小泉自民党の「公明党・創価学会票依存」による変質
――利益政党から宗教政党的政治組織への転換
自民党の政党としての体質が変わろうとしている。利益政党から宗教政党への変質である。
自民党の長期政権を支えつづけてきたのは中央官庁のキャリア官僚群である。自民党の本質は官僚制党なのである。最近は二世議員、三世
議員が増えたが、ある時期までは自民党政治家の最大の供給源は官庁だった。
人材とともにもう一つ、政党にとって大切なのが政策である。自民党は全面的に中央官庁依存である。中央官庁は自民党にとって巨大なる
シンクタンクでもある。中央官僚が自民党の政策を決めている。自民党は盛んに地方分権を叫ぶが、これは口先だけ。本質的に中央官庁の利
益の代弁者が地方分権を推進するはずがない。
なかでも小泉政権は中央官僚依存度の高い政権である。地方分権は言葉だけである。マスコミは小泉首相の大袈裟な言葉に惑わされてい
る。小泉首相が繰り返す「地方でできることは地方へ、中央から地方へ」「民でできることは民へ、官から民へ」の大嘘を、マスコミが大宣
伝し、国民を惑わせ誤らせているのである。
だが、選挙となると、中央官庁の力だけでは十分でない。高度成長期に自民党議員の選挙を支えた最大勢力は農業団体(中心は農協)だっ
た。1970年代の石油危機後は、土木建築業者(いわゆるゼネコン)に代わった。しかし「失われた10年」を通じて選挙地盤としてのゼネコン
の力は落ちた。自民党は独力では政権を維持する力を失った。そこで始めたのが他党の取り込みである。
第一段階が1994年の村山社会党政権樹立だった。ここで社会党を取り込んだ。同時に社会党の支持基盤だった労働組合の大部分を味方か中
立化することに成功した。これによって労働組合は反政府の意思を失った。労働組合は骨抜きにされてしまった。
第二段階がマスコミ懐柔。橋本内閣、小渕内閣を通じてマスコミは与党に接近した。森内閣はマスコミに不人気だったとはいえ、マスコミ
中枢部の政権接近は深まった。そして小泉政権の登場とともに、マスコミは事実上、政府広報機関と化してしまった。
第三段階が公明党・創価学会との連携だ。第一歩をつくったのは小渕内閣だった。小渕首相がつくった自民・自由・公明3党の「自自公連
立」が自民党と創価学会の政権連合の第一歩となった。自民党の創価学会依存は、森内閣を通じてさらに深いものとなった。
小泉内閣が登場した時、小泉首相はあたかも公明党嫌いのごとく振る舞った。しかし水面下では、自公連携は深まった。とくに選挙協力の
面が進んだ。自民党は創価学会票なしには選挙に勝てなくなった。
小泉首相と創価学会との関係が過去の政権よりも密接な関係にあることが明らかになったのは、昨年(2002年)11月の公明党大会における
小泉首相の挨拶だった。小泉首相は池田大作創価学会名誉会長の名を三回あげて礼賛した(と新聞は伝えた)。
じつは小泉首相と公明党・創価学会の一体化の噂は、政界内部では、昨年9月の小泉首相の電撃的な訪朝の頃から流布されていた。小泉首
相訪朝の裏側で動いた人脈の中に創価学会の重要人物がいるとの噂が流れた。このことは、その後、一部の情報誌にも書かれた。
小泉首相は構造改革の美名のもとに公共事業を削減し、ゼネコンを追い詰めた。ゼネコンは危機に陥り、自民党の最強力な選挙マシーンと
しての力を失った。この選挙地盤の空白を、強大な創価学会票が埋めることになった。小泉自民党は本質的には「自公党」または「自民学会
党」なのである。
自民党にとって単独政権を復活させる道は、2004年夏の衆参同日選挙以外にないことは大多数の自民党員が感じている。だが小泉首相と山
崎幹事長は衆参同日選よりも2003年秋の衆院単独選挙の道を選ぼうとしているように見える。小泉首相には単独政権を復活させる意思がない
ように感じられる。小泉首相は創価学会票にすがって政権を維持する道をとろうとしている。小泉自民党は、創価学会の首にぶら下がって政
権党の地位にしがみつこうとしているのだ。
19世紀末ロシアの文豪ドストエフスキーの言葉に、小泉自民党にふさわしいものがある――「あらゆる堕落のなかで最も軽蔑すべきもの
は、他人の首にぶらさがることである」。
自民党は創価学会に全面的に依存することによって、宗教政党的性格を強めていくことになる。自民党が言論の自由や思想・信教の自由に
制約を加えるような反民主主義政党に変質するおそれが強まってきた。