競馬のちょっとしたお話

その21〜その25

その21

なぜ8枠制なのか?

1948年(昭和23年)競馬会解散、国営で競馬開催へ。

民間の一団体でありながら全国の11競馬場を統制し、競馬開催権を一手に握る日本競馬会の運営は、独占禁止法に触れる。

そのため、国営で競馬開催を行うことになり、日本競馬会は解散することになった。

連勝式馬券発売、場外馬券発売所設置。

馬券の売上が伸びずに悩んでいた日本競馬会では、単勝と複勝以外の馬券を発売することで意見が一致。

新馬券として、連勝単式馬券の発売を開始した。これは出走馬を外枠の馬から順上がりにくくり、6枠制度とした。

つまり、7頭ならば6番と7番の馬を6枠にし、8頭ならば5番と6番を5枠に、7番と8番を6枠にしたもの。

そして、1着と2着の馬をそれぞれ当てることにより、最大36通りの馬券が楽しめるようになった。

新馬券の発売と同じく、馬券売上の増加のために進められたのが、場外馬券発売所の設置。

銀座2丁目の旧プレイガイド店で試験的に発売された。

1963年(昭和38年)6枠連単制から8枠連複制へ移行。

一つの枠に複数の馬が入ることによって起こりうる紛争を可能な限り防止するため、その一方で、射幸心の過熱も

避けなければならないため、4月1日から、8枠連複というまったく新しい制度が導入された。

東京・中山・京都・阪神は8枠制、その他の競馬場は6枠制、地方競馬はいずれかを選択することが決定した。

6から8へ

当時この移行は不評であった。「配当が減った」「1着と2着の順番が逆でも当たりというのはスポーツ精神に反する」

などの意見があった。実際、躍進を続けていた中央競馬の売上も、8枠連複に切り替わった途端にガクッと落ち込んだ。

今まで慣れ親しんだ6枠連単とは要領が違う。戸惑った部分もかなりあっただろう。

夏の福島競馬で再び6枠連単が売られたら異常なまでの人気を呼んだのは、その立派な証明。

とは言っても、出走馬が激増した秋以降の中央場所は「連複だろうがなんだろうが、馬券的に妙味アリ」

と考えるファンが多かったか、徐々に売上を伸ばしている。

 

その22

重賞の格付け

1984年(昭和59年)

それぞれの重賞の役割・重要性を広く認識させるため、生産の指標としての重賞の位置付けを明確にするため、

「グレード制」による格付けを実行。最高ランクのGTからGU、GVと3グループに分類。

GT・・・最も格が高く、競馬の根幹となっている。

GU・・・GTレースの前哨戦やGTを目指す馬がステップにするレース。

GV・・・これから一流馬を目指そうという馬たちが出走するレース。そのためにハンデ戦が多いのが特徴。

 

その23

馬の登録(馬房のやりくり)

一度もレースに出走したことがない馬は入厩後30日は競馬に使ってはならない。(BTCは例外)

レースに出走した経験のある馬なら、トレセン外に出しても、再入厩後、10日で競馬に使える。

調教師の腕の見せどころ・・・トレセンの大きさ、馬房の数は決まっている。しかし、生産過剰のサラブレッド、海外からの輸入など。

また、設備・技術の向上による怪我・故障が少なくなった事などにより、厩舎に入りきれない馬の数が多くなっている。

そして、馬主はできる限り早く、そして長い入厩を望む。ときには牧場側からも「早く入厩させてください」などという要請も。

そこで、元気な馬でもトレセンの外に出さなくてはいけないという現象が起こる。

1頭を入厩させたいから、今入厩している1頭を放牧に出す。文面に書くと、ただそれだけの単純なこと。

しかし、実際にはそんなにスムーズに話が進むとは限らない。

厩務員の問題・・・現在の制度では、1人の厩務員は通常2頭まで世話を出来る事になっている。

ところが、次に入厩を控えている馬が必ずしも退厩する馬と同じ厩務員が世話をしている馬とは限らない。

場合によっては、1人の厩務員の馬が、3頭も4頭も元気で、別の厩務員の馬は1頭も出走できるような状態にないケースだってある。

同じ厩務員が担当する馬を2頭以上同時に入厩させることは、進上金などの問題もあって不可能なこと。

調教師はこれらのことを考えながら、効率良く、入厩する馬と退厩する馬を決めていかなくてはいけない。

 

その24

BTC(日高育成総合施設軽種馬育成調教場)

利用規定・・・「産地馬体検査を受け、函館または札幌競馬に出走予定の3歳馬であって、

BTCの本会が指定する厩舎(24馬房)に入厩して調教する馬においては、

BTCにおける滞在期間(15日間)を入厩業務期間に参入することとなる。

(JRA「三歳馬競走振興策」より)

BTCはJRAの関連施設であり、付近の育成牧場が利用料を払って競走馬の育成をする場である。

通常、デビューを控えた3歳馬は、所属する厩舎に30日以上入厩しなければならない規定がある。

しかし、BTC内の施設に滞在した育成馬に限り、ここでの滞在期間を入厩期間に参入する形で、

所属する厩舎への入厩期間を半分の15日間に短縮できる。

BTCの広さ、そして施設・・・総面積、約1500ヘクタール(東京ドーム約300個)。その広さのため、

競走馬の移動にも馬運車が使われ、馬運車に馬を慣れさせておくために非常に有効と考えられる。

コースはというと、広大すぎて一面の緑しか目に入らないような坂路グラス(芝)馬場に、フラットなグラス馬場。

一周1600mと800mのトラック馬場。そして、1600mと1200mの直線のダートコース。

さらに、冬は寒さが厳しく屋外のコースが使えないこともあるのだが、屋内育成施設も充実。

屋内トラック馬場はもちろん、1000mの直線馬場、坂路馬場でさえ700mもある。

BTCの主な出身馬・・・アドマイヤコジーン(朝日3歳S)、ウメノファイバー(オークス)、ヤマカツスズラン(阪神3歳牝馬S)、

サイコーキララ、メイショウドトウ、エイシンバーリン、ビッグサンデー、メイショウオウドウ・・・・・。

 

その25

出走手当

出走手当・・・着順に関係なく、出走した馬に対して交付されるお金。中央競馬の場合は、特別出走手当(馬主に対して交付)、

調教師出走手当(調教師の所属する調教師会に交付)、騎乗手当(騎手に対して交付)、

厩務員手当(厩務員もしくは調教助手に対して交付)などがある。

特別出走手当新設の歴史

「6%」をめぐる馬主団体とJRAのバトル・・・・・・・・「馬券の売上の一定割合は、馬主に帰属するもの」というのは、

馬主団体の一貫した主張である。この主張をめぐって、馬主団体とJRAは四半世紀以上も前に、

政官界をも巻き込んだ激しいバトルを展開したことがある。一般紙の社説にも取り上げられたこの争いは、

「6%戦争」と言われ、年配の競馬関係者の間で、今も鮮明に記憶されている。

6%戦争は農林省=JRAに軍配が上がる・・・・・・・JRAは採決をしないまま、農林大臣の認可を受け、

事実上の強行突破で予算案問題に決着をつけた。

特別出走手当の新設・・・6%戦争と並行してJRAは、78年1〜3月にかけて、関東所属馬の美浦トレセンへの移転を計画。

だが、当時の美浦周辺は道路事情が悪く、今日では当たり前の自動車での当日輸送に対する懸念が関係者の間で広がっていた。

馬主側は輸送による経費増をJRAがすべて負担するよう要求。だが、JRAが確答を避けたため、移転当日の3月4日、

東京馬主協会は東京地裁に「競走馬の移動禁止」を求める仮処分の申請を行なった。

この問題は結局、3日後に和解が成立したが、この和解を受けて、JRAは移転による負担をカバーする名目で、

出走馬に一律6万円の「特別出走手当」を新設することになった。

6%戦争では劣勢だった馬主側が、一矢を報いた格好である。

特別出走手当の現在・・・・・・美浦移転の際に新設された特別出走手当は、当初の6万円から、現在では最も低額の福島、

札幌などローカル競馬場の未勝利戦でも、35万8000円に増額された。出走手当の限度は、1開催=8日間で2戦が限度。