2010.1.30(その2)

森田実の言わねばならぬ【84】

平和・自立・調和の日本をつくるために[84]
《新・森田実の政治日誌》[月満つれば欠く・小沢政治の終焉(16)]小沢・鳩山政権の本質〈その3〉小沢は巨大な権力を何に使おうとしているのか?! 小沢は何をしたいのか?!

「治は君子に生じ、乱は小人に生ず」(『荀子』)



 ほとんど毎日、私は全国各地で講演をしている。その折、質疑応答のときや懇親会などでよく聞かれるのは「小沢さんは巨大な権力をもっていったい何をしたいのか」という質問である。
 政治家が権力を求める場合、何か自分のやりたい信念や政策や目的・目標・理想が先にある。どんな政治家にも権力をもつことでそれらを実現したいという思いがある。これが普通である。ところが小沢一郎は普通の政治家と異なっている。世間の人々が、「権力をもって何をしたいのかわからない」という目で小沢を見ているのは不思議ではない。小沢と深く付き合った人々に聞くと、小沢には「信念」とか「理念」と言うべきものがない、あるのは敵を倒すための戦術だけである、と言う。
 「小沢は何をしたいのか」の質問に、私は「権力をとるのが自己目的化している人もいる。小沢さんはそういうタイプの人です」と答えている。小沢氏は常に戦いと勝利を求めている政治家ではないかと思う。「政権をとって何をしたい」という理念らしきものはなく、より強い権力をもちたい、政敵に勝ちたい、自分を批判したら許さない、というだけの戦術家型の政治家なのではないかというのが、私のイメージである。
 晩年の毛沢束、ロッキード事件後の守りに入った田中角栄がこれに近いが、とにかくすべて目的は勝つことであり、「政治的報復」であり、反対派を粛清することである。小沢はこのためにより強い権力をもちたがる。小沢は本質的に非理念型の政治家なのではないかと思う。
 私が小沢に初めて会ったのは80年代初めの頃で、それから何回か会ってきたが、当時はまだ小沢も若くて純真で、理念がないなりに「理念をもちたい」という姿勢は感じられた。
 ところが1989年に自民党の幹事長になった頃から、傲慢な態度が目立つようになった。インタビューをしていても理念の話などにはあまり興味を示さなくなった。とくに印象に残っているのは、日本の文化・風習への批判だった。小沢はよく「日本人はなあなあだ。日本人はダメだ」と日本文化批判を繰り返していた。民主党の代表になってからは、「毎日街頭に立て、一日何百軒回れ」などと言い、選挙に勝つためのテクニックの話ばかり強調していた。
 最近のインタビューの際には理念や信念の話を避けるようになっていたように感じた。民主党代表就任後の小沢氏は権力獲得を自己目的化したように見えた。ただの権力テクニシャンという印象になってしまっていた。よく金丸信にたとえられるが、金丸信のほうがロマンチシズムがあったと思う。小沢は「超」現実主義者であると思う。(つづく)