Zukkoのドイツ日記(第18話)1998年8月5日

Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!


私事で恐縮ですが(っていつもこのコーナーは私事しか書いていないんですが)、今日は 私の誕生日です。(あ、どもども(^^ゞ お誕生日(Geburtstag)を迎えると、ドイツの皆さんももちろんおめでとうのお祝いを します。 こちらでは「記念日」というものがなにかと大切なもののようで、特にお誕生日とも なると、特別です。 家族でお祝いをしたり、友だちや親しい人とパーティーをしたりはもちろんのことです が、会社の同じ部署の同僚同士とでも、お祝いをします。 うちの大家さんのご長男が昨年誕生日だった時には、1クラス分と思しき大量の子ども たちが庭に集結していて、いったい今日はなんじゃい?と驚いたくらいです。 (クラスメイト全員を招待しないといけないらしいですよ。好きな子だけを呼ぶのは 反則なんだそうです。親は毎年大変です。) さて、このお誕生日を過ごすにあたって、一つ、日本と決定的に違う点があります。 それはですね、ドイツではお誕生日である当の本人が、自分でケーキとかワインとかを 用意して、みんなに振る舞い、祝ってもらうことなんです。 いいですか、誰かがお誕生日会をやってくれるんじゃないですよ。自分で全部用意して 「さぁ、祝ってください!」と祝ってもらうんです。 旦那の会社でも、昼にケーキやら果物・お菓子が突然出て来て、お、今日は誰かの誕生 日だな、ってわかるそうです。 で、お誕生日の人が持ってきたシャンパンを抜いて、お誕生日の人が持ってきたご馳走 をいただいて、みんなで「Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!(お誕生 日おめでとう)」とお祝いをするんです。 なんとなくヘンな感じがしますが、これが正しいお誕生日の祝い方なんです。 私も本日その習慣に則って、自費で(といったって 旦那の給料だが)ワインを買い、シュークリームを 焼き(左のような白鳥の形)、先程下の大家さんにも おすそ分けしてきたところです。 いやぁ、我ながらよく働いた。 誕生日って本人が一番忙しいわ。 こうなるとですね、心配なのはうちの旦那の誕生日。 会社に何を持たせていったらいいのやら。 う、頭痛い。 では、また次回。

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Zukkoのドイツ日記(第19話)1998年8月20日

自転車を買いたい!


ドイツに住んでからずーっと欲しいと思い続けているもの、それは自転車です。 人がさっそうと自転車に乗って、私の脇を通り過ぎて行くたびに、「ああ、あたしも あんなふうに風とお友だちになりたいっ!」と片手はついつい頬へ。 やっぱり夏はサイクリングでしょう。 スカッと晴れて湿気のない、超気持ち良しのドイツの 夏は車なんかで走るよりも、自転車で走らにゃ意味が ないじゃないの。 ドイツ(特に北側)は平地が多いので自転車で走るには とても楽。 それに、なんといってもうれしいのが、ドイツでは 自転車で走る人の安全を考えて、自転車専用道路が 整備されていることです。 つまり自動車道と歩道の間にもう1本、自転車専用の 道があると思っていただければよろしい。 自転車道のないところでは、自転車も自動車道を走ることになるわけですが、車を運転 している人は、自転車が自分の前を走っていても、自転車を追い抜いたりクラクション を鳴らして「どけっ」と言ったりせず、後ろに付いて自転車のペースでゆっくり走る ように心がけなければなりません。なんという優しい気遣い。 自転車道は歩道に隣接している場合が多いのですが、道がわかりやすいように色分け されていたり、自転車のマークが書いてあったりします。 ただ、自分が自転車道の上を歩いていることに気づかないでいると、後ろから来た猛 スピードの自転車に、逆にどやされるということにもなるわけなので注意が必要です。 自転車は、自動車のように排ガスを出しませんし、ガソリン代もかかりません。 環境にも健康にもいいということで、このような公共整備も進んで行われているんで しょうね。 それなのに、いつもショップで眺めては買わずに家に帰ってくる私たちには、いまいち 購入に踏み切れない訳がある。 その1:「自転車をどこに置くか」 ドイツの共同住宅では自転車を建物内の通路、廊下、階段踊り場等には置いてはいけま せん。日本のマンションのように共同自転車置き場などもありません。 じゃ、どこに置くの?もちろん部屋の中。だってドイツ人は土足の生活だから、自転車 だって同じこと。でも、私たちは日本人。外を走った自転車を家に上げるなんて、絶対 にできません。 その2:「自転車がでかい」 日本では「自分にピッタリの自転車の高さは、足が全面ぺったりと床に付く高さ」と いわれていますよね。 ところがその観点で自転車を探すとドイツの自転車にはそこまでサドルの低いものなど まったくない!それでなくても背がでかく足の長いドイツ人なのに、みな、爪先が地面 に付くくらいの高さの自転車に乗っているではないか。 やっと見つけた私ピッタリの自転車・・・子ども用。タイヤもサドルもみんなちっちゃ いのね。それでさっそうと風になれというのか。そんなのやだぁぁ! そんなかんなで我が家はまだ自転車を持てず、自転車保険だけを払い続けています。 うちの旦那が自動車保険に加入した時、自転車も後で買おうと思って、同時加入したの であった。 そして自転車のない寂しさを払拭すべく、私は今年のツール・ド・フランス観戦に燃え たのでありました。 お目当ては、昨年の覇者ドイツのヤン・ウルリッヒ選手。いつもサドルに座ったままで、 しっかりとペダルを漕ぎ、山を登っていく彼の姿にすっかり魅了されての連日テレビ前 かぶりつき。 しかしそれも8月2日のマルコ・パンターニ選手(イタリア人)の個人総合優勝をもって 終わってしまった。(ウルリッヒ選手は2位) ああ、私の夏も終わったな。 では、また次回。

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Zukkoのドイツ日記(第20話)1998年10月3日

ドイツ統一の日


今日、10月3日はドイツ統一の日(Tag der Deutschen Einheit)という祝日です。 文書上、東西ドイツが一つになった歴史的な日で、1989年にベルリンの壁が崩壊して 今年で9年になります。 まずはベルリンの壁について少しおさらいしますと、 第二次世界大戦後、ドイツは戦勝国4国によって占領 体制下に置かれることとなりました。 ブランデンブルク州は旧ソ連、ハンブルクは英国、 バイエルン州はUSA、バーデン州はフランスといった 具合です。 でも首都ベルリンだけは4国の共同占領下に置かれて いました。 ところがドイツの戦後処理をめぐって4国が対立。西エリアを占領下に置いていた英国、 フランス、USAは3国のエリアを統合しドイツマルクを発行して経済を立て直すことを 決定。これに抗議したソ連は西ベルリンを封鎖、西ベルリンは東ドイツ領土内での陸の 孤島と化しました。 結局、4国の政治姿勢の違いから、1949年にドイツは東ドイツ(DDR)と西ドイツ(BRD) に分かれました。政治システムも東はソ連の社会主義、西は3国の影響下により民主 主義の立場を取りました。戦前は1つの都市であったベルリンも東と西に分かれること なったのです。 その後、東と西はそれぞれが一つの国家として成長していきます。再び軍隊も持つよう になり、東はワルシャワ条約に調印、西はNATOに加盟と、東と西は対立する二つの条約 機構に加入し、さらに対立関係を深めます。 さて、西ドイツは戦後最初の首相アデナウアーの下、経済復興がどんどん進みますが、 それに反して東ドイツは大きな経済的問題を抱えたまま。 当時はまだ東ベルリンと西ベルリンは、自由に通行可能だったんです。 そのため、大量の東ドイツ国民が西ベルリン側に逃れようとします。 東ドイツ政府はこの人たちを西ドイツへの逃亡者とし、逃亡者の激増を恐れてベルリン の東と西の境界を武器をもってコントロールし始めます。 そして突如境界線上に壁を作り始め、1961年には最後の隙間が閉ざされ、ベルリンの壁 が完成、東西は完全に分断されました。 それから長い間、両国の冷戦状態が続きますが、西ドイツは東西間の関係の改善を呼び かけ、1969年に最初の東西会談が持たれます。さらに1972年に基本的な協定が結ばれ、 西ベルリンと西ドイツとの交通が妨害されないこと(なぜなら西ドイツから西ベルリン に行くためには東ドイツ領内を通過しないとならない)、西ドイツ国民が東ベルリンに いる親戚を訪問できる許可を与えること、などが保障されました。 1989年秋、ハンガリーはオーストリアとの国境を開放しました。この出来事は東ドイツ 国民が東欧の社会主義国家内を通ってオーストリアを抜け、西ドイツに逃げることが 可能になったことを意味します。 何千もの人がこのルートを逃げ、また他の大勢はワルシャワやプラハの西ドイツ大使館 に逃げ、出国許可を得られるまでそこに留まり始めます。 この事態に圧されるかのように東ドイツ政府は、11月9日、国外旅行の自由化を宣言、 これを聞いた国民は国境沿いに殺到。数時間後には国境が開放され、誰もが西ドイツに 足を踏み入れることが可能となりました。 12月22日午前3時、ついにブランデンブルク門前の壁も破られ、ご存じの通りベルリン の壁は完全に崩壊しました。 1989年1年間で、ほぼ35万人もの人が西ドイツに移動したといわれています。 しかしベルリンの壁が崩壊して東西の行き来が自由になったとしても東は東、西は西。 「東西ドイツを再びに一つに」という東西統一への国民気運は高まりを見せ、1990年 10月3日、40年振りに両ドイツは統一されました。 以上の長い道のりを経て、悲願の統一を実現したわけですが、40年間の空白はあまり にも重いものがあるのでしょうか、ここにきて国民の心の中にはちょっとした変化が 起きているように思えます。 それを示すのが今回の選挙ではないでしょうか。 この話は次回に。

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Zukkoのドイツ日記(第21話)1998年10月31日

連邦議会選挙


9月27日にドイツでは大きな選挙がありました。 日本の国会にあたる連邦議会(Bundestag)の選挙です。 この選挙はドイツにとって政治の要の選挙であり、ドイツの将来をも賭けたものであった と思います。 ドイツの統一を実現し、ユーロ(EURO)構想の中心人物でもある現コール首相が所属する 政党CDU(Christlich-Demokratische Union)/CSU(Christlich-Soziale Union) と、社会民主主義を掲げる政党SPD(Sozialdemokratische Partei Deutschlands) との2大政党の対決となった選挙は、SPDの支持率がCDU/CSUを上回り、長きにわたっ たコール政権はついに終止符を打たれました。 ドイツは今、高い失業率(特に若い世代の)、年金問題、 教育システムの改善などの問題を抱えています。 何よりも深刻なのは、旧東ドイツと旧西ドイツの経済 格差が開いたままだということ。 前回、ベルリンの壁の崩壊について書きましたが、 40年間、まったく違う経済システムで暮らしてきた 両国が、東西統一とともに旧西ドイツの資本主義経済 に統一されたことは、旧東ドイツ国民に180℃の方向 転換といっていいほどの生活変化をもたらしました。 「われわれはもともと同じドイツ人なのだから、国も一つにならなければ」という当初 の気持ちと、いざ一緒になってみて遭遇した現実とのギャップ。 旧東側の国民も旧西側の国民も、40年間の差はそう簡単には埋まらないとは分かって いるものの、2000年に迫ったヨーロッパ共同体(EURO)への希望と不安、焦りやわずか な苛立ちなどが、ない交ぜになっているところへ迎えた今回の選挙だったのではないで しょうか。 CDU/CSUというのはキリスト教に基づいた大変コンサバティブな政党で、コール氏は もうかれこれ16年間も首相の座に付いているんです。(それに比べてなんと頻繁に総理 大臣が入れ替わる日本) 任期は4年ですから、また今回も首相に選ばれるとすると20年間! 国民にしてみれば、もう結構、それは長すぎる、ということなんでしょう。 かたやSPDはショルダー氏を次期首相候補に推し立てて、今のドイツには新しい勇気が 必要なんだ、と社会的な公正を訴えて、今のコール政権を批判。 首相が彼に変われば、もしかしたら今の状況を少しでも変えられるかもしれない、と いう国民の期待が伺える、今回の選挙結果です。 今月27日の閣議で、正式に新首相として選任されたショルダー氏。 果して彼はドイツに新風を吹き込み、国民に新たな活力を与えてくれるのでしょうか。 今回の国民の選択が今後のドイツにどのような結果をもたらすのか、気になります。 では、また次回。

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Zukkoのドイツ日記(第22話)1998年12月19日

この日には必ず何かが起こる!?


先日キッチンでラジオを聞きながら、つい笑ってしまいました。 クリスマスが近づいているので、メディアは連日、クリスマスにまつわるちょっとした 内容をところどころに織り交ぜています。 ちなみにうちの旦那の会社では昨日の金曜日が実質上、年内の仕事収め。 クリスマス休暇を取る人も多く、はっきり言ってクリスマス以降、新年を迎えるまで、 ドイツ経済は一部を除いてまったく機能していないと言っても過言ではありません。 その分、クリスマス商戦は激しく、実に市場は活性化している真っ最中であります。 今年のクリスマスに何を送るか、ドイツ人の目は血走っています。 あ、そう。ラジオの話。短いコントだったんですが、さわりだけここに書いてみます。 ・・・(電話のベルが鳴る)・・・ 弁護士「はい。こちら弁護士。」 女性A「(泣きながら)・・・離婚したいんです。」 弁護士「はいはい。またクリスマスで衝突しましたね。えー、ではいくつか質問 しますので、答えてください。何が原因で喧嘩しましたかぁ? 1)クリスマスプレゼント 2)料理 3)義理のお母さんの突然の訪問」 女性A「・・・あの、1つだけを選ばないといけないんでしょうか?」 弁護士「いいですよぉ、該当するものはいくつでも。」 女性A「うう・・・、1番と2番。3番もですぅ。(泣く)」 弁護士「なるほど。次です。そのことについて、誰から文句を言われましたかぁ? 1)ご主人 2)お子さん 3)義理のお母さん」 女性A「1番・・・」 弁護士「3番はどうですか?」 女性A「どちらかというと3番も・・・うっ。(泣く) 」 弁護士「1番と、3番もですね。まぁ、よくあることですよ。」 こんな調子で話は進みます。 実はドイツではクリスマスが一年で一番、事件の起きる 時期なんだそうです。 一番多いのが、このような家族衝突。 クリスマスのプレゼントが気に入らないだの、料理が まずいだの、ツリーの飾りにセンスがないだの、言い 出せばきりがありません。 そして、そこにダメ押しをするように、実家の両親を 始めとする親戚縁者の来訪。 奥さんは気が休まることがなく、ご主人は一日中家族と 一緒で家庭サービス。 お互いついつい愚痴も・・・それが喧嘩のタネとなる、 ってわけでしょうか。 それじゃ、そんなに毎年必死になってプレゼントなんか買わなきゃいいじゃないの、と 思うのが私たち外国人の素人考えなんですが、そうはいかないらしい。 クリスマスプレゼントは家族の誰かがくれるものではなく(もちろん両親が買うんです が)、クリストキント(Christkind)がくれるものなんです。 ※注:南部はクリストキントが直接、北部はサンタクロースと同じ様相のバイナハツ マン(Weihnachtsmann)がクリストキントの代理として持ってくるケースが多い) クリストキントというのは、幼子イエスのこと。クリスマスに彼が天使と一緒に空から 降りて来て、家族全員の贈り物をクリスマスツリーの根元にそっと置いていってくれる んです(もちろん両親が置くんですが)。 クリスマスプレゼントはキリストからの祝福とその一年のご褒美なのですから、用意 しないわけにはいかない。(でしょ?やっぱり。) でも家族争議発端のタネはなんと言っても「一日中家族だけで過ごす」ことにあるの ではないかと思われます。 24日は家族だけ、25、26日は親族または友人とパーティなどで過ごすのが伝統的な ドイツのクリスマス。3日間も家族だけで過ごすのは気苦労が堪えない、とコメント するドイツ人も多いとか。それじゃ、何のための家族揃ってクリスマスなんだか。 個人主義のドイツ人気質がじゃまをするのか、単にみんながわがままなだけなのか。 それでも一年で一番楽しみで、かつ少しくたびれるドイツ人のクリスマスは、毎年 やってきます。 では、また次回。

マウス画:Zukko P.S.・・ 年内の更新はこれで終わりです。 今年の冬は寒いので、ドイツに来て初めてのホワイトクリスマスが 期待できそうです。(^^) みなさま、ステキなクリスマス&新年をお迎えください。 Zukko

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Zukko
mikado@pluto.dti.ne.jp