1999年5月

医歯系受験科目の理科必修

 おおよろこびしている人たちもいるのだろう。とりあえず、医学部にはいってくる学生が生物を高校で履修していないのはけしからん、そのせいで学力が低いのだ、とやっていた手合いにとっては、受験科目で理科必修となることで受験生は少なくとも理科を学ぶようにはなろうから。しかし、断言してもいいけれど、大学での学生の学力低下はこういったことではほとんど改善されないだろう。何度も主張してきたことだが、高等教育での学生の「出来」はそんなに中等教育にべったり依存しているわけではない。むしろ、大学にはいってからの教育のあり方のほうが重大な問題といってよい。大学の教員が自分の講義や試験についての反省や改善なしに、ただ高等学校でのカリキュラムによって事態が改善されると信じているのであればただのおめでたい馬鹿である。入試で必修となるということは、その後の学生の水準については大学教員の責任が重大である、ということがそのうち自明になる、ということだから、心配せずともほうっておけば彼らは馬脚をあらわすだろうけれど。もっとも、すでに「高校の教育体制のせい」に転嫁する用意を万端ととのえて「それでもなお中等教育のせい」にしようということだってなきにしもあらずなので油断はできない(いや、すでに「高等教育フォーラム」ではこの手のすりかえ話題が発生してしまっているくらいだ。彼らはよっぽど事態が「大学の問題」となることに耐えられないのだろう)。

 しかし、もっとおばかなストーリーもある。「医歯系」だけでなく、全学部に理系科目必修をひろげるべし、という流れがそれだ。たしかに、国立大学の理学部で生物をおしえる教授先生がメンデルの法則もちゃんと理解していない、というおさむい現状ではそれにも一部の意義はあるのだけれど、それをいうならば、理系進学者にこそちゃんとした国語、社会の教育をしなきゃ、という論だって必要だろう。とくに、いわゆる「科学者」の教授先生の中にちゃんとした日本語をかけない人や人並みの読解力もない人がうようよしている以上(「ろうむしゃふぜい」という実例だってあるわけで)、理科教育なんかよりもよっぽどこちらのほうが大事だ、という論点には説得力がでてくる。

 もっと高校で理科を、とさけんでいる人たちの中に「科学者」が結構ふくまれていて、彼らが自分のことを「教育者ではなく研究者」と思っている間はどんなにシステムを変えても事態はよくならないはずだ。高校がどんなにがんばり、受験でどんなにちゃんと選別しても、それを受け入れる大学教員に問題があればおしまいなのだから。大学教員がひとごとのように「高等教育」をのうのうと語る、というような狂った状況はそんなに長くつづくはずがない。現実がはるかに自分たちをおいこさしてしまっていたことに気がついたとき、彼らはいったいどうするのだろう。


1999.05.06