2002年9月

 V6コン、我が家では誰もあたらなかった最終日のダブルアンコールでTake Me Higherがかかるとは。ダフ屋つかってでもいくべきだった… くやしい。

 だんだん、後期がはじまるような気配が強くなっていって夏がとおのいていく。試験期間が終わると後期の授業が始まる。どたばたの毎日がまたくる…とかいいつつもこの夏は二日しか休みとらなかったっけか。どのみちどたばた。

 デジモンフロンティア、最初のシリーズにサービス過剰なほどのキャラクター総出演をくわえたような流れでちょっと疲れ始めていたところでの新展開。テイマーズのころの深い流れが見え隠れしはじめた。これは、ぞくぞくするほど先が楽しみ。それにしてもこういうアニメや特撮に比べてやっぱりとれんでぃどらまの陳腐なこと。最近だと深夜の「通販マン」くらいか、まともにみられるのは。「サトラレ」なんかあいかわらず原作のよさをくいつぶしているし。まあ、原作のファンがドラマをみてくれている間はいいのかねえ。個人的には却下、です、あれは。と、いうか、「サトラレ」に関して言えば原作の設定だけで「イッてしまう」ファンが結構いるような気配。言語と脳と、意識と外界、なんていうと知識人の一部にとってはツボだろうからなぁ。でも、それとドラマの脚本の出来は別、でしょ。あーあ、まともなドラマ、ないかなあ。ねぇ木更津の続編はいつ?

 ガンダムウェハスがつらくなってきたこのごろ、とうとう二十世紀グリコ第二弾に鞍がえ。今回もまたつぼつきまくりのアイテム群にくらくら。だぶってもいいや、これなら。Fとか272なんか、いくつあってもいいもの。

 最近みた映画、龍騎とバイオハザード。どちらも正解でした。バイオは、まんまゲームの雰囲気だから疲れるヒトは疲れるかもね。でも、バイオってよく考えるとエイリアン2っぽい、というかまんまエイリアン2だった。リッカーがリアルに動いていたのはよし。バイオ2当時にモーションでがんばったカプコンの社員さんもむくわれたよねぇ。

 よど号関係者の帰国がまたニュースになる。こうやって、「団塊の世代にとってのヒーロー・ヒロイン」の姿がまたみえてくるのだ。あさま山荘も映画になったし、ようやく戦後から日本は抜け出す一歩をふみだしはじめたのかもしれない。

 バイオハザード見に行っていたせいで見そびれていたキングゲイナー第一話をようやく見る。富野言葉、富野キャラ、ともに健在也。さらに、画面構成の美しさとオーバーマンのデザインの斬新さ。おしゃれな会話の数々。勉強部屋からたまたまでてきた子供が後ろでちょっと見て、「なにこれ、おもしろいじゃん」とのめりこんじゃったくらいだから。コスモスがもうじき最終回を迎える今、土曜日の新しい期待感、ということになりそう。オープニングのノリのよさも手伝って、毎週わくわくしそうです。WOWOWはいってて(と、いうかやめてなくて)よかった。それにしても、富野って少年かできあがった青年以上、というのをいつも描くのだな。波乱万丈をもういちどやってみたい、とかおもわないだろうか。いまの富野のふっきれ具合なら、リメイクされるダイターン3なんかはとっても見たいものの一つなんだけれど。とまれ、しばらくはキングゲイナーで楽しみます。

 チョコエッグ、はじまってしまった。もうほとんど季語。でも…今回のチョコQはちょっと…なんというか、チョコがおいしくない。これって、デジモン02チョコのチョコっぽい。ラインナップはまあまあ。あいかわらず棘皮動物がはいらないのは×。特別版セットを買ったらいきなりバステトがでてしまうし、なんだか気持ちがもえない。と、いうか、最近の海洋堂自体がちょっとアレなんで、個人的にはチョコQはもぅいいかな、とか思いはじめています。ヒメアマガエルとかはほしいけど。ちょっとさびしい。

 醜い。醜すぎる。なにが醜いかというと、拉致された人の家族たちだ。これまで、「拉致」自体を否定していた北朝鮮から、死者の数までひきだすことのできた小泉訪朝は、もちろん国交正常化へむけての大きな(そして北朝鮮という国のこれまでのスタンスを考えると歴史的な)一歩であることは明白なことだ。それを「アメリカといっしょに制裁を」だの(んなアホなことが「コクミンノコエ」のはずがないだろうが!!)、「国交正常化は最初からきまっていた」だのと、なにを見苦しい。それほどいうならば国交が正常化された後に北朝鮮の子供たちを拉致しにいって、さらに殺せばよかろう。「そういうことを言っている」んだよ、あんたらは。もともとは、「あんたらの世代」や「あんたらの前の世代」が前の戦争でなにをやってのけたか(もちろん、小林よしのりはあんたらのミカタだろうさ(嘲笑))が背景にある、ということを忘れるな。実に見苦しい。北朝鮮に、「アメリカの尻馬にのって報復する」と亡くなった人たちはヨロコブというのか? いや、ヨロコブと信じているんだろうな、この「カゾク」どもは… あんたら、アルカーイダといっしょじゃん。9.11、やりたいんだね、北朝鮮相手に。ジェット旅客機の操縦でもならうかね。目的が目的だからアメリカは、いや、ブッシュサンは便宜をたくさんはかってくれるかもよ(嘲笑)・

 そう、ここで、取材すべき対象はこんな「拉致された人の家族」なんかではない。彼等は(同じ日本人として恥ずかしい限りだが)、どうせきまりきったくだらないことしかいわないし、いえない。テレビ局がインタビューすべきは、北朝鮮の国民だ。「拉致はでっちあげけ」と思い込んでいた彼等の言葉をこそ聞きたいのだ。加えて、拉致された人たちというのは北朝鮮にとってなにがしかの「使い道」があったはずなのに死んでしまった、ということの背景には、「北朝鮮の一般国民の普通の死亡率」がどれほどのものか、という現実があるのではないか。世界からとりのこされた国の、どうしようもない現実の姿をこそ報道ははたさねばならぬ。そう、そのための訪朝だったのではないか。
 今回の訪朝で、「北朝鮮の姿」を報じたテレビ局は、それが「真の姿かどうか」をあばかねばなるまい。それができなくて何が報道か。

 評論家きどりの(というか職業的にはヒョーロンカな人たちが)小泉訪朝は失敗だったとさわぎはじめた。「国民の生命をまもるのが使命」だからなんだそーな。今回の場合、事前に死亡が確認できなかったこと、そして、確認できた時点で席をけってぷいっとかえってこなかったから失敗、なんだそーな。首脳会議なんか一か月二か月遅れてもなんの支障もない、んだそーな。ヒョーロンというよりも、マスコミが期待している文言をはいているだけなんじゃないのか、これ。国交正常化がなされなければ死亡の原因の調査もままならないのに。ケツ割ってかえってくれば「国民の生命は守られ」たんだろーか。そーすりゃ生き返るのか? あほくさい。かたくなだった北朝鮮のスタンスの変化をもたらした、という点で訪朝は成功といっていい。それまで死亡がわからなかったのは、「北朝鮮の態度」と「国交がないこと」が原因だったのであり、その両方がクリアされたのだから、とりあえず、現時点では優秀な結果だ。

 なんか、ニホンジンの未成熟さというか、駄目っぷりが露呈していくできごとになりつつあるかもしれない。まさか、拉致された人の家族は、拉致されても北朝鮮で幸せに元気にくらしている、と信じていたのだろうか。北朝鮮の一般の人々の生活水準、平均余命などをたしかめたほうがいいのではないか。

 ふう。チョコエッグ、混乱している。フルタの第六弾は、ねぇ。世界はともかく、ムツゴロウじゃそれこそ世界中の動物好きを敵にまわしたんじゃないの? くやしいけど、選択の失敗でこれまた海洋堂の勝ち、か。ままならんなあ。

 魔界転生、リメイクはうれしいけれど窪塚ではなあ… せめてGacktあたりをもってこれなかったのか。なんだかがっかり。

 案の定、反小泉の論調が派手になってきた。訪朝失敗、ということにしたい手合いが裏で糸をひいているかのようだ。みているととってもおかしい。ちっとはちゃんと脳みそ使って考えましょうよ、日本のみなさん。なんだか、10年前に死んでいたことまで小泉のせいみたいな論調もある。訪朝しなければ「10年前に死ぬことはなかった」とでもいいたいのか。そんなばかな。猿の手つかって三つのお願いでもしますか?「帰ってくる」かもよ。
 ようするに、拉致された人の家族達は行方不明の身内の安否を知りたかったわけではないのだ。彼らは、「元気な身内」とテレビの前で涙の再開をしたかったのであり、消息を知りたかったのではない。「消息」は「無事」にきめつけられていたのだから。これって、「拉致なんかない」と言い続けてきた北朝鮮の態度とどこが違うのだろう。死んだ8人も、「目撃証言」のあった人たちだ。つまり、家族がよろこんだ「目撃証言」こそが、彼らの命を奪ったのかもしれない(高度に国家的な疑惑であればそれもまた十分に考えねばならないことだ)わけだ。あなたたちのよろこびが彼らを殺したのかもしれないよ、と。
 つまりこうだ。「感動の再会(とめどもない涙と、ゴールデンタイムを占拠するようなテレビ出演と、おそらくはベストセラーになる手記つき)」だけが、彼らの望んでいたことであり、「安否」なんかどうでもよかったのだ。「感動の再会」ができないのならば、いっそのこと「安否不明のまま」「涙をさそうとりのこされた家族たち」でいたかった、「死にました」なんていう結果は、たとえそれが事実であれ受け付けることはない、ということだ。「訪朝失敗」という言葉が必然的に内包する現実がこれだ。
 行方不明の身内がいまどうしているか、あるいはいまどうなっているか、には興味がない家族。ほんとうに「家族」なんだろうか。テレビの中でエスカレートしていく彼らの感情的な暴言をみるにつけ、北朝鮮と日本のどちらがまともな国なのかどんどんわからなくなってくる。たとえそれがどんなに辛い現実であれ、身内のことを確認したくはなかったのか。訪朝失敗、といいつのり、アメリカといっしょに制裁を、とさけぶ老人どもを見ているとどんどん気がめいってくる。よしんば個人的な怨恨がそこに発生し、さらにリベンジの意欲まんまんであるならば、なおさらだ。僕も聖人君子ではない。身内を「殺された」恨みをはらしたいという気持ちも理解できる。でも、それでもそこでなんであめりかなんだ? あんたら、テロルすら他人まかせなのか。あんたらにとっての家族なんてそんな程度なのか…いや、そうではあるまい。あめりかといっしょに制裁を、と彼らが言うとき、そこに制裁の意識はすでに乏しい。あるのは「親アメリカ」を標榜することによって発生するマスメディア的価値観の結果だ。ブッシュのすることを正当化したい一群が、彼らといっしょになって都合よく調子よく騒いでいるだけだ。気の毒なのは拉致され、こうして身内にまで事実上見捨てられていく死者たちなのだが…
 拉致疑惑以上に高度に政治的なモノが彼らの文言なのかもしれない。

 なんだかなあ。死亡原因、というか「殺した」のはもしかするとよど号関係者かもしれない、というはなしもでてきた。殺したのも日本人かもしれないわけか。それも、またしても、という彼等。ひょっとして、今回の拉致事件自体が戦後のわるあがきなのかもしれない。団塊は日本の背負った不良債権か。

 そうそう、例の青色ダイオードのナカムラ氏、特許権の裁判で半分負けましたな。権利移譲の書類がある、のに対して「はんこおしてない」とか「正式なものではないと思っていた」とか「当時は特許権についての意識が自分にはなかった」とか、うそのように見苦しい言い訳をしている。この言い訳が彼に20億円もたらすかどうか、注目しますか(嘲笑)。まあ、このヒトもあの世代ですからねぇ。

 拉致事件の犯人とか殺した犯人とかを日本に呼び寄せる、というはなしがでてきているけれど、それってへたするとやっくるのは日本人ばかりだったりしてね。連合赤軍ののこりを強制送還するのにいい口実になるかも。

 龍騎の新エンディングがでたけれど、またしてもCDではない。買ってもきけないじゃないか、これ。よくみるとavexと書いてある。avexって、もう2度とCDはださないのだろうか。はっきりいってCCCDなんかをだすようなところの商品は決して買わないだろう。番組にもクリエイターにも責任はない…のだけれど、でもavexをつかっている、という時点で責任の一端はある、というべきか。仮面ライダー龍騎、これから最終回にむけてのもりあがりだというのに、avexにおもいっきり水をさされたかたちだ。ひどいものだ。

 実にひさしぶりに本を買った。本屋には毎日立ち寄っても、買うほどの本がない、という事態がここ数年続いていたのに、めずらしいことだ。買ったのはリトル・モアの「ノーム・チョムスキー アメリカこそ世界最悪のテロ国家だ」。タイトルがすべてをあらわしている。ファイヤアーベント亡き今、刺激的な知識人というのは希有な存在といえよう。これを読んで個人的にウケた、というか、ああ、同じことを考える人間がいたな、と思ったのが「グラウンド・ゼロ」のはなし。アメリカ人にとって最初は「ぱーるはーばーすにいくあたっく」だったはずの現場がいつのまにか「グラウンド・ゼロ」よばわり、という事実が何を物語るか、ということですな。まあ、僕もあそこに親戚がまだ埋まっている以上、そのうちいかなくては、とは思うけれど、その時にはきっと現場ではなく、その周囲の環境を見にいくのだろうと思う。DVDが11月にでる、というのは「買い」ですな。

 アベノ橋、2周目の最終回をみる。これ、DVDの五枚目はどーなるんだ? それにしても、庵野もあかほりも、やれば、というか、主導でなければすごいのつくれるじゃん。ガイナックスをみなおしました。で、次は?

 「チョムスキー 9.11」を見る。ユーロスペースなんか、へたすると20年ぶりくらいに行ったのではなかろうか。期待どおりの内容。観客が多かったのは意外だった。どっかの大学の言語学だかの先生みたいなのとか、そういう客層。「チョムスキーだからみにきた」人とか多そうだなあ。「あなたの活動に、言語学はどういう影響がありますか」という質問に「ZERO。むしろ時間をとられるから邪魔」と答えるチョムスキーを見てそういう人はどう思うんだろう。講演の中ではアメリカが北朝鮮のダムを爆撃したはなしがでてくる。「全部水浸しで、米を食うアジア人をひどい目にあわせてやった」というアレである。北朝鮮はそういった洪水で毎年大量の餓死者がでているらしいけれど、拉致された人の家族たちが言うように「アメリカといっしょに制裁を」というのは「こーゆーこと」をあの年寄りたちはやりたくて仕方がない、ということになる。なるほど、チョムスキーは正しい。「テロをなくすのは簡単だ。参加しなければいい」と。そう、「彼等が」テロを支持し、生み出している、ということだ。要因は末端の個々の意識にあるのであって、けっして妄想される「組織」や「政府」にあるのではない。無自覚な個人こそが、テロの温床なのだ、というこの現実は、たぶん講演を聞きにきた大半の人たちは理解できなかったようだ。それは、きっと映画を見たひとたちの大半も。それでも、チョムスキーは語り続けるのだろう。