Tameo TMK129 Ferrari 641/2 (と2000年のF1)

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 B3の後、どうしようか、と悩んでいた。ウレタンクリアのひびなんかもちょっと心にひっかかっていたし、来月末には引っ越しもしなきゃなんないし、四月からの生活もまだ見通し不鮮明なものだから、当分キットをさわらないようにしようか、とも思ったり。でも、だめ。わかっていても、キットをさわっていないと心がざわついてくる。結局、ストックを物色する毎日が続きました。やっぱ、病気かもねえ。
 最初に手にしたのは届いたばかりのTronの後期型C2。でも、今度は違う雰囲気のがいいなあ、と却下。次に、FDSのCKを触る。でも、これはもっと後のお楽しみに取っておきたいから、とこれも却下。どたばたの時期だから、細かいフルディティール物は無理だし、と、さらにこれまた届いたばかりのEliteDesignのBMW320iをしばらく眺める。UnilockのデカールはMiniCADで原版をおこしたのだけれど、いまだに車の後ろとかマークの細部とかが不明なのでこれも断念。先日、僕のe-bayでのbidのパターンに注目した、とかいうカナダの人とメイル友達になってしまって(彼もVilleneuveコレクターということでのつながり)、いくつか写真を送ってもらったのだけれど、まだ資料としては足りないのだ。「友達のAllan de la Planteに聞いたけれどあの本の写真以外はないらしい」、とか聞いちゃうと、結構大変なことはじめちゃったのかなあ、とか思う。

 さて、それで何に決めたか。この選択には徳永さんのたちあげた43MLの影響アリ。これは、新規のストックではなく、レストアなのです。親戚の子供にぼろぼろにされちゃった車。そして、実は僕の記念すべき43第一号でもある。これのレストアはそのうちするつもりで、Tameoの予備デカールを買ってあったり、塗装はすでにはいであったりするのです。で、いまはこんな感じ。

 これが、今の目でみると、案の定「すごい」んですわ。これ作ったときって、資料もそんなにないし知識もないし道具もない、という感じだったっけ。そもそも、梅田のキディランドでスーペリアの312Tをみつけて店員に「これ、値段の桁まちがってませんか」ときいたようなころの自分(遠い目)。ちょうど、泊まりにきた友達がその年のF1にはまっていて、つきあいで見たテレビでとびこんできたのがこの641/2に対する古舘の「疾走するカモノハシ!」という台詞だった(いや、もしかするとあれは640だったのかもしれない)。それまで、F1というのははるか昔の日曜日の記憶しかなかった自分にとって、ひさしぶりの邂逅だった。この年のF1って結構個性的な車があったのだけれど、キディランドにはTameoのそれぞれのキットがちゃんと入荷していた。最初こそ値段にびびっていたけれど、当然スーペリアよりは安いし、だんだん気になってきて、とうとう手をだしたのがこの641/2。この後、雑誌も調べはじめて、バイト先に行く途中に福島で途中下車すればRomuにいけることに気がついたり、とハマリの道をたどるのだけれど、それはまた別のハナシです。ハイ。

 さて、キットだけれど、今では影も形もない、一時期のTameoスタンダード。最近だと、安売りされていたりするアレですな。でも、みなきゃなんないのはそこではない。なにしろ、メタルパーツのどこがなにかわかんないまんま、インストにしたがうのがせいぜいだった、という作り方をしているわけで… バリかパーツかわかっていないからバリは随所に派手に残りまくり。パーティングラインも御丁寧にすべて残っている。レストアにもかかわらず、ほとんどキットを最初からいぢる感じなんですわ。ああ、昔の自分って辛い。見ると、へんなやすり跡もあるし、しばらくは表面の処理が続くなあ。

 e-bay、1979年のワトキンスグレンのパンフレットと1973年のモスポートのパンフレットが届いた。ワトキンスグレンのF1のはともかくもモスポートのはフォーミュラフォードのパンフレットで、8ページに一行だけジルの名前がある(笑)というモノです。sellerが落札価格に驚いちゃうのはこういうところのせいですね。で、これでわかったのはMagnumFordという名称で本に乗っていたジルの車はここではTitanという名前で登録されていること、かな。キットでてないのかなあ。

 

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 進行は、こんな感じです。サスペンションアームのパーツなんかはちぎれていたりするので、それを半田づけしたり、一部のエッチングパーツは紛失したりしているので、それはプラ板で再生したり。ボディは、あいかわらずサフ→ベースホワイト→モデラーズのピンクサフ→モデラーズの馬赤、といういつものパターンです。缶だし。

 つくっていて、昔と一番違うのはやっぱりボディの表面処理でしょうか。なんにもわからずにつくっていたし、プラモの感覚だと表面処理なんてほとんどなかった。今でこそ、プラモでもサフふいたりやすったりするのは「あたりまえ」という感じの雑誌が氾濫しているけれど、ね。赤を吹いた後、エメリーの2000番で表面をならしたところ。仮組みが一段落したら、楽しみのデカール貼りに突入の予定。課題は、コクピットまわりにどこまで手を入れるか、ですな。幸い、手元にはタミヤの1/12もあるし、資料にはことかかないのがうれしい。あ、でも、タミヤがだしていた資料本もかっとけばよかったよなあ…

 とりあえず、丁寧な表面処理と薄い塗膜、がポイントなんだよ、と10年前の自分に教えてあげたい。

 なんと、e-bayで今度は1978年のワトキンスグレンのパンフレットをせりおとしてしまった。以前でていたものはアメリカ国内のみ、だったので嬉しい。でも、結構みかける、ということは、このワトキンスグレンでのレースって結構な数のパンフをだしていた、ということなのかなあ。

 amazon.comから購入したFormula1Sagaというビデオを見ながら、このページを作っているのだけれど、これ、結構おもしろい。30分の番組が三本はいって一本のテープなのだけれど、映像はきれいだし、いろいろな人がでてくるし、なかなか。残りのも今度注文しよっと。

 さて、昨日は引っ越し先の契約をすませてきた。駅から徒歩三分、というのが嘘ではないのは立派。駅前の店もそこそこだし、生活はいまよりも便利そうなのがなにより。問題は…年収が今の半分とまではいかなくても3割減くらいにはなってしまいそうなところだなあ。家がひろいから、ストックの1/12なんかをつくったりしてしばらくはストイックにすごさないと。どなたか、よいサイドビジネスあったら紹介してください。はぁ。

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 デカール、貼りました。気持ちいいなあ。

 この、コークボトル系のかたちは、当時の盛り上がりの記憶もともなってなんともいえない心地よさをかもしだしてくれる。これは、デカールを貼って一日乾かした後、水でごしごし洗ったところです。明日あたり、天気がよければクリアを吹きつける予定。さあて、引っ越しまでに完成するのか、それとも、途中の状態で引っ越すのか、どうだろう。そういえば、以前のメリ・プロバンスの642は大阪からの引っ越しをはさんだせいで、何年も休眠してしまったのだっけか。ま、今度はそんなことはないでしょうけれど。

 リニューアル版ダンバインを買う。買ってきて奥さんにみせたら、感動していた。数ヶ所、色を塗らないといけないみたいだけれど、よい出来だと思う。そういえば、以前のプラモデルは、いまいち気に入らなくて買っていなかったのを思い出した。次がズワウスで、その次がビルバイン、ということだけれど、成型色としてビルバインはおもちゃ屋版になるのだろうか。その次はサーバインになるのかなあ。ライネックとかブブリイとか、各種オーラシップとかはでないのだろうか。ま、つくるのは引っ越してから新居で、ということになるのでそのままストック状態。

 チョコエッグ第三弾、はじまってしまった。しかも、近所のコンビニに常に大量在庫しているというすごい事態におちいっている。なんでも、他のチェーン店から、これは売れるよ、と聞いてきていれてみた、らしい。そこにもって、何十個という単位で買っちゃったから、コンスタントに入荷するようになったみたい。まだ19種しか集まっていないぞ。今回は期限があるからなあ。

 PS2、ドットコム経由で予約してしまった。クラッキングされているなあ、とか思ってみているうちに復旧して、その場で予約できてしまった。R5とあわせて、3/4当日に到着予定。とりあえず、鬼武者が楽しみなんだけれど、ナムコの技術にも期待。プレステを最初に見たときのようなショック、あるだろうか。

 なんだか、ものごとにふりまわされている。結局、四月からの職がまたかわって、今度は神奈川県内にある大学の生物学教室で助手を務めることになった。今度のはほぼ決定でうごかないので、とりあえずはほっとした感じである。千葉から通うことになってしまったのが、ちょっと間が悪かったけれど、住環境はすさまじく改善されるし、今の家からの通勤と大差なさそうだし、なによりも秋葉原が通勤途中になる(笑)。仕事はいそがしいだろうけれど、研究は続けられるし、ちゃんとした雇用だし、やれやれ、最後の最後に本命がきた、という感じだ。世の中、こんなもんですかねぇ。年収がちょっと減るのはしかたないけれど、じわじわと昇給もあるだろうし、ちゃんとボーナスもあるしねえ。

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 クリアかけ終了。今回はウレタンではなく、フィニッシャーズのオートクリアに戻って、ハンドピースで吹いた。薄く、かっちり、という感じはやっぱり気持ちいい。ただ、吹きっぱなしで完了、という感じにするのにはこつがいるかも。見た目ではまえと差がないので写真は省略、です。これに2000番かけてからコンパウンドがけの予定。うーむ、コンパウンドでみがいているうちに引っ越し、というパターンか。これを完了した時点で、コンプレッサとかハンドピース関連も箱詰め。

 引っ越しの見積もりをとってもらった。いわく、家具は少ないけれど本が…とか。そういや、家具といえば本棚しか思いつかないんだけれど(笑)。でも、とにかく二日がかりの予定と見積もりをとった。うーむ、家の契約とあわせるとやっぱりそれなりの金額になるなあ。実行が三月末なので、そのまま仕事始めともかさなって、しばらくぐちゃぐちゃになりそうな気配。PGZどころじゃないかも(あたりまえだってば)。

 今日は、国際郵便がたくさん届いた。一つは、e-bayでせりおとしたカナダで出版されたジルの本。le dernier virage,Christian Tortora著。フランス語なのでよめません。写真を見るだけ、というのも悔しいけれど、こればっかりはなあ。でも、気になる写真にはぜんぜん説明がなかったりするので、フランス語読めてもおんなじなのかも。

 もうひとつ、e-bayからはカナダのF1雑誌Formulaの92年の一冊。ジルの特集がある奴です。92年のF1って、なんだかとっても懐かしい感じがする。ハッキネンはロータスだし、アマーティもいるし。この号のジル特集は写真がうれしい。なんといっても、初期の写真が、ね。例のBMWも写真が一枚。右側面だけど、資料は多いにこしたことはない。それにしても、グッドイヤーの下に見える青い四角と黄色い丸の重なったステッカーはなんなのだろう。ウルフのWD1もちょっとかわったアングルからの写真がのっていて、イメージが違って面白い。これだと、プロバンスのキットよりもグラマラスな感じだなあ。

 さらにもうひとつ、GPMからTRONのM.Models製126C届く。表書きはFerrari126CK Imola80なので、当然のように予選版126Cである。あ、これでキット三個目だ、この車種。これがまたミョーなキットで、いまどきエッチングパーツがゼロ。それだけなら、ちょっと前の43なんだけれど、なんと、リアウィングは銀色にメッキ済み。とはいえ、バリはあるし、結局はそのままではつかえそうもないのだけれど。こういうのははじめて見たなあ。

 先週のターンエー、「シャイニングフィンガーとはこういうものか」で爆笑。全肯定というのはこういう小ネタも含まれるんだなあ。

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 模型はあんまりすすまず。引っ越しをひかえて、道具類なんかも箱につめはじめているし、だんだん先送りになっていく感じ。クリアもぴかぴかに磨いたしね。シートの皮の表現をどうしようかとか悩んでいるところです。

 さて、その他の話題。Yahooオークションでとうとう入手できたモデルカーズの創刊号を読む。アプローチの具体的な方向が違うけれど、その全体的なポリシーにおいてはモデルカーレーサーズの創刊号に近い勢いやエネルギーを感じる。それにしてもイマイの四個パックミニプラモでWolfDallaraのWD-1が出ていたなんて(!!)。紫電といっしょのパックというのもおもしろいけれど、これ、実物みてみたいなあ。またオークション探しだろうか。プロバンスのキットが初、というわけではなかったんですね。

 e-bay関連では、カナダのビルヌープ切手とか、家族写真ののっているフランスの雑誌とかが届く。amazonからは、アラン・ヘンリーのThe Turbo Eraが届く。CKのコクピットまわりとか、結構やくにたちそうな写真がたくさんでうれしい。英語だし。

 そしてそして、忘れてはいけない今日のメインイベントはPS2。ドットコムで注文してあったのだけれど、ちゃんと午前中に届く。なんだかすごい時代になっ たと思う。いままでのPSのかわりにPS2を接続。電源、Sケーブルなどは全部いままでのが使えるから、そのまま本体をおきかえるだけでいい。しかも、いままではDVDとつなぎ換えていたのが、これでひとつの機械になるので手間がはぶけたりもする。ちょっとファンの音が気になるかな、と思ったけれど、遊んでいたり、DVDを見たりしている分には気にならない程度だった。縦置きのスタンド、ほしいなあ。とりあえずは、リッジVであそんでいます。

 チュコエッグ第三弾の中から、ツチノコがでてきた。半ばあきらめていたので妙に嬉しい。第三弾もあと10種ちょっとだし、まだしばらくはチョコづけの毎日らしい。



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 シートにはタミヤの情景スプレーをかけてみた。うーん、シートベルトはどうしよう。やっぱり、ティッシュですか? あと、ウイングは半田づけしてくみたて。う、サフもしまっちゃったぞ。どうしようかなあ。

 43MLのオフ会に参加。オフなんて、随分ひさしぶりだった。一番おもしろかったのは、一様に43つくっている人って本当にいるんだあ、という安堵感がただよっていたこと。ネットワークの威力、ですな。いや、とても楽しかったです。今度は職場近傍オフとか、千葉近傍オフとかしちゃいたいぞ。やりましょうね。

 おまちかね(笑)の文春ネタ、といっても、もうすでにジャニーズ関連の記事自体に内容のかけらもないのでとてもなさけない。ジャニー氏の写真がスクープだとか、メディアにでたことがない、とか… でもさあ、ちょっと前にでた写真週刊誌のほうがジャニー氏の顔もピントばっちりでよくわかる写真をだしていましたぜ。今回程度のピンボケ写真で偉そうにするもんではないでしょうが。あ、でも、文春は他の雑誌に何が掲載されているかのチェックすらもしていない、ということなのかな。噂の真相でも元ジュニアが証言台にたってくれないらしいとかすっぱぬかれていたし(いったとおりじゃん)、よっぽど経営が苦しいんでしょうね。記者接待ネタだって、結局は自分がよんでもらえなかったために呼ばれた他の記者がうらやましい、というだけの記事。あんな下品な記事かいていて呼んでもらえると思うほうがどうかしているんじゃない? 接待が口封じだなんて、僕にいろいろと接待でおごってくれた週刊文春のいうこととはおもえませんねえ(笑)。あれって、口封じ、という意味だったの?

 そういえば、ベストジーニストをとったキムタクの話。文春はわざわざLivisの本社に連絡したら、事実ならゆゆしきことだから調べる、と返事がきた、とうれしそうに記事にしていたけれど、その結果が日本人初の今回のCM起用だったわけだ。つまり、時期的なことを考えると、文春は「大人の対応」をされただけ、ていよくあしらわれただけだった、ということなわけで、もっと大人の社会を理解しましょうよ。まがりなりにもメディアなんだからさ。

 上野千鶴子にけんかを学ぶ、というのがはやっているらしい。読んでみるとわかるけれど、実にたわいもない本である。そこにあるのは議論・論争に勝つ方法なんかではなくて、ただ自分の耳をふさいでさけびつづけることで勝った気分になる方法、でしかない。著者の遥女史が朝のテレビにでて「実践」とやらをしていたけれど、他のスタッフによってずたぼろにされていておかしかった。岡田斗司夫とのやりとりも秀逸だったし。このテレビでは二つほど典型的な展開があった。一つは、大学にいって勉強したいと思ったということは、あなた自身、自分をよりよくしたいという欲求があったのでしょ、と指摘されて、上野流に「よい人間ってどういう意味ですか、わかりません」と抵抗したところ。要は、「いい人間・わるい人間」という単調な二項対立が遥氏の頭の中に確定していたことによる狭量にすぎないのだけれど、当然、相手のレベルによって「ああ、わからないんですか。へぇ、じゃいいです」で終わってしまう(嘲笑)。「わからない」と言いつづけることで、自分がなにがしか勝った気になれるのだとすればとてもオメデタイコトだけれどね。ああ、それこそが「上野流」なんだろうか。

 もうひとつは、キャスターがフェミニズムについての辞書の定義を読んで、これでいいですか?と遥氏にきいた時のこと。遥氏はちょっとうれしそうに、「自分だったらそこに理論と実践、というふうに実践の一言をいれます」と発言した。これはたぶん上野のうけうりだろうけれど、上野のフェミニズムというのは単に自分は社会でもっと評価されていいはずなのに、という後ろ向きなルサンチマンをフェミニズムに投影しているあたりが前時代的なのだ。案の上、この時も岡田氏がすかさず、それって古い定義ですよね、中ピ連のちょっと後、くらいので。最近ではそういう定義ではなく、もっと社会全体の枠組みを視野にいれた上でのシステムとして再定義されているのではないんですか?とつっこみをいれた。これは、最近のフェミニズムをちょっとでも学んでいれば当然の指摘なのたけれど…遥氏の返答はふるっていた。いわく、わたしはそういうむずかしいことを説明できるほどかしこくありません、と(笑)。当然、次の瞬間に岡田氏は「それってかしこさの問題なんですか?」と再つっこみをいれ、それでちょん。遥氏にとって、知性とか賢さというのは、単に他人の頭をぶんなぐる原始的な棍棒にすぎない、わけだ。へぇ、東大の上野ゼミでは「そんなこと」を教えているのかあ、ととぉっても勉強になった。予想通り、だけど。

 でも、僕が一番不思議なのは、著書の中の一節なのだ。遥氏と上野女史との化粧問答。どうして化粧をするのか、どうしてみための美貌が大事なのか、どうしてテレビの業界ではとりあえずみためのきれいな女性はそれだけで使ってみよう、という風潮があるのか、という点に対して、上野女史は得意の「わからない」を連発する。あげくに、自分をみろ、といわんばかりに女性が外見で評価される時代は終わった、今は外見ではなく能力で評価される時代なんだ、いいきったわけで…これって、ようするに単なる無知。象牙の塔におこもりになられているうちに、下々のことからは縁遠くなったんでしょうなあ。遥氏はそこで上野を完膚なきまでに論破できたはずなのに、いいようにいいくるめられてしまう。それって、遥氏自身が世の中の働く女性の敵にまわった象徴的な一瞬だったのだと思うけれど、だからこそかしこくないからフェミニズムはわかりませぇん、でも実践が大事ですぅ、なんぞといえてしまうのだろう。理念なき実践が何を産むかなんてことはゲバ棒の好きだった団塊の世代がいまなにやっているかをみればすぐにわかることだ。過去から学ぶのも論争に勝つひけつですぜ、オネイサン。

 上野というのは、つい最近もどこぞの講演会で存在しないセクハラ調査レポートのはなしなんかをしているらしい。単なる誤解なんだろうけれど、そういうところでそういうミスをするあたりが彼女のガクシャ・研究者・知識人としてのそれこそ「能力」を端的にしめしているのかもしれない。この教師にしてこの弟子あり、とか。

 でも「こういう本に限って」売れちゃうんだよねえ…

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 ごめん、模型はすすんでません。なにをやっているか、というと、今月末までしかできない共同研究の実験にあけくれ、そして、引っ越しの準備に追われていたりします。がっくし。

 オーストラリアGP、案の定(笑)マクラーレンはいまひとつの信頼性だったのはいいとして、バリチェロ、すごいじゃん。まさか初戦からワンツーがみられるなんて。しかも、サイドポンツーンのラインがなかなか魅力的ではないですか、F1-2000って。うーん、今年こそタミヤからでないかな。マテルはそのうち版権あきらめるだろうし。BARの4-6というのも、うるさい奴はいるけれど、立派なもんだと思います。最初は完走主体だったろうし、これから「せめて」くるでしょうな。ブラジルがいまからたのしみ。

 1/43MLのメンバーで本をつくろうよお、つくりたいよお、という感じで現在の日常は満たされています。なんか、まずくないか、それって。とはいえ、Kazさんちのチャットをやっているとだんだん出来上がった本のイメージがわいてきたりします。四月をすぎて仕事の見当がついてきたら、がんがんやりたいな。ここだけのはなし、たぶん「必要」なのは、モデルカーズの創刊号であり、レーサーズの創刊号の、あの魂なんです。つまり、いまいちど、神を現世に降臨せしめよう、というような意気込み、とか。ぞくぞく。

 PS2で、ぜひともほしいゲーム、ふたつあり。ひとつは、何度もいっているけれどクーロンズゲートの再話。そして、70年代後半から80年代前半のF1をリアルにシミュレートできるゲーム。312B3から126C2までを、そのまま… 312エンジンと、126のターボとを体感できるような、あるいはたいれるの六輪を実感できるようなやつ。最近、amazon.comから買い込んだFormulaOneSagaばかりみているから、そして、リッジであそんだりしているからなおさらそんなこと思うのかもしれない。でも、実車にはあんまり興味ないくせにへんだね。

 モデルカーズの51で編集のやまだま氏がe-bayに触れている。たしかに、日本は対象外、という売り手はいるけれど、いまのところそれでどうしても欲しいものがだめだった、というのは一回しかないし、それにしても最近ちゃんと別の売り手がだしているし。少なくとも、僕が取り引きした相手は全員とても好意的だった上、アメリカ国内のbidderよりもよっぽどいいこれからは積極的にInternationalにしていくよ、といってもらったことも何回もある。リップサービスはあるにせよ、ね。なんだか、e-bayのオークションでは日本人は嫌われているぞ、という世論ができちゃいそうでやまだま氏の言葉はずっと気にかかっている。いや、もっというなら、e-bayなんかよりも、日本のヤフーのオークションのほうがトラブルという点ではより細心の注意がいると思うし、そういうもののほうをこそメディアで触れるべきではないかな、とか思うのだ。どうだろう。

#ヤフーだってへんな人ばかりではない証拠に、僕は何度かとても良心的な売り手
#の方に便宜をはかってもらったりしている。ようは、一般化というものにはどう
#してもなにがしかの政治的意図から自由にはなれないよ、メディアはそれを自覚
#しないと、というはなし。

 うーん、どうなんだろうか。

 えのきくーん、日記が最近「たのしそう」ですなあ。僕は個人的にはあなたにはもっと期待していたのだけれど、ね。こんなもんかねえ。人によってはルサンチマンは身を滅ぼす、あるいは身のぼろを出す、というのがこんなにも露骨にみえてしまうとなんだか他人ごとながら哀しい。

(補記)
 サンデー毎日の続報を例によってえのき君の日記で存在を知って読む。うーむ、彼の日記はルサンチマンの暴発がさらに悪化している。雑誌で触れているのは学生がサインさせられた「権利放棄書」である。そんなもの、東大に限らず、モラルの問題であるのはあきらかだ。それに際して「助手が博士号をとるために私の論文を助手に譲る」という書類にサインさせられた、とある。で、これをどう解釈すれば「共著者の許可証」とか「特許放棄書」と思いこめるのだろう。そんなこと、どこにも書いていないぞ。読解力の問題? まさか、研究者のたまごともあろうあなたが? それにしても、「論文を譲る」ということが共著者の許可である、というのは、あまりにも東大生キドリのたかまりすぎたヒイキがすぎるというものだろう。それとも、えのき氏のいた東大の浅島研では、博士号のための「共著者の許可証」のかわりに権利放棄を日常的にさせているのだろうかしらん。とにかく、「ドクター論文の時に必要な共著者の許可証と特許放棄書を混乱している」って、あなた、混乱しているのはあなたでしょうがこれでは。まあ、ちびっとだけサンデー毎日に触れることで、研究者の味方の気分にはなれるのか。しかし、こういうかたちで公の目にふれるところで、しかも、受験生に対する理系への進学アドバイスや、研究論文の紹介のようなことまでしている人間がコメントするならばもっと良心と、それこそモラルとを働かせるべきではないのか。「あえて」記事の他の部分にふれずに、まるで内部の人間ならばそれは当然取り違えの混乱と知っている、と思わせるようなコトだけ書く、というのはなかなかの手管だとは思う。えのき君の日記だけみると、サンデー毎日の記事は大学の内部事情を知らない人間がとんちんかんなことをかいているのだな、と思いこむことだってできるわけだ。さすが、東大生、言論操作までもが巧妙であることよ。

 退学してまでも自分のことを「一学生」とみずから位置づけるあたり(じゃあ学生って、なにさ?)、気持がいまだにまったく整理ついていないことは想像に難くない。しかし、ここでもまた尻をまくって逃げるだけ、というのであれば、研究から退き、早稲田の学生という立場から逃げ、東大生という肩書きから退いたうえ、さらに、言論の世界に触れているよすがからからも退くことになる、ということは覚悟したほうがよかろう。MLを最後の砦にでもするつもりなのかな。「つらい思いはしたくない」という言葉はある種の人間の耳には心地良いが、これではようするに無責任ということでしかない。あいもかわらずのことをあえていうならば、肩書きとプライドにしばられて責任をなにもないところに転嫁していく、というその癖からはそろそろ卒業したほうがよい。ひとつだけはっきりしていること、それは、君にとっての問題は、少なくとも君が考えているところにだけは存在していない、ということだ。これは、前にも伝えた気がするけれど、改めて言っておく。このままでは、学生にも研究者にもジャーナリストにもなれないまま終わってしまうよ。それは、とてももったいないことだ。

 うーん…でもなあ、「私のボスは、直接何かを教えて下さることはなかったけれど、あえて心を鬼にして私に学位取得を断念させることによって、研究の厳しさをお教えくださった。師匠の教えとは、こうしたことでも伝わるのだ」なんぞとぬけぬけといえてしまうあたり、クビになっても、所属意識だけはプライドとして残っている、という感じで問題だろう。まるで、レッスンについていけなくて尻まくった「元ジュニア」が、事情通キドリであやしげなジャニーズ本を書きちらすようなものだ。クビになった元社員が社員キドリで公の場でいろいろなコトを発言している、というのが会社にとってどういうことか、ということを考えると、うがった見方をするならば、君なりの浅島研、あるいは東京大学への復讐とみえなくもない。つまり、あなたにとって大事だったのは「そこでなにをするか、何を学びとるか」ではなく、「何を教えてモラエルのか、なにをイタダケルのか」ということと、そして、東大の大学院生という肩書きであった、ということなのか(そんな態度でいれば、ほうぼうで名指しでひどいめにあうのも当然だろうねぇ。相当、言葉のはしばしがひどくはなについたろうし)。でも、学位取得を断念させた、というのは、どう考えても「研究の厳しさ」を教えたのではなく、研究の世界から追い出した、というべきだろう。それは、教えを伝えたのではなく、「キミは僕が教えるべき人間ではないんだよ」と宣言しただけだ。それをさえも「師匠の教え」ということに一方的にしてしまう、というのは、退学しても一学生、という自己申告と同じく、どちらかというと異様な自覚といえる。はっきりいえば、それはストーカーの心理だろう。そろそろ目をさまそうよ、えのきくん。

 でも、ここでちょっと考えてみた。「学生」って一体なんなんだろう。たとえば、僕自身のことをいえば、学部の頃、大学院の頃、教員の理不尽な態度にどうしても我慢できずに(いまだったらそのあたりの言質をとって政治的にたちまわっちゃうだろうけれど)、「その状態にあることが我慢できないもの」が学生、だった。いわば、社会の階層の一つ、それも理不尽に圧迫・搾取されている立場、というものだ。学生であることによってできること、許されることがあると同時に、それとはちょっとバランスできないほどに「奪われていること」が大きい、と感じたからこそ、二度と学生にはなるまい、と決意して大学院を退学した。たとえ旧帝大とはいえ、そこに所属すること自体にはなにひとつ価値も意味もなかった。でも、大手私大に合格しておいて、仮面浪人してまで「トーダイ」にはいりたかった人物のこだわりというものは別のところにあるらしい。なにせ、指導教官に研究は無理だ、学位は無理だ、マスコミにむいているのではないか(?)、休学したらどうか、とまでいわれて、自分の手で退学届けを出してしばらくたっているのに、気持ちの上では「所詮は吹けば飛ぶような一学生」だという。吹けば飛ぶかどうかはともかく、退学届を自分で出した以上、少なくとも「一学生」というのは違うだろう、ということだ。むずかしくないよね。誰にでもわかることだと思う。うーむ、これは要するに未練があるわけだ。彼は、退学届けを出す時ですら、納得ずくではなかった、ということなのだろう(だから、やめたこと自体が教授による「教育の結果」というかたちに転嫁されるわけだ。あたりまえに考えていれば、辞めたのはえのきくん自身の意思によるんですけどねぇ)。そして、にもかかわらず、学籍がない現状でもあえて学生を詐称する、というのは、僕個人のこれまでの流れを考えるとちょっと理解が困難なものがある。彼がおかれていた状況から、それでも指導教官へのみかけの心酔と、「学生」という社会的立場への憧憬がある、ということなのだろう。それはつまり、彼の被ったトラブルについて、彼にはシステマティックな視点が欠落している(研究者にむいているかどうか、という話だな…)、ということなのかもしれない。非東大生に対する彼のトゲのある言葉の数々などから考えても、しがみついているポイントがどこにあるか、ということは残念ながら明白なのだ。学生の人権の問題を扱っていて、いつも思うむずかしさ、というのはこれだ。要するに、教員は悪・学生は善、という簡単な二元論ではない、というあたりまえのことなのだけれど… わかっちゃいるけれど、こうまで露骨な例をみてしまうとショックをうけちゃうのは僕がまだ甘い、のだろうなぁ。うーん、まだまだ勉強、である。

 それにしても、自分自身、「いろいろな経験」をしているのに、勝手に自分の名前を騙った通帳の出し入れをされた学生よりも、自分は正義なんです、どいいながら研究室の中で犯人探しをする教授のほうのかたをもつ、という現状自体が、彼にとっての「モンダイ」がどのテードのモノだったか、をとてつもなく雄弁に物語っている…のだろうねえ… タメイキ…

 そんなことより、ルノー復帰(!!)。こうなると、VWがいつ…と気になってしまう。しばらくは、「そういうF1」もみてみたいではないですか。アウトウニオンとまではいわないけれど。

 子供の体験入学にかこつけて、とりあえずなんにもない新居に一泊してきた。ちょっと気分が新しくなる感じ。模型つくりたいなあ。はやく引っ越し終わらせないとね。

 

3/21
 なんだか大学の先生が旅費や研究費を不正に手に入れている、というのをすっぱぬくニュースが増えてきた。ターゲットにしてもいい、ということが理解されてくると、今度はチクル人も増えてくるだろうし、しばらくは続くのだろう。たたいてほこりのでない大学なんてそんなにないだろうし、研究予算の使いみちの制限がきびしいから仕方がない、というコトを錦の御旗にして「だからいいじゃん」という態度をとる人間もこれからはそんなこといってられなくなるのではないかな。しかし、京都大の例はひどいなあ。二重取りだもんね。

 KAWAMATAさん、よかったですね。メイクの312Tは僕もあこがれのキットなんですが、いまのところまだご縁がないです。あれは、当時の雑誌に随分製作記事がでてましたけど、噂ではカウルのあわせがつらいのだとか、エンジンブロックをちょっと下げるといい、とかいいますね。ぜひ、完成させてください。日記も楽しみにしています。

 僕のほうは、というと、昨日は書類提出にいったついでに関内を散策。ラッキーに顔をだす。レジのむこうがわにモデルカーズのバックナンバーがならんでいて、15と20も発見。すかさず、それ売ってくれません?ときいたのだけれど店の資料だから、と、にべもなく拒否。欲しいものの現物がすぐそこにあるのに、ととてもくやしい思いをしました。5階の古書店にもモデルカーズはなかったし… でも、オデオンから少しむこうにある別の古書店でオートモデリングと、モデルアートのバックナンバーをいくつか入手。オートモデリングって一時期は毎号43の製作入門記事があったのに、そういえばこのまえの17号にはなかったぞ。やっぱり、本つくんないとだめですね。

 でも、モデルカーズの17号はYahooのオークションで落札。あと二冊でそろうぞ。e-bayではジル関連の雑誌と、PolistilのT4二台とトランスポーター、というのを落札。それぞれ、届くのが楽しみ。

 今週は実験、片づけ、子供の卒業式、そして来週頭の引っ越し、とどたばたしていく予定。その合間にPGZをさがしにもいきたいし、ゴッグもじきに出るはずだし…

(おまけ)
 あんなに楽しいチャットの後に(現在23時51分)、こんなことかかなきゃなんないとはねぇ。えいくそ、いいかい、えのきくん、僕があなたの日記のページをみつけたのは別にハッキングしたわけでも誰かのタレコミがあったわけでもなくて、普通の検索エンジンで普通に公開されているページとしてごくあたりまえに接しただけなのよ。で、「この日誌は表からリンクは張っていないが隠しページでもないし、どこかで引用されるのを止める権利はないけれど、なるべくなら他所で引用しないでいただけると助かります」というのは何? あなた、webってどういうものか知ってます? まさか知らないで研究室のwebページとかつくってたの? 甘え、という言葉にはもちろんいろいろな意味が階層化されているけれど、これほど、直截な「甘え」は子育てをしていてもそうそうはおめにかかれないです。ま、僕の自意識過剰ならいいんですけどねぇ。まだ期限もきれていない東大大学院の学生証を、自分の気に入った女性にあげてしまう、とと、おしつけてしまうような人間にとって「学生という立場」とは何か、という問いをなげかけること自体が酷だ、ということ? でも、それって学籍のない人間の学生キドリ以上に、大きな問題があるんではないかい?

 学生であること、と、学籍があること、の関係を簡潔にのべよ、とかいわれてできますか?

 で、言うにことかいて「問題の研究室の内部事情については、聞く人によってとらえ方がだいぶ異なっている。たしかにK教授を「えげつない」という人もいれば、サンデー毎日は事実と異なった報道をしているという人もいる(権利放棄書と使用許諾書の混同とか…)。両方の意見を聞いたから、この問題をどう考えてよいものか迷っている」って? つまり、あなたが先に、いかにもサンデー毎日を無知扱いするように書いた日記の内容は、実は他人の伝聞を書いただけで、迷っているから自分の責任ではない、とでもいいたいの? 馬鹿いっちゃいけない。それをあなたがどこでどう聞いてどこでどう勝手に思いこんだかはともかく、そこにあるのは(たとえ今から消したとしてもその時においての)あなたの発言であってそれ以外の何者でもない。あなたに対して「混同している」と語って聞かせた人間に責任を転嫁しようというのはあまりにもムシがよすぎるというものだ。「聞く人」ではなく、「語る人」の判断の問題なのだけれどね。「両方の意見」を聞いて、それでさ、あなたの意見はどうなのよ。むずかしくもなんともない、しごく簡単なこと。あなたの意見はどうなの? 上野よろしく「わからない」とでもいうかい(嘲笑)。

 「聞く人によってとらえ方がだいぶ異なっている」というフレーズは、上野ゼミの出身者はともかく、フツーの人にとっては随分あきらかな表現でしてねぇ(くすくす)。よーするに、これはなにもいっていない、と。自分で書いててこんなことも気がつかないのかな。これって、ようするに自分は自分の頭の中の電波だけで勝負しています、という事実上の敗北宣言なのですけど。だって、そりゃあ、「聞く人」がちがえば「とらえかた」はそれなりに違うにきまってるじゃん(笑)。そんな言葉に意味はないわいな。やれやれ。

 で、「問題が研究費の構造的問題から、K教授個人の問題としてとらえなければならなくなっている。[research:1462] では、最初千葉大の問題を含めて研究費の融通のきかなさという問題として紹介した。ところがサンデー毎日の続報では、アカデミックハラスメントとしての側面が強調されている」って、強調されているからどうなんですか? じゃあ、京大の旅費二重取りの話にもっていけばいいわけ? ちがうでしょ。今回のサンデー毎日の記事が最初からはっきりとさせているのは、別に個々の通帳の扱いでもなんでもなくて、大学の、それもトーダイの人間が、なんだかへんなセーギや予算の不自由にかこつけて、社会的にゆるされないことをやっている、という告発なのだから。つまり、サンデー毎日では「最初からアカハラとしてとらえられている」ということ。それを「研究費の問題」にすりかえたいのであれば、当然、そこにはなんらかの「作為」を疑ってみなくっちゃねぇ。
 もっとも、だからこそ、あなたがそれを容認できず、とにかくトーダイはワルクナイモンという立場にたたざるをえなかった、ということは過去の経緯からも想像に難くはない。難くはないけれど、それがやっていいこととはおもわないよ、ということなのだよ。そもそも、ここまで書いておいていまさら「K教授」もないもんだ。こういうところがあやしげな偽善・欺瞞だといういうのよ、わかる?

 そもそもの記事が「研究費の問題」だと平然と矮小化できてしまうあたり、あなたが誰の味方で、そして、誰の敵かは、明々白々なわけですよ。ま、全国の「予算を不正にgetし、学生をどんどん使い捨てては搾取している人たち」はあなたのwebページに対して拍手喝采しているだろうけれどさ。でね、

 あなたは・いったい・なにになりたいの?・今どうしたいの?

 すくなくとも、インターネットをつかって甘ったれる対象の代替物をでっちあげるのはやめておくれ。身近な人間でそれができなくなったのだとしても、だからといって、この、まだ可能性のある世界を、個人の事情でゆがめようといのであれば、残念ながら僕はそれを阻止する立場に立たなくてはならない。そちらがそれでいい、というならば、まあ、こっちとしてはそれでも別にたいした負担にはならないけれどね。

 それにしてもさぁ、科学と社会の接点たるジャーナリズムが必要とかいっていたヒトがだよ、サンデー毎日は事実と異なった報道をしている「という人もいる(権利放棄書と使用許諾書の混同とか…)」というってぇことは、サンデー毎日が事実と異なる報道をしている、という判断の一つすらあなたはくだしていなくて、にもかかわらず、webの日記にはそう匂わせる露骨なコトを書いたわけですか…

 ふーーーん。そーなのぉ。それでぇ?ってなもんだな。もういちど聞くけれど、「なるべく」というのはどういう「べく」ですか? あなた個人を知っている人は駄目とか、そういうの? あなた一体、その「こうかい日誌」で何をやりたいのですか? 結局、サンデー毎日については、なにもかも他人の言葉をそのまんま流しただけであなたの意見とか見解ではない、ということをあなたははっきりと告白したわけだけれど。ところで、このまえから古い日記へのあの大量のリンク、ウィンドウからもはみだすあ大量のリンクを消したのもなにか意味があるんですか? それとも、一種の保身? まあ、今回みたいに自分の書いたものを平然と人のせいにできる人にとってはそういうのって「あり」なのかもしれませんねぇ。

 はっきりいわせてもらうけど、きみはこんなところでごにょごにょしているよりもresearchMLでちゃんと続報について触れるべきなのではないの? それとも、あのML自体があなたの私的なルサンチマンの吐露場所だったということなの? それって…あんまりすぎるよ。いくらなんでも。

 国語の問題として残しておくけれど、最初の千葉大の問題は、報道の段階ですでにアカデミック・ハラスメントであった。いや、キャンパス・ハラスメントというべきかな。だからこそ、文句いうなら学位をやらないぞ、という教授の恫喝も報道されたのだ。それを、毎日新聞の恣意かなにかにしたがったあたりからあやしいとは思ったのだけれどね。しかし、それを勝手に「研究費の問題」に矮小化したのは、何色かわからないけれどキミの脳細胞だし、それ以外の何者でもない。つまり、あなたはあなたのこれまでの発言からあなた自身が思いもよらなかった「あなたは何を求めているか」を読み取るべきなのだ。小学校程度の国語力があれば大丈夫だからね。がんばるんだよ。はぁ…

(おまけ)
 日が昇ってからみてみたら、「こうかい日誌」の内容があっさりかわってやんの。「サンデー毎日続報第三弾」とかやっていた上の引用部分はさっくり消失していて、かわりに「春は確実にやってくる」だの「aikoはいいなあ」だのにかわっている(嘲笑)。あなたにとって「発言」とか「言論」ってなにさ。確かに春はきたよね、あなたのおつむに、とかフォローいれてほしいわけ? それにしても、「たとえ今から消したとしても」と指摘した矢先にまんまのことをやってくださるなんて。なんてわかりやすいんでしょ。

 この調子では「こうかい日誌」改め「あいだみつを日誌・あるいはナカムラ326日誌」と化していきそうですな。ひとつうかがいたいんだけれど、楽しい?

3/22
 amazonに頼んで探してもらっていた本がとどく。絶版でもこうして探してくれるというのはすごいことだ。届いたのは"Ferrari TURBO"で、Jonathan Thompson著。82年にアメリカで出た本で、タイトルからおわかりのように僕にとってはもう、なんというか、幸せそのものという代物。126Cだらけ。プレゼンモデルからテスト走行から、CからC2までのなにもかもぜーんぶ。 CKのアンダーパネルとか、はずされているギアボックスから後ろのパートとか。コンプレックスのターボの細部とか、もう、よだれでまくりです。あーいいものてにいれた。コレですよ、コレ、こういうのが欲しかったんです。

 「こうかい日誌」の書いたり消したりの元となった「サンデー毎日」を買ってみた。確かに、第三弾があって、これは東大の内部調査の杜撰さを指摘したもの。それにしても、軽部研の1998年度研究費が1億5587万3500円とはおそれいりますな。それでなおかつ学生名義の通帳まで必要としたとはねえ。儲かってないとか、カネにならない、といった言葉が良く出てくる、というのだから…ふーん、なるほどねえ。留学生に現金を渡すため、という口実もすごいもんです。「正義は勝つ」とか「研究室存亡の危機」とか、まあ、なんともいえないいい味だしてます。この分ではサンデー毎日の記事はまだ続きますな。ネタはまだまだあるわけだしね。それにしても、どこぞの文春とかと違って、ちゃんと記名記事でこういう糾弾をする、というのは立派といえるかもしれない。ごちょごちょと流言を流したがるインターネットの個人ページなんかに負けないで欲しいものです。って、間違いなく杞憂だけど。 しかも、今回からは別のページに「東大研究」という連載も始まっているし、なにやらの「作為」を感じるぞぉ。

3/26
 引っ越しはあしたなので、荷作りからの現実逃避にweb書いてたりします。ああ、軟弱なワタシ。新任先に提出する書類とかつくったりもしなきゃなんないし、実際には次の一週間ははとてつもなくいそがしそう。土曜日には辞令をもらいにいくわけだし、それまでには、ということだな。

 昨日は、朝から新宿に出て、後輩のMacのアップグレード用のG3カードとハードディスク、ボスのためのプリンタを買って、パーフェクトグレードゼータと、HGUCゴッグを買い、そのまま後輩の家でセッティングして、大学に戻って日曜の朝から海外出張に行くボスのiBook(これまた金曜に買ったばかり)に、プリンタをセッティングして、とやっていたら体がばててしまった。これで引っ越しやったらしばらく疲労が残りそう…

 PGZは、さらに箱が大きい。パーツも800点をこえているし、素組みで存分に楽しめるな、これは。ゴッグもかわいい。

 ブラジルGP、カワイチャンがやっぱりはなにつくぞ。つまらない事をいいすぎる。ドライバーの身長が自分とくらべてどうだとか、アホちゃう? サーキットも、看板が何度も落ちるとか、実に…アレな様子。こんな状態で、本戦はどうなっちゃうの?

4/2
 年度がかわりました。職場もかわりました。いままでは三年任期更新・延長なしの嘱託だったのが、三年ごとに業績に応じて延長を申請する、というかたちの専任。とりあえず「いそがしいところだよたいへんだよ」といわれつつ、辞令というものをもらってきた。しばらくの間は仕事のペースをつかむまで大変だろうと思う。引っ越しの整理は6割がたという感じ。子供部屋が空いたダンボールで占拠されているため、かわいそうに子供の家具をまだ買えない。全部あけてしまえば、日通さんがとりにきてくれるのでもう少しの辛抱なり。

 通勤時間はほぼ1.5時間。ただし自宅から駅までは3分、駅から職場までは5-6分なので、あとは電車にのっているだけ。前よりは楽なんだけれど定期代がすごい。

 ブラジルGP、クルサード失格によって、マクラーレンは二戦連続ノーポイント。シーズン中の開発力はフェラーリのほうが高いと思うし、次がサンマリノだということを考えるとしばらくはこの関係はつづくのではなかろうか。今年は去年以上に目がはなせない。

模型もつくりたいのになあ。

4/4
 仕事はじめて二日目。じわじわとつかみつつあるところ。いままではウニで実験するのがメインだったけれど、今回はカエルが実験材料である。アフリカツメガエルにホルモン注射して卵をとる、なんていうのは学生実習以来だけれど、両生類はかわいいのでなかなか楽しく、うれしい。

 小淵首相危篤。これまで、さんざん中傷しまくって彼のストレス蓄積に貢献してきた当のマスコミ達が、マスコミ批判に走る様をみているのはなかなかの予定調和で楽しめる。どこか、「病は気の毒だが、当誌のこれまでの主張のとおり、日本にとってはこれでよかったはずである」くらいのコトをいえるマスコミはないのだろうかしらね。

 えのきくん、行く場所があってよかったね。おめでとう。あなたの先輩の忠告には、とても大事なことが含まれていると僕は思う。あなたは、何かを批判したことなど実は過去に一度もないのではない? 誹謗はしても批判はできない、ということになってしまうと、そういう忠告がくるのは仕方がないわけで。たとえば、山口での事件についてのあなたのコメントを見ていて思うのは、第一に品がない、ということと、第二に、「強姦核軍備」の西山氏と同質の「周囲に対する甘えの前提」ということだ。死刑で当然じゃないか、みんながそう思っているんだから法律がおかしい、という立論が「論」にすらなっていない、ということすら、指摘されないとわからないですか? そうそう、3月末で学生ではなくなった、と書いていたけれど、それって本当? 退学届が受理された時点で学籍がなくなるのが通例なんだけれど。それとも、年度末に退学、という「退学の予約」(?)でもして、そのことを「退学届けをだした」と表現していたのかしらん(へんな日本語だけれど、そうとしか思えないものなあ)。まあ、退学証明書とってみればわかるよ。それにしても、「私のボスは、直接何かを教えて下さることはなかったけれど、あえて心を鬼にして私に学位取得を断念させることによって、研究の厳しさをお教えくださった。師匠の教えとは、こうしたことでも伝わるのだ」とかいっていた人間がさ、新たな受入先、新たなボスを手に入れたら即座に掌を返すように「発生学はたかだか4年研究しただけでもうダメだというほど薄っぺらじゃない」なんていってしまえるのは、スゴイことだと思うぞ。じゃ、「たかだか4年研究しただけ」の人間に「研究を断念させた」あなたの前のボス、東大の浅島教授は発生学のなんたるかを理解していないのだ、とあなたは放言したも同然じゃん。これは、医者になった先輩が忠告せざるを得ない気持ちもわかるというものです。たいへんねえ。

 e-bayで手に入れた、「1978年のカナダGPプログラム」が届く。初優勝のGPだからとてもうれしい。フランス語、例によって読めないけど(笑)。写真もいっぱい。Wolfの写真も結構ありますぜ > そのあたりの方々(笑)。

 さて、明日は入学式だな。大学の桜は満開に近い。家の近くはまだ。

4/5
 雨の入学式であった。新入生も大変。雨の中の桜はまた風情があるけどね。

 通勤のおともとして、ソニーのCDウォークマンの記念モデルを購入。薄いは丸いはでなかなかソニーっぽい。音飛び防止がメモリー先読みではなく、0.3秒のうちにヘッドを戻して焦点をあわせなおしてデータをよみこんでくる、というシステムなのも使うのがたのしみ。すごいこと考えるなあ。

 入学式の日には各教員に赤飯弁当がでるなんていうのははじめてでびっくり。弁当を持っていたので赤飯は持ち帰って、明日、中学の入学式をむかえる娘にたべさせる。

 昨日、ホルモンを注射しておいたツメガエルはそれぞれちゃんと卵を産んでいた。ひさしぶりの蛙の卵だけれど、やっぱり楽しい。動物の世話って大変だけれどおもしろい。

 さて、あいかわらず反応が素早いのはえのきくんである。昨日の今日で、

4/5:

 しばらく閉鎖します。

追記:「こうかい日誌」は「非公開」になりました。ご了承ください。

お問い合わせ等はen7e-enk@asahi-net.or.jpまで。

 だそうです。「ご了承ください」などと書いてある、ということは、やはり自分の書いているもの、書いてきたものが「どういう内容」で、「どのように読まれうるもの」なのか、ということについては何一つ思慮が働いていなかった、ということを、彼自らが確認したようなものだな。そんな態度で、研究室内のことをがんがん書かれてしまったのだとすれば、前のボスが日記の閉鎖を要求してきた気持ちすらもとてもよくわかってしまうじゃないか。

 しかし、書いては消したり書いては閉じたり、というこの変わり身の早さというのは、最近の「よくある無責任で理不尽なマスコミ」のちびっちゃいのを見ているようで、これが、マスコミ関係の仕事にも興味がある、といっていた人間の手になるものであることを考えるととても面白い。まあ、「週刊文春コーナー」と質的には似たようなことをこうやってコメントすることになっている、というのも象徴的だしね。「いつでも閉鎖する用意がある」なんていう後ろ向きな態度は、所詮、責任あるアピールなどなにひとつできないことになっていた、ということなのだ。

 やっぱりもう一度えのきくんにはきいておこう。あなた、それで本当にいいの? 四月からうつった先でのことを、まだ数日しかたっていないのに「人間関係はむずかしい」なんて平然とかけちゃうようなスゴイ感性の持ち主であればこそ、それでいい、とかいっちゃうのかなあ。やはり、こういうところは心配なのだが…

4/7
 四月五月は土曜も出勤。がーん、模型コーナーはいまだに混沌としたままだし、どないしょ。週末はサンマリノGPもあるのに。LiveF1だのみかな。

 ひとりごと。「ある人」って、自分のことなんじゃないの? 個々の主張を丁寧にチェックしていくと、榎木君が過去に発言したことの焼き直しばかり。もしかして、完全に東大から離れてしまったことで、精神状態がこわれてほうぼうで匿名による「こういう発言」を繰り返しているんじゃあるまいね。yahooの掲示板のほうのはなしも、あなたが以前から露骨にまきちらしていた「よそから来るやつらは東大のプランド目的」という主張と見事に重なるし、どうも、とっても危険な感じがするんだが。

 でもさ、MLに流しちゃうと「削除」できないんだけれど、どーする? あんなの、僕がなにも書かなくても、ちゃんと日本語読める人は理解できちゃう程度のことにすぎないんだよ。「こうかい日誌」とおんなじで。いまごろ、たくさんの人たちが同じ結論に達しているはず。ちっとは学習しようよ。トーダイシュッシンなんだからさ(笑)。

4/8
 彼の4/5分日記が「更新」されていた。

「こうかい日誌(koukai)」は「ひこうかい日誌(hikoukai)」になりました。移転先のお問い合わせ等はen7e-enk@asahi-net.or.jpまで。

 だそうな。「移転先の」という一言が追加されている。つまり、「ひこうかい日誌」は彼にメイルで連絡して、彼が心を許した人間(笑)にだけ「公開」します、ということなわけだ。やっぱりどこかでこそこそ書いているんだなあ。まあ、何を書いているのかは、およそ想像がつくからいいんだけれどさ。こういうのって、そのうち「親切な誰か」がURLを教えてくれるものだ。それよりも「非公開」になったことで、いままでのあの匂うような方向性が、さらに歯止めなく暴発しているだろうから、どこまで堕ちるかには興味があるかも。

 プライドとコンプレックスにとって、社会的なラベルというものはとても大事なものなのだろう。東大生、というラベル、研究者というラベル、科学者というラベル、学生というラベル、そして、後輩の指導をしているという自負、他人にアドバイスしている自分という自負、すべて、そのコンプレックスを守るためにあるのかもしれない。で、あればこそ、仮面浪人もするだろうし、他大学から東大の院に入ってくる人間に対しても「ブランドのため」と言い捨てもするし、学籍を失ったことは大きなショックだったのだろう。4月から、大学に戻れたという喜びは、そこの大学が「東大ではない」ことによるショックとのアンビバレントな状態にあるわけで、その分を吐露するための「ある方」の創設や、yahooへの匿名投稿だった…というのであればちよっとひどすぎる。杞憂ならいいけれど、ね。でも、あれだけ東大という名前に対する強いこだわりのある人間が、「元東大生」というフリーの状態と、所属先ができたかわりに「なになに大の学生」になってしまった状態とでは、もしかすると後者のほうが精神的に辛いのではないかな。

 そうそう、似たようなアレで思い出したのだけれど、最近でた新刊の後書きで平本淳也クンは「僕も大変お世話になっている週刊文春」という表現を遣っていた。なーんだ、やっぱりそーゆーことじゃん。かわいそうな文春。「おっかけマップ」裁判の意趣返しをしようとした彼の策謀にまんまと流されちまったわけだね。それにしても「ジャニーズ出身のブンカジン」とは(嘲笑)。このブンカジン、という部分が平本クンにとっての「ラベル」なんだろうなあ。でもさ、「文化人」という言葉って、それなりな場所では正しく「侮辱の言葉」だったりするんですよね。ま、そういうことまでしらなくても仕方がないかブンカジンなら。なんたってブンカジンですものねぇ。

 ああ、もうひとつ似たようなアレで思いだした。「ソトコト」という雑誌の電車釣り広告。あれみてなお「ソトコト」に手が伸びるような人が対象なんだけれど、それって「ソトコト」という雑誌の質の上限を明確に規定しちゃったわけだ。これも、気取りに近いラベルを自分に貼りたい人たちというのがたぶん商売できるくらいの数は存在している、ということなんだろうな。

 しかし、この一週間は長かったような気がする。来週は授業も始まるからもっといそがしいわけで、その分早く感じたりするのかもしれない。自分の研究テーマも決めないといけないので、論文の検索したりなんだりとじたばたしている。

 さて、今日はサンマリノGPだ。赤いマシンが三連勝できるかどうかがポイント、だなやっぱり。

4/19
 この前の土曜日にはKazさんと船橋でオフ。オフとかいって、二人で、深夜までのんだくれていました(笑)。仕事はじまってからは日ごろの深酒を控えていたので、しばらくぶりの良いお酒。楽しゅうございました。またやりましょう。横浜・神奈川オフもしたいなあ。

 結局、サンマリノはF1Liveでチェックしたにとどまる。やっぱり、月曜の朝が早いとねえ。

 43はまだつくれる環境が復帰していないのだけれど、今の片隅でガンプラ程度ならつくれるところまできました。で、とりあえずHGUCのゴッグを作って、次はダンバインだ。で、このダンバイン、形態もさることながらパーツをみているとなかなかおもしろい。ランナー素材もいろいろだし。関節部分がABSだというのは、たぶんブレン由来なのだろう。手首などがゴムでキャストしてあるのはProterのT3をおもいだすなあ。

 イカロス出版のミニカームックを見る。前にでたものにくらべると、ブルックマンとかメイクの完成品とかも入っているあたり、ちょっとは勉強したらしい形跡あり。でもまだ、レジにもっていかせるだけのエネルギーはこの本にはないなあ。

 研究テーマ、ほぼ決定。ふふふ。いろいろと勉強をはじめたところです。そのうち、そっちがらみのコーナーもつくるかもしれない。

4/29
 連休突入。とはいっても、動物の世話とかあるので二日おきくらいに大学にはいくのだけれど。でも、これでようやく家の中にも手をいれられます。もうひといきでF190も再開…したい…

 げ、前の更新から10日もあいている。との間に更新された徳永さんのところの雑記帳を見て、あーあ、というカンジ。この手の男尊女卑野郎って、まだまだいるもんなあ、と。模型界では、「実物」とか「リアル」に執着したがる手合いがアヤシイかも。

 「回収」を往復の電車で読む。前のほうがおもしろかったのは、たぶん、今回のテーマの中に彼らの原風景が含まれているせいでしょう。それにしても、「アルマゲドン」はまじでつくっている、と「みえてしまう」のであれば、特撮についての目は薄目どころか閉じてしまっているのでは、と思うのだが。あれ、映画館で爆笑できるように、爆笑するように「故意に」つくってあるでしょうが。「ディープ・インパクト」のほうは、まじでつくってあったから笑うこともできなくて、ただただ見ていて心が痛い(別の意味で)代物だったけれど。アメリカ映画はお馬鹿、というのをふまえてつくると、ID4とかアルマゲドンになる。ちなみに、インデペンデン「ス」・デイでしょ。なんか、こまごまとした情けない間違いがこの本の中にはあまりにも多くて、脱力感もつよし。次の版でなおす気、あります?

 モデルカーズの52号、背中の数字がやけに大きくて自己主張していると思ったら、今回のが通巻第一号、つまり、独立したらしい。いろいろな雑誌の別冊だっのたが、独立ですか。月一もめざしているのかな。でも、正直いって43好きにとっては読みたいところがどんどん減っています。これは、やっぱりてめえらで雑誌つくれ、という天のおつげか。

 いや、実はコンパクトフラッシュ用のアダプタがまだ発掘されていないので写真が載せられないのだけれど、e-bayでPolistil製1/40のT5二台とトランスポータのセットを入手したのです。二台ともカーナンバーが1というのはご愛敬だけれど、出来は結構よいのがうれしい。相手のイタリア人も僕もi-escrowははじめてだったのでどたばたしながらも、なんとか完了しました。

 さて、文春がつながりのある議員を通じて国会にジャニーズのことを質問させる、という愚挙を強行したおかげでこの件もこれでたちきえかな、と思っていたら(梨本と国会、なんて、それだけで快挙かもしんないけど)、でましたねえ、強姦告訴事件(笑)。Flash、東スポ、アサヒ芸能、といつものなかよし雑誌展開だから、たぶんいまごろはナイスポあたりにも記事があるんじゃないかな。しかも「強姦された」女性の巨大な写真とプロフィール、スリーサイズまでのった記事なんだもん。タレントとしての名前もきっちりとだして。たしかに、妃、という名前はこれで知られるようにはなったよね。昨日も、川崎のブックオフで98年のタレント名鑑なんかみちゃったもの。載ってなかったけど(笑)。一億をよこせといったテープがのこっているから即座にジャニーズ側に刑事告訴されしまうおそまつさ。なんか、理不尽な要求をするときの金額って一億ということになっているのかしら(そういえばチアリ裁判の時の原告の要求額はそんな感じだったっけ)。要するに、女優(なのか?)側はヤクザさんと、あと、おそらくはFlashとかの記者さんと連携して動いていたんだろうなあ、というのが情報の出てくる順番と場所を見ているとわかるのが楽しい。そこで内輪でつながっていた(ようは、妃側がネタを売った相手だろうな)が、刑事告訴の受理と同時に即座に記事を出す算段だったのだろう。で、たとえばFocusなんかはそれを受けて裏をとって記事をつくるから「強姦」のはなしではなくて「やくざによる恐喝と暴行」という事件としてきっちり報道されてしまう。もちろん、「そういう展開になる」ことは自明なのだからこそ、これは「すばやさ」がポイントだったのだろう。つまり、「ガセネタたれても読者におこられない」メディアが、とにかく否定される前に書き逃げるという戦略というわけだ。でもねえ、馬鹿だなあと思うのは、「証拠がない状態で証言だけで訴えれば大手は泣き寝入りする」とふんでいたであろう妃側の知力の弱さだ。十中八九、録音だけでなく映像も残っていると僕なんかは思うんだけれどネ。まあ、裁判としては「楽勝の楽しめる裁判」になるのだろう。と、いうか、妃側に勝つことなんかではなくて、その背後にもぞもぞしているねとついたやつらを囲い込む手段の一つとして有効利用されるのだろうなあ。「おっかけマップ裁判」の時のように。

 どのみち、森田剛というキャラが「この手の奴らにもわかりやすいうかつさ」をもっていたのは事実なので、当分はバラエティでの罰ゲームとか「つらいやくまわり」が増えたりするかもしれないとは思う。うかつだし表情の制御もできない、とあればタレントとしての自覚の希薄さをつかれてしまっても仕方がないということもある。最近はダンスのトレーニングも怠っているようだし、釘をさすのには丁度いい教材かもね。

 ま、結局のところ梨本クンにしても「国会にだしてもらえるかもしれない」程度のことで、いまのところだしてもらえたわけでもないのであってさ、文春とつながりのある(ぷぷぷ。それってさ、どーゆーイミなんだろーねェ)議員さんが躍らされた、というところだろう。

 さて、CFアダプタをさがしださなきゃ。

4/30
 部屋の片づけ、ほぼ完了。模型コーナーも完成。やったね。

片づけ前→

 塗装ブースもとりあえずつくったしね。

 そうそう、先にe-bayで入手したのはコレです。

5/2
 昨日は休日出勤で動物たちの世話をしたあと、秋葉原にたちよる。HGABのズワースを買いに行ったのだけれど、なんというか、そういう店にはある種の典型のようなひとたちがわらわらといて頭が痛くなる。しかも、それ系の店はふえているし、ちゃんと商品説明のできる店員は減っているし、で、もうさんざん。結局、モノは電撃の関連ショップで「新発売」の札が貼ってある現物を購入。前のグフの時もそうだったのだけれど、オタクさんたちって妙なところでだけお行儀がいいのか、こういうのは決まって残っているのだ。
 この電撃関連の店は、関連だけあって電撃HobbyMagazineの作例も展示してある。小林誠の「あの」ジオも鑑賞できる。荒々しい仕上げだけれど、えもいわれぬかっこよさ。でも、たぶん、昨今の「キレイナシアゲがリアルなの」系の人たちには受け入れられないんだろうな、と改めて思う。きっと彼らには泥にまみれて生きている本物のカエルよりもホルマリンで消毒・固定されたきっちりとした「標本」の方が「りある」っぽいんだろうなあ。

 秋葉原に出たもうひとつの理由は、モバイル環境の整備。実は、今の職場では共通の端末はあっても個人用のがないのだ。そもそもが、大学名のはいったメイルアカウントの発行が今年になってどうやら、という感じなのでしかたがない。で、PHSにザウルスポケットをつないでメイルの読み出しをしているのだけれど、これが繁雑なんです。なにせ、ザウルスにオプションポートアダプタをつけて、そこにPHSケーブルをつけて、そこにPHSをつける。PHSのコネクタのカバーはぼろぼろだし、手持ちで作業するにも面倒。で、通信端末と一体化した環境にかえたいと思ったわけだ。候補は、パワーザウルス、 Jordana、 Fiva。 ドコモの一体型のはDopa対応でしか使えないというのがネックになってだめ。JordanaとFivaは、Windowsだというのがねえ。Jordanaなんか、ユーザーのつくった本を見ても「一日に一度はリスタート」とか書いてある。CEといってもwindowsはwindowsなのか。これではストレスの元にしかならない。で、結局のところアステルのAN-X1とザウルスMI-EX1に決定。ザウルスはVGA表示だし、ポケットよりも反応がずっと早いし、実に快適になった。細かい使用感はいずれ別コーナーで。

 さて、家のすぐ近くに「モケイ・パドック」という店があるのを発見。あれだけさがしたズワースも一個ちゃんと在庫しているし、塗料とか道具なんかはいつでもここで買える。メインはエアガンらしいけれど、プラモも結構ある。しかも、こんなものまであったりして、もう、なんというかうれしくてしかたがない。チームマネージャがどうみてもチャップマンなのが笑える。


「こんなの」。探してたんだよね。

 F190は、サスアームとウィングを塗装したところまできました。見栄えのする進展はないので写真はなし。で、かわりといってはなんだけれど挑戦してみているのがKazさんところでやっているのを見て気になっていたシートベルト。ティッシュに赤を塗って細く切り出して使う、というこの方法、ティッシュの質とか塗料とかもいろいろ選ぶといいのかもしれない、とか思いながら、ルーペの下、両手ピンセットで試しているわけです。まあ、ビノキュラーまでは使わなくていいからまだ楽なほう、なんだろうなあ。


こんなカンジです。たしかにそれっぽくていいなあ。

5/5
 じわじわと。まずはタイヤ。ホイールの塗装をして、バルブをつけて。バルブは以前買っておいたオプションパーツ。デカールが乾いてから半艶のクリアをかけたところです。

 あとは、デカールを貼ったウィングに半艶のクリアをかけて、サスアームをとりつけ開始して、シートを貼りつけて… で、ミラーをいじっています。棒の部分を洋白線におきかえています。あとは鏡面も洋白に置き換える予定。

 近所の模型屋に娘をつれていったら、ツクダの「ナウシカとメーベ」(いつのプラモだろう、これ…)を欲しがった。自分で作るんだぞ、と、塗料と一緒に買い込んで、書斎でプラモ指南。ペーパーがけとか、筆塗装とか、スプレーの使い方とか。

 親子のスキンシップとしてはなかなかのもんです。メーヴェ一機でマットホワイトの缶がひとつ空になったのはご愛敬ですな。家族の理解に困難をかかえているみなさま、こういうのもアリですよ。

5/21
 げ、こんなにあいちゃった。なんか、仕事におわれてどたばたというのが続いていていかんです。F190は、コックピットの中をどうにかしたくて悩みモードにはいってしまつたため、またしてもあまり進展ありません。ステアリングをどうしようか、とか、パネル類をどうしようか、とか。エッチングの図面ひくのが一番のような気がしてきています。と、なると、プリンタをつなぐケーブルを荷物から発掘なくては。

 恵比寿での43MLオフに参加。早い時間から濃い盛り上がり方をする、というなかなかの雰囲気でした。企画してくださった方、どうもありがとうございます。それにしても、目の毒というか、眼福というか。僕なんかは、いつも書いていることだけれど仕上げの丁寧さとか作業の細かさ、という点でまだまだ。

 で、その二次会を中座したのは翌日に娘と模型屋にいく約束をしていたからだったのだけれど、結局、倉庫からだしてきてもらって、首尾よく二台めのメーヴェを彼女は手に入れました。今度はつや消し黒のにするんだそうな。ツクダのプラモはパーツの合いもいまいちだし、パテもりでもやらせようかな。

 せっかく無視しておいてあげた「ひ」こうかい日誌、あいかわらずなのが痛々しい。ギルバートの教科書にのせてもらうのが発生学者としての目標だなんて… 「発生を研究したい」気持ちがあるのならば、せめてギルバートの宣言をひっくりかえすような教科書を書くこと、くらいいえないの? それに関連しているわけではないけれど、「科学の終焉」のパート2を読む。なんだか、心が苦しくなるほどに近代科学の縮図をみている思いがつのってきて辛い。たしかに、革命宣言をしちゃっているような科学の様子を見ていても、これがたんなるコーカスレースだというのはとても納得しやすいはなしだ。精神薬理学の流れなんか、以前サイアスにのっていた「のみの耳はどこにある」のエピソードそのものだし。ところで、本当に発生学には革命はおこっているのだろうかしらん。少なくとも僕が学部生だったころに「まだわからないけれどきっともうじき」といわれていたことごとくは、いまだにわかっていない。「新たにわかったこと」がどんなに膨大だからといって、これでは量が質に転じることすらむずかしいだろう。だから、「個人的に知りたいこと」がある人間にとってはなにひとつわかっていないといってもいい状況がここ数十年つづいているし、形式的に知見を羅列したい人にとっては、もう両手にあまる大進歩が数えられる、のだろうなあ。ということは、科学の終焉の次のステージは、科学自体が精神科学と同様に「結局わからない」に不時着すること、なのではなかろうか。

 さらにそれに関連している、というわけでもないのだけれど、最近、環境関係の本を読むことが多くて頭が混乱している。とくに、ダイオキシン。しらべればしらべるほど、混乱してくる。傑作なのは立花隆のあの有名な講演会で、実に見事に嘘がたくさん陳列されていて、ああなるほど、大衆の煽動とはこうやるのか、という見本になっていること。おおげさにする、一般化する、一部の事実をあえて伏せる、ときおり明確な嘘もはさむ(ダイオキシンがエストロゲン様作用をする、と発言しているのにはさすがに驚いたけれど)、大衆が想像しやすい卑近な出来事に強引につなぐ(当然、キレやすい子供たちはダイオキシンのせいにされる)、そういう意味では教科書的な典型である。あれ、でも、この手口って「高等教育フォーラム」と相同だな。

5/26
 へとへと。うちの大学は母体が禅宗のお寺で、新入生は一泊参禅というのをやるのである。一年生全員がお寺での修行生活を体験しましょう、というもので、今年は僕も「新人」であるために付き添いとして参加してきた。座禅、説教、読経の見学、精進料理… 夜は九時に寝て、朝は三時半に起きて、という生活をしてきたのだ。その後、夕方まで仕事をしてかえってきたので今はへとへと。でも、結構おもしろかった。禅僧の「おつとめ」ってアイドルのコンサートみたいだしね。

 娘の「すてるすめぇべ」はまだ手つかずみたい。たぶん、今度の日曜あたりに着手するのでしょう。パテもりとやすりがけだな(笑)。

 NHKが以前放送した「男の精子が減っている」を見る。ひどいできだな…これ。この手の煽動ジャーナリズムとライフスペースは、一体どこがちがうのかわからない。あ、でもそれをいうと遺伝子万能とか、「発生学は革命を」とかの言説も同じで、ようするに「科学」とか「論理」っていうのは、すでにそれらの中にはないのかもしれない。そういや、「どこかから適当な引用をもってくるだけ」の発言をMLでくりかえして「宿題をかたづけた」気持ちになれてしまう「お手軽」さとも近いものだ。ようするに「ちゃんと考えずにすぐになにかにとびつく」という奴だな。ダボハゼクン、と呼んでさしあげますかねえ。

 ああ、模型つくりたい… コックピットどうしよう… もう少しすると手抜きやっつけモードにはいって完成させちゃうかも。

 某所のひそみにならうわけではないけれど、amazon.comから一冊の本がとどく。Nieuwkoop and FaberのXenopus発生段階の本。ハードカバーを手に入れられなかったのであきらめていたのだけれど、数年前に軽装版がでていることがamazonでわかり、注文したものだ。仕事柄、手元においておきたい一冊、というやつね。それにしても、amazonのいいところは、こういうのもちゃんと検索できるとこ。くわえて、前の買い物のように絶版のものも探してくれること、だ。東京にいるからいらない、というようなたぐいの性質ではないのだけれど…本を探す人間にとってしかこの特徴が役に立たないのも確かなので「単なる本屋さん」程度の用ですむならば、都会の本屋のかわり、という認識は「あり」なのかなあ。

 ところで、後輩の下宿で包丁ふりまわして狂言自殺しようとしたり、研究室の裏で首をつろうとしたりする人間のことを「人畜無害」とはいいません。あまりつけあがらないようにね > そのへん。それにしても「やったーまん」ねえ。こうやって「最近の若者は」とぶちぶちつぶやく下地ってできていくのね。東京と関西をくらべて「不便だからamazon.comが」とかの次は、「3〜4歳しか違わない同級生と、幼少のころの記憶が違っている」かあ。なんか、あいかわらず病んでますな。

5/28
 仕事の後、恵比寿をひやかしてから新宿で後輩と待ち合わせ。模型屋とか、彼がはまっているトレカの店とかをそぞろ歩く。タミヤのTS020用のカーボンデカールとかオプションパーツとかを購入。プラモ自体はまだ買っていないのに。恵比寿では再販されたメイクのT3をやっぱり買ってしまう。なんか、一台しかなかったみたいだけれどあまり入荷しなかったのかな? デカールが二枚ついてきているな、これ。恵比寿の五階では二週間前まで9000円だったwaveのCKとC2がいちまんえんにあがっていた。なんで? うれなかったのなら下げるのだろうに。どこかで「コレはもうちょっと高くても売れるぞ」と思ったのかな。

 新宿では「ぽち」にてツクダのメーベの古い方のをみつける。350円。これは後輩がつくりたいといったので譲る。中をみたけれど再販されたのとほとんどかわんないみたいだしね。あと、イエローサブマリンを閉店まぎわにぶらついていて、AirFixのオリオン号を発見。最近再販されたときいていたけれど実物があるとは。さっそく買ってしまいました。デカールを見たら、箱絵になっているへんなはではでのほかに、映画版のパンナムデカールも付属していて安心した。あとは、形だけれど… 借り組みしないとわかんないな、これじゃ。スケールは1/144。と、いうことは、HGUCとならべられるわけか。

5/28
 少しは写真もださなきゃ。

 ミラーを削り込んで洋白のみがいたのをはめて、支柱をつけたもの。結局、ステアリングは洋白線とプラ板にしてしまいました。プリンタがつながっていないとエッチングの原図をつくる気力がわかない…

 で、もうそろそろにつまってきたのでここまでやってしまいました。

 ミラーつけて、ステアリングつけて、前後のウィングをつけている最中。あとはホイールをつけたらできあがり…じゃないや、シールドがあったっけ。

 津田沼に出たついでに、タミヤのTS020を買ってきました。ちょっとまよっていたのだけれど、とうとう。連日で在庫をふやしているような。ちなみに、ちょっと風邪っぽかったりもするので今晩はおとなしくしていないといけない(そのわりにはきゅべれいが半分近くできあがっているぞ)。

 津田沼で店を見ていて、やっぱりすかぱあかなあ、との気持ちが強まってきた。うーん。そしたら決勝も見られるんだよなあ。

 このページ、スタートは二月なんだよね。引っ越しと転職をはさんだとはいえ、ちょっとかかりすぎ。ま、働くおぢさんのペースというのはこんなものかもしれないけれど。

6/3
 うーむ。ろくがつになってしまつた。でも、完成したもんね。

 うーん、「最初に」これを作りじめたのはプロストが現役の頃だったんだよなあ。今年こそは、もしかすると実力での「1」が?

 土曜だから早めに職場を出て、秋葉原をぷらつく。海洋堂で女性がチョコエッグのトレードのことを店員にきいていた。大変。一応、僕はツチノコを一つのこしてコンプリしましたけれど、みなさんはどうですか? 暮れの第四弾のために、用意しておかなくっちゃなあ。

 さて、641/2の次にどうしようかとおもっていたのだけれど…

 とりあえず、EliteDesignのBMW320iのつもり。ただ、エッチングパーツをみているとどれがどこにつくのかわかんない、というか、どれが「なに」かわかんないんですわ、これが。そのうちページもたちあげますから相談にのってくださいまし。

 でもなあ、買い込んだプラモにしばらく流れるかもしれまへぬ。ハマーン様のキュベレイができあがって、次がズワウスで、グフで、PGZで、ビルバインで、オリオンで、TS020で、ポインターで… う、だめじゃん。