1999年5月

東北大学セクハラ裁判全面勝訴!!

 東北大学の大学院在学中に助教授から性的嫌がらせを受けた、と1000万円の賠償を求めていた裁判の結果が出た。原告の主張がほぼすべて通り、750万円の賠償金。大学に訴え出た時点では「大学側は両者から事情聴取するなどして2人の性的関係を認定したものの、「助教授が性的関係を合意と誤る状況があった」として、助教授への処分を厳重注意にとどめていた」わけで、学内の対応が教員よりのものであることがはからずも全国に明らかになった。さらに、この助教授は裁判でも「助教授側は「2人の関係は女性側の自由意思で始まった恋愛だった」と反論していた」わけで、指導教官と学生という立場の差を「自由恋愛」の一言で無に帰そうとしていたことがわかる。この「自由恋愛」という言い訳はセクハラ事件で事実認定された加害者が必ずやってのけるものであり、個人の自由と基本的人権というお題目を隠れ蓑に自らの行為を正当化する方便だったわけだが、今回の判決の価値はまさにこの点についての裁判官の判断にある。「自由恋愛だ」という助教授の言い訳に対しては「助教授は、女性が指導の放棄を恐れているのに乗じて性的言動をエスカレートさせた」と退け(教員と学生の立場の差というものがきちんとくみこまれている判断である!!)た上、「教育上の支配従属関係を背景にして女性に不快感を与える言動をとるなど、多大の精神的苦痛を与えた」とするこの判決は、大学という空間に蔓延しているよどんだ腐臭をふきとばす大きな一端となるに違いない。

 これは、キャンパス・ハラスメントに限らない。職場の上下関係を前提にした「自由恋愛」など、この判例が力となる局面はまだまだたくさんある。その状況において、一方が「自由恋愛」をいかに標榜しようとも、背景の力関係によってもう一方はそれを「享受する自由」はあってもけっして「拒絶する自由」が存在していない構造、つまり「受け入れることを強要される自由」しか認められないという立場差の実態をこの判決は公的な記録に残したのだ。

 「研究問題ML」というメイリングリストがあるが、その中では学生ですら「教員と学生は対等だ」と主張することがある。研究での関係も恋愛と似ている。みせかけの上でうまくいっている間は自分が何にしばりつけられているのかがわからないのかもしれない。だが、ここでは大学院での教員と学生の関係を正しく「支配従属関係」と明言しており、今回の判決の主たるポイントは性的ハラスメントに限定されないものであることをも意味している。

 教員は、間抜けなことをすると相応の負債をはらわねばならないということを自覚すべきだ。今回の賠償金の金額の多さはその負債の大きさを示している。また、琉球大学での判決も含めると、さらに懲戒免職という結末もあるのだ。大学という閉鎖空間の中で、なあなあでごまかしていればすんだ享楽的時代は今年で終わりである、と覚悟すべきであろう。

 もっとも、「学生に告訴されていない」がために大学での終身雇用の恩恵をのうのうと享受している教員はまだまだ存在しているわけで、学生の闘いはまだはじまったばかりだといえよう。

(文中、YahooJapanのニュースコーナーでの1999年5月25日(火) 8時42分付けの記事から引用を行っている )

1999年5月25日