2010.2.1(その3)
森田実の言わねばならぬ【89】
平和・自立・調和の日本をつくるために[89]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(18)]小沢・鳩山政権の本質〈その5〉田中角栄の魅力は温かい人間味にあった/だが小沢はわがままで利己的な計算高い政治家である
「自由と我儘との界は、他人の妨を為すと為さざるとの間にあり」(福沢諭吉)
田中は底抜けに明るく、人も良かったし、人を傷づけるような悪口は絶対に言わなかった。多くの政治家や関係者が「オヤジ」と言って慕ったのも、その人間性ゆえである。中曽根首相の首席秘書官をしていた故・上和田義彦氏は「(人の心をつかむ点では)オヤジ(中曽根)は角さんにはかなわなかった。角さんは人の心をつかむ名人だった」と、私に言ったことがある。同感である。
1976年12月のロッキード選挙で、田中角栄は何十年ぶりに選挙区に戻り選挙運動に専念した。ロッキード選挙が行われた12月の越後は雪の中だった。
田中の選挙区では選挙区の郡ごとに運動組織があった。郡ごとに後援会があり、郡と郡との境の峠で運動の引き継ぎが行われる。峠で運動主体がバトンタッチするとき、角栄は200〜300メートル離れた峠の前で車を降り、走り出す。峠で待っている支持者の側から見ると、真っ白な雪の中をダークスーツの男が湯気を上げながら走ってくるのが見える。
だんだん近づいてくる男をよく見たら「田中角栄先生だ!」。
田中は峠に辿り着くなり、その場にいる人たち一人一人と抱き合う。田中角栄を待っていた後援会の人々は一気に燃え上がる。その場の空気がいっきに盛り上がる。
田中角栄は「俺がなぜ日ごろゴルフをやっているか。この日のために足腰を鍛えていたんだ」と言っていたそうである。田中は何をやるにも徹底していた。人情の塊だった。
こんなこともあった。選挙期間中に地元の旅館に泊まっていると、村の人たちが訪ねてきて「先生にこれを」と、自分の畑で採れた野菜や煮物などの差し入れをもってくる。夜が遅いので、秘書の故・早坂茂三氏が「あなたか来てくれたことを田中先生に伝えます。いただいたものはちゃんと渡します。先生は休んでいます。今日は遅いのでお引き取りください」と告げると、二階で寝ていた角栄がどてらをひっかけて階段をどどどっと降りてきて「早坂!勝手なことするな、おれの客だ」と早坂秘書を叱り、土間まで裸足で走って降りて行って、「よく来てくれた、ありがとう。ありがとう。よくきてくれた。この煮物うまい。うちのかかあにも食べさせるよ」と言って、来客と抱き合う。お客に来た人たちは感激して涙を流し、帰っていくノ。この話は、当時、田中角栄についていた越山会(田中角栄後援会)の青年部長から聞いて、『中央公論』の1977年の初めの号に私は書いた。田中は人を徹底的に愛した。そして皆から愛された。だが、小沢一郎は違う。すべて計算ずくである。(つづく)
田中角栄と小沢一郎の大きな違いはもう一つある。それは明るさと人間味である。