第9回(2008年1月31日) 
私の郵政民営化批判(1)――マクロの視点から見た同問題



 今年も、早やひと月が過ぎようとしている。昨年、庭に植えた蝋梅が、辺りに高い香りを放っている。まさに蝋づくりのような黄色の花々が美しい。日一日と日が長くなり、日増しに陽射しが温かく感じられる今日この頃だ。二月を前に、来月のバレンタイン商戦とともに、すでに各地のデパートでは雛人形が飾られ始めた。デパートは常に季節を先取りしている。テレビのCMでも、すでに雛人形のコマーシャルが流されている。
 ところで、雛人形と言えば、3月3日のひな祭りの主役である。言うまでもなく、同日は、女の子の節句の日である。私事だが、この日は、私の父方の祖父の誕生日だった。女の子の節句の日に生まれた祖父の思いは、一体どんなものだっただろう? それとも、彼は、そんなことには余り頓着しなかっただろうか。実は、祖父は、お雛様の日に生まれ、元旦の日に瞑目した。その日が1950年1月1日である。手前事だが、この日は、私の戸籍上の誕生日でもある。2000年1月1日ほどではないとしても、実に覚えやすい切れのいい日だと、内心自慢に思っている。そう思う私は、かなり単純な男である。  

 早や旧聞に属するが、今年の元旦は、全国の各家庭に実に爽快な年賀状が舞い込んだ。印刷文字とはいえ、女優の吉永小百合さんの名前で、年賀が届いたのだ。それは、山田洋次監督の映画『母(かあ)べえ』の宣伝を兼ねたものだったが、実に、意表を突いたものだった。しかし、そんな喜びも束の間、裏を見ると、それが日本郵政株式会社社長、西川善文氏からの国費(=税金)をかけた「挨拶状」だったので、いささか興が冷めてしまった。それは下世話に表現すれば、まるで美人局(つつもたせ)に遭ったような、正直、嫌な気分だった。
 ご記憶の方も多いと思うが、「年賀状は、贈り物だと思う」――これが今年の正月に向けてのキャッチフレーズだった。確かにそのとおりだと思う。なかなか心憎い文句だ。西川氏の挨拶状にも、「『あたらしいふつうをつくる』をスローガンに、常にお客さまの視点に立った真摯な態度で業務に臨み、皆さまにより一層の安心と信頼をお届けできるよう日々努めてまいります」とあった。その言や、よし。問題は、その実行力だ。「真摯な態度」「安心と信頼」という言葉が、カビの生えた死語にならないことを祈りたい。
 思うに、これを真に実現するために、西川社長自ら、最低一週間か一カ月間、実際の郵便局の現場で働いてみられたらいかがだろうか。きっと、すでに4カ月が経過した民営化後の現場の苦しみや大変さが、少しは理解できるかと思う。それもできないで、安直に「真摯な態度」や「安心と信頼」などと言ってほしくないものだ。
 むしろ現実は、国内の各所で簡易郵便局が閉鎖され、とくに高齢者へのサービスが低下し、煩瑣な手続きなどの点で国民の負担が増加したと聞く。何のための、あるいは誰のための民営化だったのだろうか? 日増しに疑問が募る今日この頃である。  

 各紙が報じたところによると、今年の年賀葉書の枚数は、旧日本郵政公社時代の前年比2%減の29億枚にとどまった。年賀葉書は、電子メールなどに押され気味で、日本郵政「民営化後第一弾の大きな取り組み」(西川善文社長)と位置づけてテレビCMなどを積極的に展開したが、依然として苦戦が続いているとのことだ。この傾向は、今後もますます深まろう。
実際、今年の正月も年賀状の誤配や遅配が多く見られた。その原因の一つに、“民営化後、アルバイトの配達員が増えて責任感がなくなっていること”が挙げられる。これは、郵便配達員の生の声である。その方の奥さんの意見「民営化してから人件費削減のためにアルバイトを増やしているようですが、利益優先だけではなく、責任感を持った人材を育てていくことも大事なのではないでしょうか」(1月15日付熊本日日新聞夕刊)との言葉が、私の胸底に重く響いた。西川氏以下、日本郵政の上層部に届いてほしい、現場の“生の声”である。
 しかし、それは、単に年賀葉書だけの問題ではない。端的に言って、「日本郵政」という組織そのものに問題があるのではないか。私の友人2人が今、簡易郵便局長をしている。また、巷間聞くところによると、目下「内部統制」という名前で、全国の郵便局できわめて強圧的な“締め付け”がなされているという。まるで、日本郵政という組織は、一つの巨大な“軍隊組織”のような感じだ。
 だが、基本的に営利(つまり採算性と収益性)を目的とする“軍隊組織”に、真に“公益性”の追求と実現は可能だろうか? かなり難しいと思う。
 第一、組織の指導者の資質が問題だ。事実、日本郵政の西川氏の指導者としての資質に、 かなり“難がある”ことは、一部の心ある国民にとって周知の事実なのだ。実際、有識者や郵政関係者の多くが、西川氏は“日本郵政を維持・発展させるためではなく、むしろそれを潰すために就任した”と考えている。
今の日本は、「無理が通って道理が引っ込む」デタラメ社会だ。だが、真に真面目で正論を吐くような人物が排斥されたり、彼らが社会のなかで少数派であるような国家は、他国から攻め込まれなくても、内部から崩壊するものだ。はっきり言って、そのような事態を導く具体的な出来事が、昨秋からの「郵政民営化」なのではあるまいか。   

 ところで、「木を見て、森を見ず」という言葉がある。ものごとを狭く捉えることを批判した言葉だ。ご承知のように、これには続きがある。「森を見て、山を見ず」という言葉である。われわれは、最終的に「山」を見なければならない。
 また、われわれが“ものごと”を考察する場合、「マクロ」と「ミクロ」の見方がある。つまり、巨視的な見方と微視的な見方だ。それは、望遠鏡で見る見方と顕微鏡で見る見方とも言える。換言すれば、「鳥瞰図」的な見方と「虫瞰図」的な見方である。つまり、鳥が大空から下を見下ろして見る見方と、虫が這うようにして見る見方である。私は、この両方の見方が大事だと思う。 
 では、まず、郵政民営化の問題をマクロの視点から見てみよう。それは、簡単に言えば、アメリカによる経済侵略の「第二波」だということだ。
 ならば、その「第一波」とは、一体何だったのだろう? それは、1996年の「金融自由化」、いわゆる金融ビッグバンによる“不良債権問題”の出現である。これによって、山一證券をはじめ、証券、銀行、信用金庫などが軒並み倒産した。その結果、銀行の統廃合が進み、最終的にメガバンクが登場した。結果、全銀行の株の30%以上が外国(主にアメリカ)資本になった。実はこれは、日本にとって由々しき事態だ。つまり、持ち株が平均30%もあれば、当然、大株主なのだから、銀行の人事権や経営権さえ自由にできるわけである。
 当時の象徴的な出来事は、山一證券の社長さんによる涙の会見だった。「社員たちは悪くないんです」という、あの言葉がテレビで報じられた。確かに、あの場面は、外国人の目から見れば、公衆の面前でリーダーが落涙するなど考えられないと批判的に捉えられた。だが、あの時の社長さんは野澤正平さんという方だが、当時の社員総数は7700人、その家族や会社の関係者が少なくとも3万人はいた。当時の野澤社長は、その3万人の人々を路頭に迷わせるのが忍びなくて、あの言葉が出たのだと思う。あの後、同社の社員、情報、資産の多くを、メリルリンチ社が掌握した。
 次に、「第三波は何か?」と言えば、それは、「医療の自由化」、つまり“国民皆保険制度の崩壊”ということである。昨年の郵政民営化は、それに至るアメリカによる中間的な“搾取・強奪過程”だと思うのだ。
 事実、日本郵政は3年後の株式上場を目指しているが、そこには外国資本による株保有を20%にとどめるような歯止めはない。ならば、財政投融資の「不良債権問題」が深刻化し、かつて倒産していった銀行や証券会社と同じ運命をたどらないとは限らない。いやむしろ、その可能性は、たいへん高いと思う。その意味で、「郵貯銀行」はまさに“平成の戦艦大和”といえるのではないだろうか。
 事実、「郵貯」は、メガバンクを超えるギガバンクと言われながらも、新しい御主人様である金融庁からかなり厳しい“縛り”を受け、あの不人気な日本の「国債」を買い続けなければならない。分社化されたことで本来の統合力を削がれた上に、与えられる負担だけは今まで以上なのだ。何で、これほどまでに財務官僚主導、アメリカ主導に服さなければならないのだろうか。  

 ここ数年、「年次改革要望書」なるものが話題になった。「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」と「日本政府の米国政府に対する年次改革要望書」の交換は、1993年の宮沢・クリントン会談の合意によって決まった。当時、この会談は、「日米経済包括協議」という言葉で誤魔化された。
 実は、1991年のソ連崩壊後、アメリカにとって、それに代わる「敵」は日本だった。1992年、アメリカの大統領になったクリントンは、財政、貿易の二つの赤字に悩まされていた。それゆえ彼は、当時の日本を経済的に“改造”すべく、わが国に乗り込んできた。 
 「年次改革要望書」は、それを実現するために極めて有効な手段だった。まさに、それは「トロイの木馬」である。しかし、クリントン自身にそれほどの知恵があったわけではない。彼に悪知恵を授けたのが、ロバート・ルービンだ。彼は大統領選挙の際、クリントンを財政的に支援した。彼の背後には、ゴールドマンサックスを中心としたニューヨークの財界人たちがいた。彼らの支援なしには、クリントンの当選は無理だっただろう。とりわけ、ルービンは、論功行賞で、発足当初のクリントン政権の経済担当大統領補佐官となり、のちに財務長官となった。このポストは、ルービンが待ち望んでいた要職だった。 
 このルービンの後継財務長官がローレンス・ヘンリー・サマーズだ。彼は就任当時、日本の榊原英資(えいすけ、当時大蔵省国際金融局長、現早稲田大学教授)氏に次のように語った。「おい榊原、今度は、日本の財政投融資をやっつけるぞ。“財投”が今まで、日本の伏魔殿だった。それをぶっ潰せば、日本の強さは無くなる」と。 
 確かに、現在、郵便貯蓄残高が206兆円、簡易保険資産が121兆円だ。両方合わせると327兆円。巷間言われる350兆円には欠けるが、それでも、日本銀行手持ちの141兆円の優に2倍はある。貪欲な彼らが注目するのも頷ける。それも、15年以上前からの目論見だったわけだ。
 それに、このサマーズは、1994年の円高(1ドル=80円)の仕掛け人でもある。当時、私はホノルルに住んでいて、異常な円高で、正直、得をした気分(?)だった。だが、それは、アメリカ旅行者や滞在者だけの話だ。当時、トヨタ、ソニー、キャノンといった輸出企業は収益が鈍化して、たまらなかったことだろう。それで、日本がにっちもさっちもいかなくなったところへ、アメリカ政府(厳密にはウォール街の財界)が介入して、1ドル=100円まで円安状態に誘導した。それは、何も、当時「ミスター円」とまで言われた榊原氏の貢献でも何でもなく、あくまですべてがアメリカ財界の筋書きどおりだったのだ。その日が、なんと平成7年7月7日だった。とりわけ、3つ続きのぞろ目が大好きなユダヤ人たちらしい“演出”だった。ちなみに、この日は、日本の“第二の敗戦記念日”と言われている。
 ところで、そのサマーズの後継者がポール・オニールとジョン・スノーで、その後がヘンリー・ポールソンである。彼が、今のブッシュ政権の財務長官だ。とりわけ、ロバート・ルービンとヘンリー・ポールソンに共通するのが「ゴールドマンサックス」である。つまり、彼らは、このアメリカ有数の証券会社、言うなればハゲタカ・ファンドの最高経営責任者(CEO)だった。
 そのようなわけで、この15年間に及ぶアメリカの財界による“経済侵略”は、まさにゴールドマンサックスに始まり、ゴールドマンサックスで終わっていると言える。また、この動きは、今後もずっと続くわけである。
 たとえば、東京の六本木ヒルズの多くは、日本の「森ビル」が建てたと言われる。だが、その森ビルに融資したのが、実はゴールドマンサックスだと言われている。また、あの一世を風靡したホリエモンや村上世彰氏の資金源を辿っていけば、結局ゴールドマンサックスに到達する。さらには、先年、日本中で軒並みゴルフ場が建設されたが、とくにバブル崩壊後、また、この実質的な不景気のなか、その経営が行き詰まり、バタバタと潰れている。それらのゴルフ場をそれこそ二束三文で買い叩いているのが、まさにゴールドマンサックスである。同社は“ハゲタカ”であり、かつ“ハイエナ”でもある。
 さらに、昨年のサブプライム・ローンで、他社がたいへんな赤字を出し倒産寸前まで追い込まれたというのに、ゴールドマンサックスだけは「逆張り(投資)」で、昨年、40億ドル(約4500億円)もの利益を上げた。それゆえ、同社のCEOブランク・ファイン氏の昨年のボーナスが、なんと80億円だった。
 「だから、どうなんだ!?」という声もあろう。実は、私も、そう思う。彼がこれほど巨額なボーナスをもらう裏では、無数の人々がトータルでそれと同額以上の損をさせられているわけである。
 ところで、先述したルービンたちが画策した「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」は、まさに“日本の構造改革”の指令書だった。アメリカからの「指令」のなかでとくに重要視されたのが、“郵政民営化”だった。つまり、これは、15年前から、すでに折り込み済みだったわけである。この“指令書”の存在は、首相就任以前の小泉氏も十分承知していた。
 だが、日本政府はこの「年次改革要望書」の存在をひた隠しにした。政府だけでなく、マスコミも政府の「年次改革要望書」隠しに協力した。森田実氏が大新聞とテレビ局の報道記者に対し「年次改革要望書」を報道するよう繰り返し求めたが、すべて無視された。同氏によれば、大マスコミは小泉政権と一体化していた。戦時中と同じ状況で、それは、まさにマスコミの自殺行為だった。
 ところで、今回の「郵政民営化」で一番得をしたのは、アメリカの財界以外、誰かと言えば、何といっても、それは日本の財務省、とりわけ財務官僚たちである。つまり、彼らは、過去の失政に対する非難に蓋をし、自らの天下り先(特殊法人や独立行政法人)を確保し、ライバル官庁(とくに総務省)に対する優勢を確保したからだ。
 私は、日本郵政にとって、アメリカの財閥と日本の財務省は、まさに“前門の虎、後門の狼”だと思う。しかし、これは日本郵政・関係者だけの問題ではない。むしろ日本人全体が、そういう立場にあるのではないだろうか。それゆえ、この問題の根っこを、われわれは、もっと深く掘り下げてみる必要があろう。また、そうすることによって、今回の「郵政民営化」の問題を深く認識し、かつ理解すべきだと思うのだ。この深い背景について、次のところで、具体的に論じてみたい。【つづく】