本書の概要
第一章
第二章
第三章
森田実著『新公共事業必要論』(日本評論社刊)を読んだ。本著は、目下、青息吐息の日本を“元気にする”本だと思った。また、読者の心さえ元気にする著書だとも感じた。事実、私は読後、何かしら生きる勇気と今後の指針を与えられたような喜びを感じずにはいられなかった。著者の森田実氏は、まさに混迷日本を導く「羅針盤」とさえ言えよう。
本著の副題に「港湾・空港の整備が日本を救う」とある。まさに森田氏の思いはこの13文字に言い尽くされていると思う。「国家百年の計」という言葉がある。著者の視座は、そのような大所高所から見た貴重な“日本再建論”である。だが、それは決して観念的なものでも、上から見下したようなものでもない。むしろ、きわめて現実的で切実、かつ真摯な訴えである。われわれは彼の訴えを心から傾聴しなければならないと思うのだ。
「まえがき」において、著者は、「本書の主目的は三つある」と記す。彼は言う。
「第一は、貿易・海洋国として生きる日本にとって、港湾・空港はきわめて大切な社会資本であり、港湾・空港を整備することが大変に重要であることを国民の皆さんに真剣にお考えいただくことである」と。つまり、「日本が二一世紀に貿易・海洋国として生きるためには、国際的視野に立った港湾・空港の整備が必要である。貿易・海洋国日本は、強い国際競争力をもつことなしに、生きていくことはできない。このためには必要な港湾・空港の大整備を行なわなければならない。これには、国民の深い理解が必要である。ここに本書を刊行する第一の目的がある」。
「第二は、わが国の経済政策の根本的転換の必要性、とくに国民生活に必要な公共事業を推進する必要性を国民の皆さんに訴えることにある。国民生活と日本の将来にとって必要な公共事業は行なわなければならない。…(そのために)日本は、『修正資本主義』を復活させなければならない。安定成長を進めるために拡大均衡路線に立ち戻らなければならない。このためにも国民生活を向上させるための国民にとって必要な公共事業は実施しなければならない」。
「第三は、日本国民が希望をもって前進する状況をつくることである。港湾・空港を中心にした日本の経済社会づくりが必要である。新たな港湾・空港中心の社会経済の形成によって日本は甦ると私(著者)は信じている。日本国民が希望をもって働けば、必ずふたたび成長・繁栄期を迎えることが可能になる。国民のなかに希望が広がれば、日本民族のもつ巨大なエネルギーが発揮される。国民の総力を結集するためには未来への希望ある社会経済ビジョンが必要である。私は希望ある新たな社会経済への道を示したいと考え、本書を執筆した」。
ここで著者が強調することは、“希望”と“国民の総力の結集”である。これらを実現するために森田氏は、港湾・空港に関して、日本が抱える問題点を提起し、その解決法をわれわれに提示する。
そして著者は、「まえがき」の最後のところで次のように述べている。
「いま、世界は大混乱期に突入した。大インフレと大不況が同時に起きている。食糧危機、エネルギー危機は深刻である。人類の生活が危機にさらされている。世界大インフレ・世界大不況の大波は、容赦なくわが国を襲ってきている。この危機を資源小国・日本はどう乗り越えるべきか。大胆な経済政策の転換が必要である。国の総力を動員して危機突破策を立て実行することである。われわれの目標は、わが国を貿易・海洋国として再建することにある。港湾・空港の整備によって平和的で安定した開かれた経済国家日本を再構築することにある」と。
端的に言えば、著者は、日本における“大胆な経済政策の転換”を強調する。そして、その目標は、「貿易・海洋国としての日本の再建」である。またそれが「平和的で安定した開かれた経済国家日本の再構築」につながると考えている。それらを著者は、海と港をこよなく愛する至情と、将来の日本を真に案じる愛国心をもとにして実証的に論じている。
本書は八章からなる。
第一章は「なぜ港湾・空港を重視するのか」。以下、次のとおりだ。
第二章「日本の三大主要港湾の現状と課題(副題、日本の産業経済の国際競争力強化をめざして)」
第三章「人類と港(副題、港の原点としての島の港)」
第四章「北方経済圏を支える北海道の港湾」
第五章「地方経済を支える個性ある港湾都市(釜石港・清水港・博多港)」
第六章「中国の上海港・洋山深水港、韓国の釜山港に見るアジア大港湾時代」
第七章「世界のなかにおける日本の空港」
第八章「国民のための公共事業は必要である」
第一章、第二章が「起」の部分である。序論・本論・結論では「序」に当たる。つまり、港湾の魅力にひかれる筆者が、「海に未来あり」として今日の京浜(東京を含め)、名古屋、神戸など日本の主要三港の現状と、それらが抱える問題点を提示する。
第三章から第五章までが「承」の部分だ。それは本論の前半部でもある。内容は、「島の港」の歴史から説き始め、将来性のある北海道の港湾(とくに苫小牧港)について論じられる。また、釜石、清水、博多港などの歴史やその実態が愛情豊かな筆致で描かれる。
第六、七章が「転」の部分である。本論の後半部だ。1990年代、日本が緊縮財政により、“縮み”の政策をとったのに対して、大港湾時代の到来を見据えて中国や韓国が目を瞠るほどの巨大な港湾施設を建設してきた実情が述べられる。たとえば中国の上海港、洋山深水港、それに韓国の釜山港などである。また日本の空港の問題にも言及し、新しく変貌を遂げる羽田空港、将来性豊かな関空やセントレアなどに関して、工事関係者への著者の日頃の尊敬と感謝の念を表示しつつ、これら新空港の持つ歴史的意義を力説する。
第八章が、「結」の部分、つまり本書の結論部である。それは、章のタイトルのとおり、「国民のための公共事業が是非とも必要である」というものである。また、この公共事業が日本を救うと著者は確言する。そのために、どうしても修正資本主義への経済政策の転換が必要だと森田氏は主張するのだ。では、本書の内容を具体的に見てみよう。
森田氏は心底、港を愛する人だ。これは、彼が伊東市(旧伊東町)に生まれ、幼い頃より海に親しみ、こよなく海を愛することと不可分の関係にある。また彼ほど、日本国内の諸港を歩き、かつ熟知している人はいないであろう。
だが、海洋国家・日本の、まさに“海洋民族”であるわれわれ日本人は、いつの間にか港の大切さを忘れ、知らない間に海洋後進国の住民に成り下がろうとしている、著者は本著を通して、その実情に多大の警鐘を鳴らしている。
第一章において、彼は「港には神がいる」と言う。つまり「港神」という神である。彼は記す。「夕暮れの港にただ一人立っているとき『港神』の存在を何度か感じた。地鳴りのような響きを感じたこともあった。そんなときその港の長い歴史のなかで生きそして死んだ人びとの魂が、いまなおそれぞれの港のなかにいるような気がしたのである」と。
日本広しといえど、港に対してこれほどの思いを忌憚なく、それもあふれんばかりの詩情を込めて語れる人は、それほど多くはいないであろう。
著者は、「大海洋時代の到来」を告げる。だが、それに対する日本人の認識は浅く、かつ薄い。彼は記す。
《中国、韓国、シンガポールなどの世界の海洋国家は、いち早く超大型海運時代に対応したが、わが国はこの十数年間国際的な動きから立ち後れた。阪神・淡路大震災による神戸港半壊という不運も重なった。空港についても同様のことがいえる。
わが国はいま港湾・空港整備の後れを取り戻さなければならない。少し大げさに聞こえるかもしれないが、港湾・空港の整備に日本の将来がかかっているといって過言ではない。わが国が今後のアジアを代表する貿易・海洋国として生きていくことができるか否かが、この一点にかかっていると思う》と。
「港湾・空港の整備に日本の将来がかかっている」という言葉は、冷静に日本の港湾問題を考える者にとって決して大げさではない。むしろ常識とさえ言えよう。著者はそのような常識を代弁する日本の第一人者である。彼は、次のような実感を正直に吐露する。
《数十年に及ぶ港見学の旅を通じてわかったことだが、港はその土地の健康のバロメーターである。港が明るく賑やかな市や町は反映している。逆に港に活気がなく閑散としているところは景気が悪い。港を見ればその土地の健康状態がわかる》と。
「港を見ればその土地の健康状態がわかる」というのは社会的な真理であろう。日本が海運国である以上、大小の港こそ、各地の「入口」である。それはまさに人間の顔色と同じで、血色がよければ元気よく、青ざめて生気がなければ病気が疑われる。また、つちけ色でもしていれば、ガンの疑いさえ考えられよう。著者は、各地の港を見ることで日本全体の健康状態がわかる、まさに「社会」を診る名医であるとさえ言えよう。
そのため、何より「国土の健康維持は政府の責任」なのである。つまり、森田氏によれば、港は巨大な社会資本である。これを整備することは政府の責任なのである。ところが近年、「公共事業無駄論」という“巨大な錯覚”(著者の言)が横行した。つまり、「無駄な公共事業」という言葉が、いつの間にか「すべての公共事業は無駄である」にすり替えられてしまった、と森田氏は語る。この現状に対して、著者は雄々しくこう訴える。
《だが、誤解は解かなければならぬ。偏見は正さなければならない。国民生活にとって必要な社会資本の整備をやめてしまったら、国土の健康が損なわれる。政府が国土の健康を保つための施策をとることを放棄したら、国土は崩壊する。国民を不幸にする。これは政府としての責任放棄である。必要な公共事業はつづけられなければならない。公共事業は国土の健康を維持するための国土に対する医療である。公共事業は国民社会のライフラインそのものである。
重ねていう。公共事業は必要である。とくに日本の未来を拓く社会資本の整備は大切である。日本の未来を拓くためには、日本の貿易・海洋国としての特性を生かすことが必要である。このためにはグローバルな視点に立った港湾・空港の活用が必要である。
私は強く主張する―「海と空と港が人類を救う」》と。
以上が本著の要諦と言える。つまり、その結論の主要な部分と言えよう。著者は、若き日に東京大学工学部で工学を修めた方らしく、最初に結論有りきの演繹法で本著の論理を展開している。この点を心にしっかりと納めた上で、本書の内容を概観したい。
ちなみに、第一章の最後の部分で、著者は経済政策の大転換の必要性を強調する。彼は記す。
《経済政策を大転換しなければ、日本は生きていけない状況になっている。新たな方向は新「修正資本主義」というべきものである。政府の経済への関与を認めたうえで、政府と民間が共生共存する協調的経済政策が、日本に適した経済政策である。戦後の日本は修正資本主義国として生きてきた。いまこそ、この修正資本主義路線を復活し、日本経済再生を実現しなければならない。そのときがきているのである》と。
まさに、「修正資本主義路線の復活」こそが今後の日本の至上命題なのである。
第二章で、著者は三大主要港湾(京浜、名古屋、神戸港)の現状と課題について詳述する。かつて日本の港湾は世界有数の地位を誇っていた。だが、いまや日本の港湾は世界で30位前後にまで落ちたという。著者によれば、海洋国家日本は阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたが、今日まで以前の水準にまで復活しないのは日本経済の停滞に主たる原因がある。さらに言えば、わが国に“日本を海洋国家として生かそうとする国家戦略がなかった”ことに主原因があるのだ。
東京港に深く関わる宮崎祥一東京港湾事務所長の言葉が興味深い。彼は言う。「港湾はたんなるインフラではありません。産業インフラの性格が強いのです。これからの港づくりは岸壁の整備だけでなく、産業立地化する必要があるのです」と。そのような有益な提言を自らの血肉にして、著者は次のように訴える。
《二一世紀は世界大海洋時代である。このなかで日本が世界を代表する貿易・海洋国として生きていくためには、港湾と空港の整備を、国の重点政策として、さらには最重要な国家戦略として行うことが必要であると私は思う。日本は貿易・海洋国として生きていく以外に道はない。これは全国民的に考えるべき国家戦略的な大きな課題である》と。
ちなみに、東京、横浜、川崎三港を一港とみなして「京浜港」と呼ぶ。横浜市西区みなとみらいにある京浜港湾事務所の所長大津光孝氏に対して、森田氏が次のように訊ねた。「京浜港のこれからの課題は何ですか」と。これに対して、大津氏が答える。
《第一はコンテナターミナルの拡張です。いまのコンテナターミナルはすでに手狭になっています。第二に岸壁の水深を深くすることです。水深十五〜十六メートルの深さがないと大型船が入ることはできません。第三は港湾周辺の道路整備です》。
また大津所長は次のように述べた。
《日本がめざすべきは「地域のハブ港の地位」を確保することです。「地域ハブ港」とは、大陸間を結ぶ基幹航路を往来する世界最大級のコンテナ船が相当数寄港する港のことです。日本としては、大海洋時代に移行している世界の流れから後れることなく、現実主義に立って アジアを代表する大海洋国家としての責任を果たしていきたいと思います》と。
この言葉に対して、森田氏は、こう記す。「京浜港は力強い。ここには不況などの経済的困難をはね返す活力があると感じた》と。
また著者によれば、名古屋港は名古屋市、東海市、知多市、弥富市、飛鳥村にまたがる大変奥行きの深い広大な港湾である。港の陸域にあたる臨海地区の面積は、日本一である。扱う貨物量も貿易額もともに日本一。自動車の輸出台数も日本一。広い名古屋港の各所に何千台もの乗用車が並んでいる光景は圧巻だ。トヨタをはじめ製造業の中部地区の面目躍如である。
森田氏は、名古屋港湾事務所長田邊俊郎氏に対して、「名古屋港整備の重点的課題は?」と問う。この問いに対して、田邊所長は次のように答えた。
《三つあります。第一は岸壁の整備です。世界の海運は大きく変化しています。大型化が急速に進んでいます。この世界の流れに対応するためには岸壁整備が必要です。
第二は航路の整備です。第三は臨港道路の建設です。港湾内、港湾と背後地(=後背地)とを結ぶ道路の整備です。これもたいへん大切なことです》と。
これを聞いた著者は次のように記した。「中部地方は、日本の製造業の拠点である。名古屋港には日本の製造業を今日まで支えつづけてきた高いプライドと自信がみなぎっているように私には感じられた」と。港湾関係者に対する著者の多大なる尊敬心が感じられる。
さらに神戸港湾事務所長の田所篤博氏に対して、著者は大交流時代における日本の港湾の課題について尋ねた。これに対して、田所所長は、わが国の主要港とアジアの主要港に寄港する欧・米基幹航路の便数を比較して、わが国の主要港に対してアジアのそれが急激に増加している数字を具体的に挙げて、次のように述べる。
《こうした状況を克服するために、世界トップクラスのコンテナターミナルの整備・運営を目標に、大阪湾、東京湾、伊勢湾の三カ所に集中投資しています。重ねて申し上げますが、わが国の産業の国際競争力を支えるスーパー中枢港湾の機能強化、わが国港湾の国際競争力の強化が最大の課題だといえます》と。
第二章の最後のところで、著者は次のように述べる。《日本の港湾・海運は国際競争力の面で、世界とくにアジア諸国に比べて後れている。日本が海洋・貿易国家として生きていくためには、港湾の大整備に取りかかる必要がある。これこそが日本再生への道である》と。
本論の序とも言える第三章のなかで私が最も心魅かれた言葉は、著者が三宅島から大島への約20分間、海を眺めながら考えたものである。彼はこう記す。
《人類にとっての海の役割の大きさを考えた。海は魚介類の宝庫である。海を人類のためにどう生かすか――これこそ、二一世紀の日本の最大の政治的・経済的・社会的課題ではないかと考えた。海上交通は貿易の主役である。海が平和になれば、海は人類に多大の利益をもたらす。海と陸地との接点が港湾である。港湾が果たす役割はこれからますます大きくなる。港には、人と産業用物資の輸送を中心とする港湾と漁業のための漁港があるが、これは中央省庁の行政上の区別にすぎない。都道府県レベルでは、港湾と漁港はほぼ一体である》と。
この視点に立って、著者は本著を展開していると思う。論には経験が伴う。本章で森田氏は、生前のお母様が「実(著者)が二歳の頃にお父さんと大島に行ったことがあった」と語られたことを披瀝している。それゆえ、この言葉が彼の脳裡に焼き付いていて、彼は「大島に行きたい。行かねばならぬ」と、長年思いつづけていたという。その彼の積年の夢、あるいは熱き思いが今春、叶ったのである。
また、三宅島も一度は行かなければならないと思いつづけていたという。同島は浅沼稲次郎氏(元社会党委員長)のふるさとである。森田氏は1956年の砂川闘争の際、浅沼氏がわざわざ彼を激励に来てくれたことを忘れないと記す。浅沼氏の人間的な大きさと強さから、森田氏は多くのことを学んだという。三宅島出身の多くの友人もいたようだ。
大島ならびに三宅島で彼が実感したのは、「港は島民のライフライン」というものである。著者は、大島の藤井静男町長に藤井町政のポイントについて質問した。同町政は三期目で、島民から信頼されているようだ。
「第一期に取り組んだのは医療です。このままでは大島の医療は危ないと考えました。島民が安心して生活するためにはまず医療不安を解消しなければならないと考え、新しい方式の病院をつくりました。政府や東京都とも何度も交渉して、大島方式の病院をつくりました。二期目に取り組んだのが若者の定着です。若者がこの大島に定着できるように、若者への補助政策を行いました。町政を行っていて一番つらいのは人口が減少することです。これをなんとしても止めたい。そのために若者が大島に定着できるように努力をしてきました。三期目の課題は観光の振興と財政再建です。農業・漁業と観光とをリンクさせていきたいと考えています」と。
著者は尊敬と愛情を込めて語る。《藤井町長ははっきりしたビジョンをもって仕事をされている。大島は輝いている。藤井町長は観光振興のカギとなる港湾の整備に熱心に取り組んでいる》と。
また森田氏は、波浮の港に対して独特の思い入れを持つ。「波浮の港には歴史がある。文化がある。人々の心を惹きつける“何か”がある」と。その著者が藤井町長から次のように言われた。「波浮の港に行ったら、港の上の龍王岬へ行ってください。幕末にロシアと戦うために造った石の鉄砲場跡があります」と。
江戸の寛政年間、ロシアの船が北海道に出没し始め、大島の島民にも海辺防備の任務が課されたという。島民は射撃の指導も受け、まさに義勇兵の姿であったという。これは、正直、一度、大島を訪ねたことのある私にとっても初耳でまさに驚くべき事実だった。
本章の最後にある「島の港こそが港の原点である。島の生活は港によって支えられているのである」という言葉は、まさに真実そのものである。また、著者の港に対する無上の愛情なしには言えない言葉だと思うのだ。