森田実の言わねばならぬ【51】
平和・自立・調和の日本をつくるために[51]
「私は思うのだが、芸術家は、何を措いても、感受性によって生き、感受性によって死ぬものである」(江上徹太郎)
長い間、メディアの仕事をしてきて多くの写真家に出会ったが、すべて忘れえぬ人ばかりである。私を撮影してくれた多くの写真を居間に並べ、来客に見てもらっている。今回、これに新たに神戸在住の写真家・東出清彦さんの写真が加わった。昨年9月、大阪倶楽部で講演したとき、参加してくれた東出清彦さんが撮影して贈ってくれたものである。自分の講演中の姿としては、こう言うと誤解されるかもしれないが、美しい写真である。手紙には大阪倶楽部の風格ある正門と窓の写真が同封されていた。これは『建築と社会』1993年5月号の[特集 環境?限りある自然と建築とのかかわり]に掲載された写真である。
じつを言うと、東出清彦さんの写真には圧倒された。それは同封されていた写真集のダイアリー『MIHO MUSEUM』をめくったときである。
MIHO MUSEUMの所在地は滋賀県甲賀市信楽町桃谷300である。焼き物の街・信楽である。設計・建築はI.M.ペイ氏(1917年中国生まれ。マサチューセッツ工科大学卒、ハーバード大学デザイン学部大学院修了。世界的に著名な建築家)。施工は清水建設。MIHO MUSEUMは森の中にある。自然と調和したすばらしい建築物である。これを写真家・東出清彦さんが、完璧な写真集に仕上げた。1頁1頁が目を瞠るほど輝いている。数頁ごとに設計・建築家のI.M.ペイ氏のコメントがついている。
「私は確信しているのです。光こそが建築にとって、その成否の鍵を握っていると」
「建築と自然はそれぞれ決して切り離せないほど強い関係にあります」
「この場所は、私に典型的な中国の景色を思わせました。山があり、谷があり、他は霞の中です。建物全体が見えないのです」
「私は三角形という形を信じています。最も簡素で強靱な幾何学構造だからです」
「日本の昔の建築家は、土地と建物そして風景を調和させる。そういったフィーリングを持っていました。もちろん私は真似はしたくありません。しかし日本人の心、文化、伝統を尊重したいと強く思いました」
「私は東洋と西洋との調和を試みました。そう、東洋の伝統と西洋の現代性を融合させたかったのです」
「自然のなかに同化した建物の姿が、非常に意識的にデザインした結果だということを分かってもらえると信じている」
「…この世には自然の流れというものがあります。優れたデザイナーになるには運も必要です…私は自らの限界に挑む人間でありたい」
東出清彦さんの写真集『MIHO MUSEUM』を目にしたものは、必ずMIHO MUSEUMまで行かねばならぬ、と思うであろう。私もそうである。東出清彦さんの写真集を何回もめくったあと、今年中に必ず滋賀県甲賀市信楽町を訪ねる決心をした。
[東出清彦様へ。ありがとうございました。感動しました。2009年9月、大阪倶楽部で講演したことで、あなたのような立派な写真家と知り合うことができました。毎週金曜日に関西テレビ放送の「スーパーニュースアンカー」に出演するため、大阪へ通っています。神戸にもよく講演に参ります。一度お目にかからせていただきたいと存じます。貴兄のような偉大な写真家と知り合うことができて、いま天に感謝しています/森田実]
《新・森田実政治日誌》神戸在住の写真家・東出清彦さんの写真の鋭さに感動しました/東出清彦さんのすばらしい写真集(MIHO MUSEUM、2009年10月刊)と私の講演中のきれいな写真を贈っていただきました/深く感謝します
写真家を、私は尊敬している。長い間テレビの仕事してきたが、カメラマンは、ただ黙々として最良の画像を撮ることに全神経を集中して、全力を尽くしている。テレビ局の中では誰もが真剣に全力を挙げて働いているので優劣をつけるのは申し訳ないが、私はカメラマンの真剣な姿勢にとくに魅かれてきた。