2008.10.20
現代政治家論[3]

現代日本政治の“良心”――真心の政治家・亀井久興論[上]



◆はじめに――亀井久興氏の当選を心から祈念したい
 衆議院選挙が間近い。自公政権と民主党を中心とした野党勢力との全面対決の選挙戦となる。麻生首相も小沢代表もともに今回の選挙を自らの政治生命を賭けた最終決戦だと位置づけている。だが、この思いは両首脳だけでなく、すべての衆議院議員についても言えよう。全議員が現在、まさに臨戦態勢にあると思うのだ。  そんな議員のなかで、私にはこの方には決して落選してほしくないと思う人が一人いる。それは誰かと言えば、国民新党の幹事長・亀井久興氏(68)である。亀井氏こそはまさに「現代日本政治の“良心”」と言える政治家ではあるまいか。すでに、森田実先生もそのような表現をなさっている。私も、まったく同感だ。  先日の中山前国交相を待つまでもなく、政治家のなかにはいたずらに放言や暴言を弄する人物が多い。概して彼らの感覚は国民生活から遊離し、勢い世間の人々の痛みのわからない傲慢な政治家が数多く見られる。とくに現代日本の政治は、2世・3世議員が幅を利かしている。彼らは、親や先祖の地盤、看板、カバンの力で政治家の地位を築いた人がほとんどで、この国内の厳しい経済状況を自らの肌身で感じることはできない。  そんな2世・3世議員のなかでも、亀井久興氏は少し毛色が違うように思う。彼の母方の祖父・有馬頼寧(よりやす)氏は農林大臣を務めた人物だったが、分家筋の亀井貫一郎氏は戦前の社会大衆党のリーダーだった。つまり名家のわりには、民衆の立場に共感できる家庭環境に育ったのではないかと想像できる。事実、彼は少年時代から政治に志した。
 1997年、国土庁長官だった頃の亀井久興氏の座右の銘は、最澄(伝教大師)の言葉、「道心に食あり、食に道心なし」という言葉だった。これは、「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし」という言葉でもある。
 その道の専門家によれば、「道心」とは、仏の教えを本気で求めて、菩薩になろう、人々のためになろうという気持ちである。そういう気持ちがあれば、人間の生活はどうにかなるものである。しかし反対に、人が衣食や物のために働いても仏心や菩提心を得ることはできない、というものである。私は、この言葉を愛した亀井氏の心の深さや生き方の真摯さを感じずにはいられない。
 だが最近の彼の座右の銘は、実は「行不由径(ゆきてこみちによらず)」である。これは『論語』のなかの言葉で、その意味は「物事を成すのに、近道を求めたり、小細工を弄することなく、正々堂々と真正面から取り組んでいく」というものである(Wikipedia 参照)。
 私は、彼のこの“座右の銘の変化”のなかに彼の生き方の重点がより実践的、かつ政治的になっているのを強く感じる。
 まさに今日、「人生、正々堂々」というのが亀井氏の真面目だと思う。ちなみに彼の尊敬する人物は勝海舟と松下幸之助である。その理由は、彼らのもつ「卓越した先見力」だという。だが、亀井氏自身がこの“卓越した先見力”を保持しているのではあるまいか。
 福田前総理も勝海舟のファンだったが、亀井氏の場合は、勝海舟や松下幸之助の精神を福田氏よりはるかに自らの政治信条の模範とし、かつ血肉にしているように思うのだ。
 だが何よりも亀井氏を亀井氏たらしめている美徳は、彼の徳の高さや“潔癖さ”、それに無類の“誠実さ”にあると思う。同氏は“凛として生きる”姿を実践している。これは、彼が敬愛する松下幸之助氏が常日頃力説したものだ。今日、“凛として生きる”日本人はかなり少なくなってきている。つまり、人間としての品性や品格の欠如が一般的である。そんななか、亀井氏には高貴な品性や品格が感じられる。それも決して彼の氏・素性の良さによるものだけではなく、むしろ一人の人間としての人格そのものにもとづくと思うのだ。
 また、亀井氏の言葉には無駄がなく、実に的確だ。たいへん説得力があり、とてもバランスのとれた政治感覚を維持している。彼は国内・国際の政治経済に通じ、今日の日本の窮状を心底憂えている。とりわけ「郵政民営化反対」で見られたように、彼こそは真の愛国者だと思う。
 テレビなどで、亀井氏が語る言葉を耳にするとき、私はホッとするような安心感と彼の豊かな説得力を感じずにはいられない。“まったく同感だ”という思いがつねに心のなかに充満するのは、果たして私だけだろうか? 正直、私は、決してそうは思わない。
 たとえば既述した小泉純一郎氏の電撃的な引退声明に関しても、「自民党を壊すと言われたけれど、日本を壊してしまった」とか「(小泉氏が)自分が正しいと言うんだったら、(議員を)続けるべきなんじゃないですか」との寸言はまことに真実を穿っている。
 また、先日の麻生首相による所信表明(?)演説に関しても、亀井氏は「まるで総選挙の際の選挙演説のようでした」とあっさりと斬って捨てた。これ、多くの国民が共感する思いであろう。たしかに、麻生氏の所信演説には一国の首相としての風格や高い見識は感じられなかった。あまりにも挑戦的過ぎて、嫌味でさえあった。自意識過剰の上、明らかな世間知らずで、彼も安倍氏同様、“空気の読めない”人物だという感を深くした。
 その点、亀井氏は決して極端に走らず、またいたずらに作為を弄せず、すべてを真正面から見て、大所高所から冷静に判断した上で行動する。さらに同氏は、一般の政治家に見られる放言や暴言だけでなく、虚言、失言、妄言といった過誤からもまったく無縁である。事実、彼はつねに身を修め、その姿には一分の隙(すき)も見られない。
 その人間的な“深み”や精神的な“深遠さ”は、彼の生来の謙虚さや高徳な人格にもとづくものだろう。だが同時に、日々の精神的修練によって果たされているようにも感じる。つまり彼は、何よりも“努力・精進の人”だと思うのだ。私は、彼のような卓越した政治家と生きる時代を同じくできたことを、心底、幸せなことだと感じる。
 世人は、彼をどう感じるかは知らない。だが私は、亀井久興氏こそは日本国の「宝」だと思う。なぜなら彼は、虚偽やいい加減さ、それに単なる利権争いに堕しつつある今日の日本政治のなかで唯一人、まさに「現代日本政治の“良心”」とも呼べる卓越した政治家だと思えるからだ。彼の無心・無欲・無私の精神と、その誠実かつ真摯な政治行動を、より多くの人々が知るべきではないだろうか。そのため、私は彼の当選を心から祈念しつつ、彼についてのささやかな私論を展開したいと思うのだ。

◆亀井久興氏と勝海舟
 亀井氏が勝海舟を尊敬する理由が「卓越した先見力」にあることは、先述したとおりだ。だが私には、単にそれだけでなく、むしろ勝海舟の無私・無欲な生き方や、幕末から明治維新への政治変動を極力平和裡に導いたその卓抜な“政治力”にあったように思うのだ。
 1899(明治32)年、77歳で瞑目した海舟は、法名を「大観居士」といった。同年、『救済新報』に掲載された松村介石の弔文「勝先生を懐(おも)う」には、次のようにある。
《先生の法名を大観居士という。真に当れり。先生は己れを忘れ、天心無私の至誠をもって国家百年の計を立てしなり。能(よ)く大道を達観する人にあらざるよりは、いずくんぞかくのごとくなるを得んや》と。(巌本善治編『海舟座談』、ワイド版岩波文庫)
 この“天心無私の至誠”という言葉こそが海舟の本質を最もよく表現しているように思う。だがこれは、亀井氏の生き方でもあると思うのだ。そんななかで、両者の共通する政治手法は、「反対者を論より事実(証拠)で説得する」あり方にあるように思うのだ。
 童門冬二氏の書『勝海舟の人生訓』(PHP文庫)に、「反対者は論より事実で説得する」という興味深い文章がある。それは、次のようなものだ。
 《列強の脅迫で、日本国内が攘夷と開国の真っ二つに割れ、特に攘夷派の活動が活発で、開国派は次々と暗殺された時期がある。勝海舟はもちろん開国派である。だから攘夷派にねらわれていた。が、勝はこの攘夷派と接触する時に、議論をしなかった。「議論をしても無駄だ」と思っていたからである。
 しかし、彼は逃げたのではない。むしろ、「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」ということわざをそのまま実践した。つまり、攘夷派の核にとびこんだ。というのは、攘夷派の総帥的立場にあった公家の姉小路公知(きんとも)に、「いかがですか? 私の船に乗って大阪湾をごらんになりませんか」と誘った。
 公家は京都から一歩も出たことがない。だから、天皇を始め公家達は海を知らなかった。したがって、海を越えてやって来る外国人は、すべて野蛮人だと思っていた。赤鬼のような恐ろしい顔をしていると信じていた。この迷妄をまず、さまさなければならない。それには、現物を見せるにしくはない、と考えたのだ。
 公知はこれに応じた。是非見たいと言った。立場は違っても、勝の名声を聞いていたからである。また勝が単なる開国論者でなく、国防のために海軍力を増強すべきだ、という論を唱えていることを知っていた。外国に屈服する人間ではないと見ていたのだ。そこで、公知は大阪にやって来た。この時、京都内にいた桂小五郎他の攘夷派の志士が、全部いっしょにくっついて来た。場合によっては、勝を斬ろうという腹である。
 勝は、これらの攘夷派をぐるみで船に乗せた。そして、大阪湾内を見せながら、「どうです? こんな情況で、外国から日本を守りきれるとお思いですか? 今こそ、日本の海防を貫くために、一大海軍を起こさなければなりません。もちろん、日本各所に砲台を築くべきでしょうな、それ以上に、海軍を起こすことが緊急の要務です」と説いた。
 初めのうちは、ぶつくさ言っていた攘夷派も、勝に現実を見せられ、また初めて海を見た者もいるので、さすがに京都という小さな町でわめいていた攘夷派が、広大な海に面しては一粒の水滴でしかないことを知った。姉小路は、勝の論に賛成した。「我々も、ちょっと考え違いをしていたようだ。たしかに、日本の総力をあげて、海軍を起こさなければだめだ」と言った。桂小五郎以下も、姉小路に賛同した。一時は命さえ狙われていた勝が、自分の得意とする船に反対派を乗せて、論議するよりも一つの事実を見せて、見事に彼らを説得してしまったのである。彼は、日記の中に、「大抵同意の旨なり」と書いている。
 こうして海舟は、反対派の説得に成功したが、しかし、肝心な姉小路公知は、まもなく攘夷派によって殺されてしまった。姉小路が、こんどは攘夷派の志士たちを次々と勝の「論より事実」という方法によって、洗脳していくことを恐れたのである》と。
 今、NHKの大河ドラマ「篤姫」が好評だ。その中でも、北大路欣也扮する勝海舟が出色だ。すでにアメリカをはじめ世界のことに精通した勝海舟の思想と行動が、幕末の日本を植民地化されない形で開国していく姿がしのばれる。
 この「論より事実(=証拠)」というやり方で反対者を説得しようというやり方は、亀井氏の政治手法でもあると思う。彼は政治家としては、どちらかと言えば学者、研究者タイプである。しかし、決して書斎に閉じこもるタイプではなく、むしろ行動的で世界各地を踏破している。無論、英語を主に現地の言葉で世界の著名人と対等に渡り合える見識と胆力を兼ね備えている。“現代の勝海舟”といっても決して過言ではないだろう。
 同氏は、物事を冷静・沈着に捉え、すべてを多角的に検討できる知力と判断力がある。また勝海舟同様、「情報」を重んじ、その客観的な視点で是々非々を論ずるタイプである。
 彼は、1974年7月の第10回参議院選挙に自民党公認で初当選した。亀井氏は、「一見地味なタイプで大人しそうに見えるが、信念を曲げずに頑固に筋を通す芯の強さがあり、温和な性格のなかに強い信念と情熱を併せ持った政治家」だと言われる。
 たとえば、1976(昭和51)年、政界がロッキード事件という大激震に見舞われ、自民党が大混乱に陥っているなかで、彼は中山太郎氏(当時、参議院議員)ら同党の有志とともに自民党の“再生運動”に取り組んだ。とくに全党員参加による総裁選挙の実現をはかるため、党三役に党則の改正を求めた。その結果、今日の全国的規模での総裁公選が実施されている。
 また大平内閣の郵政政務次官に就任した1978年には、全逓が勝負をかけた大闘争の最中で、翌年の正月には年賀郵便が配達されない異常事態となった。だが、彼は白浜仁吉郵政大臣を補佐して郵政事業を守り抜き、今日の健全な労使関係を築くきっかけをつくった。
 その後、国土庁長官、自民党国会対策委員会副委員長、総務会副会長、政調会の会長代理などの要職を歴任したが、亀井氏は、2005年7月5日の郵政国会では郵政民営化法案に反対票を投じた。そして同年8月、綿貫民輔氏らと国民新党を結成し、同党幹事長を務め、今日に至っている(亀井久興氏のホームページ「プロフィール」参照)。
 この一貫した同氏の思想と行動も、勝海舟同様に、“天心無私の至誠”に貫かれたものだ。また、「論より事実」と自らの実践を通して果たしてきた立派な政治行動だったと思うのだ。

◆現実の総理と「理想」の総理
 9月24日(水)、麻生太郎氏(68)が第92代の内閣総理大臣に就任した。今日、日本の総理大臣の椅子もずいぶん軽くなったと感じる。麻生氏のように軽薄な人物でも総理になれる日本国そのものが何と軽くなったのか、と感じるのは果たして私だけだろうか。
 首相公選制とはいかないまでも、国民一人ひとりにもし日本の首相を選べる権利があるならば、私個人は亀井久興氏(国民新党幹事長)を推薦したい。私は彼こそ、日本の総理に最も相応しい人物だと思うのだ。その意味では、麻生氏と亀井氏は、私にとって「現実の総理と『理想』の総理」だと言える。
 両者はまた、私の母校(学習院大学政治学科)の大先輩でもある。亀井氏が麻生氏より一歳年長で両者とも、学習院初等科(麻生氏は3年生の時に編入)、中等科、高等科、大学へと進んだ。麻生氏が大久保利通の子孫であるならば、亀井氏は岩倉具視の子孫である。両者が協力し合えば、新しい「平成維新」が起こるのかもしれない。だが目下、両者は明らかな対抗関係にある。私は、政治の現実的な権力は今日、麻生氏が握っているのかもしれないが、そのあるべき“理想”は亀井氏が把握しているように思うのだ。
 政治指導者は、つねに言行が一致し、何より発する言葉の“支配者”でなければならない。不用意に暴言を弄し、無闇に人を傷つけるような人物は人の上に立つ資格はない。その意味では、麻生氏は総理としては不適格だと思う。その点、亀井氏は、「〜でございます」を多用する癖こそあれ、まさに理想的な言葉の“支配者”である。同氏は、1974年4月に参議院議員に初当選した。対する麻生氏は、1979年10月に衆議院議員に初当選した。
 この初出馬の際、39歳の麻生太郎氏が彼の初演説を聞きに集った聴衆に、開口一番、重い口調で叫んだ。「下々の皆さん!」と。彼が常日頃、そう思っていたからだろうし、また常々そう言われて育っていたからこそ、思わず出た言葉であろう。正直と言えば正直だが、彼の傲慢さに根ざすあの軽薄さは、政界デビューの第一声から始まっていたのだ。
 また昨年7月には、富山県高岡市内での講演で彼はこう言った。「(国内外の米価を比較するたとえとして)7万8000円と1万6000円はどちらが高いか、アルツハイマーの人でもわかる」と。近親者にそういう人がいれば、果たしてそんなことが言えただろうか。
 今年の9月にも、名古屋駅前での自民党総裁選挙候補としての街頭演説の際、こう語った。「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたらこの辺洪水よ」と。愛知県内で3名の人が亡くなっていたのにである。
 また、今年8月、江田五月参議院議長と会談した際、民主党を批判した上で「ナチス・ドイツも『一回(政権運営を)やらせろ』と言って、ああなったこともある」と、民主党をナチスにたとえた。漫画好きという個人的な趣味は構わない。だが、民主党をナチスにたとえる歴史認識に、政治家としての見識を疑う。麻生氏は小泉氏同様、自意識過剰でもある。
 吉田茂によって「自民党時代」が築かれたが、それを孫の麻生氏が幕を下ろすというのも、日本の天命というものだろうか。彼を単なる現実の総理に過ぎないと思う所以である。

◆亀井氏による麻生首相への鋭い質問
 10月2日(木)午後3時52分、亀井久興氏は衆議院本会議での代表質問で、麻生首相に対して非常に鋭い質問をした。その質問の要旨は次の4点である。
 一、郵政解散は憲政史上に残る暴挙だった。議会制民主主義や二院制の観点から、郵政解散の正当性について見解を求める。
 一,郵政民営化で国民の資産が投機マネー化し、危険にさらされることをどう考えるか。民営化で何が良くなったのか。
 一、首相は小泉内閣の総務相として地方への補助金を大幅削減した。公共投資は無駄と考えるか。地方を疲弊された責任をどう自己評価し、反省するか。
 一、構造改革の検証は急務。首相は構造改革の何を継承し、この国をどこに導こうとしているのか。(「時事ドットコム」参照)
 これに対する麻生首相の答弁は次のようなものだった。
《亀井議員の質問にお答えをさせて頂きます。まず、3年前のいわゆる「郵政解散の正当性」についてお訊ねがありました。小泉総理は、「郵政民営化法案」が参議院で否決されたときに衆議院を解散しておられます。法案を可決した衆議院を解散したことについては様ざまな議論があったことは承知をいたしております。この政治的適宜につきましては、議論が分かれるとしても、法律的には憲法に基づく総理大臣としての権限を行使されたものと考えております。
 次に、小泉元総理大臣の「民営化路線」を支持したのではないか、とのご指摘がありました。私は当時、小泉内閣の一員でありました。私の考えを小泉総理に申し上げつつ、最終的には「郵政民営化」の閣議決定に参加をいたしております。
 民営化により、資産が投機マネー化し、危機にさらされる懸念についてのお尋ねがありました。「郵政民営化」は、資金の流れを官から民へ転換し、資金のより自由な運用を通じた経済の活性化を期待しているものであります。その運用について適切に行われるべきものと考えております。
 郵政民営化で何が良くなったのか、というお尋ねがありました。郵政民営化は、多様で良質なサービスの提供を通じた国民の利便の向上、資金のより自由な運用を通じた経済の活性化を図るなど、わが国の経済や国民生活の広範な分野に関わり、様ざまな改革につながるものであります。この理念に沿い、現在、民営化各社は、新たなサービスを展開してきているなど、民営化のメリットが発揮されるよう努力をしてきているものと承知をしております。民営化後の状況につきましては、充分に検証し、必要な対応は、とって参りたいと思っております。
 基礎的財政収支について、お訊ねがありました。わが国は巨額な借金を抱えておりますのはご存知の通りです。経済や社会保障に悪い影響を与えないため、財政再建は当然の課題であります。内閣としては、日本経済の持続的で安定した繁栄を図ることを基本線として踏み外さず、2011年度までに、国・地方の基礎的財政収支を黒字化する目標を達成する努力をして参ります。
 経済財政諮問会議の民間委員を一新すべきではないか、とのお尋ねがありました。経済財政諮問会議の民間委員は、その知見により総理大臣のリーダーシップを支える、いわば総理大臣のブレーンとしての役割を担って頂いております。人選については検討します。
 総務大臣時代の施策についてのお訊ねがありました。私は総務大臣として、地方分権を進めるため、「三位一体改革」に取り組んでおります。そして、補助金の削減、3兆円の地方税への財源移譲、地方交付税の見直しを実行することができました。一方、日本経済の悪化と国・地方を通じた財政状況の厳しさから、公共投資総額や地方税財源が減少し、地方が厳しい状況にあることは、よく承知をしております。今後、地域の再生に必要な公共投資も含め、所与の税財源を確保し、地域の景気回復に取り組んで参ります。
 景気対策についてのお尋ねがありました。わが国の経済は、バブル経済崩壊後の長い低迷から脱却し、持続的な景気回復を続けてきましたが、現在は、景気後退の上、米国発の金融不安が起こるなど、厳しい局面に立たされているものと認識をいたしております。こうした著しい変化を受けて、当面は景気対策、中期的には財政再建、中・長期的には、改革による経済成長という三段階で臨みます。当面は、政府・与党がとりまとめました緊急総合対策を着実に実行していくのが最も重要であり、そのため、まずは補正予算案を早期に成立させることが必要であると考えております。
 わが国の国力の低下についての問い合わせがありました。ご指摘の発言は、当時の経済財政担当大臣だった頃の経済演説に関してかと承知いたしております。私は、日本と日本人の底力に一点の疑問も抱いたことはありません。経済の面において、変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑ったことはありません。こうした認識の下、日本経済を立て直さなければならない。先ほど申しましたように、当面は景気対策、中期的には財政再建、中・長期的には、改革による経済成長という三段階で臨まなければならないと思っております。
 最後に構造改革についてのお訊ねが出ておりました。日本の活力を取り戻すためには、時代に適応しなくなった旧来の日本型システムを改造・改革しなければならないことは、皆さんが認めておられることだと存じます。
 小泉総理は、この構造改革に取り組まれ、一定の成果を上げられたことは評価されてしかるべきものであります。しかしながら、一方で、改革に伴うひずみが出てきており、また新しい課題が出てきております。私は、改革という基本路線は堅持しつつ、ひずみへの手当てと新しい課題への解決に取り組んで参ります。
 私が目指すのは、「強くて明るい日本」であります。社会に活力があり、国民が暮らしに安心できる日本を創り上げたいと考えております。亀井議員始め議員各位皆様のご支援を御願い申しあげます。》(拍手)
 この答弁は周到な官僚の作文で、何ら亀井議員の質問に答えない「死語」だったように思うのだ。(この項つづく)