通じて手に入れる以外に方法はない。それはEducation Dayを迎える前の少年たちと全く同じではないか。A teen-ager all his life. A pre-Educate forever and special books would have to be written for him。おそらく家族にも友達にも真相は知らされず、一生を社会から隔離されて暮らさなければならない。

やがてGeorgeは落ちつきを取り戻すが、世間がOlympicで夢中になっている5月になっても、彼の周囲だけは時間は止まっているかのようだ。同室のHali Omaniは30才にもなっているのに、いつかRegistered Electronicianになることを夢見て原始的な書物による習得に励んでいる。自分もまたNothingのまま、この中で朽ち果てるのか。そう思ったGeorgeは、施設を飛び出してオリンピックが開かれているサンフランシスコに向かう。そこで非鉄冶金学者としてオリンピックに出場しているTrevelyanの競技を見ることになる。自分は今だprofessionlessなのに、彼は既にNoviaが後押しするオリンピックに出場しているのだ。もともとオリンピックは、Outworldが人口過剰の地球から、優秀な人材をリクルートする絶好のチャンスだから、Trevelyanは若くしてNoviaに移住できる直前のところまで来ている。

試合後、残念ながら古いマシンのために優勝できなかったTrevelyanに、なつかしさのあまりGeorgeは声をかける。しかし自分の現況を恥ずかしさと屈辱感から語ることが出来ず喧嘩となる。いわば住所不定のような彼は、警察官に補導されそうになるが、親切なIngenescuという紳士から助けられる。彼は試合中もとなりに座っていたし、その前にも声をかけてきていた。社会科学者、歴史家であるこの男はかなり地位の高い人物らしい。彼の尽力でGeorgeはNoviaの重要人物を紹介してもらう。うまく行けばNoviaに移住できるかもしれないと考えたGeorgeはvisiplateを通して熱弁をふるうが、無視されてしまう。

しかし意外な真相が明らかになる。Ingenescuは最初から、Georgeを監視していたらしい。助けを申し出るIngenescuに対して、暴れる彼は警察官によって取り押さえられ、鎮静剤を打たれる。

Georgeが目覚めたとき、彼は再び自分が元の施設に連れてこられたことを知る。何が起きたかを思い出しながら、彼の心はようやく冷静さを取り戻す。そしてその中で彼にもようやく真相が見えてきた。彼が今いるのは、The Institute of Higher Studiesであること、GeorgeはReading Day、Education Day, Instituteでの行動、すべてでこの社会の中のほんの少数の創造的才能を持った天才を選ぶテストだったのだが、彼がそのすべてに合格したことを彼は知る。彼はEducation Tapeそのものを作り出したり、新しい機械等を生み出す人間として、選ばれたものだったのだ。何段階もの検査の最後の最後で振り落とされた人物たちが、Ingenescuなどの社会科学者たちだった。同室のOmaniもまた心理学者であった。重要人物たる彼らもsecond echelonにすぎなかった。

最後にGeorgeは叫ぶ。Why do they call them Olympics? これははっきりしないところもありますが、Education Tapeによって教育されたり、競争条件が同じでないのに、どうしてオリンピックなのだということでしょうか。

結論は少し意外でしたが、大体の展開は予測できました。Georgeの屈辱と試練が大きければ大きいほど、これは指導者を選んでいるのだな、ということは何となく分かりました。Georgeのような人々を、世間に知らさないというのは、確かに自分の人生を自分の手で決めることが出来ないほとんどすべての人物にとって、その存在を知るというだけでも屈辱だからでしょう。生まれたときに既に資質の選別が行われているわけですからなおさらでしょう。

この作品は一見Happy endingのようだが、そうではない。こうした社会で生きることだけはごめんだ、と思いますが、どうやら時の流れはそのようであるのかもしれません。私は最初に書いたように読んでいるときは面白かったのですが、考えようによっては、あまり楽しくない作品かもしれません。

1998-7-8




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