高等教育フォーラムのシンポジウム

 年明けに高等教育フォーラムのシンポジウムが行われたらしい。所用あって参加できなかったのだが、正直なところをいえば参加したところで建設的ななにかがそこにあるわけでもあるまいと考えていたことも事実である。昨年のシンポジウムに参加した何人かから、その時の様子をきいていたためになおさらでもあった。要は、「高等教育」をその名に冠しておきながら、所詮は一部の大学人の「個人的な憤り」を吐露する「ガス抜き」の場にしかなっていないということ、そして、それをきちんと体系的に「高等教育を論じる」方向にすすめようとするベクトルに対しては主催者サイドからの稚拙な無視や拒絶しかかえっていないことに問題はある。案の定、今回のシンポジウムは前回にもましてその「ガス抜き」としての性質を強めたらしいことが、参加者からの報告によって明らかになりつつある。あたりまえのことだ。大学人としての責任ある態度とは何か、ということを考えた時、問題を「文部省の指導要綱と高校での理科教育」に還元しようとするこの「フォーラム」の方針は、欺瞞的な自己保身にしかみえないからだ。

#フォーラムでの代表グループの発言をひいて「大学教員の国語力の低下」を
#論じることは簡単だが、それはどうみても彼らの受けた「高校での教育」の
#ためではあるまいに。

 「高等教育」を当の「大学人」が論じるとき、まっさきに論じられねばならないのは現代社会における大学の意義とそこでの教育の当否であるはずだが、そこについては、たとえば代表グループの一員、東大の正木助教授のように「自分の身にちかすぎるので論じられない」などという逃げ腰となっているあたりで、この活動の無責任さは露呈している。結局、ここには「なんか社会的なことやっておかみにかみついてみた」という自己満足しかないことになる。特に、今回のシンポジウムはこれまでのフォーラムでの流れからも問題の認識座標が激しく多岐に渡り、うまくしぼりこまねばただの「言いっぱなし」にしかならないのは自明であったにもかかわらず、「フォーラム主催者はあえてそれをしなかった」という認識が参加者から出されている点などは極めて象徴的である。

 それでも、みかけの上では「ダイジナコトヲロンジテイルワタクシ」を装うのには成功したのかもしれない。問題をうわっつらでしかみない人にとっては、わたりに船、ともいうべきシチュエーションだった、とすらいえるかもしれない。現在、高等教育フォーラムではいろいろな意見が出されつつある。これらに対して、代表グループ、松田氏や正木氏がどのような反応をかえせるのか、あるいはかえせないのか(「有意義な意見をありがとうございます」的な議員答弁しかできないか、あるいは、そもそもなにひとつ反応すらもできないか)、というあたりが注目されている。

 大学は、多様化せざるをえない。独立法人の匂いがただよいつつある国立大学で、希有なことに「民営化してもやっていける」といわれる東京大学の「カンバン」と「ネイムバリュウ」の上にいるからこそこういう活動もできる、のであれば(事実、東大のプライドは臭いたつほどに完熟状態であり、「本領発揮」をはるかに越えて「腐敗」すらも何キロか後ろにおいてきている)、この「高等教育フォーラム」も所詮は自己弁護のための手慰みに、外部の心有る人たちが狡猾にも利用された、という結果に終わってしまうだろう。この点で、浅島氏が述べたと言う「言いたい放題」への危惧は絶妙なものといえるが、はたして今後の展開はどうなるであろうか。

 そもそも、「高等教育フォーラム」はなぜ「高等教育フォーラム」なのだろう。高等学校でのカリキュラムつまり、中等教育の問題についてばかり論じたがるこのフォーラム、中等教育は「大学合格」という巨大な前提の下にカリキュラムをくまざるをえない状況の中で、その当の大学受験の問題をつくったり、合否判定をしたり、という任にもあたる大学人が高等教育の問題について論じるというのであれば話は明快だ。しかし、ここでは入試の問題を積極的に論じようとしたり、大学での教員教育や教員の質の低下、教育意識の希薄な研究者気取りのエセ大学人といった「高等教育の問題」について論じることを認めず、ひたすら文部省と高校のカリキュラムに問題をおしつけようとする動きすらある。高校をかえれば大学での高等教育の問題も解決すると本気で考えているのであれば、ただ無責任なだけではなく、極めて悪質な意趣逸らしをもくろんでいる結社としての「高等教育フォーラム」というイメージすらうかびあがってくる。

 まあ、自分の耳に痛い意見に対して「潔癖性」だの「妨害工作」だのといった言葉しか出ないような人たちは所詮「ソレナリ」といってしまえばおしまいなのだが…

 ひとつだけ。「物理を高校で履修していないままMRIを使う医者がでてくることになる」という松田代表の「危惧」はどこまで本気なのだろうか。matsudaの名を持つサーバーを管理している松田代表は、当然高校では物理を履修しているはずだが、どれくらいコンピューターや電子回路、ネットワークについての基礎的な理論を理解しているというのであろう。サーバーをうつした時のサーバーダウンについても「その時にアクセスしていた誰かのハッキングのせいではないか」などという発想をしているようではちょっと問題の存在箇所は違うのではないか、といいたくなるのだけれど。「知識」というものをきちんと理解していないのでは、とも思えてくる。だからこそ「知的亡国」が問題なんだけれど…

#まさか「オトモダチ」が「誰かアクセスした時になんかやったからおちたんだ」
#とでも入れ知恵したのではあるまいに…

1999.01.13.