1999年1月-4月

ウルトラマンガイアと東京都立大学とさいえんちすと

 1/24放映分のウルトラマンガイア「滅亡の化石」でまたまた東京都立大学がその雄姿をブラウン管にさらけだした。ティガのころから、円谷作品には京王線沿線がよくでてきていたし、実際、ガゾートの回ですでに一度都立大学は怪獣に襲われて壊滅しているし、ダイナでは京王堀ノ内の駅前がゴミ怪獣ユメノカタマリの活躍する舞台となっていた。ガイアでも何度も京王多摩センターの近辺が撮影につかわれていて、みていて「あれ?」ということが多い。でも今回は、おもわず大笑いして手をたたいてしまった。

 絶対生物のゲシェンクが登場した後、都立大の理学部をふきとばしてしまうのである。それも大層派手に。つい、歓声をあげてしまった(笑)けれど、妙な違和感があった。ビデオを巻き戻して確認してみると、なんと、理学部だけ「本来あるべきではない」場所に合成で引っ越しているのだ。駅前の塔と都市研究所、講堂に重なって、本来ならばずっと奥にあるはずの理学部が背後にそびえている。そして、ブラウン管に映ったと思った次の瞬間には見事に吹っ飛ばされているわけで…どうもヤラレキャラ的な印象なのだな。絵的に「こわしがいがある」とすれば、そりゃ、あの目立つ塔のほうがかっこよく壊れてくれるだろうし、こりゃあもしかすると理学部に恨みのある卒業生がかかわっていたりして、とか想像をはたらかせてニヤニヤしてしまった。

 ウルトラマンガイアについては、科学と科学者と社会と、という話や、構造主義者と還元主義者と、という話、など重要なテーマがいろいろふくまれているので、そのうちきちんとまとめてみたいと思っているのだけれど、こういう「あそび」も楽しめる。おいらの母校を壊すな、とかいう「おかしな卒業生」のヒステリックな「苦言」なんかがテレビ局によせられちゃったりするとさらに笑えるけれど、どうかなあ、とかも思う。

 さて、アグルの藤宮が「コンピューターの答え」にひきずられて自分個人の感覚や感性をおしころして闘う道を選んでいたストーリー前半は、その分析的な「かがくてき」スタンスによるアプローチがガイアこと高山とぶつかる、というシチュエーションでもあった。ただ、この観点でみた時、高山よりもニュースキャスターのほうがより本質的な言葉を吐いて藤宮を混乱させていた。それは、危機の中で藤宮が「つい」とってしまう「自分にとっては不可解な行動」とあいまって、「ないいぶなさいえんちすと」を大きくゆさぶる波となっていったわけだが、結局はコンピューターのバグが照明されない限りどんなに自分にとって不自然なことであってもそれの正しさを疑い得ない科学者の情けない性を露呈させるのに成功していたともいえる。

 分析的な手法は、一種の便宜なのであり、なにかを知るための、あるいはあきらかにするための唯一正しい手法というわけではない、ということは、たとえば、ナイトメアビフォアクリスマスでのジヤックの姿や、12モンキーズの中でのプラッド・ピットの姿をひくまでもなく自明なことなのだけれど、「科学的手法」にはなにか一種麻薬的な危険性がそなわっていて、それを遣うものを宗教的盲目の中に追い込んで行くのかもしれない。

 ウルトラマンガイア本編は、物語中盤を過ぎて、そして、製作側も余裕がでてきていてパワフルである。「遠い街ウクバール」など平成ウルトラマンシリーズの中でも屈指の出来といっていいのではないか。映画ともあわせて考えると、このウクバールの寓話的物語はもしかするとガイア本編の中でも重要な位置付けとなるかもしれない。


1999.01.21-04.30