2010.2.4(その5)
森田実の言わねばならぬ【102】
平和・自立・調和の日本をつくるために[102]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(21)]小沢・鳩山政権の本質〈その8〉「陰の権力者」として政治権力を操る
「高慢には必ず墜落がある」(シェークスピア)
小沢が冷酷で傲慢な権力者になったのは、1991年初めの総選挙を自民党幹事長として指揮して勝ったときからだと言われている。何人かの元側近が、小沢の変質の時期を1989年の幹事長就任と1991年の総選挙の勝利の時からだと語っている。このときから小沢は誰よりも偉くなり、政治家をも見下すようになったようである。
2009年8月30日の総選挙の勝利によって、小沢は日本の独裁者となった。カネと権力闘争しか念頭になく、気に入らないものは排除するという小沢に民主党全体がひれ伏しているのがいまの状況である。敵らしい敵もいなくなった小沢が、政治権力を握った。これによって小沢の意図と気分にもとづいて政治が行われることになる。こういう時代になったその頂点において、小沢の個人事務所の不動産購入にからむ政治資金規正法違反容疑事件が起きた。小沢は、絶頂から墜落し始めた。
小沢一郎のことを「日本の国王」と言う評論家がいるという。最近の小沢の天皇に関する発言から、「小沢は自らが日本の大統領と同じだと思っているのではないか」という見方もある。「小沢は」日本史上でも特筆すべき、道鏡にも勝る陰の権力者になったと言う者もいる。道鏡は天皇になろうとした。しかし、小沢事務所の三人の元会計責任者の逮捕を機に国王・小沢の地位は揺らぎ始めた。
なお、「道鏡」は次のような人物である(『日本史広辞典』山川出版社より)。
《[道鏡] ?〜772.4.7 奈良時代の僧。河内国若江郡弓削郷の人。俗姓弓削氏。義淵(ぎえん)に師事し法相を学び、梵文にも通じた。禅行を認められて内道場に入り、禅師となる。762年(天平宝字六)孝謙上皇の看病に功があったとして寵を得、764年大臣禅師、765年太政大臣禅師となる。同年から西大寺造営に着手し、、僧尼身分を証明する度牒(どちょう)にもっぱら道鏡印を用いた。翌年隅寺(海竜王寺)からの舎利出現を機に法王となり、身分は天皇に準じた。769年(神護景雲三)法王宮職印を使用し、宇佐八幡の神託を利用して皇位をうかがったが、和気清麻呂らに阻止された。翌年称?天皇の没後、造下野薬師寺別当に左遷され、同地で没した。》
2009年8月30日の総選挙の結果は、史上最大の闇将軍である道鏡に匹敵するといわれるほどの大闇将軍・小沢一郎を生み出した。しかし、絶頂期は長くつづかない。小沢一郎の操り人形的な鳩山由紀夫内閣をつくって4カ月後、小沢の地位は揺らぎ始めた。
民主党議員は小沢問題が起きた当初は、小沢一郎を守るために団結したが、それによって、民主党は小沢一郎とともに多くの国民に敵対する存在となった。2010年1月中旬以後、小沢一郎・民主党と検察当局との妥協なき闘争が始まったが、小沢の勢いは衰え始めていた。(つづく)
田中角栄は小沢一郎を非常に可愛がったそうである。田中の側近から聞いたことがある。昭和17年生まれの息子が夭逝していることから、同じ年に生まれた小沢と息子が重なって見えていたのかもしれない、と言われている。そのことで、田中は小沢を別格扱いした。若い頃から小沢は田中派の中で殿様扱いをされた。