「環境ホルモン」問題

阿部道生
2000.08.05

 ここ数年、「環境ホルモン」(内分泌かく乱化学物質 問題)の問題がかまびすしい。マスメディアを通じてあおられた恐怖がひとり歩きしてしまっているきらいすらある。たとえば「買ってはいけない」の冒頭での「きっと精子へってるから」という脅迫と通じて、ノストラダムスが失効した現在の恐怖妄想の代表といってもよい。NHKのあおりドキュメンタリーなどもそうだし、大半の「環境ホルモン本」もそうだが、「特定の事実を隠すことによる嘘」や、それ以前の「あからさまな嘘」にみちみちていたりするのも問題だろう。つまり、このコーナーでいうところの「環境ホルモン問題」とは、そういう「問題」のことだ。

 いや、本当のはなし、環境ホルモンについて調べれば調べるほどわからなくなるのだ。と、いうのも、こちらとしてはその危険性についてしっかりとしたところが知りたい、という動機で調べるせいなのだけれど、きちんとした資料にあたればあたるほど、「え?」ということが多くなる。「危険ってこんなもん?」と。だんだん、「可能性が否定できないからアブナイ」という、似非予言者的な文言がみえてくるのである。

・立花隆の場合
 いまや、一部でカリスマと化している立花隆。彼が97年に行った講演などは、すさまじいものである。これは、こちらで記録を読むことができる(まだ削除されてなければよいが)。1997年である、ということ、そして、氏がルポライター、つまり資料にあたって言葉をものするのが仕事であることを考えると、この講演の罪深さは別格である。

心配していたのだけれど、とうとう2000年11月現在、この講演緑はサーバーからなくなってしまった。おそらくは「同時代を撃つ」シリーズ自体が古くなって担当者がいなくなったとかなのだろうけれど、その内容を考えるとある意味ではおしいことをした。どこかに移籍していたり、あるいは本に収録されているのならばいいのだけれど。


 いくつもある「間違い」の中でもやはり特にひどいのは「環境ホルモンは環境エストロゲン、ダイオキシンも環境エストロゲン」といいきって聴衆の不安をあおるところだろう。これは、後の展開で「3歳の女の子に月経が」というエピソードでの危険感を効果的に水増しするための小技なのだろうけれど、嘘はいけない。この講演の20年も以前に、ダイオキシンはエストロゲン作用を「打ち消す」ことがわかっている。エストロゲン作用によっておこされる癌を抑制したり、エストロゲンレセプターを減少させたり、ということがおこるのだ。ちょっと文献にあたればわかることを、立花氏はまったく無視して、逆のことを主張する。文献をしらべていないから知らなかった、のであればジャーナリスト失格だろうし、知っていて隠したのであれば不実きわまりない。もちろん、聴衆にとって「わかりやすい」、環境には女性ホルモンがたくさんあってアブナイということを主張するための方便だったのだろうけれど。科学ジャーナリストとしては、このくだりだけで、もうおまんまの食い上げだろう。それでも氏が業界にいられるのは、確かに「かりすま」だからなのか。
 精子が減っている、というのも、結局のところいまだに確定した事実ではない。それを「世界中で確認されていまして」などと決めつけるのも、なんともいえない部分。その上、繰り返して「ダイオキシンをはじめとする環境エストロゲンは」とやってのける。もしかして、立花サン、環境ホルモンについてなんにもご存じないのでは、とまで思わせるほどだ。
 そして、究極の悪意ともいえるのが次のくだり。「環境にばらまかれた環境エストロゲンが微量でも生体に影響をあたえる」とした上で、「驚いたことに、三才の時点で乳房が大きくなり、陰毛が生え、月経が始まるというケースも報告されています」とする。これ、何もしらないと「そんなことが」と純粋におどろいてしまうところだが、ちょっとまってほしい。有名なJAMAという雑誌の1969年のVol.207をみれば確かにこの件は「報告」されている。講演の30年弱前だ。そして、これを見ると…たしかに3歳の女の子にそういう症状はおきている。でも、その「原因」は「祖母が使わなくなった女性ホルモン含有クリームを口の周りに塗ったりなめたりしていた」ことだ。つまり、「環境に含有されている微量なエストロゲン様物質」どころではなく、人為的に用意されていた、やたらと濃厚なエストロゲンそのものによる、当然の結果でしかない。これを「環境ホルモン」にからめて講演し、身近な環境に対する聴衆の恐怖をあおることのえげつなさ。立花さん、JAMAの論文を見てそう書いたのだとすれば、その悪意はちょっと度し難いし、読まずに書いたのなら、やはりマスコミ人として失格、だろう。

 しかし、コトは立花氏ばかりの問題ではないのだ。たとえば、ベトナムの奇形児もダイオキシンのせいにされているけれど、いまのところダイオキシンにそういう毒性があるかどうかは確認されていない、ダイオキシンの影響でいまのところ確認されているのは塩素による痣と、上にも書いたような「エストロゲンの効果を押さえる」(皮肉だが)ことくらいだ。そもそも、ベトナムの枯れ葉剤は2-4Dとか2-4-5Tとか、カコジル酸が主成分なのに、そこにたまたま混入したダイオキシンがあったから、と「ダイオキシンをまいた」「ダイオキシンという化学兵器をアメリカが使った」という表現をつかってしまうマスコミの無責任さ、というものもある。まるで、2-4Dや2-4-5Tには毒性なんかないかのようにすら見えるほど「ダイオキシンのせい」にされている。

 この立花さん、1998年の中央公論ですさまじいことをおっしゃっている。

「脳味噌というのはケミカルマシンですから、ケミカルなプロセスが一番問題なんです。脳細胞と脳細胞の間の情報伝達はホルモンと同じ仕掛けで、ケミカルな情報伝達をしている。それが狂うと、人は頭がおかしくなる。これが、今度の環境ホルモンの問題にそのままつながってくる」

 としたうえで、なにをとちくるったか、「同性愛」「セックスレス」「キレる子供」、「暴力」を一列に並べて「頭がおかしくなった例」にしたてあげるのだ。これって、単に立花さんの偏見と差別意識なんでは?

 さらに、こんなことまでのたまう。

「生殖器の異常を持った子どもについていえば、当然ながらものすごいコンプレックスを持つようになる。そうすると、精神が歪むんです。それで、とんでもない凶悪犯罪を引き起こすことがある」

 なんか、あまりにもしれっといってのけているけれど、市民運動は「こういう言動」に対してこそぴりぴりすべきなんではないかねえ。ジャーナリストとしては、これも致命的なまずさ。「失言」ではすまされないだろうに、どうして、こんなのが野放しなんだろう。風がふけば桶屋が儲かる的ロジックで、したり顔でこんなこといわれてもねえ。ようするに、とんでも本のロジックである。あーあ。

 多摩川のコイ、のはなしもある。これの発端となったのはイギリスの川で魚のメス化がおきていて、しらべたらノニルフェノールがたくさんみつかった、から、これはそのせいだ、という結果だった。しかし、のちの調査で、確かにノニルフェノールはあるけれど、それよりも格段にずっと強いエストロゲン作用をするものがみつかっており、メス化の直接の原因はそちらのほうだろう、ということにおちついたのだ。それは、女性の尿。つまり、下水処理場から女性の尿に含まれる女性ホルモンが川に流れ込んでいて、それは検出されたノニルフェノールなどよりもずっと強かったわけである。これについては1996年のScience、Vol.274でこう書かれているほどだ。

"It's a very good example of 'Don't have a preconceived idea of what the result should be.'"

 ひどいものである。「科学とはなにか」ということを考える時、この「環境ホルモン問題」は非常によい例となりそうだ。つまり、「大衆主導にするためには、まずは恐怖をあおるべし」をストレートに実行している上、恐怖をあおるためならば、虚言も平気でする。それを指摘されると「危険がないとはいえないからいっていることは間違ってない」という強弁までするわけで、ほとんど新興宗教のノリである。

 もちろん、だからといってダイオキシンを食べると健康にいいですよ、ということではない。でも、ちまたであおられているほど「危険」なのか、というと、どうもそうでもない、のだ。あおられた「危険」に対峙するために、時間と資産を「保険」にまわしたあげく、実際にせまってきていた本当の危険に気がつかなかった、という間抜けな事態におちいることこそが「恐怖」ではないのだろうか。リスクマネジントとは、「可能性のあるすべての恐怖に金を払う」ことではなく、恐怖の可能性にウェイトをかけた上で適切に対応する、ことのはずだ。こわいですよこわいですよ、とあおりたてる報道そのものが、一番たちの悪い「環境ホルモン」だ、ということなのだ。

追加(2000.11.12)

 「立花隆の無知蒙昧を衝く 遺伝子問題から宇宙論まで」を読む。著者の佐藤氏の誠実さがにじみでた一冊。「無知蒙昧」などという品性のとぼしい言葉がタイトルにおどっているのは、立花隆自身が遺伝子組み替え問題を議論する人間たちについて放った一言からとったもの。「無知蒙昧はどっちだ」ということである。この本は、立花隆の著書から、あきらかな間違いや、無知に根ざしたミスロジック、煽動者としての危険の指摘をしながらも、「正しくはこうです」というテキストとしてつくられている。これは、著者の善意と誠実さのなさせるわざである。立花隆を「読んでしまった」人も、これを読めばなんとかなる、というワクチンのような本をめざしたようで、よい教科書になっているわけだ。

 しかし、これを読んで感じたのは、立花というのは「おなじこと」を何度も繰り返しているのだなあ、という情けなさ。ダイオキシンについて僕が上で指摘したのと同様のことを遺伝子治療や宇宙論でもやってのけている。

 目的はたぶん同じなのだろう。巷の人はまだしらないことで、「なんだかわからないけれどすごい」あるいは「なんだかわからないけれどこわい」という程度の漠然としたことを常に「漠然としたまま」暴走させるために煽動していく。

 さて、大阪のデータで母乳中のダイオキシン濃度をしらべたものがある。それによると、もっとも濃度が高いのは1970年代の半ばで、その後はどんどん減少している。母乳中のダイオキシン濃度といっても、これは同様の環境で暮らしているならば男性でも似たような値を示すだろう。また、女性は授乳によって体内のダイオキシン濃度を減少させることができるので、70年代半ばに20代から30代だった男性こそが体内のダイオキシンの問題を特に気をつけなければならない世代、ということになる。立花的にいうならば、「同性愛」「セックスレス」「キレる子供」、「暴力」といった「頭がおかしくなった例」とは、この世代にこそ適合させるべき概念だったもことになる。今、40半ばから50過ぎの男性のみなさん、いかが? いわれてみれば40代から50代の犯罪って、17歳と違って注目されないけれど「あたりまえに多い」し、あの「大学紛争」だってまさにその「キレやすい」子供たちがやったことだった、ということになるのかも。

 いわれてみれば、立花隆自身が「その世代」ではないか。立花隆のいう「環境ホルモンの影響」が、まさに氏の発言自体にそのまま影響を与えていた、ということはある…のだろうか。うーむ、そう考えながら読みなおすと思い当たるフシが随所に…