2003年9

 そして、九月。夏らしくもなく、寒くすらあった八月は、それでも圧倒的な存在感とインパクトを残して九月にうつろっていく。後期がはじまると、また、いろいろなことが起きていそがしくもなるだろうけれど、そのまえに、君に大八車一杯の感謝の気持ちを。



 さて、「高等教育フォーラム」の投稿欄が再開されている。検閲方式、というなんとも胆の小さなスタイルになっちゃったのはご愛嬌。みなさん、投稿する際には自分のサイトに何月何日にこれを投稿しました、という記録を開示しつつ、投稿されることを強く強くおすすめしておきます。何がどうなって開示されているのか、を如実に示すことが重要。ああ、これはそのまんま、チアリ騒動と類似の展開を予見させるぞ。まっちゃん、裁判沙汰おこしてまけたりしないようにね。なんか、あやういよ、きっと。

 11年。一人で生きて、一人で死ぬ、ということを忘れ続けていた時間。忘れていたはずなのに、時折感情の起伏によっては思い出してしまい、とりかえしのつかない「なにか」につぶされかけていた時間。それは、その中では楽しく、その中で幸せ。一人で「ある」ことを思い出してしまうまでは。
 人と人のかかわりに、パターンはそんなに多くない。共にいて、一人ではない、場合と、共にいて、一人である、場合。一人であることが必要な人間もいるし、一人ではないことが幸せな場合もあるだろう。それでも、自分が前者であることを忘れ、後者であると信じ続けた時間の中の幸せは、思い出してしまっても消えるわけではない。
 ただ、二人でいることによって初めて「ひとり」になれる不完全さにも、居場所を求めるパッションはあるんだ、ということ。
 君はそういうけれど、僕は11年を拒否したわけでも、否定したわけでもないんだよ。ただ、どちらにせよ、僕たちは出会いなおさなくてはならないだろうし、僕は、思い出し、そしてみつけてしまったんだ。
 ひとりでいる、ということは、気兼ねのない楽な時間をもつ、ということ。僕のいままでの「楽しみ」は、それをシミュレートするための壁だったのかもしれない。
 だから、さよなら、ではなくありがとう、を。そして、もしできれば、「はじめまして」を。

 ここにいる僕は、きっと君があったことのない僕なのだから。

 さて、近況らしい近況もかかねば。高等教育フォーラムは事実上の開店休業状態が継続中。ま、オナカマ投稿しかのせない、という宣言をしてしまった以上、それ以上のものにはもうなりえないのだからこれは松田氏の自業自得。もうちょっと社会経験つんでいれば展開はちがったかもね。

 娘のダンス発表会用に、IXY DV3を買う。miniDVは個人でつかうのははじめてなんだけれど、ヘッド汚れによる録画の失敗が多くてちょっとげんなり。機械のせいなのか、使い方なのか、調べなきゃ。ただ、FireWireとiMovie、iDVDとの連携はあまりにも使いやすくてまる。とりあえず、日常的に持ち歩いて近くにあるもの、いる人をとりまくっています。写真とは違っているところが楽しい。発見しまくり。でも、録画トラブルについては、修理にだしてみたほうがいいのかなあ…

 大学は試験期間中。今年の一年生は休み明けのテンションが異様に低いのだが、どうしてだろう。

10月になっちまいました。うーむ、たしかにいろいろありました。あぅ…、なんだか幸せとしんどさがないまぜで、わけがわかりませぬ。ま、いいや。