間違える脳


●2003年7月初旬

長崎で12歳の少年が3歳の幼児を殺害する事件が起きた。世間やマスコミはいろいろと騒いでいる。まあ、当然のことなのだが少年犯罪の罰則に関する議論が大半で加害者に肩入れする識者はほとんどいない。犯行自体は決して許されるものではありえないが、まるっきり遠い人間の所行とは言い切れないのが歯痒いのである。筆者が最近注目している現象、「如何に脳が間違えるのか」という側面から考えると実はどんな人間にもあり得ないことではないのだ。ただし、多くの人間は必ずしも思考を直接行動に移す訳ではないので彼らのような不幸な事態に遭遇しないで済んでいるのかもしれないのだ。

加害者の少年は同年代の友人とはあまりつきあいがなく年下の子供達との交流を好んでいたという。ここまでは決して誰からも責められない。もしかすると面倒見のいい優しいお兄さん、という受け止められ方をされるかもしれない。ほ乳類は本来、幼児を愛するようにプログラムされている。でないと生まれたばかりで身体能力の劣る幼児は生きていくことができない。特に人間を初めとする類人猿は誕生から独立までの期間が長く親を初めとする成体への依存度が高い。そのため幼児期には成体から愛される身体的特徴を備えているのである。実は子供は子供だから可愛いのではなく、可愛いがられる姿形をしているから可愛いのである。で、この現象を世間では親の子供への愛情と捉えている。このことは肯定も否定もできない。それがほ乳類の宿命だから。そしてこの愛情という世間的に肯定される感情は非常に非情に脆い。この愛情は恋愛感情に転化しさらに性欲に転化していく。この転化も種族保存の見地に立つと否定できるはずもない。で、ここからが厄介なのだが性欲は支配欲に転化し支配欲は暴力衝動に転化していく。若干乱暴な論理展開とも思われるが、決して理解できない感情の流れではないと思う。誰もが簡単に想像できるのではないだろうか?この感情の転化こそが脳の犯した間違いなのである。この間違いを一方で自覚し、行動を抑制しなければ、愛情が暴力に転化していってしまう。脳がそれぞれの感情を間違えたお陰で人はときに思いもよらぬ行動を取ってしまうのではだろうか。

極めて乱暴な論理かもしれないので誤解を招くおそれもあるが、脳が間違うことの危険を自覚する必要があるのではないだろうか。とはいえ、この脳の間違いは必ずしも不幸を生むだけとは限らない。従って、現代人に必要なのは脳と上手く付き合うことである。今後、このテーマに基づいて論を進めていこうと思う。


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