Elite Design 001 BMW320i (と2000年のF1 だけじゃなくなっちった)

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 レジンの箱車は初めてなんだけれど、1977年の320iはmustだし、キットはこれしか知らないし、挑戦するのです。モノ自体は、昨年にGPMから買い込んでおいたもの。同時に注文してバックオーダーになっているGammaのランチアベータはまだこない。

 さてさて、しょっぱなから問題がてんこ盛りなのである。第一に、このキットはルマン仕様のデカール(だんだらで派手なやつ)がついているけれど、こちらがつくりたいのはもちろんジルがエディ・チーバーと組んで乗ったもの。従って、デカールは自作せざるを得ないのだけれど…写真がないんだ、これが。いくつかの本にちまちまっとカットがあるけれど、絶対的に情報がたりない。屋根の上はどうなっているのか、左側面はどうなっているのか。右側面に見える青とオレンジのマスターカードみたいなマークは何か… どなたか、写真とか資料をおもちのかた、みせてくださいまし。

 第二の問題は、わかんないエッチングパーツ。いやはや、箱車の経験がない、ということは、「これ、どこにつくんだ」という状態に陥るということなんですな。限られた写真でいくつかはわかったんだけれど、まだまだ謎。なんか使って調べないと。

 と、いうわけで、例によってじわじわといきます。

 現在、一年生たちはラットの解剖実習中。一人だけ、泣き出してしまう学生がいました。これから大変だろうなあ… 三年になると人体解剖もあるわけだから。

 yahooで「しんかい6500」のプラモを入手。ノベルティなのかな、これ。スチロール製じゃないし。海洋研で共同研究をしている知り合いにたのんでディティール用の写真を取り寄せないとな。

 今日は、さらにもうとうとう辛抱できなくなって、津田沼のイトーヨーカドーに出かけてSkyPerfcTVに加入してしまった。わいわいくらぶ会員という奴で、月500円の会費でチューナーとアンテナは無料リース(?)ということになっている。10Kgの箱を持ち帰り、ベランダにアンテナを取りつける。結構、衛星をつかまえるのに手間取ってしまったのは、地図で理解していた方角・高度と現実がちょっとちがっていたから。それにしても、この作業、レーザーの光軸出しと似ているな。反射鏡の光軸合わせみたい、というほうが通りがいいか。取りつけが完了したら、ICカードを差し込んで電話回線につないで、登録の電話を一本。三時間後には、仮契約が完了し、ほとんどのチャンネルがみられる二週間の「お試し」が開始。虎の勝つところには間に合ったし、もちろん、モナコは生中継である。やったね。

 考えてみたら、以前WOWOWに加入したときもF1がらみだったっけ。それにしても、これでまたしてもリモコンがふえてしまったのであった。

 「ひ」こうかい日誌、さらになさけなくなっている。「研究したい」のではなく「有名雑誌に論文をのせたい」という売名が動機になっていることがこれほどまでにあからさまに出ていると、ちよっと、ひどすぎよう。いっとくけど、「円海山」は「富士山をうらや」んだりはしない。ただ、登山家を気取ったハイカーが、3000メートル級に登る人間に対してへんに劣情のこもったまなざしをぶつけることはあるだろうけれど。いいかげんにしたほうがいいと思うぞ。そこをまっとうできなかったら、いよいよ後はないだろうに。

 さて、スタートディレイのかかったモナコGP。どうなるだろう。結構、721っていろいろな角度の映像があって面白そう。CMもはいらないし。今回はテープがないからあれだけど、次からはビデオとろうかな。しっかし、カワイチャン、どーにかしてよ、まったく…(21:00)

 ディレイの後は、赤旗… うーん、すごいことになりそうな今年のモナコ。サバイバルどころではなくなるんではないか? しかも、コンピューターのエラーで赤旗? のちのち、大問題になるんではないか、これは… そのコンピューター、まさかういんどうずじゃあるまいねえ。某アメリカの戦艦とNTの関係もあったしなあ。(21:18)

 それにしても「下」にいるくせに、「上」よりも現場のことを認識できていないカワイチャンって一体なんなんだろうねえ。ことごとく亜久里に訂正されていては存在の意味がないでしょう。「上でフォローしてもら」う必要が、あるわけですわ。ふう。(21:27)

 すばらしいねえ(笑)。「まあねえ、それは、・いいわけ・だね」の一言で、うるさいカワイチャンを黙らせた亜久里。ようするに、カワイチャンって、F1のことなんかぜんぜんわかってないんだけれど、たまたま英語ができるもんでナカヨシになっちまったドライバーとかがいるためにへんなしったかをしているだけ、というのがみえみえになっちゃう。おっかしいなあ。(22:04)

 うーん、ここまできてこうなるとは… ジンクス健在、ということなのか。それにしても、721を見ていたうちの奥さんがぽつりと一言。「かわいちゃんって、F1が好きなわけではないんだね」。そのとおりだなあ、と思う。それにしてもなあ…(22:56)


6/10
 デジカメ壊れた。机から落としたりしたのがいけないんだろうなあ。症状としては、オートフォーカスがおばかというもの。接写もできないし、普通のポートレイトも撮れない。DC260は二年つかってきて、結構気に入っていたのだけれど。新型に買い替えてもいいころかなとか思っていたらKODAKの新製品情報あり。4800… うーん。性能はともかく、やっぱりこのデザインはなあ。なんというのかね、デジカメというものはフィルムカメラとは違うものを追求していてほしいわけです。カメラとしての性能ならば、正直いってカメラの方が上。コンパクトカメラもどきをかうくらいならばちゃんとしたコンパクトカメラを買うほうがいい。ニホンジンデザイナーって、もしかしてパソコンコンプレックスとかのあるカメラオタクなのかな。とにかく、これでは「およびでない」です。

 でもね、webの更新にカメラは不可欠だし、ということで買ってしまいました。次なるデジカメ。DSC-F505V。デザインとしては、505の時に持ってみて納得ずみ。光学5倍ズームというのもよい。バリオゾナー、というのがどれくらい有効かというのは12bitのA/D変換でわかるのかな。

 こいつのレビューもそのうち書くけれど、とりあえずいろいろと感動しています、はい。画素数が300万もないからダメ、なんていう短絡的な意見に耳をかさなくてよかった(笑)。マクロは2cmまでよれるし、拡大フォーカスつきのマニュアルフォーカス、テキスト用のモノクロGIFモード、260にもあった縦位置自動検知、260でもそうだった3:2モード(!!)、実は結構つかえるMPEGムービー。64メガのメモリースティックとともに使うと楽しめそうである。メモリースティックの容量がもっと増えていけば、テープによる動画メディアはくわれちゃうかもね。

 さて、さっそく320iのエッチングパーツなんだけれど…

 こんなしろもの。リアウィング、ルーパー、窓枠、豚の鼻、ヘッドライト、ペダル、バックミラー、ワイパーくらいはわかる。

 さて…

 これは、ボンネットに四つつくことは分かった。でも、それでもまだ六個も余る。まだどこかにつくのかな。後ろ?

 これはフロントのバンパーのあたりに二つついているのはわかった。でも、これまた五個も余る。後ろにもつくのかなあ。

 これは、後ろのランプらしい。で…


これとか、


これとか、

 これとかがどこにつく何なのかがわからないのです。うーん困った。どなたか、アドバイスお願いしますです。

 そういえばこんな派手派手なデカールがついてきました。欲しい方、いらっしゃいます?

 週刊モーニングに「天才柳沢教授の生活」という作品がある。これについて、研究問題MLですさまじい見解が発言されて、しばらく脳が真っ白になってしまった。それが「研究問題」にかこつけて発言された、ということがまた驚き。このML自体は参加資格は登録するだけ、なので要するにだれでもが見られるところなんだけれど。

 いわく、

>  先ほども書いたように、医師や弁護士なんかより研究職は遥かに多いわけで、市民
> が科学者になって、科学者は市民の一人なわけです。私が嫌いな漫画に「天才柳沢教
> 授の生活」という「モーニング」の漫画がありますが、科学者は特別な存在で、大衆
> を導き、常人とは違うある意味「変人」みたいなイメージで語られる時代はとうにす
> ぎているように感じます。

 だそうな… 一体全体、あの柳沢教授のどこが「特別」で「大衆を導いている」というのだろう。それに、いうまでもないけれど「医師」も「弁護士」も市民の一人だ。このヒトのオツムの中では、市民階級からかけはなれたところにいるのが「医師」と「弁護士」なのだろうけれど(あ、だから今、本人は医学部に通っているのか)。ようするに、このヒトの個人的な「けんきゅーしゃ」に対する思いこみが、柳沢教授のように、あまねくいろいろなものに興味を持ち、論文数や教科書への掲載のような瑣末なことではなく、純粋に自分の知りたいことのために学ぶ、というタイプの人間が「嫌い」なだけなのだろうなあ。それを、

>  サラリーマンがサラリーマンの倫理などということは考えず、勤務している会社に
> 忠誠を尽くすように、科学者、研究者も会社や研究室、研究所などの方針に従ってい
> るように感じます。

 なんていってしまうのだから、さらに、このヒトの頭の中には大学のけんきゅーしゃと会社のサラリーマンとの間に厳然とした序列があることもみえてしまう。差別意識と特権意識だけが脳の中をうずまいているんだなあ。東大という肩書きをうしなうとこんなにももろいものかね。うかつだ、うかつすぎるぞ、キミ。つまり、「研究者」をキーワードとしながら、彼自身は研究者蔑視の視点が起点となっているのだ。でも、だからといってホームページでコンパのドタキャンについてぐちぐちとたれている場合じゃないと思うぞ(例によって途中で記述が消滅したりしているから、書いたことが事実とは異なっていたなんていうこともたびかさなっているのだろうね)。

 もっとも、ホームページの日記にしても最近は「若者はだめ」「関西はだめ」のこの二点だけを繰り返しとなえているだけの状況だから、相当に精神的においつめられはじめているのかもしれないけれどね。

 F1速報のモナコGP号を買う。がっかりする。ひどい、ひどすぎるぞこれ。なんか、真っ赤に校正して出版社に送り返したいくらいだ。全ページにわたって誤植があるんではないか、というくらい。この流れだとこのあたりにこのタイプの誤植があるだろう、とふんだら「ちゃんと」そこにある、という体たらく。ほとんどの誤植はワープロ打ちの際のキーの「すべり」。つまり「なののだ。」みたいな感じね。と、いうことは、編集者が手抜きをしている、あるいは、うわついている、ということ。オトモダチ感覚でミニコミつくっていたとしてももっときちんとする。創刊時から全冊買ってきた人間としては、この状況はとても辛い。

 津川氏の記事も、このところつまんなかったのが、さらにひどいぞ。このヒト、はじめの頃は、それこそベネトン時代の経験からつむぎだされるコメントが読み応えがあってよかったのだけれど、途中から「昔のF1は仲間同士のつながりがあって良い雰囲気だった、しかるに今のF1はいかん」ということを何度も繰り返すようになり、そして、ダメになった。津川氏の言葉を読んでいると、「昔はよかった」タイプの典型でしんどい。たとえば、自然と共存していた頃の日本はよかった、といいはる手合い、ね。その当時、どれだけの子供が、病人が、その環境の中で死んでいったのか、決して理解しようとせずうわべだけで何かを表現した気になれちゃう人たち。「むかしはいい」「いまはだめ」というのは危険な発想なのだ。上の、えのき君もそうなんだけれど、結局は「自分をあるところよりも上においておくため」に常に見下す対象が必要になってしまう。それが、関西はだめ、だったり、若者はだめ、だったり(てめぇもワカモノの癖にね)、今のF1はだめ、だったりするだけ。

 今回のF1速報で津川氏の言葉が特にひどいのは、著作権にかかわる部分。海賊版は人気の証し、チームの宣伝になっているからいいんだ、とか、レアだから買っておこう、とかいうたきつけるような発言を活字メディアでやられると、迷惑なのだが。「でも実際は、ロゴやトレードマークを勝手に使って権利金も支払わずに儲けるなってーのが本当のところさ」って、あたりまえじゃないか、そんなの。F1が、昔と違って大規模なスポーツとなり、昔とはくらべものにならないほどの金額が動く世界になった今、「ぐらんぷりぼーいず」の時代を肯定するあまりにこういう権利意識の低さを露呈してどーするんだろうねえ一体。今のF1をこうやって否定するために連載しているのだとすれば、それは今のF1を楽しみにしている読者に対してすさまじく失礼なことだ。

 このコラムを見ていて思い出したのが先日「ここがヘンだよニホンジン」にでてきた関西の人たちの自分勝手な様子。自分のペースを他人におしつけすぎる、と批判されると、「そういうヒトとつきあう仕事をやめたらええんや」と叫び、交通違反をするな、といわれると「大阪人は権威権力が嫌いなんや」ですませてしまうあの勝手さ。権威が嫌いだからといってコンビニの前に車を違法駐車する言い訳にはならん。それで「権威にたてついた」ヨイキブンにひたったところで、その行為は単に周囲の他の関西人達に迷惑をかけている「だけ」なのだ。自分の価値観だけを主張するためなら他人に迷惑をいくらかけても平気、だって、それは他人に迷惑をかけているのではなく、権威や今のF1のシステムが全部悪いのだから… もちろん、こういう身勝手な人たちこそが、ケンリョクの圧政を支持してきた歴史がある。

 でも、哀しいくらいにおもしろいのは、こういう「海賊ジャンク物を見つけたら、手に入れとくのも悪くない」などと公の場で発言する事自体が、こういう権利侵害の助長自体が、F1のビジネスをさらに権利を守る方向に傾けている、ということだ。つまり、津川氏自身が、「ぼーいず」の時代を削りとり、時代の奥に遠ざけている、というわけで、気の毒ではある、か。さて、こうなると、過去の自意識で食っている、というイミで津川氏とカワイチャンは同類だった、てえことかあ… なんか、哀しいね。


 そうそう、日経サイエンスの今月号にある養老さんと毛利さんの対談が面白い。リアリティとアクチュアリティの話。これ、模型の「りある」とかとも関連してくる話でとても興味深い。実感する、とはどういうことか、という話ね。末梢にこだわりはじめると見逃すということでもあるのだ、きっと。.

6/11
 ひさしぶりに土日休みなのでいろいろと。まず、ある種のお約束であるところのテールランプのクリア化にとりかかる。

 これが、キットのままの状態。ここにランプ色のデカールを貼りつけることになっている。でも、それだとあまりランプっぽくないので、お手軽作業をば。

 まず、おなじみの粘土シリコン「ブルーミックス」にテール部分をまんまうめこんで固める。はりつかないように、念のためボディ側にはあらかじめ離型スプレーをかけてあります。で、これがかたまってから…

 とりはずすとこういう具合に雌型ができている、というわけ。ここに、今度はニ液式の透明レジンをながしこむわけ。

 そうするとこういうのができます。ほしいのはこれのほんの一部なので、がしがし削るわけですな。

 どうしても、必要以上にぶあつくなってしまうけれど、これは後からどうにでもなる。問題は、輪郭を削りすぎないようにすること、で、ボディのほうにもあわせなくてはならないので、ここではある程度までにとどめておく。ボティ側は、丁寧にランプ部分だけを抜かなければならないから、少し時間を空けてから作業することにします。ふう。抜く、というよりも四角く穴をあける、という感じになるんだろうな。

 雑談だけどさ、「実家の近所の一つ年下の奴が事故死したと聞いた。突然死ぬんだなあ。なんか無常だ」なんて、何度も何度も狂言自殺しようとした人間のせりふじゃないよねえ。研究室の裏手で首をつろうとしたり、女の子の下宿で包丁を自分の首につきつけたりするニンゲンッて、けっして「突然死んだり」はしないんだろうねぇ(嘲笑)。

6/21
 スカパー、721でカナダのフリーがはじまる。なんだこれは!! カワイチャン、このはしゃぎぶりはあまりにもひどい。ひどすぎる。森脇氏が怒りモードで憮然としてしまっている。軽薄なカワイ氏をふさぐように語る怒りの森脇。721に苦情のFAXでも送るかな。素人の興奮ヒステリーを聞くために契約したわけではない。森脇氏の言葉がよい「CSの視聴者は我々よりF1に詳しいよ。FAXおくってくるんだよ」と。それを意に介さないばかかわい。「かわいちゃん、そんなこと知ってんだ。詳しいんだ。知り合いでもいるの?」というのもねえ。

 カワイチャンのしゃべくりがうるさい、という以上に無神経、かつ、くだらないことばかりしゃべる。この721のフリー走行では森脇氏のいらつきと、怒りばかりがめだつ。もちろん、「このカワイをだまらせてくれ」という時に、こちらの意を代弁するかのようにカワイをだまらせてくれる森脇氏には、それなりにカタルシスは感じるけれど、こんなカタルシスを感じるために721と契約したわけではないぞ。こんな低レベルなヒステリーにつきあわされてカネもとられる、というのはあきらかに理不尽である。しかたがない。月曜には721に苦情の電話をいれよう。視聴者を馬鹿にするにもほどがある。721の視聴者というのは、地上波でがまんできなくて、どうしても生で見たくて契約したディープな視聴者なのだ。カワイチャンのくだらないコーフンジョータイのために契約したわけではない。まったくもう。

 あいかわらずカワイ氏は女性蔑視発言も目立つし、実に聞き苦しく耳ざわり。地上波での本放送では多少は自粛できるのかね。フリー走行はCSだけだからハメをはずしたのだとしても、「この程度」だからいつまでもピットリポーターのまんまなんだろうね。解説にすえるととんでもないことばかりしゃべりまくるって失敗するのは昨年すでに実績済みだし。

 さっそく、ここを見ているかたからのメイルあり。やはり今年になってから721をみはじめたけれど、「解説」はひどいですね、という賛同の意見でした。現場のリポーターってほかにいないんだろうか。ジェフ君とかはどうしたのかな。まさか、「つぶされたり」してはいないだろうなあ。新人でもいいから、とりあえずは勉強しながらでもいいから、「ウンチクヒステリー野郎」から解放された中継をみたい。テレ朝のル・マンはよかったのに。

 もっとも、カワイチャンもWOWOWや地上波でも流れる予選や本戦ではフリー走行ほどむちゃくちゃではないので「確信犯」なのだろう。つまり、CSの視聴者は「カワイチャン」のプライドによって見下される対象となっている、ということだ。やはり、みんなで苦情のFAXでもいれなくてはいけないかも。721が無料ならまだ我慢もするけれどねえ。せめて、解説音声はチャンネルをわけて欲しいものだ。

6/23
 カナダGP号のF1速報を購入。校正は、前のよりちよっとまし。津川氏はさらにあいかわらずで気が滅入る。ヴィルヌーブが一時二位を走った、というのは、生で見ていたら興奮したろうなあ。

 週末は総選挙。間抜けなオヤヂメディアたちもようやく「自民圧勝」ということをいいはじめている。「神の国」にしてもどれにしても、現総理の「失言」ってさ、野党や記者達が劣情的に日々いだいている信念にすぎないのでは。もともとそう思っているから、過敏に反応するし、そもそも、「失言」以外に対抗理念がなかったり。まともな「野党」なんかないわけで、これで自民党が負ける目がどこにあるのかな、とすら思う。まあ、普段は選挙になんか興味なさそうな人間までもが「清き一票」に執着するきっかけくらいにはなったのかもしれない。(もっとも、一部には「自分は関西にすんでいるけれど関西ジンじゃないもーん、の誇示のための不在者投票への執着」、プラス、「周囲の若造は選挙に興味がなくていかんオイラはオトナだから投票するもんね」による不純な動機がみえみえというのもいる。こまったもんだ)

 「校則はないが常識はある」某中学校ではきちんと「いぢめ」もあることが判明。「宿題はないけどワーク」はある、ように「いぢめ」ではなくて何かホカノモノだといいはるのだろうかね。

6/24
 土曜日なんだけれど、生物部の活動として観音崎の博物館に。風邪がひどくて喉も痛いし頭もふらふらするし、で、これから休みます。ふぅ。

 Spa!の特集、「無期懲役はほんとうに軽いのか」は面白かった。そういやどこぞの馬鹿が以前、山口の事件について「国民が死刑を望んでいるのに死刑にならないなんて法律が間違っているのはあきらかだ」とかほざいていたっけ。そういう間抜けが続出しているんだろうねえ。福島議員も大変だ。馬鹿って、あさはかなことほざいておいて、ちびっとでもそのことを指摘されると黙ってどこかで沈黙しておいて「一番は相手をしないこと」とか偉そうにまたさわぐんだよね。自分はただの権威主義者の上、さらに、自分の言動に責任とることもできない存在、ということが明白なわけだ。でも、雑誌がこういう特集を組むということは、こういう馬鹿がどんなにマジョリティをきどったところで時代は違うよ、ということなのだろう。それは、救いかも。

 文春が「伝説の教師批判」とか「それでも自民惨敗」とかやっているのも予定調和的でほほえましいものだね。

6/25
 同じ教養過程の先生から、「うちの父が使っていたんだけれど、おいておくと捨てるだけだし」と、小さなカメラを譲っていただく。「シンガポール製の小さいのだからあんまりいいのじゃなくてごめん」とかいわれて、受け取ったソフトケースを見ると「Rollei」の文字が(!!)。どきどきしながらケースをあけると、とても状態のよい35が鎮座していた。塗りは落ちていないし、絞りもシャッターもちゃんと動く。ファインダーのフレームはさすがにちょっとあせているけれど、あとは問題なし。近場のカメラのキムラで電池を買うことにする。

 キムラに入って、なんとなくデジカメのオプションなんかをまずはひやかしていたら、店のおじさんから声をかけられてしまった。「あ、それローライですね。懐かしいカメラですね」と。そのまま、「これの電池を」というと、専用のアダプタ(2000円ちょっとした)を教えてくれた。いわく、「私がカメラ業界に入った時から欲しかったんですが当時は100万円といわれていて手がでなかったんですよ。最近ようやく手に入れましたけど」とか。なんだか、最近読んだ赤瀬川氏の「中古カメラウイルス」の話を地でいっているぞ。とりあえず、7月にはこのカメラの前の持ち主と一緒に鎌倉まわりをする予定なので、それまでに調子を確認しておこう。

 風邪はちょっと小康状態。とりあえず、この間に手元の資料を整理してみた。整理といってもたった三枚…。コレと、


コレと、

コレと、(GoodYearの下の青と黄色ってなんだろう)


コレ。

 そうか、ShellとかGoodYearとかカストロールとかのデカールをさがしてこなきゃ。

 最近のe-bayではコレを入手。前から欲しかったんだよね。

 MarshModelsの人がつくった冊子で、キットの作り方、道具の説明、その他。ただ、1986年版のほうも欲しい… そのころのメーカーについての技術とか紹介とかがあるのだろうから、なおさら。あと、まだ届いていないけれどオートコースの年鑑がじわじわとそろいつつある。あと、まだ残っているのは1977-1978の一冊のみ。

 開票、はじまる。あほくさいほどの予定調和的な結果。どこぞの雑誌では「投票率は60%をこえる」とかいっていたっけねえ。もちろん、「本当に自民惨敗ならば」投票率はすでにそうなっていただろうけれど、現実は現実だ。それは、同時に「自民惨敗」とか「森はだめ」とかいうのが、一部の人間の願望に過ぎなかったということでもある。つまりは、インテリキドリの似非知識人達が「今回の選挙は大事」とかいったところで、ということだ。今回の選挙ほど、自民党が一番まともに見えた選挙はなかった。これまでは、自民以外のほうにまともなビジョンがあったり、自民だけは勘弁というほどひどいのがいたり、ということだったのだけれど、今回は事情が違う。例の西村氏は自由連合で、しかも、きちんと苦戦しているし、テレビ局の出口調査では自民だけで過半数近くあるわけだし、こうして、だんだん馬鹿には生きづらい世の中になるのはいいことだと思う。

 もっとも、総理大臣が小淵のままであったならば事情は随分違っただろうから、これも、時代の流れ、なのだろうね。

 HGABのズワース完成。うーん、オーラコンバータが重くてなかなかちゃんとたたないぞ。で、同時にHGABのビルバインとHGUCのリックディアスを入手。うーむ、PGZもあるのにねえ。

6/27
 結局、投票率は60%を越えたけれど、与党は安泰。自民党はかろうじて単独過半数は逃した。で、みていたら案の定、アホな夕刊新聞の見出しあり。「自民惨敗!!」もちろん、すぐそばにはちいさく「東京では」ときたもんだ。苦しいねえ。

 モデルカーズの53みていたら、EliteのBMW320iが優秀賞ででていてぶっとんでしまった。ボンネットのキャッチピンが五箇所、というのはわかったけれどそれ以外はよーわからん、リヒテンシュタインの柄ってちかちかしてもともとよくわかんないし。

 モデルカーズ、7月には「つくる」特集を含む増刊号がでるらしい。どんなになるのかねえ。 

 「棄権をするのはべつにいいけれど、投票する人間を馬鹿にするのはやめてほしいな。こっちに来てからそればっかり。納豆くさってるやんとか。疲れる」というのはなんなんだろうか。あ、そうか。関東人だから馬鹿にされているのではなく、当人の能力と人柄に対しての評価を受け止める能力がないものだから、東西の問題にすりかえようということか。あいかわらず、自分の言動に対する責任の意識はないのね。「投票する人間を馬鹿にする」ことと「納豆くさってるやん」とが併置されている、というあたりがすでに証明終わり、という感じ。「投票した馬鹿が偉そうに周囲の同級生を若造扱いして説教たれている」のを正しく表現するのと、「投票する人間を馬鹿にする」のとは違うんだけど、わかる? わからない…かあ。うーむ。

 どーでもいーけどえのきくん、自分がむかしのまんまだったからといって下宿で暴れてしまうのではなんの成長もないでしょうが。そこでは狂言自殺を止めてくれるトモダチもいないんだからね。しかし、「記憶力が落ちているだろ、と多くの人に言われ」た時点で、自分がぴんとのはずれたことをしていると気がつかなかったのかしらね。「明日テストがあるので、ひたすら勉強。ただ、飽和状態になって、これ以上やる気にならない。20代後半にして一夜漬けとは。これも私の選んだ道」とかカッコツケテいっているそばから「自分の選らんだ道」とかいっておいて「ショック。部屋の中で暴れて茶碗を割った」だもんねえ。近所迷惑かえりみず、というやつか。あれ、これって「オカミやケンリョクにたてつくために駐車違反をして単に周囲の関西人に迷惑をかけるだけ」というメンタリテイといっしょじゃん。なんだ、えのきくん、ナチュラルに生きていける環境と文化にようやくめぐりあえたのかもねえ(笑)。もしかして、いま、シアワセ?

 はぁ…

7/1
 「天才柳沢教授の生活」って、もしかしてそれぞれの「研究者のイメージ」をあきらかにするチェッカーとして優秀なのかも。今週号の教授が「「交通法規はどんな些細なことでも絶対守る!」という、一般人からすればまさに「変人」」とかいわれてしまうと、やっぱり違うじゃん、とかおもう。思うけれど、またまたこの人とは平行線なんだろうなあ。気持ちはわかるけれど、いってはいけない言葉だろうに。「研究者にとっての一般人」のイメージってこうなの? 一般人は交通法規は守らない、と? 今週号の教授の気持ち、というのが「些細な放棄を絶対守る変人」ということは、「おかあさん」の運転には問題を感じていない、ということで…この発言をした人が普段どういう運転をしているのかみえてきてしまって、それはそれで恐い。

 researchMLでもこの話題にはちこちこと反応があって面白い。で、大体「こういうことをいいそう」な人がちゃんと「そういうこと」を発言しているのがまた面白い。ここに細胞バンクの水沢氏なんかがいればもっとおもしろかったろうなあ(笑)。

 それにしても「サラリーマンがサラリーマンの倫理などということは考えず、勤務している会社に忠誠を尽くすように」というのが、サラリーマン蔑視に「みえない」というのも興味深い反応。この台詞、サラリーマンが自分で発言したのであれば違う文脈になるけれど、「自分のことを研究者扱いしてサラリーマンのことを外から眺めている」人間の発言である、というところが重要なんだけれどねえ。読解力の問題、なんだろうかね。もしかして、どんなに数がふえても「研究者」は「一般」とはあいいれない存在なのかもしれない。と、いうか、「一般化されてきている」といいつつも、「でもオイラはイッパンなんかじゃないもん、研究者だもん」という流れがあったりするかもね。そう考えると「医者・弁護士」>「研究者」>「一般人」というひえらるきいというのもわかりやすくなってくる。だからこそ、「柳沢教授」は「嫌い」だとわざわざ主張しなくてはならなくなるのだな。

 先に、譲ってもらったローライにフイルムをいれてあそんでいる。しばらくは505Vは携帯カメラの座からおりていたりして。深いシャッターストローク、小さいくせにずしっとくる重さ、この密度感がたまりませんです。


無印の35。シンガポール製だけれど状態はとてもいい。まさか、昔あこがれていたこれが手にはいってしまうとは。


こちらは、20年くらい前に携帯カメラとしてつかいまくっていた35LED。これもシンガポールローライ。これは、本当に酷使したのでずたぼろです。ちゃんと動くけどね。

 LEDと35をくらべると、やっぱり35のほうが高級感があってよい。値段だけのことはあるのね。

 ちょうしこいてe-bayでこんなものも手に入れてしまった。


 なにかというと、35の修理マニュアル。60枚以上のコレさえあれば自分で修理もできる…かな?

 それにしてもおそるべきはe-bay、ですねえ。

 フランスGP、はじまる。予選は721でみたけれどさすがにカワイチャンもおとなしくてよかった。フリー走行は仕事でみられなかったのが幸い、だったのかもねえ。さて、フェラーリ強し、というよりもハッキネンどうしたのさ。

 恵比寿でTameoのF1-2000を見る。買わなかったけれど、あぶないところだった。エッチングパーツをまげるためのメタル製の型まではいってくる、というあたりでくらくらしてしまった。チャンピオンとったら、つくるかもしれないなあ。

BMWはボディのすじぼり中。うう、はやくオレンジ吹きたいぞ。

 近くの模型屋でダンガンレーサーを見る。結構おもしろそうかも。ミニ四駆の後をつげるかねえ。ただ、スピードブレーカー的なスタイルはミニ四駆以上に「そそる」ねえ。

 フランスGP、カワイチャンがおとなしいのはよし。このままマクラーレンできまるのかなあ。フランスの中継は時折画面が乱れる。やっぱり農業国?

 しかし、わんつーとはねえ。後半戦の対決は楽しめそうですな。

7/5
 大学の近くで手に入れたオートモデリングのバックナンバーで、Starterの320iとGammaのベータを見かける。Gammaのほうは、メイクアップの目録にもはいっていたので、GPMに確認のメイルを出してしまった。まだバックオーダーの状態らしい。GPMでは、さらにTron M-Modelの126CKピットクルー・ドライバー付きをオーダー。こういう路線をねらうのかあ。これはこれで楽しみ。

 amazonにThe World of 43rdの第三版を注文したら、ewaから返事がきた。ようするにewaと提携しているということらしい。ふーん。でも、送料が足りないからカード番号を教えろというのはなんだ? あとでamazonにメイルしておかなくては。

 コンパクトカメラのノウハウ本を立ち読みしていたら、Rolleiの35Sをほめているのをみつけた。いわく、「この丸がみっつというのがいい」とか。たしかに正面からみればそうだな。でも、その後がいけない。「35みたいに丸がひとつでは…」 はあ? このシリーズで丸が「ひとつ」なのは最後のLEDとかセレン式露出計を内蔵したモデルとかで、35もちゃんと丸がみっつなんだけれどなあ。よくしらない人なのね。それでも本がかけちゃうのね。うーむ。

7/15
 あ、10日もあいちゃった。とりあえず、前期試験もおわり、あとは来週の生涯学習・親子教室をのりきればちょっとは楽か、というところ。320はこんなです。ペース、遅いぞ。

 テールランプのところをぐりぐりとくり貫きました。じっくりと、クリアパーツにあわせないといけない。背景は…えー、AnimaxでのZZ再放送がおわった分、FF9に時間をそれなりに吸い取られていたりして。

 オートコース年鑑の1980-81をe-bayで入手。T5のシーズンですな。F1全史、これとくらべちゃうものでまだ買っていません。ぱらぱらとページをめくるんだけれど、なんかいまひとつ「くる」ものがなくって。でも、そのうち買っちゃうんだろうなあ。その前にこのオートコースを揃えないとね。

 そごう倒産。公的資金の投入をしなかった、ということはその分、連鎖波及で苦労する人がふえたんではないのか? どうも「コクミンのケツゼェ」をそんなことにつかうなんて、という論調は臭くてなじめない。そのへんの個人商店がつぶれるのとは違うだろうに。もっとも、こんなになるまで百貨店をあまやかしてきたのもまたそういう「おきゃくさん」なのかも。全体をみることができないと、「コクミンのケツゼェ」なんぞという文句で踊らされやすくなるのではないか、とか思ったりして。

 生物部の学生さんからプラモをもらう。知り合いに頼まれて探したら二個あつまってしまっていたから、とのこと。WaveのだしていたA110。エッチングパーツもはいっているぞ。A110ってタミヤのしかしらなかったのだけれどこれもまた楽しみである。ストックが自動的に増加していくのは…「中古カメラウイルス」みたいなものなのかなあ。

 現在、721でオーストリアGPの予選をみている。解説が鈴木亜久里なので例のカワイチャンも静かでいいや。森脇氏は日本のスタジオにいるみたい。

7/30
 やば、二週間もあいちゃった。その二週間の間に夏休み親子教室があったり、43のオフがあったり、大学のカルガモが死んだり、といろいろあったのだけど。いろいろあったせいでBMWはまだこれしかすすんでいない…

 テールランプの部分を一所懸命削り込んでパーツをいれてみたとろ。微妙なあわせがまだのこっているけれど、これのめどがたてばボディにオレンジ吹けるし。

 それにしても、モデルカーズの増刊号をみてびっくり。43号に320iの作例があったなんて。たしかにひっぱりだしてみると…ある。シルエットフォーミュラ特集の中にリヒテンシュタインカラーの作例が。で、これがタミヤの1/24シリーズの第二弾とは。探せばみつかるかな、これ。とりあえず、エッチングパーツのいくつかはこの写真のえかげでおちつく場所が判明。

 ほとんど匍匐前進、だねえ。

 7/22は恵比寿で43MLのオフ。幹事のみなさん、おつかれさまでした。親子教室のうちあげのあとに参加したので遅刻かな、と思ったけれど無事乾杯にまにあうことに成功。トホホキットがテーマだったとはいえ、すごい数のトホホキットが大量にビアホールの机を占拠したのは壮観。あれだけの数のFDSがねえ。ほんと、FDSって幸せなメーカーだと思う。復活、するの?

 おもしろいのは、トホホに対する評価のわかれかたで、ここに「あじ」をみいだしてはまっちゃう、とか、この車種はここしかキットがないから、とはまってしまうとか、これはちょっと、と敬遠する、とかいろいろ。特に最近のTameoなんかの存在は、トホホの位置を43の世界の中ですらずいぶんとずらしていったと思う。ちょっと前は、トホホなんていう言葉は成立しなかったものね。だって、43のキットは「原則としてトホホ」だったわけだし。トホホと緻密。この二つはカテゴリーとして実在できる、かなあ。

 それでも、このトホホから緻密への道筋、というものはたしかに実在している。それは、1/43のキットの技術が進歩した、ということもあるだろうし、ユーザーが増えてきた、ということもある。少なくとも、「素組み」で完成できるキット、というのはすごいことだ。あれ、これはみたような構図だ。20年前のガンダムのプラモと今のガンプラみたいなものではないのかな。20年前、最初の300円ガンダムの頃、僕は「プラモに色を塗る」とか、「かたちを自分の好きなようにかえる」ということを学んだ。だって、そうしないとかっこよくならなかったから。今、最近のガンプラをつくりながら、こんどは「色をぬらない」つまり、素組みでつくることを学んでいる。サフを吹いて、色をぬらないといけない、という束縛からはなれることで、ようやく、プラモの楽しさをとりもどせた、といってもいい。43の場合、いまのところはまだ素組みとはいっても色はぬらないといけないし、ここまでにはいたっていないけれど(でも、色をすでに塗ったボディとか、塗装済みのエッチングとかははじまっている)、こういう感じに近いのかもしれない。ねがわくば、ガンプラのみたいな、くだらない喧嘩や対立(サフもふかない奴にプラモを語る資格はない、とかさ)は生じませんように…

 さて、乾杯にまにあった43オフなんだけれど、席について少ししたらみんなにきかれた。「クラフトの五階いきました?」と。なにかというと、CKのミニカーありましたよー、だって。くー。まにあうように急いだのが裏目? とにかく、気になって仕方がなかったので次の週の仕事帰りにいってみました。五階にはなかったんだけれど、三階にコレを発見。セカンドハンズ品です、ということだった。イタリアのTwinCrono製の126CK(ラベルは126C)とC2。C2はなんだか妙にスリムな姿をしている。

 わかる? トホホ系全開なんです。感じとしてはHiFi(M-modelsではなく)のキットを素組みしたような。その癖、妙に味わいがあるから面白い。さらにすごいのはパッケージ。

 円筒形の透明ケースにおさまっていてとてもおしゃれ。でも…台と車体とはなにでつながっているかというと、ベルクロテープだったりします。オムツカバーのアレ。こういう止め方があるとは…。どちらにせよ、完成品ミニカーとしてのCKってめずらしいです。

 GPMから、バックオーダーになっていたランチアベータモンテカルロ到着。プレンボのロゴのデカールもはいっているぞ。これ、どこだかからミニカーも出たらしい。うーん、ちゃくちゃくとそろっていく。そういえばe-bayでポリスティルの六輪T2がでていた。200ドルをこえたところからスタート、というのは辛いなあ。

 サンデー毎日が、バーニング批判を開始した。まさに、タブーと闘うというのはこういうことやんないとね、という見本になりつつある。文春、こういうのとくらべちゃうととっても貧弱だねえ。と、いうか、もしかしてバーニングサイドとの癒着とかが文春にはあった、なんてことになると楽しいかも。少なくとも、ヒラモト君はなんかおかしくなっちゃっているしね。なんせ、「ついに! ここまで来たか、ジャニーズ問題!なんて銘うっておいて、「業界ではジャニーズのスキャンダルは「許可なくては報道できない」という暗黙のルールが敷かれているのだ。写真誌をはじめとする一部の雑誌で騒がれてもテレビやラジオでは取り上げないのは当たり前で、その多くはウヤムヤとなっていることが多い」とか、「キムタクスキャンダルはこれまでにも相当にあったはず。一途の愛を公然としてきたカオリンとの交際から破局までについても「生カオリン」をテレビがおっかけてインタビューでもしただろうか? 日本一人気あるタレントの彼女とあらば連日にマスコミ攻勢をくらっても致し方のない有名税。しかし、マスコミはジャニーズに遠慮しこれを怠る」とか。へぇ。「有名税」ねえ。でも、こういうことを書き散らしはじめた、ということは相当おいつめられているという事情があるのだろうか。サンデー毎日の記事とあわせてみていくと結構いろいろわかってきちゃうから…なんだか、そのうちなにもかもが芋づる式にあきらかになっちゃうんではないか?

 さて、上の「有名税」ではないけれど(それにしても、一般人をおいつめなかったことを「怠り」というあたり、ヒラモトクンはやっぱり頭のどこかがす・た・あなんでしょうなあ。くす。)、最近の東京医科歯科大学での不祥事のはなし。例によって研究問題MLにて「東京医科歯科大歯学部のある研究室で、カラ出張によってパーティー代金を捻出したり、大学院生を研究補助のアルバイトとして雇ったとする虚偽の申請をして国の補助金を受け取りながら、流用していたという事件があったようです」という問題提起があった。まあ、以前にも出たたぐいの問題なんだけれど、これに対しておどろくなかれ、「大学の予算は融通がきかないんだから多少のことはかまわないんだ。予算のシステムがまちがっているせいなんだから」という意見がでてきちゃう。不正行為については「しかたがない」ですませちゃおうというハラなんだろうけれど、これが学生からでてくる意見だ、というあたりに日本の未来の暗さを感じてしまう。現金のために名前をかってに「つかわれる」立場なのに、予算の執行をするサイドのキブンで発言していらっしゃるわけだ。オープンなMLなので紹介しておこう。読むと腹がたつひとは多いでしょうが…でも、大学というものの中にあっては、彼の意見はたぶんそんなにめずらしくないのだ。

いわく、
「[research:1642] Re: 東京医科歯科大歯学部カラ出張」で、

> **です。
> 東京医科歯科大学の院生です。
>
>
> > 金がなくては研究できないのは事実で、医科歯科での事例のようなことは多々ある
> >ようですね。
>
> 多々あると思います。
> 程度の大小はあると思いますが。。
> 研究を維持するために最低限やってるとか、記事に出たラボのように
> 私的な意味の強いパーティーなどにまで使ってるとか。。。
>
> > これを機に、研究費の構造問題について何かしらの議論ができればと思いますが、
> >報道のトーンでは、医科歯科の一人の教授のスタンドプレーで決着しそうです。これ
> >では、その研究室にペナルティーが下って、他の多くの研究室では、スケープゴート
> >が出たとほっと胸をなでおろす、ということになってしまいます。この前の東大先端
> >研のときと同じように思います。
>
> 周囲の噂では、研究室内の人間関係絡みが原因の内部告発らしいです。
> 資料を漏らした人や、記事(1面)にした朝日新聞の記者が、
> 日本の大学における研究費の制度や構造の問題を本質的に議論しようと
> いう意図でやったのなら良いですが、
> 単なる嫌がらせや反権力精神で、どこの研究室でもやってるような(程度の
> 差はあれ)ことを大新聞の一面に載せられたのでは、我々学生としては
> いい気分はしません。
>
> まあ、どこかの検事の不倫話なんかを一面に載せてクビにさせたりするような
> 新聞ですから(私は三流紙だと思っている)、仕方ないのかもしれません。
>
>
> ところで研究費の話ですが、
> 最近アメリカに留学した先輩が何人かいるのですが、
> 彼等が口を揃えて言うのは、「アメリカのラボには機械や試薬がない」
> 「日本の方が機械や試薬が研究室に揃っていた」ということです。
> アメリカのラボでは解析機器などの多くは複数のラボで共同利用に
> なっていて、実験の度に隣の棟まで行ったりしなければならない
> ことが多いそうです。ノーベル賞受賞者が何人もいるような
> 大学でもそうなのだそうです。
> 研究室ごとに機材がある日本は無駄が多い、と彼等は言います。
> 研究費自体はアメリカの方が出てるような気がしますが、
> 向こうではそれを人件費(院生の給料等?)とかに使っているということ
> でしょうか?
> 日本ではそれができないから、無駄に機械をたくさん買っていると
> いうことなのでしょうか?
> 研究費の問題と不正(カラ出張)の話題を聞いていて、気になりました。
>
>
> ではまた
>
>
>  ♂ ♂ ♂ ♂ ♂ ♂ ♂ ♂ ♂ 

うーん。

> 日本の大学における研究費の制度や構造の問題を本質的に議論しようと
> いう意図でやったのなら良いですが、
> 単なる嫌がらせや反権力精神で、どこの研究室でもやってるような(程度の
> 差はあれ)ことを大新聞の一面に載せられたのでは、我々学生としては
> いい気分はしません。

というあたりがとくにひどい。ようするに、大学内の不正行為を報道するばあいは、不正行為自体は悪くなくて「制度や構造の問題」にしないといかん、と。で、さらに、不正行為を不正行為として報道することは「単なる嫌がらせや反権力精神」(この二つが併置されている、ということもスゲェ)にされてしまうわけだ。MLのほうにも書いたけれど。このボクチャン、学生なんだけれど気持ちだけは「きょーじゅせんせえ」なんでしょうねえ。青さがきわだって臭いまくっているよーな。

やれやれ。今晩はドイツGPでもみて口直しでもしよっと。

8/5
 日記のつづき。先日、実は某氏と職場の近くでミニミニオフをしてしまった。なんか、年代が近いことがわかって、話題の収束点も、ふーむ、という感じでした。楽しかったので、今度は時間を気にせずに飲める機会をつくりましょうね。

 e-bayでの最近の収穫はコレです。

 カナダの雑誌は、ジルの古い写真がうれしい。手前の二冊は81年のF1雑誌。サンマリノとハラマで、ともに表紙が27番のCKというのがうれしい。ここのところたてつづけに落札してしまっているのはBidPayの手軽さのせい。危険かも。Wolf CanAmのWD-1はぎりぎりでせりまけてしまった… あと、オートコースの年鑑は全部そろってしまった。まだ届いていないのが二冊あるけれど、とりあえずコンプリ。もちろん、僕にとっての年鑑のコンプリとは1977-1978から、1982-1983までのことであるけれど。あとは、現在集めにかかってしまったのは、ジルの参加したグランプリのパンフレット。これはさすがに当分コンプリしないだろうから、楽しみである。

 ビッグサイトのゆめてくにいって疲れる(笑)。いや、おもしろかったんだけれどね。展示がパターン化していて、クイズとCGには食傷気味。収穫は国際宇宙ステーションのペーパークラフト1200円なり。CD-ROMでデータもくれればいいのになあ。

 それにしても、HGUC、リックディアスのあとがすごいなあ。ザクIII量産型とかハイザック(!!)とか、GP-01とか… なに考えてんだろうというほど。この分だと赤キュベとかも出そうだ。ディジェとかメタスは?

 おまけ。うちの子供たちはこんなになりました(笑)。

 表のページに「環境ホルモン問題」について、ひとつコーナーをつくる。研究のページも気がむいたらつくるかもね。 

 あしたものみ会。

8/17
 なーんか、夏休みにはいってかえっていそがしい。お盆休みは都立大での共同研究とかいろいろあるしね。いいわけのように出しておくと、320はまだこんな程度。

 サフ、塗りました。表面をととのえてから白のベースを吹いて、やっとこオレンジの予定。後ろはFF9の主人公(笑)です。

 「環境ホルモン」のことを調べれば調べるほど、市民団体や抗議組織の「と」なロジックがみえみえですさまじい。母乳中のダイオキシンは年々減少している、とか、ゴミの焼却よりも過去のの農薬からのダイオキシンのほうが多い、とか、そういう大事なことを「あえて」ふせているえげつなさ、とかね。そして、自分たちに都合のいいデータが「でてこなければ」データを隠している、とさわぎたてるわけで、UFOの目撃のはなしと同様の展開がみえてくる。立花隆もアニメの声優なんかやっている暇があったらきちんと勉強した上で発言する、という訓練をつんでほしいなあ。もっとも、先日ある生態学者と雑談していて、「最近の立花さんはおかしくなっちゃったねえ」という意見がでてきたり、某発生学者が「あのひとはそもそも論文を読めるんだろうか」と危惧していたり、と、わかるひとはわかっている…んだろうねえ。そんなのをカリスマ扱いするような手合いが存在する限り、日本の科学教育はむずかしい状況にあるんだろうねえ。

 ローライ以来、古いカメラに対する情熱が復活してしまって大変。e-bayではコレをget。


 ローライのA26です。「がちゃっ」とボディをおしひきするとフィルムとシャッターがチャージされるタイプです。売り手と連絡がつかなくてちょっとごたごたしたんですが、e-bayに間にはいってもらって、FAXで直截やりとりをして問題なく取り引き完了。
 ボディサイズは後ろのローライといっしょ。ただ…問題がひとつありまして…フイルムが入手できんのですよ。コダックも生産を止めちゃったし。e-bayでもフィルムをbid中なんだけど。今日よってきた銀座のレモン社では、フイルム三本がいちまんえん。もっとも、コダックのカメラも一台ついていたけれど。結構迷ってしまいました。もし、これをよんでいるみなさんの近くのカメラ屋で、126というタイプのカートリッジフイルムを在庫しているところがありましたら、ぜひ、買い占めた上、手数料を上乗せしてわたくしめに売りつけてくださいまし。

 しかし、126というのは、僕が最初に使ったカメラのフイルムなのに… なくなってしまうとは。正方形のフレームが大変だったのを思い出します。

 で、さらに古いカメラ熱は暴走していまして…昔欲しかったカメラをどんどん手に入れています。e-bayではとうとうMinox Bをget。現在セラーとやりとり中。なんか…すごくうれしいです。

 あげくの果てに、数日前に大学の帰りによった新宿(しょうこりもなく126フイルムをさがしにいった)の中古屋でContax IIaを発見。数十分ながめてから、一日おいて買ってしまいました。だって、僕にとってのカメラといえば究極はレンジファインダーの露出計なしのcontaxなんだもの。値段も納得できるものだったし。欲しかったのは、I、II、IIa。このなかで、もっとも実用的なのがIIaなので、もううれしいのなんのって。で、また都立大にいく際に新宿によって購入。その際に、ニコンのS85ミリも結構まよったのだけれど、これは前玉のキズがひどいのでパス。セコニックの露出計も買い込んで、昼食にたちよった店でフイルムを入れて(そのつもりで用意していた)わくわくと撮影にのぞんだわけです。結果、都立大の建物をとっていて気がついたのが、「無限遠がわからん」。そう、距離計がずれていたのでした。かなしくも、IIaはそのまま帰りに新宿で入院。ショップ補償で調整してくれるのはいいんだけれど、なおってくるまで手元にないのがとてもさみしい。一ヶ月かかるかも、とかいわれたもんなあ…

 でも、一本撮っておいてよかったです。ぢつは、このあと銀座でゾナーの85とIII用のコンタメーターをgetしたりもしているんですが、


ゾナーの85がこんなに早くてにはいっちゃうとはおもわなんだ

 そのあたりのことはボディが退院してからということで。うー、カメラのコーナーつくっちゃうかも。コンタメーターは、ボディの高さがIIIとIIaとでは違うので、ちょっと細工しないといけないかもしれないけれど、生物屋としてはやっぱり接写は必須でしょう。ちなみに、持論としては、「人間には二種類いる。目が35ミリの人間と85ミリの人間だ」であり、かつ、自分は後者なので、もう、大満足なんですが…どのみち、こんな古いカメラを実用でつかおう、という発想自体が「トホホキット」にひかれる精神とつながっている気はします。ま、カメラの世界では基本的な水準はこの古い時代にできあがっている、ということはあるけれど。でも、「フィルムをいれないカメラ」をもちあるく人間にはなれない以上、じたばたするしかない、かな。ライカってなに?

 全然関係ないはなしなんですが、先日、出勤のさいに「駅前で」コレをひろいまして、自分が「イナカに住んでいる」コトを痛感した次第であります。

 こんなの、昔は都内にも結構いたんですけどねえ。

 先日、れいによって「最近の若者の犯罪」関係でニュースステーションががんばっていた。つまり、「若者の犯罪がふえた」というテーゼが「嘘」であることを警視庁のデータをグラフ化したもので明快に説明してのけたのだ。そのグラフには、若者の犯罪率のピークがふたつあり、特にそのひとつめの山の大きさたるや、とてつもないものであり、最近の数なんかはまったく微々たるものだった。番組では、とりあえずそれらのピークについては「今後の研究を」ということにしていたけれど、これは、とってもわかりやすいものにすぎない。一つめの巨大な犯罪数のピークは、いわゆる「団塊の世代」が若者だった頃だ。そして、しばらくたってでてきた小さいもうひとつのピークは、その世代の子供たち。つまりは、「そういうこと」なのだ。やはり、まだ日本の「戦後」は終わっていないのであろう。この、巨大で、かつ、いびつな人口ピラミッドの山が消滅しない限りは。

8/20
 昨日は、中学の時の友人と20年ぶりに会って飲み会。それぞれ、かわってないもんで面白い。たまたま、中学というのがまさに僕がカメラ小僧だった時期でもあって、話題もちょうどぴったり、という。126のフィルムはブローニーをきっていれるらしいぞ、とかいわれてもなあ。カラーはどうするんだ?

 飲み会の場所は新橋。少しはやめにいって、新橋から銀座までに点在する中古カメラ屋を漫ろ歩く。銀座にあった一軒がビルの立て替えで発見できなかったけれど、あとはみんな20年前のまま。おもしろいのは、先日まわった店でみかけた人を、まったく同じ格好(もちろん、首にさげているカメラ…オークションで手に入れたのだとか…もいっしょ)でみかけたりする。ああ、こういう世間の狭さってどの世界でもいっしょなんかもね。ついでにひやかした天賞堂でも、鉄道さんたちの雰囲気がまた類似のもので、鉄道模型の世界でもトホホとかあるのかなあ、と思ってしまいました。

 その途中でまたまた手に入れてしまったものがコレ。うー。どうなっているんだろう。

 なんと、IIa・IIIa用のコンタメーターと、8.5cm/13.5cm用のファインダー。コンタメーターはこれで先日手に入れたIII用のホットシューを改造しなくてもよくなった。III用のコンタメーターがあそぶことになってしまったけれど… このコンタメーター、距離計ファインダー用の拡大レンズは本体に内蔵されていて、かつ、倍率ダイアルに応じて本体の傾きが変わる、という技あり。20cm、30cm、50cmという近接撮影に応じて、視差を自動的に補正する、というわけ。うー、はやくつかってみたい。接写レンズの焦点距離がわかるように、固定の距離計がついている、というものだ。ある本で、「これは撮影者に動けといっているわけで殿様の商売みたいだ」と評していたけれど、そもそも接写ってのは「そういうもの」だもんなあ。ファインダーのほうは、IIaのボディにくみつけるタイプで、レバーで8.5cmと13.5cmのフレームが切り替えできる。のぞき窓にはダイアルによって偏心するピンホールがついていて、距離におうじてこれをダイアルセットすることで視差を補正するスタイル。測定ファインダーともよばれていたものらしい。

 これで、とうとう、すべてツアイス純正で一式そろえることができてしまった… IIa本体が修理からかえってくるのが本当に待ち遠しい。それにしても、ちょっと中古屋をまわるとひととおりのものが純正でそろってしまうなんて、へんな国かも、日本って。まあ、ツアイスについていえば、ライカのような信奉者がいないおかげで中古の値段もそんなにへんじゃないし、物の回転もそんなにはやくはないみたいなのは幸いだったのだろうけれど、IIa用のコンタメーターなんかすごい美品。しかも、この店にはコンタテストまで在庫していたぞ。さすがにそこまでは買わなかったけど。

 24時間テレビをみている。点字漫画をみて感無量。7〜8年前にPC-VANのボランティアハウスで相棒がこれを提案したとき、周囲からつぶしにかかってきた奴らがいたっけ。「できるわけない」とか「そんなのは漫画じゃないからだめだ」とか、まあ、了見の狭いいろんなのがいた。中には、そもそも女ひっかけるためにパソコン通信をやっているのがみえみえな奴(コウ一郎とかいうハンドルだった)なんかもいて、そういうのはようするに「めんどうなことはやりたくない」という気持ちが、なにやらそれっぽい反対理由をでっちあげていたっけ。結局、時代がおいついてきた、というべきか。当時の敗因は、周囲にそういうクズがよってきているのを払い捨てるのに手間取ったことと、企画を実現にもっていくための具体的な道筋が遠かったこと、アピールしたところで、所詮パソコン通信なんていうのは一部の限定されたユーザーのものでしかなかったこと、か。パソコンつかったバーチャル手話もIBMがすでにやってくれているし、結果的に(時間はかかったけれど)実現にむかうのであれば、まだまだ、できることはある、ということかな。

 PGZ、ようやく両腕両足終了。うーん、随分時間もかかったしパーツもつかった気がするのにまだまだランナーが残っている。前のPGガンダムよりも格段と「明日は学園祭初日」状態。足と手をくらべると、普通の人間と違ってへんなバランスであることがわかっておもしろい。それにしても、これはプラモというよりもおもちゃのキット、かもしれんないなあ。

 相棒は、24時間のおつきあいと応援ページの更新を一段落して今は休んでいます。僕より体力あるなあ。

 サンデー毎日、バーニング記事がない。単に一段落? それとももしかして…圧力とか?

8/26
 昨日まで二日間、飯田橋で学会。お初の分野だから知らない人ばかりだろうと思っていたらさにあらず。さながら、同窓会の様相を一部で呈する。なんてこったい。世間せますぎ。成田君、阿波踊り踊ったんだって? 新しいメイルアドレス、連絡しとくれ。

 今日から三連休。夏最後のおやすみ。(正確には31日のコンサートも休みとってあるけど) 子供の宿題てつだったりして身体をやすめるのです。いや、ここ一週間ほど腰がね、ちょっとね…

 モデルカーズを買う。プライアン・ハーベイ氏の記事は興味深いぞ。これって「トホホ」道の一つの存在理由なんだろうか。「つくりやすさ」という点で、確かに最近のタメオとFDSというのは対極の関係だとはおもうけれど、それが「つくりやすい」・「つくりにくい」の座標系ではない、ということはあるだろうな。そして、ハーベイ氏が最近のタミヤについてつけたコメントもとても納得できる。TS020なんか、マスキングシールつけるくらいならランナーごとわけちゃえ、という発想があってもよかっただろうに、と。でもね、それをいうならばタミヤはすでに後発だからいまからは大変だろう。だって、ハーベイ氏がとらえているであろう、近未来の理想的なキットは、-が国ではバンダイが実現してしまっているのだから。塗装についての見解に、モデルカーズ編集部のコメントがさしはさまれているところなんかおかしいねえ。これ、いれとかないと「苦情のオテマミ」が不幸の手紙よろしく大量にNekoに送りつけられてしまうのでは?

 43の場合は「模型をつくるのが楽しい」という理由と、「この車種が欲しい」という理由とが混在するからめんどうなのか、というと、実はこれも微妙に違う気がする。「つくるのがたのしい」人は、たぶんあえて1/43に足をつっこんだりしないだろうから。それこそ、プラモというモノがこの世には存在するわけで… だからこそ、タメオは43をそのプラモの位置にまで市民権をもちこみたかったのだろうな、とは思う。うーん、難しい。

 デジカメがどんなに便利になっても、古いフイルムカメラには独特の存在感があるように、ワープロと手書きの手紙の違いのように、それぞれの位置がきちんと独自に成立できるところまで成長してしまえば、それぞれの市場は存在できるのだろうけれど、43はそこの境界線が不明瞭なのがつらい。さらにいってしまうならば、ミニカーという大きな背後霊をかかえているからなおさら。

 ようは、バンダイがスケールモデルのレースカーをだしてうればいいんだ、きっと。昔のように。むずかしそうだけれどねえ。開発費がかかっても、そんなに売れないだろうから。

 contax、へたすると二ヶ月かかるかも、とかいわれてへこむ。e-bayでは、安いキエフに手をだす。予備機になるし、手持ちのゾナーやコンタメーターも使えるから。そうこうするうちに、contaxIが$200以下で出ていることに気づく。げ。こ…これは…(←ばか)。とにかく、Minoltaの古いレンジファインダー機をひっぱりだして遊んだりして。これに、contaxIII用のコンタメーターのっけると結構いいかんじで接写できそう。プロクサーが固定できないから手でもってなきゃなんないけれどさ。

 情報貧乏の性格が手伝って(災いして?)カメラ関係の雑誌を20年ぶりくらいに買い込んでは読んでみている。おもしろいのは、読者投稿コンテストのコーナー。ならんでいる写真だけをみていると、それぞれ、金賞は銀賞よりも良いし、というランクの違いは歴然とわかる。これは、写真の善し悪し、ということなのかもしれないけれど、インパクト、構図、等、よいものにはたしかに「よさ」がある。でもね、評者のコメントを見ると腰砕けなんです。つまり…「よい写真」を見極める力と、それを「言葉にする」力とはまったく別のものだ、ということなんだろうな。モデラーの作例記事とも近いものなのだろう。

 さらに、最近げんなりしたのは「カメラスタイル」とかいう雑誌。いや、これだけがひどいわけではないのだけれど、「スタイル」というのがまた災いなのだろうな。読むに耐えないほどの誤字・脱字のオンパレード。ライターの風上にもおけないような一人遊び一人よがりな文章の山。これみんな、「ライカ」な人たちの「スタイル」によって増殖したのかも。田中長徳氏なんか、デジタルカメラマガジンあたりでは結構まともなのに、こっちでは手抜きが目立つし。軽い雑誌をつくればおしゃれ、というのもいきすぎるとただの軽薄なんだがね。「店にはいるときにこんにちわというのを忘れたから店長に追い出されてもういちど店の外からこんにちわをいうところからやりなおした」なんて、そんな店によろこんでいくのは「おすすめの店」雑誌を握り締めて、馬鹿にされることで「おしゃれさん」になれた気がしちゃうマゾヒスティックなスタイル馬鹿だけじゃん。

 いやいや、こーゆー雑誌がライカをがんがんもちあげてくれれば、その分contaxのパーツ類の価格の高踏がおさえられるからどんどんやってもらったほうがいいね、きっと。ふふ。

 さて、ベルギーGPっすね。

8/31
 今年最後の夏休み。これから横浜アリーナです。

 べるぎーGP、たまたまフリー走行から見てしまったのだけれど、カワイチャンはほとんど挙動不審のアブナイ人になってしまっていて唖然。暴走している、というよりも人格がこわれちゃっているのてむはないかと思えるほど。いきなり「すぅーぱあっぱ」とかいうカワイチャンのひどい歌声で番組が始まってもなあ。予選や本戦では「おとなしく」していなければならないからここではじけておこう、ということなのかもしれないけれど、あまりにも聞き苦しく耳ざわり。横に座って仕事をしている人はたえられないだろうねえ。

 とうとつですが、接写の簡単な説明。いつだかのオフで、まとめてみませうと言ったのを思いだしたもんで。

 43模型をやっていて、かつ、webページなんかを開設したりすると、模型の写真を撮りたくなってくるわけですが、写真経験の少ないまま「接写」をすると、いろいろと困難なことが起きたりするわけで…

 まずは、基本項目をまとめるならばですね、

・カメラ、あるいはレンズの「最短撮影距離」より近いものはピンボケになる
 ということを忘れないようにしなくてはなりません。小さなカメラとかオートフォーカス機を使っているとつい忘れてしまいがちなんですが、0.9mとか1.3mとか書いてある場合はそれより近いものは確実にボケます。さらに、
・近くを撮影するとファインダーの視野と実際の写真とはずれる
 ことも覚えておきましょう。これは、最短撮影距離を守っていても、ずれてしまうものです。覗くところと、実際に撮影するレンズとが違う場所にあるための宿命で、視差とかパララックスとかいいます。覗いたものがそのまま撮影できる一眼レフや、液晶ファインダーでみているデジカメではこの問題は起こりません。
そして、
・近くを撮影するとストロボは明るすぎてオーバーになる
 ことも大事。明るさというのは光源からの距離の二乗できいてきますから、自動露出がついていてもストロボは制御しきれなくなります。で、接写すると画面が真っ白、みたいなことになる。

 まあ、この三項目を忘れないでおけばとりあえず接写はできます。つまり、ピントと構図、明るさの三点がポイントなわけですね。

 最初の項目については、接写機能、マクロ機能のあるカメラを使う、というのがもっとも簡単な解決。最近のデジカメには大体マクロモードがついていますし、カメラの場合はマクロレンズやクローズアップレンズという道具があります。要するに、近くを撮れるように拡大レンズを追加するのがクローズアップレンズ、撮影倍率を高めるために専用レンズをフイルム面から遠ざけるのがマクロレンズ、ということになります。「遠ざける」ためには、この他にレンズとカメラの間に蛇腹をいれて調節するベローズや、決まったサイズのリングをはさむ接写リングなどもあります。このスタイルでは、「距離」が増えるわけですから当然ながら画像はその分暗くなります。


マクロレンズの例。もっとも近くを撮影するポジションにまで鏡筒をくりだしてあります。この状態で、フイルム面に実物大の写真が撮れます。


ベローズ。上のカメラを装着して使います。ここでは「ついで」に顕微鏡レンズ用のアダプタも装着してあります。これだと、さらに高い倍率での接写が可能。


接写リング。ベローズの簡易型みたいなもので、カメラとレンズの間にはさんで使います。

 クローズアップレンズとは、要するにレンズの前に虫めがねを一枚装着する方法です。カメラレンズのフイルター径と同サイズの径を持つ虫めがねが、倍率ごとに市販されていますから、それを装着するだけ。一眼レフタイプでは、そのまま拡大像を見ながら撮影できますし、画像も暗くなりません。ただし、拡大率は距離を増やすタイプほどはだせませんが。


クローズアップレンズセットの例。古いモデル(戦前のものです)ですが、三枚の拡大レンズと、視差補正用の距離計がセットになっています。この距離計で、接写時のピントと構図を決めます。

 ちなみに、クローズアップレンズというのは本当にただの「虫めがね」ですから、ほかのものでも代用できます。一眼レフタイプや液晶つきデジカメの場合なら、市販の虫めがねをレンズの前にくっつけて、ピントをファインダーで確認してからシャッターをおせばいいわけです(一眼レフタイプでない場合は、上の様な距離計がない限り使い物になりません。どこでピントがあうかわからないわけですから)。


たとえばこんな組み合わせでも接写ができます。


上のauto110で、ズームの望遠側の前にツアイスルーペをくっつけて接写した例。手持ち撮影です。中央にだけルーペの効果がでていますね。

 この時は、できるだけ上等な虫めがねを使うのがコツです。虫めがねによっては、中心だけちゃんと見えて、周辺部はゆがみまくっていたりするものがありますから注意。ただ、効果をねらってあえてそういうのを使う、というのもアリでしょう。これは、デジカメでもできるワザです。

 さて、撮影距離や倍率が決まったら、ピントの合わせ方です。接写というのは、レンズの繰り出した程度、あるいは、リングや虫めがねで撮影位置が決まってしまいますから、いつものように、ピントリングで、とか、オートフォーカスで、というやり方ではむずかしくなります。カメラの場合は、ピント位置固定で、三脚などに設置したカメラ自体をファインダーをみながら前後させることになります(そのための繰り出し装置も市販されています)。43模型の場合だと、カメラをどこかに固定しておいて、モデルの方を動かしてもいいでしょう。

 デジカメの場合、機種によっては面倒なことになります。オートフォーカスしかない機種は、明るさによってはちゃんと合焦しないことがあります。マニュアルフォーカス、あるいは固定焦点位置の設定できる機種であれば、カメラと同様にデジカメ自体を前後させてピントをあわせることができます。ただ、液晶画面というのは荒いのでピントをちゃんと確認するのが困難かもしれません。そういう時は、対象までの距離をチェックして、一度テストしてみることになります。

 ピントがあった、構図もきまった、となると、あとは露出なんですが… 先にあげたようにストロボはそのままではあてにできません。白く露出オーバーになるのが関の山です。それでも、という方、ストロボの前にちり紙をはりつけて光量を落としてみましょう。何枚くらいはればいいかは、カメラにもよるので、各自でためさなくてはなりませんが、これでだいぶ感じがかわります。ようするに、光量をおとしてやわらげるわけですね。

 確実なのは、ストロボを使わないで別の照明を用意すること。スタンドライトでも、カメラ側のフイルムやホワイトバランスで色を補正できれば結構使えます。スタジオ用の大きなライトまでは普通は必要ありませんが、こういう小道具があるといろいろと便利。


もともとは顕微鏡用の外部光源ですが、明るさの調整、フイルターのセット、スポットライトから拡散光まで使える、などととても便利。中古の顕微鏡を扱っている店でたまに出物があります。

 これでなくても、スタンドを二つ用意して両サイドから照らしてみる、とかいろいろと試してみるとモデル映えのする状況がみつけられます。ただし、電球の種類によってはホワイトバランスをきちんととらないと色がずれますから注意。とくにカメラの場合はフィルターやフイルムの種類にかかわってきます。蛍光燈だと緑っぽくなる、とか。デジカメの場合はちゃんと白いものでホワイトバランスをとりましょう。

 あと、照明としては、およそ5000円前後で入手できるスライドやネガ用のライトビューワがあります。これは、5000Kにセットされているのでホワイトバランスを悩まずにすむ、というメリットあり。


こんなものです。ちょっとした写真屋さんで売っています。

 これを、照明としてかざしてマクロ撮影をする、というやり方もあります。


プロバンスのウルフ・ダラーラをモデルにしてみました。

 色がナチュラルに出るのがありがたいです。変則的だけれど、バネルライトを床や壁にすると、2001のあのシーンもできたりします(笑)。

 とりあえず、これで撮影できます。ここからは追加事項。一つめは「しぼり」のことでありまして、ようするに、「ピントのあっている範囲」というものが写真にはある。どこかにピントをあわせると、ある幅(おくゆき)にだけピントがあうことになります。接写の場合、ピントのあっている範囲とそれ以外のボケとの差がきわだちがちになりますから、できあがる写真について考える必要があるわけです。この「ピントのあう範囲」はレンズの「絞り」を絞りこめば絞りこむほど広く、つまり、奥行き深くピントがあうようになりますから、シャープな写真になる。そのかわり、絞った分全体が暗くなるのでシャッターを遅くしたり照明を明るくする必要があります。これも、自動露出しかないタイプのカメラやデジカメだと辛いところです。ただ、絞り優先AEの設定で対応できますから、機能の確認はおこたりなく。

 また、接写してみたらなんだか妙にゆがんでいるなあ、ということがあるかもしれません。これは、レンズのもともとの焦点距離によるもので、そう簡単には対応できません。ベローズの場合は、途中の蛇腹をまげて(シフトして)対応できることがあります。また、マクロレンズを焦点距離の長い望遠タイプのものにするとゆがみがでにくくなります。ズームレンズで、広角側にしかマクロ機能がない場合は、望遠にしておいてマクロを解除した上、クローズアップレンズなどを活用する、というワザで対応できることがあります。ゆがみが気になる時はためしてみてください。

 最近ではいわゆる使い捨てカメラで接写切り替えスイッチのついているものなんかもあります。フレームに注意すれば結構使えるかもしれません。以前は、ピッカリコニカ用の接写セットなんかもありましたっけ。これはクローズアップレンズと短い三脚の合体したものでした。あと、GOKOカメラから発売されているMacromaxシリーズなんていうのもおもしろいかも。

 とりあえず、こんなところかな。質問とかあったらおよせください。ついでに、表の「写真機」のページもよろしく(笑)。

 では、いまからアリーナにいってきまーす。

9/3
 「やってもーた」シリーズ。いえね、サフの表面を整えていたらばぽっきりと…

 これ、接着剤でくっつけても強度が出ないだろうなあ、というわけで、


穴をあけてピンを二本たてて、


ピンの先に鉛筆の芯をこすりつけてボディにくっつけてあたりをとり、


ボディにも穴をあけてエポキシで接着。ふう。一進一退どころか露骨に後退してるなあ。

 完全にかたまったらまたまた表面を整えなくては。ふう。

 先日の横浜アリーナ、カミングセンチュリーのコンサート最終日、だったのだけれど、結局テレビ番組のつながりもあってV6そろってしまっていた。なんだか得をした気分。昨年よりも音楽重視っぽかったのはアルバムの流れもあるのかな。岡田君のソロが歌・踊りとも充実していたような。しかし、観客相手にてれてどうする(笑)。

 新宿の京王デパートでやっている中古カメラフェアに顔をだす。右をみても左をみてもライカだらけ。そして、首からカメラをさげたお父さんと、つきあわされてくたびれた家族が片隅の椅子に避難していたり。やっぱり、マニアさんとかコレクターさんってのは分野が違っても似た空気なのがおもしろい。

 田中長徳氏がサイン会をひらいていた。サイン会、といってもカメラ好きが集まってなごんでいるような感じ。あと、アルフィの坂崎氏もそばにいて、あやしげなカメラやレンズを相手にそぞろ歩いておりました。KodakのFluorとかいうへんなレンズ、あれは紫外線か蛍光の専用レンズっぽい感じでしたけれど、本当になんでしょうねえ。僕は、といえば、そのそばでコンタメーターのII用(1343)の半端品…距離計しかない…をちょい値切ってかったり、16mmの現像用リールを買ったりしていましたが。コンタメーター、プロクサーと接眼レンズは手元にあるので、これでキエフでも接写ができるぞ。ところで、コンタメーターの距離計、1340と1343とを並べてみたけれど高さも傾きもかわんない。II用とIII用のはずなんだけれど、どこが違うんだろう。中身? でも、カメラの高さしかかわんないはずなんだけどなあ。

9/11
 月曜日。イタリアGPはひさびさの感動。さあて、残りのレースももりあがるぞ、これで。

 さいたまスーパーアリーナにて、V6の夏コン。二時間半を堪能してきました。岡田君もすぐそばまできたしね。なによりも、OverとTakeMeHigherの二曲ではじまるというにくい演出。しかも、メンバー紹介の都合もあってTakeMeHigherのほうはフルバージョン。もう、これだけで夫婦ともに感動して、あとは存分にたのしませてもらったのでした。それにしても坂本君はコンサートなのに愛想がないねえ。一部で体力をつかいきったんだろうか。

 さいたまに行く途中の電車で、どこぞの中学のサッカー部の一団といっしょになった。うるさいは臭いはマナー知らずで無礼だは、で、いかにジャニーズという集団の水準が高いのかを痛感。しかも引率の教師も生徒をコントロールしもせずに周囲の乗客をにらみつけて喧嘩うっているんだもんなあ。あんた、うちの子の中学の教師でなくて幸せだったねえ。しかし、文春みたいな劣情むき出しの記事というのはこの手の汚いガキどもと心情をひとつとするところに発生するねたみの気持ちによるのだろうね。最近とみに取材根拠に欠ける記事が目につくけれど、この分ではそのうち某宝石のような「あの記事は事実無根でした」というケッサクな謝罪記事をださなきゃなんなくなるんでない?

 ケッサクで思い出した。今回のコンサートでのジュニア紹介できっちりと名前をよばれたあるタレントがいる。町田君なんだけれど、この春あたりにはYahooの掲示板ほかでまことしやかな「うわさ」が流れたものだ。それは、オリキとかよばれている一部の選民意識をもったファンたちがジャニーズ事務所の人間に呼ばれて「町田君は事務所をやめました、と宣告された」、というものだ。どういう経路でこういうデマゴーグが流れて出てくるか、というと、「自分は他の人とは違うこんな情報を握っている」という意識の欲しい妄想な人たちがつくりだすのだろう。それは、たまたま数回のコンサートに彼がでてこなかった、ということから妄想されたものだろうけれど、それが「一部のファンにだけ事務所の人間が説明した」というシチュエーションにつながり、それが伝聞形式でインターネット掲示板にでまわり、さらなる選民意識の培養となっているわけだ。

 まあ、いわゆる「ふぁん」というのはタレントの応援をしようという意識よりも「ふぁん同士の階層を上にのぼりつめて偉そうにしたい」という欲求のほうが強いのだろう。コンサートにいっても、ノミ行為にいそしむふぁんとか、ダフ屋と仲良くしているふぁんとか、怪文書を配布しまくるふぁんとがやたらと目につくし。オリキなんていうのはその典型の存在なんだろうね。そういえば、マッハV6の特番ドラマで「楽屋にしのびこんで口紅でいたずらがきをする」犯人について、あっさりと「きっとふぁんの子だよ」ですませてしまうという台詞まわしがあった。やっぱり「ふぁん」というのは「そーゆーもの」なんだろうねぇ。ああ、ダフ屋とかノミ行為がないコンサートにいきたいねえ。

 GPMから、TRONのドライバー、ピットクルーつきの126CKが届く。やっぱりフロントが狭い… しかも、フィギュアはフェニックスのがまんまはいっているだけ(笑)。やるな、TRON。


サイドスカートはエッチング。

 9/12
 「学校へ行こう」の高校生夫婦、すごいことになってきていてなんというか、予想通りの典型となっている。実に見事な夫婦シミュレーション。「こういう」夫婦っていっぱいあるんだろうねえ。わが家のあり方からは想像もつかない。結局、企画としては家庭内暴力(日本の旦那はみんなやっているというアレですな)まで再現しちゃうんだな。あの男、結局彼女を応援するつもりなんか全然なくて、奴隷やペットがほしかっただけ、という現実がとうとう誰の目にもあきらかになってきている。彼女が楽しそうに専門学校に通う姿をみたら、それを喜んでさらに仕事をがんばろう、という方向にいかないんだものね。自明すぎる。「自分もやりたいことがある」んなら、たかだか一日5000程度のかせぎしかないくせに(しかも、家賃光熱費を番組にもってもらっているくせに)「オレだって働いて疲れているんだなのにオマエは」なんぞというじゃないよ。あんたも学校にかよいなさい。親の下にもどって。高橋クンが主夫やって(できるもんなら、ね)、彼女がパートに出た方がお金もかせげるだろうにねぇ。まったく、そもそも、どうして「結婚したい」と思ったのか、そこから考えるんだね。大体、肉体労働といっても一日5000円しかかせげない、というというのは、純粋に彼の能力の限界がそこにある、ということだし、それで女性を一人買って私物化できると思いこむあたりが企画の最初から匂っていた「日本の典型的なダンナ」の姿ということなのだろう。数回前から、こいつはそのうち暴力ふるうぞ、と思っていたら案の上、今回でそれがあらわれた。家庭内暴力をふるっているニホンノダンナ達やその予備軍の目にはこれでも彼女のほうが悪く見えているのだろうけれど、そんな手合いを野放しにしていては法治国家の名が泣くというものだ。少年法よりもこういうのに極刑を与える慈悲深い法律こそがいま必要なのではないかしらね。DVの実態もどんどんわかってきていることだし。

 とりあえず、こいつらから人権をはく奪してどこかで再教育するくらいのことをしてもいいだろうと思う。ゼネコンの救済よりも優先だぞ、これは。

 スカパーでマグマ大使を見て懐かしむ。若い岡田真澄もさることながら、まだ覚醒剤に手をそめていない頃(だよね、さすがに…)の江木俊夫をもみてしまう。子役のときだけは演技力あったんだよね、コノヒト。ゴアのちょっと困った顔がすきです。

9/19

 「学校へ行こう」の高校生夫婦、いやあ、すばらしいカメラワークだ。「専門学校にいかしてやっている」だの「オレのかせぎを」だの(日当5000円のくせに)、見事だ。さらに、仕事場で「いやあ、きのうがつんといってやった、物を投げてやった、すげえよ、泣き出して帰るとかいいだしたし」だと。この高橋という馬鹿にとって「オンナを泣かした」というのは単ににこやかに同僚に自慢する勲章にすぎないんだねえ。いやあ、くずってすごいわ。こんな亭主、世の中にはいっぱいいるんだろうねえ… 「泣けばいいわけ」とか「レシートみせろ」とか、いやはや。

 それにしてもいそがしひ。模型いぢる暇がなかなかとれない… うーん。

9/21

 このままではなんのページかわかんないので(汗)、こんな状況だよ、と。


くっつけなおしたステーの表面を整えて、ホワイト。

 ようやく、これでオレンジを吹くめどがたってきた…

 週末はUSAGPですな。わくわく。

9/25

 高橋は金とっちゃうし、巨人はかっちまうし、そのせいでドラマは二時間も遅れるし…でも、明け方にもぞもぞと起き出してUSAGPの結末はしっかりみました。うーん、ジャックの見せ場あり、うれしひ。「インディらしさがでましたね、亜久里さん」といいかげんなことを言ってあっさり無視されるカワイチャンのあいかわらずさも確認。そして、フェラーリのワンツー!! 燃えるなあ。タミヤから、1/12でF1-2000が出たりせんかねえ。312Tは再販らしいし。

 近所のコンビニでは今日出たはずのチョコエッグ本発見できず。大学のそばでさがそっと。さて、明日から第四弾そして、来月は「日本のペットシリーズスタート」、です。心の準備はよろしいか、御同輩(にやり)。

 さて、320iはここまで来ました、ようやく。さーて、デカールデカールっと。

10/8
 鈴鹿! このためのスカパー、このための721。昨日の予選も興奮したけれど、やはり、今日のこの感動でしょう。鈴鹿組の人たちがうらやましいけれど、たぶん、いまのこの興奮は共有しているだろうな。フェラーリの優勝、シェクター以来のワールドチャンピオン。しばらく余韻をたのしまなくっちゃ。

 タミヤさん、1/12でF1-2000だすでしょ? ルカさんももちろん鈴鹿バージョンだすよね?

 さてさて、ここからはなさけなくもなんだかなあ、という話題。立花氏のwebには11月のサイアスに彼が書いた記事が掲載されている…が、これがねえ。あんた、ぷろのじゃーなりすとじゃなかったの? みっともないったらありゃしないけれど、丁寧なコメントはすでに森山氏がふれているのでいいのかな。でも、こうやってみてみると入り口においてある環境ホルモンの話題についての立花氏のだめっぷりとも筋がとおるし、こういう立花氏に心酔したちゃったニンゲッンの主催する「高等教育フォーラム」のだめっぷりとも見事につながってくる。

 はっきりいおうか。僕は、「科学朝日」はよく買っていた。読むところも多くて、価値のある雑誌だったと思う。ただし、僕みたいなのが価値をみとめていたくらいだから大向こうにうけるはずもなく、なくなった時は残念と同時に仕方がないな、という気持ちもあった。サイアスには、従って掛け橋としてのメディアの役回りをとても期待していたし、前にも書いた「ノミの耳」の話みたいに期待を裏切らない性質もちゃんともっていた。でも、僕はサイアスはほとんど買っていない。それは、立花隆の連載があったからだ、といってしまってかまわない。

 彼の記事は、時代錯誤な科学礼賛にくわえて、一般の水準や科学教育関係者の水準を故意に過大評価して、つまり、こびを売って成立させているような気持ち悪さが特徴。僕は、この感触が生理的にうけつけられなかった。

 もし、同じような感覚を持つ者が一人でもいれば、売り上げの上がらないこの雑誌は、どんなに煽動者による署名が集まったとしても、「経済的な根拠」を表の理由として廃刊、は決定事項だろう。雑誌としての改名や生まれ変わりも認めないだろう。それは、潜伏している病原体がまたぞろうごめくだけだから。やるとしても、まったく異なるライター陣で新規まきなおし、だろうね。

 立花氏の今後の方針がなにか、はとても興味のあるところ。「あさひのせい」でおわってしまうのであれば、それは「買ってはいけない」のライターと同水準の世間知らずのおぼっちゃん、ということでしかないものね。でも、おぼっちゃんにライターはつとまるのかねえ。

10/11
 近所で買えないので、仕事の帰りに恵比寿によってF速を購入。ついでに、F1Modelingとかも買ってしまう。F速、津川クンの文章があいかわらずはちゃめちゃで哀しくなる。「サービス精神」と「こび」という言葉とをこういう風に一つの文の中に混在させてなにがいいたいの? ようするに、津川氏の個人としての感覚では「サービスイコールこび」なんだろう、ということはわかる。ヨーロッパ中心主義にロマンと憧れをいまだにいだいているのもわかる。と、同時に「一般大衆へのサービス」を必要と解く事自体に無理があるのだ。津川!文の「奇天烈さ」はいつもこの合矛盾する二つの要素を強引にひとつにしてしまうことから発生している。どこかできちんとした日本語の勉強をする機会でも得ていればもう少しちがっただろうに… 氏の立場だともっといろいろなことができるはずなのに、と考えるとなんだか哀しくなってしまう。でも、かかえこんだトラウマが大きすぎてもうだめなのだろう。やっぱり、哀しい。

 さて、ここで唐突にごめんなさいをしてしまう。こんもなのを、つい買ってしまったのです。金で解決する汚らしい大人になってしまった気分だわ。

 わかんないでしょうか。デカールセットなんだけれど、1/43、ビルシュタインのデカール入り。MD-5000でつくる、とかいって、人の手をわずらわせて画像ファイルまでもらっておいて、この日和かた、もう、駄目な奴です。でも、Castrolもついていたりするんです。うう。

 実は最近気がついたこと。仕事で細かい作業をいっぱいしていると、模型をつくるペースが落ちます。顕微鏡のぞきながらモーターツール(歯医者のだけど)つかったり、実体顕微鏡の下で作業したり、2ミクロンとか4ミクロンの厚さの切片を実習用に量産したりしていると、工作的な欲求はそこで結構充足してしまうみたい。ああ、また完成がとおのいてゆく… 

10/22
 最終戦、マレーシアGP終了。いやあ、しみじみと一年の終わりを感じます。来期はとうとう実力での「1」かあ。タミヤはきっと鈴鹿版をだしてくれるだろうとは思うけれど、ここはぜひとも1/12も…

 ちょい更新が滞ったのは、実はwebのエリア増設をしたからです。いままでは15Mだったんだけれどそろそろいっぱいになってきたもので倍にしました。またこれでしばらく大丈夫だろうな。ガンプラは、F1みながらつくるのが最近のパターンだったから、これでこっちもストックがふえちゃうかもしれない。とりあえず、PGZは完成しました。このサイズって、着せ替え人形的だ。変形させて遊んでいるとなおさらそう感じます。たのしひぞ。あと、HGUCのリックディアスをマレーシア見ながら。次はMGのグフかサザビーか。MGのダンバインというのもあるなあ。

 ここのところ、e-bayでも以前ほどの面白さのモノはなかなかみつけられないのですが、それでもこういうのをgetしてしまいました。

 ジルがF1にくるちょっと前の号ですね。このFormulaという雑誌、結構e-bayで入手できちゃいますが、なかなか面白いです。

 古いカメラを持ち歩くときに必須なのが露出計。ここのところはセコニックのオートリーダーを持ち歩いていたのだけれど、電池を交換してもバッテリーチェックをクリアできなくなってしまった。ヨドバシで修理。10日ほど? その間、露出計がないのもきついので、そして、電池式はちょっといまは験が悪いので、これを買いました。

 ゴッセンのシックスチノ。入射式にも反射式にもなる上、セレンによる電池いらず。セレンってまだつくっているところあるんですねえ。古いカメラの露出計もなおせるのかな。小さいし軽いし、よくできています。

 320、一体いつ完成するんだろう。デカールが全部めどがたたないと、とすると結構かかるのかなあ。禁断の、同時製作とか始めちゃうと後が泥沼だろうしなあ。悩ましい。

10/28
 e-bayではこんなものを入手。

 ミノックス用の現像タンク。これまた送料こみでも$100しなかったんですわ。さがせばこういうのがあるところがうれしい。って、ぜんぜん模型と関係ないなあ。

 チョコエッグ第四段、スペシャルアイテムの色ちがいを除いてコンプリ。協力してくださったみなさん、どうもありがとうございます。年末には第五段もはじまります。また、がんばりましょう。第五段はルリボシカミキリとかミズクラゲとかが魅力的。

 アドビからメイルがきて、PageMillはもうしらないよ、GoLiveにしなさいとのと。GoLiveって、そのむかしは魅力的だけど買えなかったソフトだもんだから、さっそくアップデートを入手したのだけれど、まだ使い方がよくわからない。いや、実はそれ以上に問題があって…PageMillの3.0がG3以前ではおもかったけれどG3いれてから実用的になったかのように、GoLiveはG3ではおもいんです… G4にしろってこと? うーむ。

 そういやNisusもアップデートらしい。どうしようかなあ。使うかなあ。

11/3
 家族が週の頭から旅行にでかけているため、十ウン年ぶりの一人暮らしをしている。考えてみれば、子供だけいない、とか、相棒だけいない、とか自分だけいない、ということは時々あったけれど、自分しかいない、というのははじめてで、なんとも所在がなくてついカエルの世話なんかしたりしている。食事つくると量の見当を間違えて多くしちゃうしなあ。

 ぜんぜんすすまない320ですが、とりあえず手持ちのできあいのデカールをはってみました。

 全然たりないので自作の分をいいかげんしあげないといけない。unilockだけでもできれば随分と見た目の印象もかわるだろうし。それにしてもEliteのデカールは固いです。ソフター必須。

 田中長徳と和久なんたらの対談、「カメラは病気」を読む。表紙にひかれたようなもの。なんか、和久がエラソーで気持ち悪い。後書きをみてもあたかもこの対談が自分の著作であるかのような気配をみせたりして、なんだろう、この品のなさは。なんでも、和久は田中氏の他所での文を読んでカメラメーカーに遠慮しているだろうと看破し、自分なら遠慮なくいえるから対談しよう、ということになった、というのだが…この対談では、それとまったく同様に田中氏が和久に「遠慮している」のがあけすけにみてとれる。和久は本当にそのことに気がつかないのかな。だとすれば、ちょっとしたお馬鹿サンだが。

 それにしても和久の写真の撮り方はおもしろい。最初に頭の中に「完成イメージ」があり、それにできるだけ近づくようなロケーションや器材、天候を揃えるのだとか。だから、田中流のスナップとは対極にある、というのはわかる。でも、とても不思議なのはどうして和久が「写真」にこだわるのか、なのだ。写真は、結局はその場での光の偶然によってできあがるものだ。そこから偶然を極力廃して計算による作品をめざすのであれば、それは写真でなくてもよい、否、写真ではないほうがよいのではないのか。風景の現場の「その時の偶然」をおさめずして何が写真だろう、と思うのだ。絵画にイメージを焼きつければもっと思いのままの完全な姿に近づくだろう。リアルっぽいテイストがほしいなら、Photoshopでドットうちをすれば、イメージどおりの「写真」を創作することだってできる。

 和久の写真へのこだわりは、田中氏が看破してみせたように、「カメラは嫌い」な意識の中に本音が隠されているのではないか。もしかして、絵かきになろうとして挫折したことがある、とかそんな? でも、こんなところにまで「リアル信仰」が顔をのぞかせるとは… これは病気は病気でも、極めて悪質で悪辣な部類にはいる危険種である。

 和久はもしかすると、「気の毒な人」なのではないか、と、読み終わってそう感じた。

11/23
 先日、1/43のオフ会に参加。幹事のみなさま、お疲れ様です。いつもながら大層楽しかったです。チョコエッグトレードでは、キタダニリュウの黒をゆずっていただきました(イシイルカ、送りますね)。残るは白だけ、なんだけれど、もうそろそろ大変なところでしょうねえ。

 今回、さらにこんなすてきなものをいただいてしまいました。

 日製樹脂工業株式会社の高性能射出成型機FN1000のプラモ。インジェクションモデリングマシンのインジェクションキット、という、うーむ、魂のどこかが巧妙にくすぐられてしまうしろものです。大量のクリアパーツによってメカの内部がまるみえ。実物のパネル写真をそのままシールにしたデカール類、このまま素組みをしてもおもしろそうなのだけれど、たぶん、ポイントを絞って塗装とかディティールアップするとよさそう。スケールも1/20なので、タミヤのピットクルーあたりを配置するというのもあり、だな。

 新宿での一次会、二次会、と参加して、終電の都合で二次会を中座。残念だなあ。ありとあらゆる話題で盛り上がっていたし。ちなみに、1965年の円谷プロが舞台となるティガの49話、「ウルトラの星」は脚本・上原正三、金城役は沖田弘之ですよ。

 家にかえったら、これがドイツから届いていました。

 ランチアベータモンテカルロ。しかも、でっかくGillesの名が。うーむ、Gammaのキットに手をつける前にこっちのが先に手に入ったわけかあ。これはますます320iをしあげてならべなくては。デカールのコツも教わったし、すすめよっと。

 オフ会で教えてもらった、スクーデリアを購入。フェラーリのターボ特集を二号に渡ってやってくれるらしい。二号、といってもこのこの号で1982年までがフォローされているので、個人的には次の一冊は必要ないです。写真がいろいろ載っていてうれしい。

 自民党の内紛にあきれる。加藤というのは、マスコミを意識しているのかあまり意味はないくせに「それなりにウケがよさげな」言葉をばらまいていて気持ち悪かったのだけれど、「離党」がちらつくとそれでちょん、というあたりがなんとも。「支持率からいってコクミンの総意なんだ」という意気軒昂ぶりが虚勢にすぎなかった、というのはわかりやすすぎるぞ。もしそうなら、そして、本当に政治に新しい風をみたいなことを考えていたのならば、自民離党がそんなに足かせになるはずがない。ようは、自分が幹事長に、そして総理になのたかったから、マスコミに乗じてみた、だけだった、と。その加藤のさらに尻馬にのったマスコミ各社もあほむきだしでほほえましかったですねぇ。覚悟もないのに旗ぶちあげるんじゃないよまったく。

 怒りといえば、最近これほどの怒りを感じたことはなかったと思う。ねこぢるyの「ねこぢるうどん」を買ってしまったのだ。彼女が存命中から、作画に関しては山野の関与が大きかったことは確かだから、さしずめこれはねこぢるの身体を乗っ取った悪霊、というところか。ゾンビといってもいいかしれない。確かに、絵柄はねこぢるだ。残酷シーンや暴力シーンもちゃんとある。でも、ねこぢるはこんな頭でっかちな作品はつくらない。そもそも、各ページにあふれかえる吹き出しと台詞文字の山。「考えてつくられた」残酷シーンの俗っぽさ。そして、ねこぢるであれば絶対に表現しなかったであろう、いや、彼女の性質では決してそんなものを表現するどころか、そういうことを考えることすら拒絶したであろう性的暴力の暗示まで露骨だ。

 ねこぢるのもっていた素朴な恐さ、日常の少しばかりずれた現実的リアル、というものはここでは皆無といっていい。暴力というものを山野一はおそらく表現だと考えていると思えるフシがあるが、そもそものねこぢる作品におよんでいた暴力というものはまさしく日常平穏の中にあるもので、また、そこにしかないものであったのに。山野一の先品は、汚いだけで恐怖はないし、センスもなく、なにかがたどりつける場所としての安心感もない。これは、ヒルコなのかもしれない。

 ここからわかることは、山野一はねこぢるのことを「頭で理解しようとして、さらに、理解したつもりになっている」ことだ。神秘体験にしても、二人でいながら、まったく異なるものだったといえよう。平穏な日常の中にこそ、地獄とも近い恐怖と不条理と残虐がひそみ、それを、にもかかわらず自在に表出できる境地こそがある種の悟りだった。それを、彼女のかわりに実現してみせたのがにゃーこ達、ねこ神たちだった。まったく、なんということだろう。ねこぢるは、彼女をけっして 理解できない人間といっしょにくらしていたのだ、とこの一冊をみると納得せざるをえないではないか。そして、そこから外に逃げだしたとしても、外界にはもっとひどい、無理解な敵しかいない… 外にも内にも逃げ道がなく、理解者もいなかったのだとすれば、彼女が行くことのできる場所は…たしかにひとつしかなかったのだ。

 まったく、なんということだろう。山野一には、ねこぢるyとして作品をつくるのをやめていただきたい。もともとの自分のセンスで、あの品のない漫画群をうみだしつづけていっていただきたい。いっておくが、山野一にはねこぢるをサポートすることはできても、ねこぢるをのっとることは許されないし、ねこぢるを今回のようなかたちで冒涜することはさらに許されないのだ。ねこぢるを追い込んだだけではあきたらず、こんどはその作品までもをおとしめようというのだろうか。

 怒りのつぎにはちょっとうれしい話(笑)。先日、有楽町の中古カメラ屋で委託販売のContaxIIを購入。距離計動作不良、というのでやたらと安かった上、距離計以外はシャッターも含めて実に美品だったので、最悪、目測で撮るか、という気持ちだった。なにしろ、旧 Contax というと、I、II、IIaがほしくて、とりあえずIIaは手に入れたし、ということもあり、これでIIもgetだ、と。家に帰ってからちょっとばらしてみたらばですね、フレームの絞め具合がおかしかっただけでくみなおしたら完動品にはやがわり。なんと、とっても良い買い物をしてしまいました。はい。

 これがあるから中古カメラの世界はやめられなくなっちゃうんだろうなあ。

12/2
 風邪ひいてしまってお休みしています。その隙に、ちまちまとデカールなんぞ。MD-5000のカートリッジのシールを貼り替える、という先日教わった技と、Unilockのwebからひろってきたロゴで作成。ただ、白がむらになってしまっていて残念なのだ。三度重ねたのだけれどなあ。

 でも、それなりに雰囲気がでてきた。あとはいきおいなんだけれどねえ。年末にはνガンダムもでちゃうしなあ。来週は忘年会とか学会とかがあるしだんだん師走っぽくなってきそう。

12/10
 じわじわと。

 あ、ストロボ強すぎた。顔つきをつくってみています。豚の鼻のおかげでびーえむっぽくなったし。年内完成…はできるかなあ。

 先週は、高知の学会にいってきました。暖かくて良いところだったな。あまり出歩かなかったけれど、牧野植物園には行ってきました。

 帰ってきたら届いていたのがe-bayで落としたcontaxI(E)のアメリカ輸出版。シャッターがこわれているためにとてつもなく安かった…200ドルしなかった、ので、これを修理できるかどうかが挑戦です。修理できたらうれしいなあ。

 あと、9日には新宿のヨドバシで発売されたばかりのワンダースワンカラーFF同梱版を買ってしまいました。生まれて初めてやるんです、FFI。うーん、おもしろいぞ。通勤のおともはしばらくこれだな。

12/27
 師走とはよくいったもんでどたばたどたばたしています。320なんか上の写真からすすんでいないし。くう。その間、にゃうがんだむとかれぷらかあんとか、ストックは増えてしまうしねえ。これからの時期はわが家での世紀末ぱあてぃ他、前の研究室での共同研究、コンサートなど、過密です。(お台場でやったJ-Friendsのカウントダウンコンサート抽選もいきましたさ。とりあえず二枚はチケットゲット。もう一枚が敗者復活で申し込んであるのだけれど、この分ではたぶん僕はホテルで留守番でしょう)。

 FFとか、PS2ガンダムとか、スタンド読むとか、やることしいっぱいあるものね。

 と、意味のない中間報告でした。

1/14
 大晦日は秋葉原で一泊。2-3日は都立大で実験。4日は横浜アリーナでV6のコンサート、6-7日はまた都立大で実験。8日は新年会、とここ数年で一番いそがしい正月をすごしてしまった。気がついたら年をこしてすでに二週間。

 成人式で騒いだ若者を告訴とか逮捕とかで、年寄りたちがわきたっているのが気色悪い。若者がみっともないのは確かだけれど、「やじをとばした」とか「飲み物をかけた」とか「演台につめよった」というのが理由になっているのが納得できないんだよね。成人式に限ってそういうのを問題にするのはなぜ? この前の国会でもおんなじことやったギインさんがいっぱいいたじゃん。演台につめよって水をかけられたりさ。つまり、成人式にかこつけて若者批判をする態度の影には、なにやら肥大した意識の過剰ぶりと、あやしげなる思考のかたよりがあるのではないか。所詮は「最近のワカイモノは」のバリエーションにすぎないということか。それは、イコール意味のない言動、といってもいい。くだらないギインサンもどんどん逮捕するというのなら納得するけどさ。

 PHSを暮れに買い替えたら、PHSのメイルというのを日常的に使うようになった。こんなキーで、とおもっていたけれど、ちょっと使っているうちに、1000文字前後のメイルならなんなく打てるようになっちゃった。で、初めて知ったのだけれども、iModeってもしかして250文字までしかメイルあつかえないんですか? しかも、それ以上のサイズのものを受信すると250文字だけと受け取ってあとはどっかにきえちゃうんですか? うーん、それって使えないじゃん。と、いうか、相手がiModeだった時には注意しなくてはいけないわけだ。めんどうだからAstelに買い替えないかい、とか(笑)。

2/3
 節分になってしまった。模型、ぜーぜんすすんでいません(泣)。CKとかはやくつくりたいのになあ。気分だけ、こんな状態。

  なかみをしあげて…もうちょいとか思っていても、なかなか時間がなあ。

 関係ないけど、最近デジモンにはまってしまってキケンです。チョコエッグの発売が遅れているせいだけではないだろうけれど、でも、そのおかげで日曜も早起き(笑)。

 山の手線での死傷事故、発端となった転落者のはなしはあまりきこえてこないけれど、あれってようするに「ホームで酒飲んでいておっこちた」話。確かに、普段から夕方のホームで酒飲んでいるサラリーマンみていると、「こいつらいつかおちるだろうな」と思っていたので、「ああ、やっぱりね」という感じである。そんなのを助けようとして死んでしまった二人のこと考えるとやりきれない。よき人間はこうして理不尽に死んでいくのか。まだまだおっこち予備軍の酒飲みさらりぃまんは大量に存在する以上、まだまだこの手の事件はおきるんだろうね。

 鬼武者、バイオ4への期待がいやますのはよい。でも、主役の大根ぶりはどうにかなんなかったの?

 MGの百式発売決定、うれしい。でも、ハイメガランチャーはついてこないってほんと? HGUCでもついてこなかったのになあ。

 
43はなかなかできなくてもこんなのはできる…

 春休みになればなったで研究・実験に時間必要だし、なかなかねえ。

2/11
 これから都立大で実験。連休もどたばたです。79年のT3、あとでAutocourseあたりでしらべてみます。ありがとうです。後半戦みたいですねえ。

 昨年以来子供と約束していたiBookをとうとう購入。フレッツがくるから勝手に使っていいよ、と。ついでだからAirmacのベースステーションとditのカードも二枚買って、わが家の常用パソコン三台がすべて無線LANでフレッツにアクセス、という環境にしました。うーん、便利、これならPowerbookの意味もあるよなあ。バッテリがへたってきているので2400は有線ですが。

 デジモンにはまりすぎ。FF1も随分あそびたおしたのでD1テイマーズを買ってしまった。これ、たぶん次のテレビシリーズのストーリーとかかわってくるんだろうなあ。映画ももう少しでかかるし、たのしみたのしみ。でも、シャッコウモンっていのはら的だねえ。

 HGUCではシャア専用ズゴックが出ていた。これがでた、ということは、量産型GMとかファンファンとかもHGUCででるんでないの?

 ちょっとした愚痴なんだけど、L-508を買ったばかりなのに608がでるって? 一眼ファインダー内で情報を読み取れるって? そのうちでるんじゃないかとは思っていたけれどなあ。あーあ。

3/10
 ぐ。一ヶ月たっちゃった。今日もこれから都立大で実験なんです。で、明日は三浦半島のゴミ最終処理建設予定地の見学会。いそがしい…

 デジモンの映画、初日に見に行ったらめちゃくちゃこんでいた。渋谷は緊急に最終回の後に一回ふやしたくらい。子供つれていかなかったから人形らえなかったなあ。またいかなきゃ。それにしても、ああいうところでならんでいる親子というのはどうしてああもたちが悪いんだろう。一匹もがきをどつかなかった自分って偉いと思いました。あぶないとこだった(笑)。

 実は、すうぱあかるちゅあすたあのヒラモト君が破綻しまくっている。たぶんそのうち相棒が書くだろうから詳しくはそちらにゆずるけれど(いや、実は自分でたたきたくてうずうずしているんだけれど相棒のすることをうばってはいかんので…)、要するに「オリキ」とか「オッカケ」のご機嫌とりをしなきゃなんないほどおいつめられたらしい。「普通のファン」は「擬似妄想」(っていう頭のワルイ造語もなんだか(嘲笑))だからたちが悪くて、自分たちが何をやっているか自覚しているオリキたちのほうがまともなんだそうな。怪文書とばしたり、デマチやったり、実家に電話かけまくったり、そういうのが「まとも」だというこのセンスはステキですな。「わかってやっていれば」犯罪ではないのかあ。ふーん。さっすが「すうぱあかるちゅあすたあ」ですこと。このロジックって、「買ってはいけない」といっしょだ。身体に影響が「出ていない」人のほうが「あぶなさにきがついていない分遥かにキケンだ」というあのへりくつ。つまり、「ああ、このヒト」なりふりかまっていられないところにいるのね、ということがわかるだけ。もしかして、「おっかけマップ」出版差し止めがまだ尾をひいているのかね。これ以外にも破綻てんこもりで楽しいので、相棒からのコメントを楽しみに。もしかして、このすうぱあかるちゅあすたあって病んでいるヒトなのかもしれないけれどね。

3/18
 そろそろページが重いとか指摘されてしまいました。へたすると一年たっちゃうものねえ。320はとりあえずタイアをいじっています。ロックナットがないでやんの。みつくろわなきゃ、という感じです。すすまないー。

 今日は、娘といっしょにユーカリが丘にデジモンを見に行きました。マイカル系。空いているし5.1CHだし、なかなかでした。今回気がついたんだけれど、テイルモンにはホーリーリングがついているじゃん。来週とり戻すのかなあ。

 カメラマンのための写真レンズの科学、という本を読んでいて発見。チョートクさん、サカザキさん、去年、新宿の中古カメラ市で謎だったあれはブラウン管、X線管専用のレンズ、フルロ・エクターF0.75だそうです。

 e-bayでPentaconFのぼろぼろのを手に入れました。ファインダー、シャッターは問題なし、だけど前のオーナーがブラック塗装して、それを汚く削り落とした後がすごい。でも、M42なのでロシアのレンズで遊ぶのに最適なんですね。

 マレーシアGP、いやあ、きましたねえ。次のブラジルはどうなる。

 そうそうアズエフ月刊化。サイアスの休刊と同程度の感覚をいだきましたね。どちらも、「誌面に品がない」ために買う気のおきなかった雑誌だもの。アズエフにいたっては月刊化の告知広告自体が下品なんだものねえ。

 日本カメラの4月号のサカザキさんの記事で判明。僕の手元にある祖父のかたみのfedってfed-Sだったんですね。1938〜41年に2000台って、へどとしてはすごく少ないんでない?

3/25
 今日はこれからカメラショー(とはいわないのか)。

 GPモデリスタを買う。これって… 高安さん、なにをやりたかったのかわかりやすすぎ。P84があまりにも雄弁。でもねえ、これで山海堂のアレはどうなるのかね。アレがやりたかったハズのものはここにすべて実現してしまっているってことは…ねえ。まあ、某カワイチャンなんかとつるんだのが雑誌としての敗因というのは明白だし、仕方がないところだね。気になるのはネコと山海との関係だけど。

 デジモン02最終回。やっぱりテイルモンにホーリーリングはかえってきました。さて、来週から新シリーズですねえ。

 お台場から帰ってきました。つかれたぁ。大体、フォトエキスポとかいいながら、カメラのほとんどはデジカメ。パソコンのショーかと思えるほど。で、入場無料のせいでもないんだろうけれど、「ねーちゃんの写真とりたがり」のオヤヂだらけで息がつまりそう。来年は入場料とれば?

 あまりにもうっとうしかったので、おもちゃショウにも寄ってしまいました。バンダイだけのぞいて、帰宅。体力つかったなあ。

 廃棄のベータをもらってきたので、手持ちの90から92年のF1を見られるようになりました。懐かしくて涙がでそう。

4/15
 書きたいことはいろいろあるのに、新学期がはじまったこともあっていそがしすぎ。320は、ボディにクリアを吹いて乾燥中。

 えーと、なにがあったっけ。そうそう、チョートク先生おすすめ、という帯にひかれて「クラシックカメラで遊ぼう」を読む。著者の山縣氏は随分とゆがんだマニアで辟易した。ローライコードを二台つぶしてつくったステレオカメラのつくりかたあたりがピークか。そこそこの年齢のヒトみたいなんだけれど、作例に品がないのもこの年代のオヤジならではの感性というべきかねぇ。カメラ趣味に到達したのがつい最近だった、というともあって昔のことはほとんどご存じないのはご愛敬だろう。昔のカメラのコマ数計に20があって24がないのを不思議がっているのをみちゃうと、ほんとうに最近までカメラや写真に興味がなかったのだな、と思う。「どっちがトクかよーく考えてみよう」も知らないのだなあ。いや、興味がなかったどころではないはずだ。と、いうのは、この山縣氏、父親に対する嫌悪感があまりにひどくて、それによっていろいろな言動が規定されているからだ。この本のとりえであるローライコード改造のステレオカメラだって、一台500ドルのローライをばらばらにしていく部分を読んでいるとあまり「カメラ」としての存在に対する敬意とか好意を感じないのだけれど、その理由があとから判明する。つまり、「二眼レフのローライ」というのは山縣氏にとっては「父親の象徴」だったのであり、だからこそ、「安いからばらばらにする」とか「復元が目的ではないからどんどんばらばらにする」とかのほか、「ローライ型のカメラをカメラとして見ていなかった」などというセリフもでてくる。これは、さらに他の部分にも影響していて、ツアイスに対する偏見とかライカに対する偏りとか、心に傷をもつもの独特の妄執がにじみでている。
 どーでもいいけど、「いすず」と書いて「いすゞ」と書かない人間の教養を疑う、なんてかっこつけるのであれば、日本語のお勉強をもうちょっとしてほしい。「個体」と書くべきところがことごとく「固体」になっているのは誤植ではないからなのだろうとしか思えない。センテンスがちゃんと完結していなかったり、小学生がやりそうなうっとうしい繰り返しが山ほどあったり、ちよっと1600円の本にしてはひどすぎ。教養、疑うほどすらもお持ち合わせでないのでは? でも…これってもしかしてグリーンアロー出版社も同罪だ。編集さん、なにやってんの。

 やれやれ、気をとりなおして、と。日テレの特番二つはあきらかにフードファイトの勝ちだな。金田一はつまらなかった。金がかかっているのはわかるんだけどねえ。新番といえばデジモンテイマーズ、小中千昭氏がシリーズ構成の上、最初の三話までの脚本も書いている。ちょっといままでと違う世界観がなかなかよい味をだしているし、舞台が西新宿というのも興味深い。時代設定がまだみえてこないのも楽しみ。200X年って、いつ?

 ついでに新番組といえばビバビバV6がつまんない。つまんなさすぎる。なんだか頭でっかちで見事なからまわり。

 五月の半ばには九州で学会。なので、さらにいそがしいのでした。うーん、次に更新できるのはいつだろう。ネタはまだまだあるのに…

4/29
 GWってなに? 来週は九州で学会があるのでしばらくどたばたがつづきますです。

 それでも、この感動をいわずにはいられない。最終ラップでのリタイアを祈ったことが山ほどあれど、こういうときに実現するなんて。そして、ひさびさにビルヌーブの名を持つ者が表彰台にたったし。

5/22
 あ、もうこんな時期。もう、なんだかわかんないっす。福岡に学会いってきました。ふぅ、やっと一段落。写真もあがってきているのでそっちも更新せねば。GWも学会の準備でつぶれました。射出成型機の素組みとGMはつくってたけど。

 ねこぢるy氏からメイルがきました。内容は公開しませんが、個人的には「次の新しい作品世界」に期待していますよ、と。僕がみたいのは、山野でもないしねこぢるでもまったくないけれど、どう見てもその両方でしかない新しいもの、です。たぶん、わかってらっしゃるのでしょう。

 ハンセン氏病裁判。なんというか、いやな気分である。たしかに人権侵害はあったろう。でも、そういう目にあった「弱者」だからといってなにをやってもいいということはない。すでに彼らは集団でつめよる、という態度を示したことで、「自分たちが否定しているもの」に自分たちがなってしまっていることを明かしたのだ。国が控訴するかどうかを決める前に会う「べきだ」という立論自体が、ハンセン氏病の問題は「人権侵害」ではなく「外見」なんだといいきったも同然。戦略をまちがえましたな、ということ。

 とりいそぎ。うーん、まぢめに更新せねば。

6/10
 まぢめにといった矢先にこんな時期。ああ、開設してから一年が… 320は、ボディの内側にセミグラスブラックを筆塗り…しただけ。あーあ。必要なのはもしかして引っ越し?

 デジモンへのはまりどが高い。ワンダースワン、D3、ときて、D-Ark(ただし、D-Arkは子供にとられたような感じ)。通勤電車の中あそべるというのがポイントでしょうかね。いや、子供がね、僕につられてはまってきているんですわ(笑)。こりゃ、今度親子でカードバトルか。

 いろいろと模型とは関係ないところで書きたいことがあるもんだから、もしかすると、なんかページの構成いぢるかも。

 ところで、320はすすまないのにこんなことはしていたりして。先の日記でふれたものもあるけど、


昨年の某オフでただいた射出成型機のプラモ。とりあえず素組みしてみたらば、なかなかいい感じなのでとりあえずこのかたちで飾っています。

あと、

こんなのとか、

こんなのとか、

なんとなく粘土こねているうちに作ってしまったこんなのとか


これは、サフふいて色ぬらんとね。

9/15
 320、いいかげんしあげちまわないと… 細かい部分の色とかで悩んでいたるのだけれど、もう随分時間もたっちゃったし、えいやっ、でやってしまわないといかんな。

 そうこうするうちに、いろいろなことがありました。V6の夏コンは、現職の教授の葬儀とぶつかったので礼服で半分だけいってきました。疲れた…
 
 表の部分に青色LEDについてのコメント。でも、ナカムラ氏のふあんが例の「高等教育フォーラム」にいる、というのも予定調和的でおかしい。やっぱり低き所にあつまるのかねえ。

 e-bayでは、ContaxIIIとか、Airfixのイーグルとか、そんなのを入手しています。テロのせいでBidPayが数日とまったり、とそれなりに影響もあり。それにしても、各国の首脳があれほど怒りと苦悩をにじませたコメントをしているのに、ブッシュ大統領の単に興奮しているだけ、という態度は気持ちが悪い。興奮、というよりも嬉しいのを懸命に押え込んでいるかのようにも見える。テロについて、嬉しそうにテレビに映ったのはパレスチナ人とブッシュだった、というあたり、なんともいえないやりきれなさ。そもそも、アメリカの増長が遠因ともいえる今回のテロ、アメリカという国の実質的な終わりがみられるのかもしれない。しかし、ブッシュの名をもつものみんな戦争が好きなのかねえ。案の定、いま、アメリカではアラブ系の人たちに対する暴行や恐喝があいついでいるんだとか。アメリカ人って、単純だからなあ。ま、そうなるんでしょうな。神の名の下に原爆落としたんだ、と本気でいえちゃう国民性だし、あまり社会的でも文化的でもないのかも。

 それにしても、真珠湾にたとえるアメリカ人の多いこと。つまり、今回のテロは暗号の解読によって最初から全部分かっていたけれど、あえてテロリストを泳がせていた、とでもいうのかしら。だとすれば、犠牲者を殺したのはアメリカってこと? まさか、とは思うけれどブッシュの態度みているとあながち、とかね。

 テロのため、東京のスタジオから中継コメントをのせている721のモンツァのフリー走行、はじめのうちはおとなしかったカワイ氏がだんだん図に乗ってきたのがやっぱり鼻につく。とはいえ、いつもほどキチガイじみてはいないのがありがたい。

9/24

 テロにまつわるちゃちなコメント、というのはたくさんあるけれど、いわく「のすとらだむすの予言はこれだ」とか、エセヒューマニズム馬鹿、とかあたりにパターンは限定されるみたい。いつものように「その両方」をやってのけてみせたお馬鹿さんがここ。えのきくん…あまりにもわかりやすいコメントありがとさんです。でも、「ひとのいのちのたいせつさ」を説くのは勝手だけれど、だからといって出版物の写真をまんまwebにのせるなんていうのはあまりにも権利意識に乏しいコトですぜ。「これらの写真から目をそむけてはいけない。これがテロの本質、戦争の本質」というカッコイーコメントをつけていても、榎木君のやっていることは無神経な露悪趣味であり、著作権に対する侵害行為でしかない。旅客機の突入シーンやビルの倒壊シーンの放送を自粛するテレビ局も出てきている中、こういうエセヒューマニストが悪趣味なサイトで無神経に「特ダネ写真」をばらまいているという現実、これって、大規模テロにつながるゲニラ的行動の第一歩、であろうねえ。

科学をやっているものがこんなこといっちゃいけないと思うけれど、例のノストラダムスの予言の「恐怖の大王」って、あのことだったのだろうか。そしてあたかもバベルの塔が崩れたような光景。

昔ムーの読者だったころ、世界を滅ぼす男が既に誕生している、ということが盛んに書かれていたのを記憶している。その男は1990年の時点で30歳前後だという。

なんてーのはテロに荷担するアオリ文句といべきだろうし、その上、

バベルの塔と恐怖の大王については、現地ニューヨークでも語られているという。ニューヨーク留学生の話。

なんぞというのは典型的なデマゴーグの補強構造だ。だからなんだというんだろうなあ。

たしかに、僕の参加しているMLでも、

"In the year of the new century and nine months,
From the sky will come a great King of Terror...
The sky will burn at forty-five degrees.
Fire approaches the great new city...
In the city of york there will be a great collapse,
2 twin brothers torn apart by chaos
while the fortress falls the great leader will succumb
the third big war will begin when the big city is burning"
- NOSTRADAMUS 1654

He said this will be bigger than the previous two.
2001 is the first year of the new century and this is the 9th month.
New York is located at the 41st degree Latitude.

というコメントがでていたけれど、そくざに

sorry -- this is a hoax. Of course, Nostradamus was a fraud as well, so it's
a hoax based on a fake, but it is still a hoax.

というコメントで終結。最初のを出した人も自分が知り合いにだまされたことを告白して撤回していた。ま、世界中で繰り返されている話題だろう。

 くりかえすけれど、今回のテロは、これまで「世界の正義・世界の警察」をきどって無関係な国にちょっかいをだしてきたアメリカの過去が産んだ負債のようなものだ。ブッシュの嬉しそうな顔は、彼が過去のあやまちをまたしても繰り返すであろうことをしか意味していない。戦争、そんなにしたいんだろうなあ。貿易センタービルでまきこまれた人々は気の毒だとは思う。でも、アメリカ人は代々「そういう大統領を選んできた」のだから、仕方がない、という側面だってあることを忘れてはならない。今回の事件に意味があるとすれば、アメリカという虎が張り子であったことが一雨で露呈した、ということになろう。上の榎木君のコメントなんざ、テロリズム「テレビの中の娯楽」でしかない、という日本人の典型なのかもしれないけれど、「痛み」というものに対する共感能力の乏しさが災いしているとしかいいようがない。個人的に現在気がかりなのは、現在アメリカに在住するアラブ系のひとたちの安全だ。アメリカ人の性格・性質を考えると、宗派・国にかかわりなくアラブ系の人たちが暴行を受けたり殺されたりしている、というのは一種の予定調和なのかもしれないが。しかし、それはそれこそ真珠湾のころとアメリカ人のメンタリティがかわっていない、ということでしかない。この分では当時の日系人が最終的に収容所送りになったようなことがまたおこるのではないかと気になっている。

 銀座の某カメラ屋で、ある雑誌のライターもやっているカメラマンをみかける。金ピカカメラの企画なんてどうかな、とかいって、店の人にあっさりとだめでしょ、とかいわれていた。あんなのを平気で持ち歩けるのは「いすゞのヒト」くらいでしょって(笑)。その、いすゞの山縣サン、yahooの写真板でもみかれるけれど、先に感じた「下品さ」はそのまんま氏の人間性だったのか、とげんなりしたのが彼のwebページ。薄汚いものが好きな人はさがしてみてはいかがかしらん。それにしてもライカってぇのもかわいそうなブランドだよなあ…

 こんなの、二十年ぶりにつくりました。今回の再販分は成型色が白に統一されてつくりやすくなった(真っ赤はないよなあ)。

 実は、このあとイギリスからAirFix版のeagleも届く予定。二十年前につくったプラモが二個とも手元にかえってくる感じである。

9/30
 写真機という人生に書いたローライのおかげでそこはかとなくシアワセ。シアワセなんだけれど、先にあげた榎木英介のページに対する怒りだけはなかなか消えない。最近の中島みゆきのだめさかげんもわからないようなにぶちんだから、ではすまないだろう。いまだに貿易センタービルから手を振っている写真や人が落ちている写真をwebに出している。これほどまでに無神経な人間だったとは。うちの相棒は彼のページに対して、パソコン通信時代以来の殺意を感じた、と言ったが、それは当然だと思う。中二になる娘は、彼のページを読んで「日本語の力が不自由な人」と表現した。東大出だということをさしひいても、たしかにひどすぎるものな。

 もっとも、彼がいた駒場という環境はこんどドラマになる「反乱のポヤージュ」のネタにもなったアレだけれど、学生共の下品さや無神経さはすでにあげたとおり。それにしても現場スタッフに対して「おい、そこの日雇いのオッチャン」とやった東大生のはなしなんかは、彼らの人間としての品性を端的に表していたということだったのだねぇ。エノキクン、最近はもう東大生時代のように包丁をふりまわしたりはしていないだろうねえ(嘲笑)。

 あ、そうそう、留学生なんかひきあいに出さなくてもよくなったじゃん。テロとノストラダムスの関連、東スポがやってくれたものねえ。あの東スポだよ、うれしいでしょ(笑)。もっとも、「こんなのを読んで真に受ける人間はいない」という理由で名誉毀損が成立しないという希有なメディアだから、まあ、キミの発想もその水準ということだけれど。

 どちらにせよ、神戸という場所にながら、テロの犠牲に対するこの無神経さには恐怖すら覚える。震災の時の写真なんかも手に入ったらさらしものにするんだろうなあ。遺族の気持ちとかには「報道の義務」といって斟酌しないんだろーし。あー、馬鹿は嫌いだ。

10/2
 馬鹿といえば、東スポ、今度は「国際貿易センタービルの映像の後ろ に謎の飛行物体」だそーな。エノキエースケクン、ねいちゃあに奨学金の苦情を投稿している場合ではないぞ(笑)。

2002/5/11
 げ。よねんがけ?

 と、いうわけで、引っ越しの結果、居間とつながった空間に模型机をセットするのに成功。家族としゃべったりしながら作業できる…というわけで、ようやくちゃんと再開です。まずは、引っ越しで破損した模型の修理にかまけているのですが、320もはやく決着つけたいので。

 とりあえずはこんな感じ。エッチングパーツをぼちぼちとつけはじめ、車軸の長さをあわせて、シャーシと内装も少し手がけて。ステアリングがひどいのでつくりなおそう、とか、デカールがまだ全部はできてない、とかあるけれど、もう、とりあえずの決着をつけることを第一にしますです。

6/5
 大きな進展はなし。ヘッドライトは実は二つなのでへらしたり、シートをつけたり、ステアリングはRomuで買ったのにおきかえたり、というあたりです。リアウイングがちょっと幅がたりないので、どうやってとりつつけるかを考えているところ。ま、じきに完成ですな。

 でも、そういっている間に、マスターガンダムとか、HGUCハイザックとか、HGUC Mk.IIとかができちゃった。今はアトールができつつあるぞ。んで、風雲再起とかシュピーゲルとかもでるらしいし、うーむ。シャッフル、そろっちゃうのかな。Exでもいいかネーデルだしてほしい。完全変形でさ。

8/30
 ごめんなさい。日和ました。と、いうか、負けましたです。とりあえず、これで一旦おしまい。細部のタッチアップとか、まだつくっていないデカールとかあるんですが、ちょっと気持ちがはなれちゃった。むりやり一段落ということにしちゃいます。


 違うのをいちからつくりたくなっちゃった、ということもあるけれど、環境がそろっていないと気力もわかないのだなあ、と改めて確認。