[郵政民営化への批判をつづけている稲村公望さんからの便りには、「小泉総理と竹中担当大臣という虚妄の民営化論の後ろ盾が退場する今、勇気を欠いて反対論を展開しなかった業界や、あるいは民営化論に安易に追従した者に反省と責任を感じていただくいい機会です」と書かれていた――森田実]
稲村公望(元郵政公社理事、中央大学客員教授)
「政治を私物化した時代を生産しなければならない」(2006年9月22日)
郵政民営化は、いよいよ迷走を始めた。郵政民営化では、民業となる郵政事業との競争問題だとの声が高まっている。
最近、静岡で旧知の郵便配達の専門家と酒を酌み交わして、座談をする機会があった。
郵便局では、今、正規の職員に小包や書留などの配達をさせ、本来の郵便物をアルバイトの職員に配達させる方針だという。
小泉総理は、“郵政に多額の資金が集まりそれを官が運用することによって非効率が生じる。官に運営されているから非効率である”と主張したが、前者は、集めているのは郵便局だが、使っているのは財投機関で、財投機関が無駄遣いしないようにそれこそ改革すればいいだけの話であった。財投機関をコントロールすれば、郵貯・簡保が国債に投資することしかなければ、景気が反転すれば、国債だけを買い進めていけば、国債金利が低下すれば、郵貯・簡保の金利も低下して、資金が集まらなくなっていただけのことである。
理論的に整理できないままに郵政民営化が処方箋となり、そこに強権政治の要素が加わり、本来的には反対すべき業界も勇気がなかったか、民営化賛成の合唱に加わり、民営化法案が成立して、いよいよ矛盾が拡大しつつある。
ともあれ、不要の混乱は避けなければならないし、また、巨額の国民資産を有効に活用して、非効率な使い道の財投機関を支えるためだけに使われることは避けなければならない。
国鉄の民営化の場合には、よもやライバルになるとは考えられないほどの、非効率な経営状態であったし、電電公社の場合には、そもそも固定電話の独占状況にあったが、技術革新で携帯電話が登場して、競争原理が功を奏したにすぎない。
郵政民営化委員会の田中直樹委員長に対する、去りゆく小泉総理のお達しは、(1)民営化した会社の株式の早期売却、(2)民業を圧迫しない、(3)国民に追加負担をさせない、ということだとの報道であるが、参議院議員をも投げ出した竹中民営化担当大臣とともに去り行く者の小唄のようにも聞こえる。
一刻も早い株式の売却を図るのであれば、郵政公社の民営化が国民にとっての社会価値最大となることが必要であるが、地方切り捨てなどの単なる市場原理主義の売却であれば、犠牲を伴うことであり、そもそも、ユニバーサルサービスを維持しつつ、運用の制限や、組織効率の低下を伴うものであれば、市場だけの観点からの価値は低い。
今頃になって、外国資本による乗っ取りに対する防衛策が必要との議論が報道されているが、裏から考えると、とくに貯金と保険の会社の外国資本への売却促進ともいうふうに聞こえる。
日本の銀行業界は、最近になって民業圧迫の声を大きくしているが、公の仕事のうまいところだけを民業によこせということだったのかもしれない。郵政公社が民営化されれば、「民」であるから、信用秩序を維持すること以外に制約をつけることはそもそも正当化できない。
もちろん、公的な経営の時に集めた資金に対して、一定の制約があることは当然であるが、民営化を推進した者が、民業圧迫論を唱えて政府の介入を容認するのは、民営化の趣旨にも矛盾することである。政府保証のなくなった貯金と保険の会社が国債以外にも投資をして魅力的な金利をつけたりしようとするのは当然で、今までの銀行などとの競争が激化するのは当然である。
ユニバーサルサービスを、郵便事業はともかく、貯金や保険では単なる努力義務にしたが、いずれもそのサービスの範囲はあいまいなままであり、信書便法にいたってはザル法化しているのが現実であり、公然とクリームスキミングが行われている危惧があるどころか、ユニバーサルサービスを破壊する議論を助長してきたのが現実である。
銀行業界は、民営化に賛成したのではなかったのか。郵貯の肥大化に反対してきた銀行協会の会長が、郵政会社の社長になり、業務拡張路線を主張するというのは、残酷なパロディである。
(3)の新たな国民負担を生じさせてはいけないというのは正しいが、もう地方切り捨てに着手しているから、国民の犠牲が始まっているという点はどう考えるのだろうか。
この方策を本末転倒ではないかと考えて、去年郵便局の職場を去ったと言う。自分たちはある種の「匠(たくみ)の技」を追求したとも言った。手紙に触ると内容物がわかるようになり、対象世帯が熟知できるようになると言う。宛名が多少不完全でも届けられる。通信の秘密と自由を守ることに使命感があったと言う。
専門用語で配達世帯に通暁することを「通区」というが、大体回れるようになるのが6カ月、本当に「通区」するのには3年かかるとも言った。「匠の技」をもつ職員を価格だけの観点で担当を変えるのは通信の価値をよく理解していないのではないかとの結論に達し、「やめた」との嘆き節を聞かされた。物は賠償できるが、通信は無形で賠償できないし、確実に配達することだけが大切だ、との主張である。労働を軽減する機械化投資などがあまりなされないなかで、「匠の技」を軽視することには我慢できなかったし、それがサービスダウンに繋がっていく、との危機意識が吐露された。
物流の世界と通信の世界との境界の定義もあまり議論されていない、とのことだった。コアのビジネスを尊重しなければいずれは郵便事業も国民から見放されるのではないか、トヨタ方式の生産性向上運動が理論的な背景を欠いた竹槍流の精神運動に劣化しているのではないだろうか、との結論であった。
郵便配達に人生をかけた専門家が今続々と職場を去っているという。その昔、手書きの文字など機械では読めない――京都の○×通上がる下がるの路地宛の郵便物は機械で区分できないといわれた時代もあったが、機械不足を「匠の技」の職員が補い、機械にできない付加価値を与えてきたが、一層のIT導入などの技術革新によるコストダウンを追求しないで、ただ単に「匠の技」と通信の自由の確保を軽視することは納得できないふうであった。
職場を大事にする気風が失われつつあり、中央統制が蔓延しているとも述べた。実際、本社の人員は大幅に増えて、現場は先細りの人員配置だというし、現場に近い支社などは廃止する動きだという。
銀行も膨大な額の国債を保有しているのではないか。官に運営されているから非効率などとは、単に神話の官民論である。
郵便局が非効率であるとレッテルを貼るのは「ためにする議論」であって、むしろ銀行などの民間部門が非効率の横並びではなかったのか。その昔、アメリカの友人から“日本では金融部門の競争は郵政省と全銀協の銀行との競争だけだ”とのまことしやかな話も聞いたことがあった。
全銀協は、郵便貯金は1兆円ほどの特典を受けていると主張しているが、郵政公社で利益の50%の法人税よりも高い国庫納付をすれば、その数字は1000億円程度に縮小する。過疎地域などで郵便局を維持するコストとすれば、おつりがくる話ではないだろか。
生保協会も、簡保が2500億円程度の特典を受けていると主張するが、国庫納付をすればこれも1000億円程度に縮小される。津々浦々で民間生保の提供しない保険サービスを提供するコストとすれば、妥当な数字ではないだろうか。
そもそも、英語の世界では民営化などという表現はない。プライバタイゼーションは私有化である。公のものを私物化することである。郵貯や簡保を廃止するというのであれば、まず、国民に返却してから、新しい銀行や保険会社をまったくのイコールフッティングで設立すべき話ではないだろうか。信用秩序を維持するためには、鵺のようなあいまいな金融の世界は排除することが適切である。
竹中担当大臣が、参議院議員という国民代表の職を投げ出した今、また、道路公団やその他の機関を民営化すれば改革できるという虚妄の神話が崩壊した今、また、アメリカ流市場原理主義に立つ政権に対する批判が世界的に高まってきた今、国益を守るためにも熱狂を去って、真にこの国の改革のために冷静に再考する良い機会である。
事は複雑ではなく、郵政民営化を単に凍結して、分割ロスをもう一度試算して、業界エゴの特典試算ではなく、社会政策としてのマイナスの特典についても計算し直して、ユニバーサルサービスの範囲や定義を確定して、イコールフッティングという国民的な利害を公と私との双方の観点から調整して確定するだけの話かもしれない。
長期信用銀行の破綻のときのように、瑕疵担保付責任などと国会で新たな立法もされないような概念を官僚支配で持ち出して、海外資本に安売りするような愚は二度とあってはならない。
もちろん、民間の心ある経営者も、市場は完全ではないから私有化反対で、むしろ市場を完全にするためにも公的な、しかも経営効率の高い社会安全網が混合経済の根本原理ではないか、と勇気をもって発言・主張していただければよいだけの話だと思う。
政治を私物化した時代を清算しなければならない。