2010.2.8(その4)

森田実の言わねばならぬ【117】

平和・自立・調和の日本をつくるために[117]

《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(25)]総選挙勝利後の民主党の失敗〈その4〉鳩山首相の理念なき幼稚外交

「紫の朱を盗むを悪む」(孔子)



 中間色の紫は原色の朱に似ているが非なる色である。紫が朱色に代わって世に出しゃばるのは困る。

 鳩山内閣は一見「脱アメリカ」「向アジア」の方向へ向かって動き出したかのように見える。ここに鳩山人気の一因がある。日本国民の心の深層には「反米」感情がある。しかし、鳩山内閣の脱アメリカがホンモノか否か、今のところ曖昧である。鳩山外交は曖昧外交である。

 「脱アメリカ」「向アジア」というのは多くの国民が期待していることである。「脱アメリカ」は民主党はやってくれると多くの人々が願っていたことでもある。しかし、アメリカは日本の「脱アメリカ」化を止めるため先手をとって日本に揺さぶりをかけてきている。アメリカの圧力に押されて、鳩山内閣の脱アメリカの方向はぐらついており、実行でなく言葉だけになってしまっている。鳩山内閣には脱アメリカはもはや期待できなくなったと考えざるをえない。鳩山首相は脱アメリカ、向アジア・中国をめざしているように見えるが、外交は首相の言葉だけで進むものではない。話の進め方、外交面の交渉力、もう一つ、首相の外交における信用が大切である。だが鳩山首相は信用がなく、十分な成果を上げることができない。一因は外務省をうまく使いこなすことができていないところにもある。鳩山内閣は外交に関しても拙速な脱官僚を実行したため、外務官僚をうまく使うことができなかった。このため外交に素人の政治家がヘタな外交をやったため躓いてしまった。

 歴史をみると革命後に外交に失敗した例は少なくない。1917年のロシア革命後、革命政府の外交の責任者になったトロツキーはヨーロッパ諸国に対して外交儀礼に反する言動をしたことがあった。外交の場はしらけた。革命家的な荒っぽいやり方は政権交代をしたときには時々行われる。鳩山首相は外交の場において、異常にハッスルしたが、幼稚さが目立っただけだった。

 鳩山氏の場合はとくにやり方が拙劣だった。例えば、訪米の際に、会談に遅れ、相手の首脳を待たせるというようなことは非礼であり、首脳外交においてはほとんど例がないことだった。来日した首脳を待たせたこともあった。このようなことは決してしてはならない失敗である。2009年12月のコペンハーゲンにおけるクリントン米国務長官との会談のあとの発表の過ちも、異例だった。過ちがひどすぎた。相手国の首脳に対する非礼は罪が大きい。

 外交は礼儀の世界である。外交は礼儀と相手に対する賞讃の言葉を繰り返しながら自国の国益を主張していくような独特の交渉の世界である。相手を警戒させる反発を受けるようなことは外交としては最悪である。

 たしかにアメリカの力は急速に衰えてきている。だが、依然として政治力、軍事力、経済力、文化力をもつ唯一の超大国である。政権が変わったからといって、ブッシュ政権のときにべったりだった日本が、掌を返すような非礼な態度をとればアメリカに無用の抵抗感、警戒感を抱かせることになるおそれなしとしないのである。日本政府としては米国政府に抵抗感、警戒感を持たせないように、交渉し、日本の国益を冒さないようにするのが、有効な外交である。鳩山外交はこの点が欠けている。

 国内政治でも同じことが言えると思う。自民党が政権与党から落ちたら今まで自民党にぶら下がって生きてきた経済界や諸々の圧力団体の中から「自民党よ、さようなら」というドライない動きが起こっている。まさに人情紙よりも薄い世の中である。こういうとき見離される側の自民党の政治家は冷静に受け止めているように見るが、内心は穏やかではないと思う。あまりに露骨な掌を返すようなドライな対応は、時には恨みやジェラシーを呼び起こすことになるおそれがある。礼節は大切である。非礼をしないように気をつけなければいけないのである。鳩山内閣にはこの種の幼稚さが目立つ。

 この幼稚さが日米関係を乱している。幼稚さと拙劣さが原因で外交関係が乱れると、日本の外交上の立場は弱くなる。

 日本が従来の米国政府との関係を修正して自立するということは非常に大変な仕事である。外交関係の修正は丁寧に粘り強く慎重に行うべきことである。少なくとも国内の世論をまとめなければいけない。しかし、その第一歩において鳩山首相は失敗した。(つづく)